隅田川の花火  (新規;2014年8月1日)

隅田川の花火 | 隅田川の花火 2 | 隅田川の花火 スライドショー


幼い頃に両親に連れられて見物した両国の花火。花火より大変な見物客の多さだったことが記憶に
残っている。大きな音と共に大輪の花火が次々に打ち上げられた(様な)景色だったであろうか。
とにかく、両国橋の上まで群衆に押されて行ったが、橋の途中で逆戻りしたのではなかったか。
おそらく、私を抱きかかえた父と母は群衆の危険を感じながら右往左往したのであろう。

父が勤務していた町工場の建屋の2階のガラス窓を開け放って、工員さんや隣近所の皆さんと
打ち上がる花火を2キロ程度離れたところから見物するのが恒例であったことを子供なりに覚えている。

花火の晩は、昼間の内からたらいに水を張ってスイカを冷やしておいて(とはいえ、あまり冷えては
いなかったが昔は冷たく感じたのかもしれない)、必ずいただいたものであった。
塩を振ってもらって、種を口から出しながらガブリガブリとかじって、とても甘かったなあ。
それで、宿題の絵日記にスイカの絵を描いたりして。
まだ、テレビが庶民に普及する前の時代であり、甘いスイカと共に両国の花火は夏の楽しみであった。


両国川開きの花火は、明治維新や第二次世界大戦などにより数度中断した。1961年から1977年まで、交通事情の悪化や、隅田川の水質汚濁による臭害等により中断するが、1978年に現在の「隅田川花火大会」に名称を変えて復活し、以後毎年続けられている。
(引用;http://ja.wikipedia.org/wiki/隅田川花火大会)

両国の花火の開催が中断される前年の昭和35年(1960年)は、5月に幼いながら大病を患い、7月末までの2ヶ月半、御茶ノ水のN大付属病院に 入院した。7月になって病状が回復したのであろう、母に付き添われ病室を抜け出し、病院の屋上から両国方面に見える花火を見せてもらった記憶が有る。まも なく退院することができたのだが、大学病院の屋上を吹いてゆく心地良い風と打ち上げ花火の色彩を懐かしく思い出すのである。
なお、翌年から永く15年以上両国の花火は開催されない時代が続くことになるのだが、実に私が成人しても中断の時代が続いていたわけで、隅田川の水が真っ黒になって、ドブの臭気がほんとうにひどい時代だった。
それでも、そういった水質汚染、大気汚染の時代を乗り越えて、現在はまずまず綺麗になったものだ。ただし、昔は、隅田川で泳げたという
話を大人から聞かされた、そういった清らかな隅田川は回復されていない。



2014年隅田川花火大会(2014年7月26日開催)

2014年は、本サイトに隅田川の花火のページが無いので、何とか写真撮影とともに掲載したと思って、当日、現地に向かった。
見物・撮影場所について色々検討したが、写真撮影は浅草側が障害物が少ないことから適切と判断した。
ただし、過去に見物したことがないので、場所の確保が不安であった。
浅草駅から馬車道を北上して、待乳山聖天さん、今戸橋へと進んで少年野球場まで辿りつたが、入場券が必要ということで入れなかったので、さらに北上したところで、野球場の北側で、隅田川沿いの道に出てみることにした。
その道は、隅田川沿いには違いないのだが、2m余りあるであろう堤防が続いていて川側はまったく見えない。
南方向と西側の展望が有るのみである。幸運にも打ち上げ方向がちょうど南方向であったため、結果オーライであった。
実は、昨年白鬚橋から吾妻橋まで、隅田川の西岸を歩いた祭に、通った道であり、見覚えが有った場所であった。
ほんとうは、もう少し下流、すなわち桜橋に近い場所であれば堤防が無くなって川側も視界が広がって、桜橋やスカイツリーとともに花火を撮影できたのだが、規制されていてそれは許されなかった。


2014年隅田川花火大会_1

















2014年隅田川花火大会_2

















2014年隅田川花火大会_3

















2014年隅田川花火大会_4

















2014年隅田川花火大会_5

















2014年隅田川花火大会_6

















2014年隅田川花火大会_7

















2014年隅田川花火大会_8

















2014年隅田川花火大会_9

















2014年隅田川花火大会_10



















<もどる>