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「医聖(アデプトゥス・メディクス)―異能医学者列伝」阿久津淳(著)(福昌堂 1995年7月)

→目次など

■この本には何かがあるはずなのだが、読むほどに何もないと思えて来る。しかし、まだ何かがあると思わせる。■

著者はUFO研究家の竹本良氏。本書はペンネームで著されている。

生命とは何かを問う中で、医の領域に足を踏み入れざるを得ず、本書で<医聖を探す旅>を試みたという。失われた哲学と医学の環を探し、<自然治癒力とは何か>を通奏低音にして、小宇宙と大宇宙の交感を楽しむことも目論んでいる。

「死ぬ瞬間」のキューブラ・ロスや、精神神経免疫学のS・E・ロック、カタカムナの楢崎皐月、EM菌の比嘉照夫。もちろんヒポクラテスの名前もある。一方で、シーボルトやヘボンも日本に医療を伝えた存在として登場してくる。インドのアーユルベーダや、イスラムのイブン・スィーナーなども登場してくる。ノストラダムスまで引っ張り出されている。

「序文」を依頼された大野裕博士の言葉を拾ってみよう。 本書を読み始めたとき、僕の頭の中でいろいろなものがカタカタ動きまわり、ぶつかりあって、しばらく収拾がつかなかった。
しかし、しばらく読み進めていくうちに、一見未分化とも思える世界を体験させることこそ、阿久津氏が意図したことではないか、と考えるようになってきた。
混沌の中に力が生じる。そう思った瞬間、この世界に心地よさすら感じられるようになってきた。

こうした一見分裂した情報を集めることで、新しい視点が生まれることに価値を置く点で共感する私には、この本をどうしても読む必要があると思えてくる。

本書を読みたくさせる言葉は、藤原肇氏による「アンチ解説」からも拾うことができる。

如何に多くの人たちが知識からではなく、非知識から智慧を学び取ってきただろうか。そして、現在では非知識を書いた本が余りに少ないのだが、本書には希少な非知識の香りが封じ込めてあり、その点でユニークな構成を楽しめるのである。

こうした言葉に励まされで途中で閉じたページを何度も開き直すのだが、どうにもやはり私には読み進めることが難しい。

どこを読んでも、どうやら私とは共通する視点はほとんどなく、自然治癒力どころか、科学力への信仰さえ感じてしまう。そう思って著者自身による「エピローグ」に目を通してみると、また魅力的な言葉が並んでいるのである。

私は、今この惑星の住民に必要なのはみたらし団子の哲学なのではないかと考えている。宇宙論、生命論、人生論という3つの団子を一本の串(哲学的真理)でまとめること。その3つの団子には醤油餡がからめてあり、全体を覆っているのだ。
本書はその中核にあたる生命論に関わっている。冒頭にも述べたように、生命を語る場合には、必然的に医や臨床の生命に触れざるを得ない。そして特に医学と哲学を横断することがこの本のテーマになっている。

私もまた、人類学を中心とする本を読みつつ、思索活動を続ける中で、経済活動以上に重要なのは、宇宙論、生命論、人生論であり、医療行為をどう捉えるのかを問う必要性を感じるため、このような著者の言葉を知れば、本書はどうしても重要なのである。

しかし、阿久津氏が科学力を評価し、医療の進歩を肯定し、魂の永遠性や、人の精神の完成を想定した話を始めると、私としては本を閉じたくなるし、この本を読みつづけても得られるものはないと感じてしまう。

だが、またあきらめきれずにページをめくってみれば、確かに得るものがあるとも思えてくる。

例えば、高校生のとき男声合唱団に入っていてミサ曲の練習をしていたとき、心地よく調和した瞬間に、余りに審美的というような名状し難い戦慄に突然ひたったのだと記されていれば、こうした官能を宗教に利用する巧みさを知ることになる。

車も乗らず、野生動物にエサを与えることがいけないことだと知る阿久津氏の自然愛好家ぶりを知れば、同じ価値観を持つ者として共感を覚える。

ゲーテの『ファウスト』のモデルといわれ、貧しい者からはほとんど謝礼を受け取らなかったパラケルススは、医者として患者の生命力を認めており、医者には自然の事物とその秘密の知識が求められるといっていたが、48歳で亡くなったという。そうきけば、そのくらいの年齢で亡くなることが自然な生き方なのではないかと私は思ってしまう。

ユングの言葉「私たちが秘密を所有しているのではなく、本物の秘密が私たちを所有しているのである」を読んで私が思い出すのは、『覚醒する心体』に記された私たちの中にあって私たちにはどうにもならない自然であったり、『イシュマエル―ヒトに、まだ希望はあるか』に記された、世界が私たちに属すのではなく、私たちが世界に属すという言葉である。もっともユングの言葉の真意を私はまったく理解していない。

あるいは、手塚治虫がブラックジャックの中で本間医師に語らせた「人間が生きものの生き死にを自由にしようなんておこがましいと思わんかね」という有名な言葉に本書でも言及されている。もしもそれに尽きるのであれば、人ができることは、患者の回復を願って少々の手当をすることだけのはずである。

そんなことはどうでもよく、この本は、とにかく読みたいのに読み進めていくと「読まなくてもよい」と伝わってくるのに、読まないでいると「読め読め」といってくるおかしな本だということだ。

しかし、話のタネにするには負荷が重すぎる。けれどもやはり、何かがありそうなのである。

関連書評:
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内容の紹介


―マルクス主義では物質と心をわけますよね。しかし、例えば犬も猫も人間も肉があれば食べたいという意識が生じてくるわけで、意識から始まります。つまり犬も猫も人間と同じ意識的な動物なのです。 - 226ページ

これは、「中国のアントン・メスル」枕昌の言葉です。心も物質があってできるものですが、その心の働きによって物質に影響を与えるわけなので、分離できないものでしょう。けれど、心から物質への影響は今の文明では軽視されているのかもしれません。



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「ルビリン」は東山動物園にいたアムールトラの名前です。土手で出会った子猫を迎え入れ、「るびりん」と命名しました。

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