kuro963 on the way (5)

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入院編その5


1999年6月初めに急性転化のような症状を呈してから1年が経った。インターフェロンのおかげで病状は安定していると思っていたが、1年後の2000年6月に正真正銘の急性転化を起こした。化学療法でできるだけ慢性期に近づけ、移植を受けることが目標になった。

日付
メモ
検査結果[/ul]
6月14日(水)
担当主治医の外来がある日なので、病院に行こうとするが、前夜から腰痛で、無理して身体を動かすと98年末のように完全に動けなくなってしまうかもしれない。結局親戚に車で送ってもらった。西新宿のいつもの東京医大病院にはお昼過ぎに着いた。
検査入院ということで、短期入院病棟の10階の2人部屋のベッドをとってもらった。ベッドに入ったあと採血する。H"のメールで身近な人に連絡を入れておく。便利だが、入力しづらくて効率悪いな。
夜、足りない身の周りの品を持ってきてもらう。Teliosのおかげでメール書きやすくなった。
WBC 10,800 Hb 8
PLT 38,000
 
6月15日(木)
起床後採血、たっぷり取られた。急遽8時半にマルクやるも、胸からは取れず腰からに変更。だがここで時間切れ、もともと今日外来で受ける検査だった核医学シンチを受けに行く。腕から造影剤を注射して、機械の中に20分くらい横たわって血流を調べるもの。 10時過ぎに終わってベッドに戻って再度マルク。今度は腰からやるが、やはりとれない。細胞数が多すぎるらしい。そこで骨髄生検に変更。後で聞いたら骨髄を切り取ったらしい。先に聞かなくて良かった。 午後いちに、レントゲン、その足で心電図。ベッドに戻ってちょっとの間ゆっくり。4時20分からMRI。これももともと今日外来で受ける予定だった神経内科の検査。
ヘモグロビンが8しかないので、赤血球の輸血。血小板が3.8万しかないので血小板も輸血。初めてなので同意書にサイン。昨日の採血でWBCは10,800だった。今日は12,800。それほど急激には増えていないみたいだ。
熱が37〜38度の間を上がったり下がったり。上がりきると暑くて汗ぐっしょり。水分がみんな汗になってしまうので、畜尿しなくてはならないのに、おしっこが出ない。
夕方に再度採血、これは細胞マーカという細胞の表面を調べるものらしい、今回の急性転化が骨髄性か、リンパ性かがこれでわかるらしい。今検査に出しておけば、明日の夜には結果が出るのだが、腕は注射痕だらけで、なかなか採取できず苦労。先生あせることあせること。
夜、先生から検査結果の報告。急性転化だ。昨年の場合は、前骨髄球が35%であったので、スタラシドとインターフェロンで治療できたが、今回は一段前の芽球が30%出ているらしい。従って、今回は化学療法をすることになった。慢性期に戻し、コーディネイト中の1座不一致ドナーから移植する、というのが今回の目標となった。慢性期にならなくても移植、もあり得るとのこと。いずれにしろ移植時は慶応大学病院に転院だ。
WBC 12,800 
6月16日(金)
起床後採血、またもやなかなか針を刺す場所が見つからない。ベテランの看護婦さんに交代。午前中は抗生剤と抗菌剤の点滴のみ。 午後1時からカテーテルを入れる予定だったが、処置室が空かず開始が遅れた。鎖骨下には通らなかったので、首からに変更。しかし、なかなか静脈に当たらない。何度も針が差し直された。麻酔が効いているので痛くはないのだが。結局ダメで、30分休憩、部屋に戻って、ぐったり。再挑戦は別の先生だった、外来でマルクしてもらったことがある。上手だったので期待する。5分ちょっとくらいして鎖骨下に針が通った。あー、良かった。先生たちもずいぶん焦っていたようだ。針をさされるこっちもくたくただ。
相変わらずの腫瘍熱でぐったり。食事も半分くらいしか取れない。果物、ゼリー、お茶、ジュースは喉を通る。骨髄性の急性転化だ、リンパ性もすこしかぶっている、ということらしい。これで、18日からの化学療法の薬が確定。
 
6月17日(土)
今日は何もない日。点滴のみ。ただし、熱が上がったり下がったりしているので、ベッドでぐったり。38度前後に高止まりしてるかんじ。夜、血小板輸血後39.4度も熱が出た。1時間後には38.4度の平熱(?)に戻った。輸血のせいで上がったみたい。びっくり。 夕方、家族が見舞い。弥生が手紙をくれた。
 
6月18日(日)
今朝は起きたら39度。だんだん高くなってくるなあ。今日から本格的な治療だ。先生に使う薬について聞いてみた
抗ガン剤として、10%ロイケリン散(6-Mercaptopurine)、ブレドニゾロン(Prednisolone)、は飲み薬。ダウノマイシン(Daunorubicin(Daunomycin))とサンラビン(Enocitabine(Behenoyl-ara-C))が点滴。その他副作用を押さえるのに、アロシトール(尿酸値下げるやつ)、ザンタック(胃薬)、点滴の吐き気止め。
朝10時ころから抗生剤、抗菌剤の点滴を始めてから全部の点滴が終わったのが夜の8時頃。尿の回数、量が増えること。また、最近の吐き気止めは非常に効き目が良いらしく、まったく吐き気無し。だから楽、楽。
午後から熱が下がり始め、37度くらい。腰も痛みもひいてきた、熱も下がったし身体も気分も良くなる。夕方家族が来る。氷枕を使わずに寝る。夜中に寝汗をかいて気持ち悪い、ちょっと胃にむかむか感あり。
化学療法始まる前に散々脅かされたが、この分なら何ともない。たったの9日間でしょ、おれはインターフェロンを2年間ほぼ毎日やってたんだぞ。なめんなよ。後は let it be だ。 
 
6月19日(月)
今朝は起きたら36.8度。おお、気分爽快。午後ようやくシャンプーOKが出た。 夜7時過ぎに続々と、会社の仲間が見舞いに来てくれた。身体の調子も上々だし、楽しかった。部屋に戻ったら、以前に同じ部署だった会社の連中が来てくれた。空になった点滴ぶらさげながら、再び面会スペースで話し込んだ。こちらからは連絡してなかったんだけど、誰かが連絡してくれたんだな、きっと。ベッドに戻ったら、看護婦さんが「黒川さん居ないんで探してたんですよー。行方不明になっちゃったのかと」。まずいことをした。点滴を交換してから面会すべきだった。すまんでした。消灯時間間際になっても、この看護婦さんナースコールで呼ばれまくっていた。ほんとにごめん。
点滴は楽だが、おしっこの量がすごい。昨日は3.2リットル。ペットボトル大2本分だ。
午後に部屋を移動してもらった。移動先も移動元も同じ二人部屋なのですが、以前の部屋の隣のベッドには耳の遠いおじいさんがいたのです。このおじいさんは一人でいる時は静かだし、なんともないのですが、面会に来る家族がみんな声がでかくてやかましいのです。おじいさんの耳のそばに近づいて小声で話す、とか。こみいった話は筆談する、とか。ジェスチャーを交えるとかいった工夫まったく無しです。通じないと、同じ言葉をさらに大きい声で繰り返すだけなんです。自分の家にいる調子でいるもんだから、腹が立ちます。すぐ隣には具合が悪くて寝ている患者がいると言うのに。ここは病院だぞ。しかも、家族の誰からも、うる さくしてすいません、の一言もありません。一番腹が立ったのは息子です。息子といってもこのおじいさんの息子なので、わたしと同じくらいの年格好のサラリーマンです。入り口のドアが勢い良く開いて(びっくりした)入ってきた彼は私のベッドの前を通り過ぎる時に寝ている私のほうをちらっとひとめみただけで、奥の窓際のベッドへ。「こっちにベッドうつったのか。いいね!」だって。むかっ。彼の地声の大きいこと!聞きたくないのにいやでも聞こえてしまう話を聞いていると、今日19日に東京ドームでアメリカンフットボールだかなんだかの試合がある会社に勤めているらしいわ。だいたい想像ついたわ。15分くらいいて帰ったけど、部屋から出るときも、ドアの開け閉めが乱暴で、私は通路側ベッドなので、ドアのそばに荷物を置かざるをえず、その荷物にドアがぶつかる。むかっむかっ!もう来るなっ!!
 
6月20日(火)
今朝は起きたら36.3度。おお、気分爽快、大爽快。 今まではインターフェロンのせいで食べ物まずかったし、気分は落ち込んでいる、というように負の方向に振れていたのだ。インターフェロン止めて6日になるが、ずいぶん正常に戻ってきたなあ、と思っていたら、今度はブレドニンのおかげで食欲あること。こいつは太るな〜。おまけに気分が少しハイなんだよなあ。結局、正方向に針がぐんと振れちゃった感じ。白血球は9000台にまで減り、ヘモグロビンは9台まで回復。末梢血中の芽球はまだ30%あるが、全体としては良い方向。あとこのまま6日間続けよう。
テリオスでHPの更新ができるようになった。かねてからの目標達成!
「北の国から」の再放送を見ながら、涙うるうるしている毎日だったが放映が今日で終わってしまった。さびしい。
 
6月21日(水)
今朝は36.5度。もう完全に平熱に戻った。治療中のわたしは単なるおしっこ製造装置です。昨日はなんと4,000cc以上出ました。薬飲んだり、口寂しかったりするので、口からも結構水分を取っていて、一日に1リッターくらいは飲んでいる。ネット上のHNを「おしっこチー君」にでも変更しようかな。子供っぽいか。「しょんべんオヤジ様」の方がぴったりかな。「畜尿4千野郎」はどうだ?。) 今朝の採血の結果、白血球がぐんと下がっていきなり1,800だ。薬が腫瘍細胞をがんがんやっつけてるみたいだぞ。正常な骨髄くんたち頑張って復活してくれ!そんなわけで、そろそろ生活上、食事上の制限が出てきそう。今日は赤血球の輸血もあり。ダウノマイシンは今日からお休み。
WBC 1,800
6月22日(木)
整理しよう

今回の急性転化の件、今までを振り返って整理してみよう。3月のマルクでは陽性率がFISHで55%にまで下がっていて、ほっとしていたのであった。問題はこの後で、私の身体の中の白血病細胞野郎たちは、その後の4〜6月でインターフェロン攻撃をかいくぐる方法を見つけだしたらしい。そして骨髄の中では徐々に白血病細胞野郎がでかいツラをし始めていたのだ。その結果、やくざな白血病細胞野郎にいじめられて、正常な造血細胞たちは、だんだんと町の片隅に追いやられて細々と暮らさざるを得なくなってしまっていたのだ。赤血球やヘモグロビンが減り始めていたのはそのせいだ。同時期、白血球が増えて来なかったので、インターフェロンによる骨髄抑制が効いているのだな、と本人が思うのも無理はあるまい。 6月にマルクをやる予定でいたのだが、その前に、やくざ細胞たちの横暴があまりに目につくようになり、私の身体がそれに反応して発熱を始め体調を崩した、というのが6/10ごろ。今、抗ガン剤攻撃を受けてやくざ細胞軍は壊滅状態に追いつめられたが、地下組織化して常に反撃のチャンスをうかがっている。....というのが素人の私なりの理解です。
昨夜から加熱食が始まり、ファンギソンとイソジンのうがい、その他感染予防の内服が増えてますが、まだ一般病棟にいます。
 
6月23日(金)
一時は末梢血中の芽球が50%にまで増えていたらしいが、現在は4%だそう。この後の治療について検討するためマルク。が、しかしまた引けず、骨髄生検された。ながーいインターフェロン生活のせいで線維化が進んでいるのだろうか?今日は白血球1600、3万を切っていたので血小板輸血。始めたのが遅かったので終わったのが夜の11時、その間ニュースステーション見ていたけど、自民党のカメイってやつは、豆の脳味噌総理と甲乙つけがたいアホだな。見ている方が恥ずかしくなった。 神経内科の検査結果を聞いた。結論から言うと経過観察だ。小脳のあたりの血流が若干弱い(がはは、血のめぐりが悪いっちゅーことじゃ)が、インターフェロンのせいかどうかはわからない。文献ではインターフェロンの副作用で言語障害?という報告があるらしいが、因果関係までは不明だそう。脳梗塞だったりしたわけでは無いので、安心。MRIの撮影フィルム見せてもらった、自分の頭ながらなんか不気味。特に目のところ。
WBC 1,600 PLT 28,000
6月24日(土)
〜6月25日(日)
IVHの片方の管が通りにくくなった。ヘパロックするときにかなり力がいるみたい。カマのおかげでおなかの調子良好。毎食後0.67gづつ飲んでいたが、朝と夕だけで良さそうだ。しかし「カマ」なんていう名前の薬があるなんて知らなかったな。 入院後から伸ばしてきた口髭がだいぶ伸びてきた。そろそろ切り揃えないといかんな。最高記録4,600cc出ました。10リッターはどうひっくりかえっても無理っす。ふうはあ。
 
6月26日(月)
WBC1,400、PLTは4万台。HBが7台なので赤血球輸血あり。で、今日は9日間続いた点滴生活の最終日。だが、ダウノマイシンを今日と明日の2日だけ再開。その他の治療の投薬は終わり。 末梢血からは白血病細胞は消えたようだ。骨髄が引けなかったのは腺維化(←この字正しいのかなあ)では無かったので、あとはこのダウノマイシンで骨髄中の腫瘍細胞を叩く。さらに白血球が減ることが予想されるので、あとは感染に要注意だ。また、ブレドニンの服用が終わったので、そろそろ元気が無くなるかもしれないな。 同室の人が退院したのでベッドを窓際に移してもらった。都庁とヒルトンホテルがすぐそばに見える。
WBC 1,400 PLT 40,000
HB 7
6月27日(火)
27日の治療薬はダウノマイシンの点滴だけ。夕方からベッドの枕元に可搬型の空気清浄機が置かれた。デザインがなんだかとても懐かしい(古めかしい)、20年以上前の機械じゃないかな。「弱」でもファンの音がうるさいけど我慢。病室内は結構綿埃が舞っているんだよな、眼鏡のレンズにも埃がかなり付く。  
6月28日(水)
準無菌生活始まる

今日から抗生剤も抗菌剤も点滴無し。その代わりにクラビットというのを飲む。子分の点滴台を連れて歩かずに済んで身軽!!さて、朝食はパン食にしてもらっているが、今朝は(レンジでチンされてしまった)サラダやウインナと一緒に大根と人参の煮付けがのっていた。なんじゃこりゃ?とは言うものの、ブレドニンの内服が終わっても食欲あるし良かった。今までの入院ではインターフェロン治療ばっかりだったので病院食の容器を見るだけで食欲失っていたもんなあ。食べられるって幸せだぁー。 お昼前にマルク。今日は胸から。一度目ひけず、場所を変えて二度目はOK。ホッ。末梢血から芽球は消え、骨髄中の芽球も10%にまで減っていたようだ。以降しばらくは今回の化学療法の効果がじわじわと効いて血球値がさらに減るので、安静にし感染予防に専念、ということだ。今日はWBCは800まで下がってきて、面会制限が発令されました。
WBC 800
6月29日(木)
今日から暇生活。ベッドの上にいるのが長いせいか、HBが少ないせいか立ち上がる時には、どっこいしょ、だ。14日に入院してからの記録を読み返すとずいぶんきっつい2週間を過ごしたなぁ。あっという間に過ぎて、1週間くらいだったような感じしかしない。あとはゆっくりと正常な造血機能が回復してくるのを待つ。 看護婦さんに頼んで頭を刈り上げてもらった。マルコメ化完了し、さっぱりすっきり。水無しシャンプーってあるけど、一時的にすっきりするだけで、結果的に髪を汚すだけでだめです。一人部屋状態でいるためか、空気清浄機のおかげなのか、以前よりも部屋には綿埃が舞っていない。 暇なときはひたすらWinCEのソリティアで遊んでいる。ベッドのマットレスのへたっているところの下に読み終えた雑誌を入れて固さを調節したり、病室の「自分の城」化を進めている。食料、飲料類は定期的に補給を受けているが、雑誌類は計画的にしてなかったので読みものが何も無くなってしまった。失敗。病院に出入りしている新聞屋さんに朝日の朝刊を届けてもらようにした。
 
6月30日(金)
WBC600まで下がっている。そのわりには口の中に口内炎もないし、いいですね。と看護婦さんに誉められてちょっと嬉しい。夕食後、少々胃がムカムカしたが、梅干しを2個食べたらすっきりした。梅干しうまかった。
WBC 600
7月1日(土)
〜7月2日(日)
1日、空気清浄機の音がうるさいので勝手に昼間はLO運転、夜は停止していたのだったが、昼間はHI、夜はLO運転にしてください、と看護婦さんに注意された。 朝食はパン食だが梅干しも1個食べた、うまかった。昼食もパン食だったが梅干しも1個食べた、うまかった。夕飯の時にも食べた、もう飽きた。床頭台という袖机みたいなのが、冷蔵庫TV付きに入れ替えられた。プリペイドカード(1000円)を入れると一定時間使用できるものだ。料金を詳しく見ると、TVは80円/時、冷蔵庫は100円/日だ。機器本体の値段、消費電力を考えたらTV使用料は高すぎないか?便利になったと見るか、せこい、というか。冷蔵庫だけ使い、TVは持ち込んでいる液晶TVを使い続けている。壁にある同軸のアンテナケーブル端子を奪われたが、はずして差し替えてやった。
2日、炎症反応を表すCRPも正常。舌の上が白くなっているが痛かったりしみたりはしない。病棟全体に響きわたる恐竜の雄叫びのような音をたててうがいをする人がいる。)。食料、飲料その他の物資の補給を受けた。髪の毛がぜんぜん抜けてこないんだけど、頭刈り上げたのってもしかして無駄? さっぱりしたのはいいんだけれど、ちょっと複雑な思いで新宿の空を見上げている。
 
7月3日(月)
〜7月4日(火)
3日、WBCはまだ600、PLT2.2万、Hbが6台なので今日は赤血球輸血、明日血小板輸血だ。今が底をうっているところかな。回復してくるのはおそらく来週くらいだろう。夕方からクラビット服用終わり。最近地震が多く、ここ18Fはゆ〜らゆ〜らと揺れる、めまいがしてるのか思ってびっくりした。 部屋のクーラーはつけっぱなしだと寒く、消すと暑い。 4日、触診で脾臓の腫れはひいたようだ。白血球増えてませんようにと、毎日インターフェロンをうちながらおびえていた事が今は夢のようだ。もうインターフェロンは2度とうちたくない。今日は血小板輸血、首の下あたりから両腕までとても痒かった。 エアコンの吹き出し口にちょっとした工夫をして、冷風が直接ベッドにかからないようにした。これでだいじょうぶ。
WBC 600 PLT 22,000
Hb 6
7月5日(水)
〜7月6日(木)
WBCが400、Hbが7ちょっと。赤血球輸血あり。今週いっぱいは底打ち状態だろう。9月に移植できるよう慶応大学病院の施設も確保していてくれているそうだ。あとはドナーさんの最終同意がもらえるかどうか。6日、婦長さんに頼まれて、学生(1年生)の血圧測定の練習台になり、小一時間ほど話し相手になった。授業の一環らしい。来週も同じ時間に別の学生が来るとのこと。 WBC 400 Hb 7
 
7月7日(金)
〜7月9日(日)
点滴台につながれることもなく、平穏無事な日々。7日時点でWBC500,Hb8,PLT3.5万。Hbがそこそこあるので身体は軽い。 8日、朝は猛烈な風と雨。だが台風はあっと言う間に通り過ぎて、午後から晴れた。物資補給。9日、物資補給のほかは特記事項なし。 WBC 500 Hb 8
PLT 35,000
7月10日(月)
〜7月11日(火)
10日、WBC500、Hb7.1、PLT3万。立ち上がりはまだのようだ。赤血球輸血中で点滴台につながれていたので、夕食を自分で取りに行けなかった。配膳してくれるのを待っていたが、いつまでたっても届かなかった。仕方ないので点滴台を引きずりながら配膳台を見に行ったら、すでに食べ終わった食器が並んでいた。その中に自分の分があったのかもしれないが、探す気にはならなかった。あきらめて部屋に戻り、肉の缶詰1個、フルーツゼリー1個、煎餅2枚、梅干し1個食べて、今日の夕飯終わり。配膳係のおばちゃんたち、なんだか信用なんないあ、と思っていたのだがやっぱりやらかしてくれたな。 11日、足の甲と手のひらに湿疹のようなのができた。皮膚科に見てもらったがまだよくわからん。薬のせいか?病院食のおかずはなぜ魚が多いのか? WBC 500
Hb 7.1
PLT 30,000
7月12日(水)
〜7月13日(木)
白血球回復の兆し

12日、WBC600、Hb8(おととい輸血したから)、PLT5万。血小板が自力で上がってきた。従って予定していた血小板輸血は無しになった。良かった、痒くならずにすんだ。頑張れ骨髄くん!午後物資補給あり、月刊誌2冊(文芸春秋、中央公論)も。これで当分読み物には困るまい。 13日、畜尿休止のお許しが出た。これで気軽にトイレに行けるぞ、やっほー。昨日の採血の結果、好中球も現れ始めたということだ。1週間前に来た学生たちは今日、お昼の血圧測定と、毎木曜のシーツ交換を手伝っていた。 入院してほぼ1ヶ月が過ぎた。こんなに長い入院は初めて。
WBC 600 Hb 8
PLT 50,000
7月14日(金)
今朝の採血の結果は、WBC1,100、Hb8.9、PLT9万。順調だ、ほっ。来週マルクして骨髄の状態を見て今後の治療計画がたてられる。IFNをうっていた頃は白血球が増えることに恐怖を感じていたが、今は増えろ、と願っている。変なもんだ。このまま増え続けて止まらなくなっちゃうんではないか、なんて不安もちょびっとだけあったりする。)。 夜は9時に眠くなり、朝は5時に目が覚める。朝と昼の食事のあとは30分くらいウトウトと昼寝しているが、今日は眠いので本格的に昼寝したい。
WBC 1,100 Hb 8.9
PLT 90,000
 
7月15日(土)
〜7月16日(日)
15日、同室の方が退院。これからもお大事に、と挨拶したら、石黒さんも頑張ってください、と言われた(誰だ石黒さんって?)。が、気が小さいので、はい、ありがとうございます、と返事してしまった。クリネックスティッシュを4箱置いていってくれたし、ま、いいか。すぐに別の部屋から50オくらいのおじさんが移ってきた。が、週末は外泊だそうだ。この土日は再び一人部屋状態で気楽。16日、入院直後52Kgまで減っていた体重が55Kgまで回復した。昨晩、ブルースウィリス主演の12モンキーズという映画を11時半まで見てしまったら昼間眠いこと。  
7月17日(月)
〜7月18日(火)
17日、毎日猛暑らしいが病院の中にいるとわからない。手足の湿疹の診察のために病棟を出て皮膚科外来へ。久々の人混みの中でちょっと緊張した。今日は、WBC800(あれれ)、Hb9.4、PLT18万だ。午後は昼寝三昧。18日、7月に入ってからのDiaryを整理した。今日も昼寝中心の生活。昼食サカナだった、これで夕食はサカナ以外のものになるだろう。缶詰のみかんが小鉢でほぼ毎回出てくるが、サカナの他にもミカン缶を嫌いにさせようとする陰謀だと思う。 WBC 800 Hb 9.4
PLT 180,000
7月19日(水)
〜7月20日(木)
もう一勝負、ここが踏ん張りどころ

19日、白血球微増し2000には満たないが予定通りマルク。今日は一発で引けたぞ!夕方に結果が出て、まだ白血病細胞が3割くらいあることがわかった。金曜に判明する細胞マーカの検査結果で次の治療方針が決まる。第二回戦の化学療法が始まることになった。20日、今日は海の日だって。休日なので病院も静か。
WBC 1000 Hb 9.6
PLT 260,000
7月21日(金)
準無菌生活に入って熱は36.5度〜36.8度の間をキープ。今朝、舌の右中部に白いものが出来てしまった。しみないけど飲み込む時に痛い。ファンギソンガーグルで30分くらい攻撃を加えたら、お昼にはほとんど痛みが無くなって出来物も小さくなった。一日中昼寝生活。 まだリンパ系の腫瘍細胞が残っていて、こいつらが大きな顔をし始めていることがわかった。24日から8日間の化学療法Doxorubicin(Adriamycin、ADM)、Vincristine(オンコビン、VCR)、ブレドニゾロンが始まる予定。
WBC 900
7月22日(土)
〜7月23日(日)
22日、静かな一日。物資補給あり。ASAHI-NETにプロバイダ乗り換え作業中。23日、体重が55Kgまで回復した。ASAHI-NETへの引っ越しはほぼ完了。アクセスカウンターに初期値を渡せなかった。これだけ不完全に終わったけど、まあいいや。メール送受信時の認証にHi-Hoより7〜8秒余計に時間がかかるのと、送信時にときどきSMTPサーバがエラーを返すことがある。この二つがちと不満なり。  
7月24日(月)
〜7月25日(火)
24日、白血球が増えた。Hbも血小板も良好。予定通りのコースの治療が始められそうだ。が、開始は明日からになった。拍子抜けして、がくっ。昨晩から37度ちょっとの微熱あり。 ミステリーとか推理小説の文庫本を買ってきてもらっている。最初は適当に選んで買ってきてもらった早川書房のトマスハリス「レッドドラゴン」上下巻を読んでいる。次からは、本の中にはさんであった広告パンフを見てリクエストすることにした。講談社文庫のパトリシアコーンウェル「検屍官シリーズ」が面白そうだ。
25日、さぁて、始まりましたよ。リンパ系のやくざ一家にも一撃くらわせてやりましょう。前回同様吐き気も無いし、だいじょうぶそうだ。ただし、副作用で腸の動きが悪くなることがあるらしいので、便通には毎日注意する必要があるとの事。飲み薬は、今までずっと飲み続けてきた、バクタ、ファンギソン錠、ポリミキシンB錠(これらは感染予防ですね)、アロシトール錠(尿酸値を下げる)、カマ(酸化マグネシウム、便を柔らかくする)。これらに加えて、ザンタック錠(胃薬)とブレドニゾロン(ブレドニン)が60mg/日と、なんと前回の2倍の量。どうなることやら。そういや、こいつのせいで夜中に何度も目が覚めたり、寝汗かいたりしたんだった。しかし病院にいるときはこういう治療をしていないと気が紛れないな。回復を待ってひたすら安静にしている、っていうのは長くなると結構つらいもんだったな。
WBC 2,600 Hb 11.0
PLT 280,000
 
7月26日(水)
〜7月27日(木)
26日、お通じは問題なし、ちょっと食欲が落ちたかな?ってくらいでしょうか。昨晩寝しなに「レッドドラゴン」を読み終わった。ラストでどきどきしてしまった。しかも、レイモンドチャンドラーの小説のハードボイルドな主人公の名前をど忘れしてしまい、思い出そうとしていたりしてなかなか寝つけなかった。フィリップマーロウでしたね。 27日、昨日まで白血球が増えてきているが、中身は大部分リンパ球なのだそうだ。好中球はわずかなので、引き続き感染に注意。今日までのところブレドニンによる食欲昂進は出ていない。、ビンクリスチンX1日、アドリアシンX3日で今日いったん抗ガン剤の点滴は終わり、治療最終日に再度ビンクリスチンを入れるだけ、あとはブレドニンの服用のみ。 (豆知識)白血球は、好中球、好酸球、好塩基球、単球、リンパ球の5つの細胞から成り立っている。好中球は体に入って来る病原体や異物の処理を、好酸球や好塩基球はアレルギー反応を、単球は病原体や古くなった細胞の処理を、リンパ球は免疫を担当するのが主な働きである。これらの細胞が白血球中に占める割合はそれぞれ50-60%、2-4%、0-1%、2-7%、35-40%である。

夕方、久々に子どもたちの顔を見ることができた。ちょっとだけだぞ、と言って病室に入れてやったらベッドに寝転がって遊ばれてしまった。元気が出た。これで何か本買いなと、お見舞いに貰った図書カードをあげたら喜んでいた。
WBC 4,600 Hb 11.3
PLT 297,000
 
7月28日(金)
〜7月30日(日)
28日朝起きたとき、頭がぼーっとしてだるかった。治療の効果が出始め、白血球が減ってきた。推理ミステリ小説たっぷり入手。当分読み物に困ることはあるまい。ブレドニンとビンクリスチンのせいで便秘ぎみ、就寝前に下剤服用。 29日朝、便通あるもまだ腹が張った感じ、食欲はまあまあ。病院食の缶詰みかんはもう食べられない。限界だー。病院内は非常に静か、本を読んだり、うとうと昼寝をしている。30日、体重測定で53Kg。先週から-2Kg、同じペースで食っちゃ寝、食っちゃ寝してるつもりなんだけど、結構上下するもんだな。缶詰も飽きたし、病院のさかなは箸をつける気にもならない。餃子、マーボー豆腐、シュウマイ、豚カツ、ラーメン、焼きそば、牛丼、カレー、天ぷら...、あーよだれが出てきた。今度から総菜を買ってきてもらってレンジでチンしよう。今朝、久しぶりにコーラを飲んだらこれがうんめえかったこと。昼飯は鰻丼だった。今日はうまくてしあわせ〜。だけど夜はまたサカナだなきっと。 WBC 1,000 Hb 10.4
PLT 225,000
 
7月31日(月)
〜8月01日(火)
30日、昨晩の夕食はサカナではなく牛肉(二切れ)だった。が、レンジでチンされてしまっているせいか、一晩ほうっておかれた焼き肉の残りみたいにパサパサに縮んでしまって、犬のエサのようだった。作った人はこれを食べてみるがいい(怒)。お腹の調子はもう良くなってきたけど明日またビンクリスチンを使うので注意だ。
1日、第2回戦の治療は今日で終わり。テリオスに信之助 for CEというソフトがプリインストールされているのに気が付き、自宅にファックスを送ったらびっくりされた。
WBC 900 Hb 11.0
PLT 207,000
 
8月02日(水)
〜8月03日(木)
2日、午前中にG-CSF(75ml)を注射した、そのせいか?昨日のビンクリスチンのせいか?今日はだるだる。ブレドニンも昨日で終わったが、食欲昂進状態は続く。今日の時点でもリンパ球だけなので面会制限厳重に、ということだ。 (豆知識)顆粒球コロニー形成刺激因子:Granulocyte-colony stimulatingfactor)製剤は、骨髄移植時の好中球の増加促進をし、再生不良性貧血に伴う好中球減少や各種癌の化学療法における好中球減少などの時に用いられる。

3日、昨夜から骨髄がうずき(?)肋骨から肩のあたりにかけて骨のところに軽い痛みがある。本日もだるだるで一日寝まくり。今日もG-CSF。ジェイムズ・リー・バークの「シマロン・ローズ」面白かった。
WBC 800 Hb 10.0
PLT 200,000
 
8月04日(金)
〜8月06日(日)
道が開けた

4日、今日もG-CSF(150ml)1本、だるくて9時前に就寝。夜、胸のあたりの骨の痛みで目が覚めてしまった。5日、今日もG-CSF(150ml)一本。ドナーさんの最終同意は得られているそうだ。X-dayは9月末ないし10月初めの予定だ。早くこの準無菌状態から抜け出したい!そしていったん家に帰りたい。 6日、昨夜は戸田の方の花火が見える、と聞いて食堂まで駆けつけたが、ちょうど終わってしまった後だった。就寝中、骨の痛みはあまり無く、よく眠れた。昼間の方が痛かった。温湿布を貼るといくらか楽。今日もG-CSF一本!今日は骨痛もだるさもほとんどなし。体重は54Kg(先週比+1Kg)、夕食は差し入れてもらったおかずにしているので食欲順調。
WBC 800 Hb 8.6
PLT 166,000
 
8月07日(月)
〜8月08日(火)
7日、白血球が800以下に減らない、ということはG-CSFが効いているのかもしれない、との事。あとはひたすら時間の経過を待つだけ、か。今日もG-CSF一本。 8日、昨日の末梢血検査で好中球はまだ13%くらい、芽球は無し。結局抜けることの無かった髪の毛が見苦しく中途半端に伸びている。身体のだるさも無く、食欲もあるし外見的には全く問題なし。外へ出たらあれを食べよう、これも食べよう、なんてことばかり考えている。
WBC 800 Hb 8.4
PLT 156,000
 
8月09日(水)
〜8月10日(木)
9日、白血球が上がってきた、今日からG-CSFは無し、だ。来週マルクの予定。昨日、同室の方が大部屋に移り、また一人部屋状態。イヤフォン無しでTVを見ることが出来るが空気清浄機の音がうるさい。抜け毛が多くなった、きたかな? 10日、昨日の末梢血検査の結果、好中球も47%になっていた。芽球もなし。空気清浄機止めた。あーなんて静かなんだ!シャワーOKが出た!2ヶ月ぶりのシャワーでさっぱりした。どのくらいさっぱりしたかはみなさん想像してください(2ヶ月ぶりです)。再び二人部屋状態に戻った。
WBC 2,200 Hb 8.4
PLT 164,000
 
8月11日(金)
〜8月13日(日)
11日、HbもPLTも回復し始めた。どうやら本格的に脱毛が始まったようだ。髭も抜ける。準無菌食から普通食になった。 12日、朝起きたら、枕に抜けた髪の毛がたくさん。髭もスカスカになってきたので剃り落とした。朝食で久しぶりに生の果物(オレンジ)を食べた。 13日、体重55Kg(先週比+1Kg)。あまりにたくさん抜けるので、2cmくらいに伸びていた髪をツルツルに近い状態まで刈り上げてもらった。蒸しタオルで頭を拭いたら細かい髪の毛がたくさん取れてお坊さんのようになった。さっぱり。 WBC 2,000 Hb 9.6
PLT 180,000
 
8月14日(月)
〜8月15日(火)
14日、入院2ヶ月目だ。上半身に湿疹ができたので皮膚科受診したが様子見。午後シャワー。ほぼスキンヘッドに近い状態になったが、シャンプーで洗うものなのか、身体を洗う延長で石鹸で洗うべきなのか悩むところである。 15日、「うっせーんだよ、このクソガキ」と寝言を言う同室の人が退院して、つかの間の一人部屋。 WBC 2,000 Hb 9.9
PLT 170,000
 
8月16日(水)
〜8月17日(木)
延長戦に突入

と言うところだろうか。 16日、午前にマルク、腰からにしてもらう。胸の場合だと目の前で針を刺されるのでちょっと苦手だ。寝言といびきが無く、昨晩はぐっすり寝ることが出来た。マルクの結果は芳しくなかった。二度目(前回)の治療は効果が無かったようだ。明日から別の薬でもう1クール(5日間)治療に入る。 17日、今日から、Cytosine Arabinoside (Ara-C、キロサイド)X5日、Etoposide (VP-16、ラステット)X2日、G-CSFを併用だ。今回は24hX5日間点滴つなぎっぱなしになる。やるっきゃない、のだけれどちょっとへこたれ気味。
WBC 2,400
8月18日(金)
〜8月20日(日)
18日、ここ2〜3日天気が悪くて気分も落ち込み気味。天気が良ければ良いで、夏休みなのに子どもたちを連れてどこにも行けない自分が情けなくなる。今を辛抱すればいつでも遊びにいけるようになる、ということだけが心の支えだが、モチベーションが下がっている今日この頃。今回は食欲が昂進されるステロイド剤が無いので食欲減退ぎみで、しかも少しだるい。19日、白血球が下がり準無菌に戻る。G-CSFも150mlに増量。だるい。治療は今日で折り返し地点。 20日、体重56Kg(先週比+1Kg)。食欲はいつもの半分以下。だるさはやや改善。ここんとこ弱音ばっかり吐いているな。いかんな。
WBC 600 
8月21日(月)
〜8月22日(火)
21日、白血球300は最低記録だ。キロサイドの投与はお昼で終わった。あとはG-CSFを使いながら白血球の回復を待つ。骨髄中の芽球は減っているだろうか? 22日、点滴につながれていないので身軽。トイレにもすいすい行ける。食欲は回復しつつある。 WBC 300 Hb 8.1
PLT 115,000
 
8月23日(水)
〜8月24日(木)
23日、Hbが8.0を下回ったので赤血球輸血。一日中、クロスワードパズルをやっている。時間が早く過ぎるし、よけいなことを考えずに済むからだ。 24日、手のひらと足に再び湿疹ができたが原因わからず様子見。薬のせい?白血球が少ないせい?あまり痒くもないしほうっておく。 WBC 400 Hb 7.9
PLT 80,000
 
8月25日(金)
〜8月27日(日)
25日、だいぶ骨髄抑制がきいている、休日をはさんでしまうので今日のうちに血小板の輸血。身体が痒くなることがあるので苦手だ(ったが痒くならなかった)。そうそう、ナンプレ(ナンバープレイス)も頭が痛くなるので苦手だ。普通のクロスワードか漢字ナンプレがいい。昨夜のアンディ・フグの訃報には驚いた。 26日、下痢ぎみだ。移植日が正式に決まった。10月X日だ。転院の日時は調整中で未決定。昨日夜からカウンターの進みが早くて何事!?と思っていたら、アンディフグのファンの人たちが白血病サイトを訪ね歩いているらしいことがわかった。 27日、体重54.6Kg(先週比-1.4Kg)。お腹の調子は元に戻った、かな?一日中ナンプレ。 WBC 500 Hb 8.1
PLT 39,000
 
8月28日(月)
〜8月29日(火)
28日、今朝の朝日新聞の投書欄に骨髄ドナーの話題が出ていた。適合の知らせを受けて提供しようと思ったのだが、就職活動中のため断ってしまった、という話。この就職難の時代に1週間の入院とその後の週いちの通院を会社が認めてくれない、ということであった。骨髄移植・提供についてまだまだ社会的に認められていない、というのが現実なのか(ちなみに私の勤務する会社では休暇が取れる制度があります)。それにしても、もしもこの時の患者さんの唯一のドナー候補者だったら、と思うとやりきれない。しかも患者には「断られた」ということしか告げられないのだから。断った理由や事情を(嘘でもいいから)伝えてくれれば、と思う。そうでなかったら何故ドナー登録したんですか?という不信感しか患者には残らない。 29日、昨夕バタバタと転院の話が決まった。明日30日だ。白血球が少ないのでマスクをしてタクシーでパーッと移動してしまうことに。西新宿から信濃町までならたいした距離ではない。一瞬だけど2ヶ月半ぶりの外出になる。猛暑だと言うが外はそんなに暑いのか?配達してもらっていた新聞屋さんに購読料を精算したら、売れ残った新聞を五紙も置いていってくれた。東京医大病院の主治医&看護スタッフのみなさん、大変お世話になりました。 WBC 700 Hb 7.6
PLT 27,000
 


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