年始年末
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03/02
昨日に続いてNHK。衛星放送の書評番組「ブックレビュー」の収録。いつもは書評ゲストだが、今回は特集で自分の本(「空海」作品社刊)について語った。昨日は老犬の介護という暗いテーマだったので気分が沈んだが、今日は自分の本がテーマなので元気が出た。放送は次の日曜(3月5日)、朝の8時と深夜の12時。
03/03
妻と新宿まで散歩。新宿まで歩いたわけではない。下北沢から電車に乗った。紀伊国屋で「空海」が平積みになっているのを確認した。「星の王子さまの恋愛論」もまだ平積みになっていた。
03/04
三軒茶屋まで散歩。快晴。三軒茶屋唯一の高層ビル、キャロットタワーの展望台に登ってみたが富士山は見えず。ここではビルの名にちなんでニンジンジュースを売っているのだが、わたしはいつも生ビールを一杯飲む。べつに飲まなくてもいいのだが、条件反射みたいなもので、ここへ来ると喉がかわく。青春小説第二弾、出だしのところ、まだ話が続きそうなのだが、男女2人だけの会話が続いて展開がないので、ここでシーンを切ることにした。とにかくファーストショットが完成。ここで少し間をあけて読み返すことにする。ということで、「お父さんの算数」に取り組む。前書きをそっくり書き直さないといけない。少し動き始めた。
03/05
朝、出演したテレビ番組(NHK衛星「ブックレビュー」)が放送される。妻の感想は、「ネクタイがいがんでいた」。まあ、大したことではない。天気がいいので妻と湯島天神へ梅を見に行く。すごい人混み。御徒町から佐竹商店街へ行く。午後のテレビでこの商店街を映していて懐かしくなった。大学卒業直後に就職した玩具業界誌の記者として、商店街の玩具屋さんを取材したことがある。日曜のせいかシャッターが閉まっている店が多く、玩具店はなかった。まあ、どこの商店街でも、いまは玩具店は少なくなっている。妻がエネルギー切れを訴えたが、パティスリーとかコーヒー店がない。おばさんだけでやっている定食屋みたいなところに入ったら、意外にいい店だった。オムレツをつまみに生中一杯飲む。
03/06
必要があって近所の医者に診断書を書いてもらいに行く。必要な検査をしてもらうのだが、血を採るだけかと思ったら、血圧を測られた。実は血圧が少し高いので、血圧を測ると思うとそれだけで緊張する。それで血圧が上がってしまうのだ。今日は不意打ちだったので、緊張するひまもなかった。するとまったくの正常値だった。よかった。
03/07
文藝家協会理事会。昨年末の信託業法の改正で、著作権管理にも影響が出るおそれがあるので、その説明をしたのだが、作家に法律の説明をするのは、猫に小判の価値を説明するのと同じで、疲れた。
03/08
4月の陽気だとか。妻と下北沢まで散歩。プリンターのインクを買う。4色セットと黒インクを買う。当然のことだが、黒の消費量が多い。以前は文書のプリントは旧いパソコンとプリンターでやっていた(インクの買い置きが残っていた)のだが、めんどうなのですべて新しいプリンターでやるようになったら、さすがに黒ばかり減る。スペイン旅行から帰って以来、右手に痛みがあった。カバンが重かったせいではないかと思っていたのだが、どうやらパソコンの打ちすぎだ。今日、女優の三田和代さんの専属トレーナー(「ウェスカの結婚式」にも出てくる人)にマッサージしてもらったら、上半身の全体に支障があるとのこと。確かに青春小説は、体に応える。「空海」みたいなものだと、一行書いては考え込む、というペースだし、手を止めて資料を見るということもある。青春小説は資料を見る必要がない。調子が出ている時は、ひたすらパソコンのキーを叩いている。スペインではそういう状態だった。孫の守をしながらキーを叩いていたし、妻とセビージャに行った時も、ホテルでのわずかな休憩時間も寸陰を惜しんでキーを叩いた。いまは仕事がやや行き詰まっているので、回復するのではないかと思うが、ずっとこのままでは困るので、もっとペースを上げたい。するとまた手が痛くなる。困ったことだ。
03/09
まだ「お父さんの算数」のまえがきで苦労している。そうこうするうちに担当編集者から、4月に人事異動になるというメールが届いた。担当者がまだいるうちに渡さないといけない。プレッシャーがかかってくる。
03/10
まえがき、ようやく完了。あとは草稿に赤字を入れていくだけで進めると思う。青春小説第二弾について。ファーストシーンの文体、少し軽いか、という疑問が生じた。梶井基次郎の「檸檬」みたいな文章が必要かとも思ったが、いきなりそれでは、現代の読者にはくどいだろう。ファーストシーンはさりげなく入って、主人公がしだいに追いつめられていく過程で、文章にトゲのようなものを入れていけばいいと思う。ただ主人公のフィーリングに近づくために、「檸檬」や「桜の木の下には」を読み返して、書き手の気分を追い込んでいかないといけない。わたしは高校で一年間、ニートを体験した。その時の気分は梶井そのものであった。いまはごくふつうの市民生活をしている。そのギャップはつねに意識する必要がある。
昨日朝日新聞、今日はNHKから電話がかかってきた。村上春樹の生原稿が流出したという事件について、著作権の責任者としてコメントを求められた。いまは多くの作家がワープロを使っているので、生原稿そのものが少なくなっている。文芸誌では生原稿は必ず作家に送り返すようにしているはずだ。ワープロを使い始めた頃、プリントが戻ってきたことがあった。これは要らないと言った覚えがある。いまはメールに添付して送るし、手で書く作家もファックスを使うだろうから、生原稿そのものが出版社にもないだろう。だから著作権の責任者として、出版社に注意を促す必要はないと思う。ただ大昔、作家がまだ手で原稿を書き、ファックスではなく編集者に直接手渡していた頃の原稿は、どこかにたまっているのだろう。多くは編集者がもっているはずで、その編集者が亡くなった時に、たとえば遺族が古本屋を呼んで蔵書など(遺族にとってはゴミに等しい)を処分した時に、ゴミの中に作家の生原稿がまぎれているということは充分に起こりうることだ。わたしの原稿などはただのゴミだが、村上春樹さんの原稿なら、値がつくだろう。これは古物商や古本屋のモラルの問題だ。正当に返却されたなかった生原稿は著作者のもので、だからこれを販売する古物商は糾弾されるべきだろう。ネットで売買される場合も、その原稿は正当な手続きで入手されたものではないということを、買う人も認識すべきだろう。生きている作家が、売られることを承知で原稿を手放すということはありえない。だから、生きている作家の生原稿が売られていたら、それは不正なものだと考えるべきだ。
03/11
世田谷文学館の世田谷文学賞表彰式。式の前に選考委員が集まって雑談する。詩、短歌、俳句、川柳、小説、随筆、童話、シナリオの各部門2名ずつ委員がいるのでかなりの人数になる。わたしが最年少であるので、いろいろと面白い話が聞ける。とくにかつての文人たちの話が聞けるのが楽しい。終わってからコーラスへ。
03/12
日曜日。花粉が舞ってそうなので外出せず。「お父さん」のチェック、順調に進む。
03/13
先週の健康診断の結果を聞きにいく。問題なし。肝臓、少しわるいが、これは酒をやめないと正常値にはならないとのこと。酒なしの人生はありえない。
03/14
「お父さんの算数」。草稿のチェックは完了。あとはプリントに書き込んだ赤字をパソコンに入力すればいいだけだが、ツルカメ算の手順を書いた部分、担当編集者の「もっと詳しく書け」というコメントに従って、細かい直しを入れたので、紙が真っ赤になっている。これを入力するかと思うと気が遠くなる。
03/15
初台の著作権情報センターの理事会。その後、早稲田文学の編集室で打ち合わせ。帰りに大学に寄って教員室のメールボックスを確認すると、ぎっしり文書がつまっていた。このメールボックスというのはパソコン内の仮想の箱ではなく、郵便物などを入れる現実の箱(箱というよりも棚に近いのだが)である。鞄がいっぱいになって重かった。
03/16
湿ったぬるい風が吹いている。こういう陽気の時は危ない(花粉が)ので、ゴミを出しに表に出た以外はひたすら室内ですごす。「お父さんの算数」ようやく入力を終える。不要なところを削ったつもりだったが、ツルカメ算の説明をこれでもかというくらいに詳しくしたので、分量は少しだけ増えた。図表をつける必要があるので、発送は週末になる。月曜に届けばいいだろう。PHPの『文蔵』に「プロを目指す文章術」(仮題)を連載する。少し前からあれこれ思案しているのだが、毎回10枚という限られてスペースなので、その中に山場を作るのが難しい。これも週末には仕上げないといけない。青春小説第二弾も考えている。登場人物を増やして、ゆったりとした展開にしたい。主人公の男女だけでは、人生って何、という問いがすぐに煮詰まってしまう。
03/17
NPO文藝著作権センター主催の研修会。わたしが一人で活動しているNPOのイベントであるが、実際には協賛してくれる教材出版社が自主的に開いた研修会で、わたしは挨拶をしただけ。児童文学者協会の藤田先生、宮川先生にメインの講演をしていただいた。後半は教材出版社との懇親会。NPOでボランティアをしていただいている広報部長との打ち上げにも参加。久しぶりにタクシーで帰還することになった。
03/18
土曜日。何事もなし。一日中家に閉じこもっていた。
03/19
日曜日。強風。妻が実家に帰っているので独身。世田谷郵便局に書留をとりにいったついでに、独身になると行く定食屋に行ったら、メニューが変わっていた。こういう予定変更は老人にはこたえる。韓国に2敗していた野球、今度は勝った。2敗しても1度勝つと決勝に進めるというのも変なルールだ。これでは韓国の野球ファンは割り切れない気分だろう。韓国がアメリカに勝った時に、点をとりすぎたのが日本復活の遠因である。今年は用心しているので、まだひどい花粉症が出ていない。このまま通過できるとありがたいが、桜が咲く頃はもっと用心しないといけない。花見酒というのが危ない。マスクをはずさざるをえないからだ。
03/20
まだ風が強い。三軒茶屋まで散歩。妻がいないので弁当を買って帰る。さて、昨日でとりあえずの雑用類が終わったので、いよいよ青春小説に集中する。そこで今回の作品の重要なポイントを書いておく。この作品(タイトルが決まっていないので、「青春U」と呼んでおく)の奇妙なところは、主人公が作品の後半まで登場しないことだ。どうしてそんなことになるかというと、話の順序としてそうなってしまうのだから仕方がない。この主人公は女性であるのでヒロインというべきだが、当然、男が出てくる。この男の方は最初から出てくるのでこちらを主人公と言うべきであろう。前半部は別の女性との物語が展開する。その女性をヒロイン1と呼び、本当の主人公をヒロイン2と呼ぶことにする。主人公とヒロイン1の物語は、後半の本当はメインになるはずの物語の前史にすぎないのだが、前史とするにはあまりに重い物語なので、あらすじのようにして語ることはできない。そのため、じっくりと前史を語っていくので、読者はそれが前史だとは思わないだろう。まあ、それでいいのだ。そちらを中心の物語と考え、後半をエピローグだと受け止めてもらってもいい。全体の分量がどうなるのかも、やってみないとわからない。事前に計算しすぎると、書く喜びがなくなり、そのことは文章に反映する。作者が楽しんでいないと小説は弾んでいかない。ということで、どうなるかわからないということを宣言して書き始めるのだが、なぜこういうことをここに書くかというと、たぶん作品の途中で、ヒロイン2がいきなり全面に出てくると、読者の中には、話が早く終わってしまったので、作者が無理に後日談を付け足しているのではないかと考えるかもしれない。というのも、前半の物語の方が重いし面白いのである。ではなぜ後半を付けるかというと、前半だけだと、余りにも暗く、そこで話を終わってしまうからである。どん底に沈み込んで、少し救われる、というところで前半が終わる。しかしそれでは、作品としては不充分なものだ。そこで後半では、さらにひどいどん底状態になって、さらにそこから救われるという話にしたい。これだけのことを読むと、とても楽しめない暗い話だと思われるだろうが、そうではない。以上の内容を、できる限り読みやすく、時には軽い、さわやかなテンポで、明るい青春小説として描くのである。そんなことが可能かというと、この創作ノートを書いているうちに、かなり難しい試みだという気がしてきた。ではやめるかというと、そうではない。難しいから楽しそうだという気がしてきた。自分に課題を与えないと、書くという行為はマンネリになる。歴史小説の場合は、素材がそのつど新しくなるから、興味を持続させることができる。現代の、とくにどこにでもあるような青春を描く場合、パターン化しがちだし、流行作家が鯛焼きみたいに量産する小説に似てくる恐れがある。そうならないように、ふつうの小説にはありえないような奇妙な構成にするというのが、パターン化しないための、ちょっとした工夫である。
03/21
春分の日。北沢川の桜はいまだ咲かず。アンコ屋のあった公園に毎年フライングする若い桜があるのだが、それだけ少し咲いていた。実家に帰っていた妻が戻ってきた。独身の生活も今日まで。
03/22
昨日は北沢川の桜の様子を見に行っただけで、下北沢までは行かなかった。あとでテレビを見ると、下北沢の商店街で、区画整理反対のデモをやっていたらしい。わたしも下北沢の狭い路地のファンだが、確かに人で賑わう飲食店街の中には、消防車も救急車も入れないゾーンがある。何とかしなければならないと思うのだが、駅前広場などは必要ないし、広大なメインストリートも必要ないのではないか。今日は三軒茶屋まで散歩。こちらにも狭い路地はあるが、中央には246と高速道路が貫通している。そのため街が南北に分断されてしまっている。
03/23
午前中に目医者。これが高田馬場。一度、自宅に戻ってから文藝家協会の知的所有権委員会。そこから友人の作家、岳真也さんと高田馬場で飲むことになって、振り出しに戻った。長い一日であった。
03/24
上野の都美術でプラド美術館展の内覧会に出席。その後、お台場で映画を見る。ハスキーが活躍する「南極物語」を見たかったのに、子供向けのせいか夜は上映していなかった。仕方がないので「ナルニア国物語」を見たら、ここでオオカミは超悪者であった。
03/25
土曜日。妻と北沢川緑道を歩く。桜の名所である。まったく開いていない桜もあるが、二分咲きくらいのもある。あと数日は必要。それでも、緑道の遠くの方を見ると、全体がうすく色づいているような感じがして、いよいよ春だという気分になる。
03/26
日曜日。妻と北沢川緑道を歩く。昨日よりも花が増えた。春らしくなった。太子堂八幡から三軒茶屋の方まで回った。ハクレン、コブシ、モモなども咲いている。ところで、某有名歌手が出演しているビール(発泡酒?)このコマーシャルでは、花見をしている人々が出てくるのだが、おそらくスタジオ内のセットと思われる背景は、北沢川緑道を模しているのだろうと思う。実はその大物歌手の家が緑道に面しているのだ。テレビの画面では満開だが、そのあたりはまだ二分咲き程度である。
03/27
全国音訳ボランティアネットワーク準備会の人々来訪。音訳ボランティアの全国組織を作るための準備として6月に全国大会を開く。わたしは以前から、全国組織を作ってほしいとお願いしてきた関係上、当日は講演をすることになっている。その打ち合わせ。全国大会に人が集まるか心配だったのだが、すでに満杯とのこと。とにかく無償のボランティアの人々が、さらに仕事を増やそうとしているのだから、その熱意には感動する。
03/28
本日は文藝家協会まで出向いて音訳図書の配信サービスの業者と協議。これはまあ、理念と、長期的な展望について語り合っただけだが、その後、書記局と、たまっていた問題について、次々と相談しているうちに、3時間くらい経過してしまった。やれやれ。
03/29
著作権情報センターの総会。決算と予算の数字を見て説明を聞いただけ。このセンターは初台のオペラシティーの中にある。行きは妻に車で送ってもらった。帰りは京王線で明大前乗り換えで下北沢で降りる。池ノ上の方が近いのだが、北沢川の桜を見たかった。八部咲きか。
03/30
文藝家協会で映像ソフト協会の人々と交渉。一種の値上げ交渉なので、浅田次郎さんに援軍を要請する。売れている人の言葉には重みがある。ありがたい援軍である。
03/31
土曜日。妻と北沢川を散歩。桜満開。環七の手前まで行ってから、下北沢に回る。次男が来る。久しぶり。

