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あるツァイス愛好グループの2001年春のオフ会レポートより
(多摩支部 4月1日発行)
ところは鎌倉、梅の花咲く寺にて、、
「ささきさ〜ん、ツァイスのオフ会なのにライカR持ってきてちゃだめじゃないですかー」
「いやあ、この前ゆずってもらったRTSeIIIって単体で1.5キロもあるじゃない。この前買ったバリオゾナー28-85をそれに付けると2キロ越えるよ。持ってくるの重くてさ。」
「なにしろコンタレックスのリアルタイムスーパーエレクトリック3(RTSeIII)ってフィルムの平面性をあげるためと言ってもボディ内に真空ポンプつけて複雑なメカで吸い付ける方式だから。
ツァイスイコンらしいね。あれって日本のメーカーなら、もっと小さな仕組みをフィルムバックあたりに内蔵できたんじゃないかなあ」
「そうかもなあ。そうすりゃRTSeIIIもせめて1キロちょっとで収まったろうに。
そういや70年代にツァイスイコンがカメラ生産から撤退するという話があったらしいけど、結局この21世紀になった今でも継続している。
もしそのときに撤退していたらコンタレックスはそのときに生産中止で、意外と今頃は日本のメーカーのカメラがツァイスレンズを搭載していたりしてね(笑)」
「いやそういう噂は実際あったみたいだよ。ヤシカとかアサヒとかいろいろ言われてたみたいだけど。
75年に発表したリアルタイムスーパーエレクトリックの時もマウントは変更しなかったんで、この前のプラナー100周年記念のP55/1.2なんかはかなり設計は苦しかったんじゃないかな。コンタレックスもブルズアイから数えるともう40年近くなるから、そろそろAF化の声も聞こえるしね。」
「ああ、ノイ・システムの噂か。AF化とともにマウントが大型化していよいよプラボディになるとか。まあ中級機のコンタレックスRXでも1キロ越えるから軽くなって良いかも(笑)。
小さいといってもイコンの場合は最近出た高級コンパクトのコンテッサ3も以前のコンテッサ2やコンテッサVSより小さいとはいっても日本製よりは依然として大きいからねえ。
AFといえば最近入手した黒のContax G IIはどう?ゲーマウントのプラナーがいいとか」
「RFコンタGIIはやっぱりプラナー35F2.0がいい。GでAF化する以前のプラナー35F3.5も良いみたいだけど、Contax
IV用のROM内蔵のタイプでもGにつけるとブライトフレームが連動しないし。まあGもAFなのにブライトフレームと旋回プリズムを併用させたメカはさすがにこっているから仕方ないかな。」
「ぼくはこの前の松屋の中古市で安いホロゴンウルトラワイドを見つけたんだけど、再生産の噂があるんでパスしてしまった。今度は12ミリかもしれないっていうし。
2001年の今年はツァイスイコンが創立した1926年から数えると75周年記念なんで例のブラコンの復刻版も予約した人がいるけどまだ去年の今頃の注文分もこなせないようだ。来年はContax
Iから数えると70周年なんでゾナー50のF1.2かな(笑)」
「ツァイスイコンの現行カメラシステムも銀座の某黄色い店がライカ同様に平行輸入をしているから、まあそれなりの値段で入手できるけどさすがに高いね。ライカの正規代理店もイコンの正規代理店もさすがに高いからなあ。昔は家一軒買えたって言うけど、いまでも高い。普通はなかなか手が出せないね。」
と、まあ、こういう会話を楽しみながらもグルッペ・ツァイスイコンの2001年春のオフ会は進んでいったわけだ。
さすがにぼくもそろそろ撮影に本腰を入れようかと話の輪から離れた。初春の冷たい空気が心地よい。
しばらく枝振りの良い梅の花をさがして境内を歩くと、そのかたすみに小さな碑をみつけた。
これはいい構図になるかとぼくは近寄った。
近づいてよく見ると悲しげな子供のレリーフの下に汚れた碑文がある。どうやら、さきの戦争でこのあたりが本土決戦に巻き込まれたときの追悼碑のようだ。ぼくは少し読んでみた。
ここ湘南海岸にも大戦末期にアメリカ軍が上陸したらしい、この子も竹やりで米兵の機関銃と戦車の前に飛び込んでいったのだろう。。。
ぼくはシャッターボタンにかけていた指を収めた。
歴史の本の示すところによると、太平洋戦争の末期に日本がポツダム宣言を受諾しなかったせいで連合軍は沖縄に続いて日本本土にも上陸作戦を決行し、ここ湘南も悲惨な地上戦の舞台となったそうだ。
そしてご存知のとおり、その結果としてドイツに続いて日本も東西に分割されてしまったのだ。
ただ歴史の本が示さないのは、もしそうでなかったら今どうなっていたのか、ということだ。ぼくもちょっとそうした空想におもいをはせた。
もしそうなっていなければ日本の産業はもっと速いペースで復興し、最初は優位だったろうドイツさえ輸出攻勢で圧倒していたかもしれない。
そしてツアイスイコンはもしかしたら70年代に本当にカメラ生産を停止していて、日本のどこかのメーカーのカメラがツァイスレンズを搭載しているというのはいまころ夢物語ではなかったかもしれない。進んだ電子技術で、もっと大量に安価にボディを作れていたのかもしれない。
そうすればもっと多くの人がツァイスレンズを楽しむことができたろう。
そしてそうした時代であればあのレリーフの子もだれかの親になっていたかもしれないのだ。ここで散った多くの人々も。。。しかしそれはこの現実ではない、神のみぞ知ることなのだろう。
見上げると湘南の空は高く青く、子供のころ行った教会の牧師さんの言葉がふと思いだされた。「天の高きところには栄光が...」
集合をつげる声が聞こえた。
湘南の海風が少し冷たかった。
「...そして地には平和を与えたまえ」
(文中の人物・団体名・事件は現実のものと一致しても偶然です)
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*実際にツアイスイコンが1975年に予定していたのはコンタレックスシステムの後継でSL75とよばれていたシステムであったらしい(1973年発表)。これはコンタレックスよりかなり小さいものでマウントも異なっていた。
SL75は生産されずにヤシカがRTSを発売するが、初期RTSレンズの多く、特にコンタレックスのラインに無かったP50/1.4などはSL75用に設計されたようだ。
またD15とFD16はコンタレックスマウントが存在するが、D15は生産されていない。 |
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新着情報 |
4/1 |
エイプリルフール特集
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3/27 |
ページ「地には平和を」作成

(RTSII, D21/2.8) |
3/24 |
ページ「小江戸点描」作成

(RTSII, P55/1.2,P135/2) |
3/12 |
i-mode版G1パンフォーカス表作成
->http//sasaki.cc/i/g/pan.htm |
2/27 |
ページ 「竹庭と光」
作成
(LeicaRページ) |
2/28 |
VarioSonnar28-85ページ作成 |
2/22 |
17%Gray - ライカRページ
公開 |
1/23 |
ページ「予言者」作成
(RTSII, VS28-85) |
1/18 |
ページ「天かける廃線」作成
(G1, P45, B28, S90) |
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