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「内観法」吉本伊信(著)(春秋社 2000年7月)

→目次など

■内観法は洗脳なのかそれとも自己暗示や伝統的な成人儀礼にも通じる手法なのか■

内観法という、「自分を知る」ための自己観察法があります。私は『看取り士』で知りました。

浄土真宗系の信仰集団である諦観庵に伝わっていた自己反省法から秘密色、苦行色、宗教色を除くことで成立したもので、本書の著者であり、実業家でもある僧侶、吉本伊信氏が創設者とされています。

部屋の隅に屏風を立て、法座と呼ばれる席に壁に面して坐り、朝6時から夜9時まで、両親のこと、兄弟姉妹のこと、上司や同僚、部下のこと、姑や嫁のことについて、自分が何をしてもらったのか、自分は何をしてお返ししたのかといった内容について考えます。1時間半おきに5分程度の面接の時間が設けられ、何を考えたのかを話し、次の時間に考える内容を指示されます。この作業を7日間続けることで、他罰的であった自分に気付き、生き方が変るというのです。

地獄は外にあるのではなく心の内にあるのだという言葉どおり、聖人君子ではない私たちは、その気になって振り返ってみれば、悶絶しかねないほど多くの自分自身の不実に思い当たることと思います。そして、そんな自分を育ててくれた養育者や、今も日々迷惑をかけ続けている人々の寛大さに気付き、このままではいけないとの思いを強くするのです。

本書は、内観法が作られていく過程が、自叙伝の形式で語られていきます。しかし、自叙伝や回想録ではなく、中間報告書の位置づけであると断ってあります。また、残念ながら内観法の詳しい実施方法は本書に記載されていません。ただし、冒頭には竹内硬信州大学教授による内観法の説明があり、内観法体験者による手記も数件収録されています。吉本氏本人は、内観に成功するまで長くかかっています。

本書を読むと、吉本氏が実業家として軍需を背景に成功したことや、大政翼賛会に好意的であること、非行少年の矯正にも目を向けるなど、どちらかといえば体制側に立って物を見る人物であることがよくわかります。宗教色を脱したのも、刑務所では宗教色が邪魔になるからという理由であったのです。

内省を促す方法だけに、私は、ページをめくりながら思わず正座していました。そして、自分の人生を振り返ってもいました。確かに、私自身の生き方もまた、十分に恩返しもできず、迷惑をかけ通しの人生なのです。内観法を受けることのできる場所と料金を調べ、行ってみようかという心持にもなっています。

しかし、この手法には洗脳に近いものも感じられます。睡眠と食事を管理し、単調な視覚によって肉体に負荷をかけ、思考の方向性を指示しているのですから。もっとも、一般化するにあたって、かなり苦行色は弱められているようです。

内観法は、多くの伝統社会に存在していた、成人儀礼として一定期間小屋に閉じこもり、心を見つめたり、教えを受けたりする慣習にも似ています。

内観法は、さまざまな経験の中から特定の経験だけを抜き出し、再検討や新しい意味づけを行うことで、これまでとは異なる世界観、人生観を作り上げる作業ともいえそうです。この場合、新しい世界観は事実であるとは限りませんが、新しい自己イメージがその後の行動を変え ていくという点では、自己暗示に似た効果を読み取ることもできます。内観法では、7日間の集中内観に加え、日常生活の中で一人で行う日常内観も重要です。これも自己暗示に似ています。

テレフォン人生相談を聞いていると、心の問題は、どう認識するのかが大きく影響することがわかります。子どもの成長を信じて接することで発達障害と診断された子どもが成長をみせ、前任者から優秀な生徒であると告げられていることで、普通の成績だった生徒の成績が向上します。自分に冷たく当たっていた親は本当は弱い人であったと知ることで、親との関係が変っていきます。内観法にはこのような事実と通じるものも感じます。

内観法は、『森田療法』と並んで、有効性が認められている日本発祥の心理療法でもあります。内観法には、上記のように多様な要素が含まれているようであり、興味深い手法であると受け取りました。

本書は、このような内観法の成立の背景を知ることのできる本になっています。

内容の紹介


一 私の求めた道 6 寺本師のお育て
  寺本先生が教えてくださった中に、こんなお話もありました。
  下市にある薬種問屋へ御法話に行きました。終わって寝ようとしたら四十歳ぐらいの御主人が見えましてね、町会議員もして町の有力者らしいインテリですが、突然、
「ちょっとお尋ねしますが、私は、人間死んだら火の消えたようなもので、おしまいやと、常々考えているんです。仁義礼智信という五常をさえ守っていれば、それでいいんだ。地獄や極楽は悪人への戒めに考えだした架空の威し文句やと思いますが、どうでしょうか? 第一、死んで生き返った、地獄を眺めてきたとう人はありません。片便りですよ。御院主(ごいんじゅ)さんは本気であんな話をしておられるんですか?」
「人間誰しも早く死にたい、貧乏になりたい、病気になりたい、と願っている人はありませんね」
「その通りです」
「死んだら火の消えたように、一切御破算になるんでしたら、現在の生活も皆様が同じでないと話が合いませんね」
「と言われますと?」
「人生五十になったら皆死ぬと決まっているなら、金持も貧乏人もなく、男も女もなく、阿呆も賢いもありますまい。ところが、八十まで生きる人もあれば、幼くして亡くなる人もあり、生まれつき恐ろしい御病気のお方もある。働いても働いても貧乏に苦しむ気の毒な人も、毎日呑気に遊び暮らしている人もある。この大差は何が原因と思いますか」
「さあ困ったな、弱りましたね」
「仁義礼智信さえ守っておればとおっしゃいましたが、あなたは守られてますか。守れてる生活かどうかを反省されたことがありますか?」
「…………」
「明日が未来で、今日が現在で、昨日が過去とすれば、明日という未来は無いと断言できますか。また、無いと仮定していたとしても、もし有ったらどうしますか?」
「…………」
「夏生まれて夏死ぬ蝉は夏だけしか知らないで、春も秋もないと考えるかも知れません。知らぬから、ないと決めるのはあぶないです。知らぬなら知ったらよいんです。現在の自己を、せめて十日でも、朝から晩まで坐って反省するんです。なぜなら、過去の結果が現在であり、現在の結果が未来ですから、今の自分はどんな者であるか?を知れば、過去も未来も(たなごころ)を見るごとく確実にわかるはずです。地獄極楽の有無や神仏の居る居ないは、せめて一週間でも内省されてから、また話し合いましょうよ」
「人間は同じ者が一人もいない、その理由は何か? 全くそうですね。いや、よく考え直します。夜分遅くまですみませんでした」 - 64-65ページ

私はこの話を読んでもまったく腑に落ちません。来世や地獄はないと考えながら、しかも、子孫のために森を残すことこそが重要であると考えるアマゾンの先住民たちに習えば、このような問答は無意味に感じます。しかし、人工的な社会では、このような考えを持つことが重要なのかもしれません。


五 内観を行った強迫神経症の一例 要約
  古くから真宗に伝わる求道法を改良し、民間を中心におこなわれて来た内観を、一強迫神経症者に施行した。症例は十七歳男子で約三年前から数字と兄についての強迫観念に悩まされ、そのことから兄に強い憎しみの気持ちを抱くようになったものである。 この症例に、初め森田療法をおこない、強迫症状はやや軽快したが、阿仁への憎しみの感情は依然強い状態で、内観を一週間おこなった。 その結果、患者は兄に対する憎しみの底に潜在する兄への劣等感を自覚し、また兄の自分に対する愛を認識すると同時に、残存していた強迫症状も消失した。 この結果から、神経症者のうちでも性格の歪みが少なく、治療意欲と治療者への信頼感が強く、対人関係において外罰的思考の傾向の強い例には、その精神療法の終結期に内観をおこなわせることによって、外罰的思考を内罰的思考に転換させ、同時に精神的自我を強化し、更に治癒機転の自認を促す意味で有効であると考えられる。 - 210ページ


「付 精神医との質疑応答」より
「罪の課題に嘘と盗みを仰言いますが、他の罪についてはどうなんですか?」
「五戒となれば他に殺生、邪淫、飲酒と三つあるんですが、殺生は仕方なしに犯さざるをえない事もあり、邪淫は少年や人によっては無関係の人もあり、飲酒も個人差があります。 でも嘘と盗みだけは皆が犯して居る上に、罪と考えていない人もあるので、人から泥棒とか嘘つきと言われると立腹しますから内観のテーマとしては適当です。 - 248-249ページ


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「ルビリン」は東山動物園にいたアムールトラの名前です。土手で出会った子猫を迎え入れ、「るびりん」と命名しました。

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