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6日目
戸塚宿〜藤沢宿
2001年9月30日(日)
曇のち雨
今回は、戸塚宿からスタートし、藤沢宿を目指します。天候が心配でしたが、最後は雨に降られてしまいました。戸塚宿から藤沢宿の行程は、その半分が国道1号線を歩くことになります。また、藤沢宿は現在の藤沢駅近辺にあるわけではなく、藤沢市の中心部からややはなれた、藤沢本町(小田急線の駅)に史跡があります。

[11時59分] 清源院スタート
前回終了した地点である清源院より今回はスタートとなります。比較的近代的な建物の寺ではありますが、この寺には徳川家康の側室であり、この寺の創建者の「於万の方」の供養碑があります。
清源院は商店街の中にありますが、この寺を出て東海道を歩き始めると、やがてにぎやかだった商店街も終わり、閑散とした場所になります。やがて、明治天皇戸塚行在所の碑と本陣跡の碑があらわれます。

[12時33分] 澤邊本陣跡
消防署の右隣に、ひっそりとたたずむ「明治天皇戸塚行在所」の碑と、戸塚宿澤邊本陣跡の碑がありました。狭い場所に石碑と木碑、さらに本陣跡の説明版が、東海道を歩く旅人に、かつての本陣跡を伝えています。

[12時50分] 上方見附
本陣跡から歩くこと20分、ファミリーレストランの下に、戸塚宿上方見附跡の碑と説明版がありました。江戸方見附からここまでが戸塚宿となりますので、かなり大きな宿場だったことがうかがえます。

石仏群・お軽勘平 戸塚山中道行の場碑
上方見附跡を過ぎると、大坂というだらだらとした上り坂になります。途中、左の写真のような、石仏群がありました。石仏群を過ぎ、坂を上りきるとやがて国道1号バイパスと合流します。合流後、少し進むと「お軽勘平 戸塚山中道行の場碑」がありました(右の写真)。江戸時代に流行した「仮名手本忠臣蔵」の登場人物に関する碑だそうですが、直接東海道とは関係ないようです。

[13時22分] 原宿一里塚
「お軽勘平 戸塚山中道行の場」碑を過ぎると、しばらくの間は国道1号線を歩くことになります。かなり交通量が多く、ひたすら国道を歩くため、暇であり苦痛であり、旧道が恋しくなってきます。だらだらを国道1号線を歩いていると、原宿一里塚の案内板がありました。11番目の一里塚で、塚はなく案内板だけでした。

この辺り、国道1号線は片側2車線の広い通りなのですが、両側には神社や寺が多く、ここがかつての東海道筋であることを物語っています。

石仏群・他
国道1号線をひたすら歩いていると、大小様々な石仏群がありました。道ばたにひっそりとたたずむ石仏群、いまにも壊れそうで、その役目はすでに終わっている感じがしました。
さらに歩を進めると、突如モノレールが国道を横切っていました。かなりさび付いていて、現在は走っていないようです。どうやら、大船からドリームランドを結んでいたモノレールのようで、現在は休止中だそうです。

[13時49分] 馬頭観音
石仏群から少し先に行くと、馬頭観音像が道ばたに建っていました。かなり痛んでいてあまり手入れされていないようですが、かつて東海道を旅していた人を見守ってきた観音像は、今も国道1号線を往来する人を見守っています。
それにしても、国道1号線にしては、以外に史跡が多いのに驚かされました。国道として拡張された東海道では、周囲も再開発されてしまい、ほとんど史跡は残っていないのですが、この辺りはちょこちょことあったような気がします。
東海道はこの先もしばらく国道1号線ですが、やがて遊行寺へ向かう県道と国道の分岐点にさしかかりました。東海道は県道側なので、ここは県道を歩きます。しばらくすると藤沢市に入り、いよいよ藤沢宿が近づいてきました。

東海道 松並木
藤沢市に入ると松並木がありました。旧東海道松並木の案内板や碑が建っており、ちょっとした街道気分が味わえます。松並木は車道と歩道の間にあるため、歩行者は松の下を歩くことができます。

遊行寺坂・一里塚・見附跡
松並木を過ぎると、やがて下り坂になります。この坂は「遊行寺坂」といい、途中には「遊行寺坂一里塚」がありました。原宿一里塚の次に位置し、12番目の一里塚です。さらに坂を下ると見附跡(江戸口見附)がありました。

ちなみに、当日一里塚と見附跡の案内板を見逃してしまったため、写真は後日撮影したものです。

遊行寺と藤沢宿
遊行寺は、時宗の総本山で正式名を清浄光寺と言います。豪族藤沢氏の保護により、時宗四代目の呑海が正中二年(1325)に創立したものと伝えられる、大きな寺です。境内には後醍醐天皇像や国史跡の敵御方供養塔(上杉禅秀の乱による、上杉・足利両軍の戦死者を供養して建てたもの)など、様々な史跡があります。
藤沢宿は、この遊行寺の門前町として栄え、江ノ島・鎌倉・大山詣での人々でにぎわっていました。現在は、町の中心がJR藤沢駅へ移ってしまったため、ひっそりとした雰囲気になっていますが、どこか落ち着く町でもあります。

藤沢広小路
遊行寺坂を下りきると、東海道は一旦右に折れます。すぐに遊行寺黒門前の交差点に出ますが、ここを左に折れ、赤い欄干の遊行寺橋を渡り、再び右に折れます。この辺り、当時は藤沢広小路と呼ばれ、藤沢宿の3曲がりとして有名だったようです。また、広小路は火除地を意味し、火災から人家を守り、被災者の避難場所としても使用されていたようです。

藤沢広小路辺りから、雨が降ってきました。いまにも降り出しそうな重たい空ではあったものの、ここまでなんとか降らずに済んでいましたが、遂に傘を広げました。

[14時47分] 蒔田本陣跡
がまん仕切れず、ぽつぽつと降ってきた雨の量が次第に多くなり、道路をしめらせてきました。急がねば・・・。藤沢宿の最寄りの駅といえば、小田急線の藤沢本町駅。とりあえずそこまでたどり着くために東海道を歩いていると、「蒔田本陣跡」の案内板がありました。

この辺り、町の中心部から外れているようで、比較的交通量も少なく、静かなところです。時折車の走る音がするものの、あとは自分の歩く音と次第に量の増す雨の音がよく聞こえました。しかし、この雨音が自分の歩く速度を速めていて、周囲にある寺には見向きもしない状態になっていました。

[15時09分] 源義経首洗井戸
雨は本降りになり、道をしっとりとぬらしていました。そんな中、急ぎ足で歩いていると、「源義経首洗井戸」なる案内がありました。マンションの脇の細い道を入っていくと、小さな公園があり、脇に井戸がありました。源義経の首を洗ったとされる井戸とのこと。

行程終了
右手に白旗神社の大きな鳥居の見える、白旗交差点を過ぎると、小田急線を越える架橋にたどり着きました。この橋は「伊勢山橋」といい、渡る手前の路地を右に入ると、藤沢本町の駅がありました。藤沢宿は橋の先に続いていますが、雨も本降りになったことだし、15時16分、本日の行程を終了としました。




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