道中帳 青字は、「旅へのいざない」による注釈です。 赤字は、私が付け足した注釈です。 |
道中帳 買物覚、金払口 (巻頭・巻末に記載されたものを日付順に示す) |
解説(新暦で記載) |
同時期の出来事 |
4/11(4/10) 一 よごでより六がう(六郷)へ 三り半 尤六がうニ而かぐのだて(角館)道たぢ(尋)ね可申候 一 六がうよりかぐのだでへ 五り 此間ニよご沢村(横沢村)あり 又こ(越)いる小川三ツあり かくのだで入ロニ大川舟渡しちん十文 一 かぐのだでよりにしあらい(西荒井)ヘ 一り
四月十一日 にしあらい泊り 重右衛門 此人道中ニ而道づれ致御世話被下候て 米代計壱人ニ付廿四文づゝ |
一 弐百五十文 かくのたてニ而 かさ(笠)壱つ かば〔樺〕たはこ〔煙草〕入 一 百文 筆代 一 七百六十文 木綿弐丈四尺 |
1866/5/24(盛岡 雨) 横手から六郷(美郷町:旧六郷町)へ。六郷で角館に向かう道を尋ね、横沢(大仙市:旧太田町)を通り、角館(仙北市:旧角館町)へ。途中「小川三つあり」とあるのは南から丸子川、川口川、斉内川、「角館入口に大川」とあるのは玉川。角館から西荒井(仙北市:旧西木村)へ。 西荒井で重右衛門の家に宿泊。途中から一緒に旅をしていた人のようだ。米代のみで、木賃はサービスか?
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4/10 |
4/12(4/11) 一 にしあらいより才明寺(西明寺)ヘ 一り 一 さいめうじよりはたの(潟野)ヘ 一り半 一 はたのより山口ヘ 一り 一 やまぐちより下野月村ヘ 一り半 一 下野月村より坂本へ 二り 下野月ト坂本ノ間ニ村多し 尤にしあらいより坂本迄ハ小川おゝ(多)し かち(徒歩)渡計
四月十二日 一 坂本泊り 伊左衛門 木銭三十文 米廿八文 尤是迄せんぷく(仙北)郡也 |
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1866/5/25(盛岡 ?) 西荒井から旧西木村内(現仙北市)を西明寺、潟野、山口、坂本へ。 山口と坂本の間の「下野月村」は不明。山口・坂本間の中間よりやや山口側なので中里の事か?
坂本で宿泊。
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4/11 |
4/13(4/12) 一 坂本よりひたぢない(比立内)へ 五り 尤此間野原ノ内大かぐ野(大覚野)トいふなり 沢へ下レバつなぎ沢トいふなり 此五りノ間山ヲこ(越)いるなり 家壱軒も無之候 又ひたちない入ロニ板はしあり 一 ひたちないより銀山町へ 三り 此間ニ板はしあり小村あり 次ニ舟渡しあり ちん八文 次ニ小村あり 一 ぎんざんより大渕へ 三り半 此ぎんざん町出口ハ右へ行なり 又大渕迄ノ間小村沢山あり 又舟渡しあり此渡しハ二川をぢ(落)合右ノ村ニ付なり
四月十三日 一 おふぶち泊り 宿なし無心泊りなり 木銭三十文 米廿八文 金長せん六〆九百文 |
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1866/5/26(盛岡 曇) 坂本(仙北市:旧西木村)から大覚野峠を越えて繋沢沿いに山を下り日立内川を渡って比立内(北秋田市:旧阿仁町)、銀山(北秋田市:旧阿仁町)、大渕(北秋田市:旧森吉町)へ。 銀山を出て途中から舟で渡り、「二川落ち合う右の村に付く」とあるので、阿仁川と小又川の合流点の右岸の阿仁前田(北秋田市:旧森吉町)付近に上陸したのか?。ここから川沿いに進めば大渕だが、地形図では現在阿仁前田から大渕までの川沿いの道は途切れている。
大渕に宿はなく「無心泊り」。意味がわからないが、民家に無理に泊めてもらったのか?。 |
4/12 |
4/14(4/13) 此所ニ而くぞくる村(葛黒村)をたぢね可申候 左候ヘバニりノつか道(近道)ニ候 一 大渕よりくぞくるヘ 一り半 一 くぞぐるより小滝(大滝)村へ 五り 此所ニゆ(湯)あり 又此五りノ間野道なれバ家なし 一 おつだぎ(大滝)より十二所へ 半り 尤十二所ニ而出役壱人ニ付廿五文つゝ 此役所出ルならバ右之方へ行なり べそ(別所)村あり 次ニ三ツ屋新田村 此村ニ而たぢ(尋)ね可申候 何之道小川ニ付のぼり可申候 左候ヘバ金山なり 尤べそ村ト三ツ屋新田の間ハ 秋田卜南部ノ境なり 一 十二所より金山ノ赤沢※へ 三り 赤沢より御台所へ廻り見物可致侯 (※ 赤沢=尾去沢金山の一部) 一 赤沢よりはなわ(花輪)へ 半り 金山トはなわノ間ニ川あり 舟ちん六文
四月十四日 一 はなわ泊り 嘉七殿 木三十六文 米三十文 金七〆五百文 |
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1866/5/27(盛岡 晴) 大渕で大滝温泉方面へ行く近道として葛黒(北秋田市 旧鷹巣町)に抜ける山道を教えてもらい、そちらへ向う。葛黒から奥見内沢沿いに西へ進んだと推定されるが、詳細なルート不明。大滝(大館市)までの間「野道なれバ家なし」とあるが、小村を通らないルートとはどのようなルートなのだろう? 大滝から十二所(大館市)に向い、ここから南東側に山道を進み別所(大館市)へ。久保田藩(秋田藩)と南部藩(盛岡藩)との境を越えて「三ツ屋新田」へ。現在の鹿角市の下新田付近か?。山を越えて尾去沢赤沢から花輪へ(以上鹿角市)。花輪で宿泊。
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4/13 |
4/15(4/14) 一 はなわよりゆぜ(湯瀬)へ 二り 尤此間ニ大里村・あぢき沢(小豆沢)村あり 同大日堂あり 次ニ一ノわだりはし(渡橋) 次ニ天宮はし(天狗橋) 一 ゆぜより田山へ 三り半 此間ニおりかべ(折壁)御ばん所あり 御やぎいん(焼印)御改銭不入 ばん所前ニ小村多し 一 田山より中佐井へ 三り半 此間ニ小村多し なし(梨)ノ木峠坂あり
四月十五日 一 中佐井泊り 徳右衛門殿 |
一 はなわ壱歩 壱〆八百七十弐文 |
1866/5/28 (盛岡 晴) 花輪から大里、小豆沢を通り湯瀬(以上鹿角市)。小豆沢から一の渡橋(現在の八幡平橋付近?)、天狗橋は巨岩が橋のように川に架かった箇所。 湯瀬を過ぎて折壁番所を通り田山へ(番所・田山ともに岩手県八幡平市。旧安代町)。折壁番所は領内通行の人と物を改めた中番所。料金無料?。 田山から梨ノ木峠を越える。ここは日本海と太平洋の分水嶺。 田山から八幡平市の中佐井へ。 中佐井の徳右衛門宅は栄太の知人もしくは親戚?。 宿泊無料。 |
4/14 |
4/16(4/15) 一 中左井より浄法寺へ 小道廿り 次ニ桂清水参詣 一 浄法寺より似鳥村へ 小道廿り
四月十六日 家へ着仕候 (柴田亦雄氏所蔵) |
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1866/5/29 (盛岡 雨) 中左井から浄法寺(二戸市)へ 桂清水(天台寺内)参拝 浄法寺より似鳥(二戸市)へ 鳥越に到着。どっとはらい。 |
4/15 |