茅ヶ岳・曲岳・黒富士( 茅ヶ岳:1,704m ※ ) 1999.1.23 登山

(※:縦走路中の最高峰は 金ヶ岳 1,764m)

   韮崎駅から見た茅ヶ岳( 1999.1.23 )
【茅ヶ岳・曲岳・黒富士登山記録】

【茅ヶ岳・曲岳・黒富士登山データ】

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茅ヶ岳・曲岳・黒富士登山記録

記念すべき 1999年最初の登山は、 山の雑記帳で書いたように 深田久弥氏終焉の地 茅ヶ岳とした。
この山に登るには、車の場合ピストン登山になってしまって面白味に欠けることから、列車とタクシーを使ってアプローチすることに決め、 結果として3回連続の中央本線利用となった。
そうそう、山の雑記帳で茅ヶ岳、曲岳、黒富士を登ると事前にアナウンスしたことも、 ピストン登山を不可とさせた理由である。

前回の笹子雁ヶ腹摺山の時のような列車トラブルもなく、 八王子を 6時34分に出発する松本行きは定刻通りに出発してくれ、8時27分に茅ヶ岳の最寄駅となる韮崎に到着。
途中、先日登った滝子山の立派な姿や、冠雪した南アルプスの山々を眺めることができ、 また相模湖から続くそれぞれの駅で何人かの登山者が降りていくのを眺めながら、彼らがこれから登るであろう山々を想像するのも楽しく、 2時間という長い乗車時間ではあったが退屈することなく過ごすことができたのだった。

韮崎駅のホームに立つと、韮崎の町並みの向こうに茅ヶ岳の姿を見ることができ、 その堂々とした姿に俄然登る意欲をかき立てられるとともに、「ニセ八 (やつ)」 といった不名誉な呼び名が付けられているのが気の毒に思えたのであった。
タクシーにて茅ヶ岳登山口である深田公園駐車場に着いたのが 9時少し前で、駐車場には 3台ほど車が止まっている。
深田公園の駐車場から林道を辿ると、すぐに道は 2つに分かれ、右が茅ヶ岳、まっすぐ進むと深田公園となっていたが、 無論、ここまで来たからには深田公園を避けて通ることはできず、そこから 3分ほどのところにある深田公園へと向かう。
ただ、公園といっても、ベンチとテーブルが数セット、建築中の四阿 (あずまや) があるだけの小さなものであったが、 深田氏の書になる 「百の頂に百の喜びあり」 と刻まれた黒御影石の石碑と、 深田氏の最期の様子が書かれた掲示板が何と言っても目玉である。

時間は既に 9時を回っていたことから、 今日の長丁場を考えるとグズグズできないとは思ったものの、公園で韮崎駅前のパン屋で買ったサンドイッチを頬張り遅い朝食とする。
列車に乗っている間の 2時間を利用して朝食をとれば効率的だったのだが、私の家から松本行きに乗るまでの間、 朝食を購入する適当な場所がなく、このような結果になったのである。
深田公園を 9時10分に出発し、林道を茅ヶ岳方面に向かう。
林道はそれ程急ではないものの、ダラダラとした登りがかなり奥まで続いており、 私はこうした一直線に続く登り道を進むのが一番苦手である。

水がゴボゴボ湧き出している所を右に見ると、 やがて長い林道歩きも終わりとなり、ようやく山道らしくなってくる。
顔を上げれば、周囲は山に囲まれており、進む方向にも稜線が見えて、袋小路のどん詰まりへと進んでいるように思われる。
やがて、木々の間から、なかなか形の良い岩場を抱えた峰が見え、それから暫く先で、正面に女岩、 右に登って行けば茅ヶ岳という分岐に到着した (9時55分)
女岩は見事な岩壁であり、その下方が浅い洞穴のようになっていて、岩の間からその洞穴に水が湧き落ちており (一部は凍ってツララになっていた)、 これまで見てきた水源とは違ってなかなか神聖なものを感じさせてくれる場所であった。

登山道へと戻ると、道はこの女岩の上部へと登っていくようになり、 そのまま稜線へとジグザグの道が続くようになっている。
稜線までの距離は長かったものの、傾斜は急ではないので息をそれ程切らさずに登ることができたのだが、 足下はカサカサに乾いた砂のような土で、埃っぽくて滑りやすく、また一部は落ち葉で覆われているなどして、全体的に歩きにくい道であった。
葉が落ちて枯れ木となった木々の間を縫うように登っていくと、徐々に稜線とその先に見える青空が目の前に近づいてくるようになり、 やがて標識の置かれた稜線に飛び出した。

今まで、周囲を囲まれたスリ鉢状のようなところを登っていたから、 稜線に飛び出して周囲が開けたのが嬉しく、また正面に五丈岩を抱えた金峰山の姿が目に飛び込んできたものだから、 思わず声を上げてしまったのだった。
稜線を左に 3、4分程進むと、古びた木の標柱と御影石か何かで作られた石の標柱が登山道の傍らに置かれている場所に到着する。
ここが深田氏が倒れた場所である。標柱の後ろは樹林が切れており、金峰山を中心とした奥秩父の山並みが良く見えたことから、 ここに祭られている ? 深田氏もさぞかし嬉しいことであろう。

そこから頂上までは 10数分であったが、結構 登りがあり、 もう着くかと思うとさらに先に道があるといった状況が何回か続いている。
何回も騙された後、10時44分にようやく頂上に到着することができたのであった。
頂上には 3本ほどの標柱が置かれていて、そのうちの 1本は例の山梨百名山と書かれたものであった。
展望は抜群で、甲斐駒ヶ岳鳳凰山を中心とした南アルプスの山々、 隣の金ヶ岳の左横には八ヶ岳の迫力ある姿、 そして金ヶ岳の右手には大日岩、千代ノ吹上、五丈岩と続く金峰山を中心とした奥秩父の山々が連なっているのが見える。
富士山も大きくすそ野を拡げている姿を見ることができたのだが、 太陽が丁度富士山の真上に来ており、霞んだ状態でしか見ることができなかったのが残念であった。

頂上には 3人の男性の先客 (それぞれ単独登山) がいたので色々話をする。 私が観音峠への下山のことについて聞くと、1人が鎖場や梯子があるという情報を提供してくれたのであった。
これは初耳というか、ガイドブックには金ヶ岳 − 観音峠間の道は地図上に記されているだけで、どのような道かは書かれていなかったので、 些か驚いてしまったのだが、雪で道が凍ってさえいなければ大丈夫という言葉を信じて、その道を行くことにする。
3人に別れを告げ、金ヶ岳へと向かったが (11時)、この茅ヶ岳頂上に着くまでが雪はほとんどない状態であったのに対して、 金ヶ岳への道は日陰になっていることから 3センチくらいの雪の道であった。
しかし、幸い雪はサラサラで凍っておらず、大きく下る道も滑ることなく下りることができたのであった。

一旦大きく下った後、今度は金ヶ岳への登りが始まったのであるが、 思ったよりも登りはキツくなく、途中の岩場がかなり見晴らしが良かったり、石門などもあって、気持ちよく登ることができた。
この金ヶ岳は茅ヶ岳よりも標高が高く、登るに連れて茅ヶ岳の三角錐が下の方に見えるようになり、 その上方に見える富士山との対比が面白い。
まず着いたのが金ヶ岳の南峰で、そこから観音峠へと下る道が出ており、そこに 「難所が多いので初心者や老人は十分な注意が必要」 と書かれていたことから、 また少し迷いが出てしまったものの、とにかく、本当の頂上である北峰に向かうべく先へと進み、金ヶ岳頂上には 11時31分に着くことができたのだった。

ここも茅ヶ岳と同様に好展望の場所であったが、先ほどの茅ヶ岳から 1時間ほど経過しているためか、 周囲の山々は霞み始めていた。
昼食をとって 50分程休んだ後、このまま東大宇宙線観測所の方へ下るということも考えたのだが、 どうもこれでは物足りないということで、意を決して観音峠の方へ下るべく、再び南峰へと戻ることにする (12時18分)
金ヶ岳南峰からの道は急な斜面を一気に下るもので、雪で全面覆われており、しかも登山道には人の足跡は全くなくて鹿の足跡だけがつけられていたことから、 やや不安を覚えたものの、イザとなれば戻れば良いと思って一気に進むことにする。
しかし、道は雪に覆われてやや不明瞭な部分があったものの、要所要所に赤テープや指導標がしっかりあり、 全く問題なく下ることができたのであった。
また、確かに途中に鎖場や針金、ロープ、鎖の梯子などが備え付けられたところがあったり、 両側がスパッと切れ落ちている場所や、雪のために滑りやすくなっていてやや危険な崖っぷちの道などがあったりしたが、 雪が凍っていなかったことから慎重に行動すれば全く問題のない道であった。

時々見える茅ヶ岳や正面の金峰山の姿を楽しみながら下っていくと、 やがて道も緩やかになって、前方に林道がハッキリ見えるようになり、NTTの無線中継塔の横を通って舗装道路に飛び出すことになる (13時29分)
ここを右に下って行けば清川の部落に出られるのだが、曲岳登山口は左へ 3分ほど登って行かねばならない。
曲岳登山口からはいきなりの急登が待っており、しかもここは明瞭な道というよりは、道をつけたばかりのような、 まだ良く踏まれていない斜面の登りで歩きにくく、また山の雑記帳でも述べたように体調がこの頃から悪くなってきたものだから、 大変苦しい登りであった。

途中、めまい岩などといった見晴らしの良い岩場もあったが、両側が切れ落ちており、 体調のこともあって、とても行ってみる気にはなれなかった。
ほとんど平らな所がなく、左右もかなりの斜面になっている道を、脂汗をかきながら登っていくと、およそ 40分ほどで道が平らになり、 そのすぐ先が頂上であった (14時8分)
ここにも山梨百名山の標柱が置かれており、そこからの展望は樹林に囲まれてあまり良くなかったものの、 標柱の後ろの部分からは金峰山を見ることができた。

ここまで来てしまうと、もう黒富士に進んだ方が下山しやすくなるわけで、 さらに先へと進むことにしたが (14時25分)、雪の上には足跡が 2つほどあったので、 先ほどの観音峠への下りに比べて大変心強かった。
雪の林の中を進んでいくと、やがて八丁峠で (八丁峠と書かれた標識が木にぶら下がっているだけで、見過ごしやすい)、 この場所から平見城へと下りられるようになっている。ここから下山の予定である。
先を急ぐと、やがて丁字路となり、左 升形山、右 黒富士と書かれた標識があり、 樹林越しに富士山と言えばそう見えなくもない形の山が見えてくる。
ほとんど平らな道を進み、一旦下ってから登り返したところが黒富士で、ここの登りも思ったよりは大したことなく、 15時12分に頂上に着くことができたのだった。

この黒富士頂上からは富士山、 奥秩父の山々がよく見える。
セルフタイマーで記念写真を撮ったりしていると、時刻も 15時30分になってしまったことから、 急いで八丁峠まで戻り、そこから平見城へと下る。
この道は、ややヤブが多いが、冬場は草が枯れて全く問題なく、途中急斜面はあったものの、総じて歩き易い道であった。
大きな沢を横切ると、道も平らになって、林道のようになり、やがて牧場・養鶏場へと飛び出した。ここが平見城である (16時18分)

ここでタクシーを呼んでも良かったのだが、もう少し歩こうと、 清川まで車道を下っていき、太刀岡山への登山口を左に見て、やがて道の両脇に自動販売機のある酒屋 (小泉商店だったと思う) があったので、 そこでタクシーを呼んでもらい、甲府へと向かう。
この酒屋の奥さんは大変親切で、タクシーを待つ間、暖かい店内に入れてくれ、おまけにコーヒーまでご馳走してくれたのだから本当に感謝である。
甲府まで 5,700円ほどタクシー代がかかってしまったのは痛かったが、話好きのタクシー運転手から山梨県人の気質など貴重な話も聞け、 大変面白かった。
体力的にも、時間的にもギリギリのコースであったが、充実感・満足感の大きい山行であった。


茅ヶ岳・曲岳・黒富士登山データ

上記登山のデータ 登山日:1999.1.23 天候:快晴 単独行 日帰り
登山路:深田公園駐車場−深田公園−女岩−深田氏終焉の地−茅ヶ岳−石門−金ヶ岳(南峰)−金ヶ岳(北峰)−金ヶ岳(南峰)−中岩−観音峠−曲岳−八丁峠−黒富士− 八丁峠−赤岩−平見城−清川
交通往路:瀬谷−(相模鉄道)−横浜−(京浜東北線)−東神奈川−(横浜線)−八王子−(中央本線)−韮崎−(タクシー)−深田公園駐車場
交通復路:清川−(タクシー)−甲府−(中央本線)−八王子−(横浜線)−橋本−(相模線)−海老名−(相模鉄道)−瀬谷

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