ノイローゼ完治の実践技術、8.正常な状態 18.目次 7.神経症にどうしてなるのか等 9.「心のクセ」から応用した私の方法                

正常な状態とは

 では正常な状態とはどういう状態を言うのだろうか。また古今東西の人々がどうやって心を支配したか、どんな方法があるかについても考えてみよう。
          

安心を得た「道は開ける」からのニつの例

「この二重の不幸は、全く耐えがたいものだった。彼は話している。私は全く打ちのめされてしまった。眠ることも、食べることも、落ちつくこともできなかった。私は意気阻喪し、自信をなくしてしまった。
 そこで医者のところへ出かけていった。ある医者は睡眠薬をくれた。ある医者は旅行をすすめた。彼は両方ともやってみたが効果はなかった。
 彼は言う。「私の身体は、万力につかまれていて、その顎がだんだん食い込んでくるような気がした」悲嘆の緊張−悲しみに打ちのめされた人には、この気持がわかるはずである。
 ところが、ありがたいことには、私にはまだ四つになる男の子が一人残っていた。この子供が私の問題を解決してくれたのである。
 ある午後、私が悄然として腰をおろしていると、彼は、私に「パパ、ボートをこしらえておくれよ」と言ったのである。私はボートどころではなかった。何をするのもイヤだった。が、私の息子はきかん坊だった。私は負けざるをえなかった。そのオモチャのボートをこしらえるのに三時間かかった。
 そして、それが出来上がるころまでに、私は次のようなことに気がついた。このボートを作るのに費やした三時間は、ここ数力月間に私が味わった最初の精神的休息と平和だったということだ!この発見によって私は、それまでの放心状態から抜け出し、思考力を取り戻した。
 そして企画や思考の必要な何事かに忙殺されている間は、悩んだりしていられないということに気がついた。私の場合、ボートを作ることが悩みを追い出してくれた。だから私は、いつも忙しくしていようと決心した。」

 これはカーネギーの道は開けるからの引用である。もう一つ同じ道は開けるから引用してみよう。
「私のやっていた電気器具事業は座礁した。家庭では母が死にかけていたし、妻は二人目の子供を産もうとしていた。医者の勘定はかさむ一方だった。我々は事業を始めるのに、車も家具も、あらゆるものを担保に入れた。保険証券で借金までした。それがすっかりなくなってしまった。もうどうにもならなくなった。
 それで車を河の方へ走らせたわけである。悲しい混乱に始末をつける覚悟で、私は町から数マイル行った所で、街道から離れ、車からおりて地面にすわり、子供のようにむせび泣いた。
 やがて私は本気に思案しはじめた。悩みという田の中をいたずらにグルグル回らないで、建設的に考えようと努力したのである。いったい事態はどの程度に悪いのか、これ以上悪くなるおそれがあるのか? 全く希望はないのか? 事態を少しでも良くするにはどうしたらいいのか?
 私はその日その時、あらゆる問題を神に訴えて、神のみこころに任せようと決心した。私は祈った。
私は私の人生がそれ一つにかかっているかのように一心不乱に祈った。と不思議な事がおこった。私があらゆる私の問題を、私より偉大な力に任せるや否や、私はここ数力月も知らなかった心の平和を感じたのだ。私は三十分ほど、そこで祈ったり泣いたりしていた。それから家へ帰って子供のように熟睡した。」
           

なぜ安心は得られたのか

 心配事があって、どうしようもなく心の中はクヨクヨし続けていた。そんなところへどうしてもしなくてはならない仕事ができ、その仕事をやり始めた。そうして何時間かたってその仕事が完成した頃には、心配事が小さくなってしまい悩むほどのことではなくなってしまった。
 こういう体験や、また学校や会社へ行く時、頭が痛いような気がしても、行って仕事や勉強をすると、昼頃までにはなんともなくなってしまった。こういう体験をした人も多いと思う。それでは作業をしたり、祈ったり、また勉強したりすると、今まで不安定だった心がなぜ安定した心になるのだろう。最初にこのことについて考えてみよう。
           

推測してみると

 作業した時であれ、祈った時であれ共通しているのは、精神を集中してなにかをした時に、心に平安がおとずれたということである。そしてこのいろんな種類の心のエネルギーというものが存在すると考えた場合、精神集中してなにかをしたために、積極的なものも消極的なものも含めた、心のエネルギー全体が開放せられたと考えてよいのではなかろうか。
そしてこのエネルギーが開放せられたために、心が明るくなり平安がおとずれたと考えて良いと思う。
 この心のエネルギーを開放するということが、私のノイローゼ治療法の根本の一つである。後で述べるノイローゼ治療実践法等を考える場合、この心のエネルギー開放ということを知っていれば、それがどういう意味をもっているかを理解できると思う。(心のエネルギーが開放されている状態とはすべての感情が同時に働いている状態をいう)
           

祈りについて

「もしお前が信じてないなら、お前は生きていけないだろう。だれでも信じている。祈るんだ」

                ジャン・クリストフから


 第一次世界大戦の時フランス全体が戦争気分になっていた。その時にロマン・ローランは戦争反対を唱えた。そのため多くの人々から非難され孤立し深く傷ついた。そして精神的重庄でマイナスになった心を、祈ることによってそのエネルギーを開放しプラスの状態にしていたのである。

   

ノーベル賞受賞者のアルクシス・カレル博士の論文[「道は開ける」から]

「祈りは人間が発生させることのできる最も強力な形式のエネルギーである。それは地球の引力と同じ現実的な力である。医師としての私は、多数の人々があらゆる他の療法が失敗に帰してから祈りという厳粛な努力によって、疾病や憂欝から救われた例を目撃している。
 祈りはラジウムのように、輝かしい自己発生エネルギー源である。祈りによって人類は、彼ら自身をあらゆるエネルギーの無限源へ呼びかけることによって、彼らの有限エネルギーを増大することを求める。我々が祈る時、我々は宇宙を回転させる無尽蔵の原動力と我々を結びつける。我々は、この力の一部が我々の必要に配分されるようにと祈る。
 かく求めることだけで、我々の人間的欠陥は満たされ、我々は強められ、癒されて立ち上がるのである。我々が熱烈な祈りで神に訴える特、我々は精神も肉体もより良きものに変化せしめる。わずか一瞬の祈りでも、必ず何らかの良き結果を祈った人々にもたらすものである」

 インドの最大級の指導者マハトマ・ガンジーは「祈りがなかったら、私はとっくに気が狂っていただろう」と語っている。ボクシングのジャック・デンプシーは試合を控えてのトレーニング中も毎日祈り、また試合中も毎回試合聞始のゴングが鳴る前に祈る。そしてモントゴメリー元帥も、ネルソン提督も、ワシントン将軍も祈った。

「カーネギーの道は開けるから」
              

禅について

 なぜ禅僧にはノイローゼ者はいないのか。「禅は我々の各々の中に本来自然にたくわえられたすべてのエネルギーを開放することができる。
 このエネルギーはふだんは拘束され、歪められていて、自由に活動する通路を見出せないでいるのである。それゆえ禅の目的はわれわれが狂人になったり、不具者になったりすることを救うことにある。
これこそ私のいう自由の意味するところのものであり、本来われわれの心の中にそなわっている創造的な、慈悲深い衝動のすべてが自由に活動することができるようにすることである。
 一般にわれわれは本来われわれを幸福にし、互いに愛し合うようにするための必要な能力をそなえているという事実に盲目である。この定義において私が強調したいと思う、禅の本質的な諸相のいくつかが見出される。
 禅は自己の存在の本性を見通す術である。それは束縛から自由への道である。それはわれわれの自然のエネルギーを開放する。それはわれわれが狂気になりまた不具者になることを防ぐ。そしてそれはわれわれにわれわれの幸福と愛情の能力を発現させる。」 「禅と精神分析より」

 精神集中ー求心的思考(じっといつまでも考え続ける)ーすべてのエネルギーを同時に使う

 これに対してはからいは遠心的思考(まわりをグルグル回る)で一部のエネルギーしか使わずノイローゼ状態になりやすい

 一事に精神を集中し、ひたすら考えることに徹する禅は、まさに優れた心のエネルギーの開放法なのである。
           

人生の意味等で悩んでいる人に

 人生の意味などで、神経症になっている人もいるが、人生の意味を考える場合は、頭で考えないで、無心にじっと考えるという、正しい思考パターンをつくるのがよい。頭で考えすぎるとはからいと同じようなケースとなり、知的に遠心力の強いエネルギーが噴出した状態となってしまうのである。正しい思考パターンは座禅をしている状態と同じ状態である。

 神経質のエネルギーによって問題が提起される、そしてその問題を、じっと考えることなく考えていると、何日かして全く別のことをしているときなどに、気がつくという体験をする。
           

宗教では析りや念仏等が中心

 マイナスの心の状態からプラスの心の状態へ転換するのに、宗教では祈り、念仏等の精神集中行為によって転換した。心の支配は古今東西の昔からあったわけである。しかし、それは信仰とか行を積むことであり、自然の法則として体系づけたものはなかったのではないだろうか。
           

書くことによってプラスに

 悩みもそれを紙に書いて問題を解決しようとすると、精神を集中させる行為となるので、心は創造的な働きとなり、心のエネルギーは開放される。空想、白昼夢はあまり良いことではない。しかしそれを文章化するという行為は、精神集中を必要とするので、心のエネルギーは開放され、創作活動となり得る。
             

森田療法について

 森田療法は森田正馬博士が自己の神経症の治療体験から創始したものであり、日本独自の精神療法として諸外国からも関心がもたれている。ではこの療法について少し説明してみよう。

 第一期、 患者を個室に隔離して、面会、談話、読書、その他すべての慰安を禁じて、洗面、排泄以外は臥祷を厳守させる。

 第二期、 落葉拾い、ごみ拾い、軽清掃、草花の手入等の軽作業。

 第三期  日常の家庭的な仕事を中心に、掃除、水くみ、薪わり、花壇の手入れ等。この期間も一切の気晴しと、特に患者同士の病気の話等を禁じ、黙々として、軽い作業に手を出さす。多くの患者は、この軽作業期と重作業期に心的転機するものが多い。作業の中に入り切ることによって、不安、はからいが消えてゆく。
(これは心のエネルギーの開放という角度から見れば、どうしてこの時期に心的転機するものが多いかすぐわかる。患者の言葉に不安におそわれても頭に浮かべて作業を続けていれば不安は消えてゆくとあるが、まさにこの時作業をすることによって、ノイローゼ症状をひきおこしているエネルギーや、その他の心のエネルギー等が開放され始め心が明るくなったわけである。
 黒いのがノイローゼ状態だとし、白い状態がよい状態だとすると、まだそこまではいかないが黒い色が小さくなったわけである)「道は開けるからの引用で、おもちやのボートをこしらえることによって、平安を手に入れた時の状態と非常に似ていると考えてよい」心のエネルギーが開放されて、その過程で心の目が転換されていく。