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7日目
藤沢宿〜平塚宿
2001年10月7日(日)
晴れのち曇
日没までの時間が短くなってきた10月。歩き始めてから7日目になりました。今回は、藤沢から平塚を経て大磯までを歩きます。今回の行程では、途中様々な史跡や松並木と出くわすため、比較的歩いていても楽しめる区間です。とはいうものの、国道歩きもそれなりにありますが。まずは藤沢宿から茅ヶ崎を経て平塚宿を目指します。

[11時19分] 伊勢山橋スタート
伊勢山橋。小田急線を越えるための橋ですが、ここが本日のスタート地点。この先、どのようなものが待っているのか。今回は大磯までの17kmが歩行区間。今までと比べると、比較的長距離なので、がんばって歩いていこう!そう意気込んでスタートを切ったものの、何か忘れている・・・。そう、前回は雨が降ってきてしまったため、藤沢宿の問屋場跡や見附跡を逃してしまっていました。この日は先が長いことから、結局後戻りすることはせず、伊勢山橋を渡り、先へ進みました(後日、藤沢宿を訪れ、見逃した案内を撮影しました)。

見逃したもの(問屋場跡・見附(京側)跡の案内
藤沢宿で見逃してしまった「問屋場跡」と「京側の見附跡」。写真は2002年1月7日に再度訪れて撮影したものです。左の「問屋場跡」は伊勢山橋を渡る手前、右側の「見附跡」は伊勢山橋を渡ってからありました。ということは、見附跡はなぜ見落としてしまったのか・・・。隣の木に隠れてしまい、それで見逃したのかもしれません。

旧道分岐
伊勢山橋を越えてしばらく歩くと、いかにも旧道といった分岐がありました。車道は左にカーブし、真っ直ぐに進む道が東海道です。ここはもちろん、そのまま直進します。旧道はやがて川に遮られるため、結局は左にカーブしていった車道に合流してしまいます。川を越えると上り坂となり、右側にメルシャンの工場が現れます。

[11時43分] おしゃれ地蔵
坂の途中に「おしゃれ地蔵」なるものを発見しました。地蔵というよりは道祖神のようですが、確かに顔が白かった。今でも崇拝されているようで、綺麗な花が飾られていました。

東海道はメルシャン工場の横を越え、やがて国道1号線に合流します。

[12時06分] 大山道道標・鳥居
東海道は、四谷交差点で国道1号線と合流します。この交差点付近には、大山道との追分けの道標がありました。道標は2つあり、外に出ている方が古いそうです。また、大山道には鳥居が今も残されています。
かつて、この界隈には多くの茶屋があり賑わったようです。今では東海道は国道1号線に拡張され、大山道は小さな路地になってしまいました。

松並木・明治天皇休憩場跡
四谷交差点を越え、国道1号線を歩くと、すぐに松並木が現れ、その中にひっそりと「一里塚跡」の案内がたっていました。歩道は車道よりも1段高く、松並木の中を歩くため、なかなか気分がいい区間です。しばらく歩くと民家の庭先に、明治天皇が休憩した記念碑が建てられていました。かなり立派な碑です。ここで、明治天皇が休憩されたわけですが、当時はどんな景色が広がっていたのでしょうか。

[12時22分] 熊野神社
この先、平塚で県道に分岐するまでは国道1号線をひたすら歩くことにまります。ただ、ここがかつての東海道なだけに、国道沿いには神社や寺が数多くありました。そんな中、ふっと目にとまったのが、ファミリーマートの駐車場におもむろにたっていた「熊野神社」の石碑。隣には細い路地がありました。どうやらこの奥に神社があるようなので行ってみると、なぜか寺でよく見る釣り鐘がありました。その奥に神社の鳥居があるのですが、別に近くに寺があるようには見えず、釣り鐘だけがそこにありました。不思議に思いながらも、まだ先が長いので、すぐに歩きを再会しました。

茅ヶ崎の松並木
茅ヶ崎付近の国道1号線には、東海道の松並木が今も残されています。ほとんどが若い松ですが、整備されているため、歩きやすく、国道でありながらも、かつての街道を思わせる光景となっています。

[14時04分] 茅ヶ崎一里塚
松並木を歩くのはとても気持ちがいい、そんなふうに思いながら国道1号線を歩いていると、茅ヶ崎駅前へ向かう道との交差点に出ました。そこには、片側だけですが、一里塚がありました。茅ヶ崎一里塚、14番目の一里塚で、塚自体が存在するのは、品濃一里塚以来となります。それにしても、国道1号線と駅前へ向かうメイン通りとの交差点で、よくぞ残った、と言いたいほど感激しました。本来なら、壊されてもおかしくないはずなのに・・・。一里塚といい松並木といい、東海道こそ国道1号線になってしまっているものの、茅ヶ崎は歩く楽しさがありました。茅ヶ崎一里塚を撮影し、再び東海道、すなわち国道1号線を歩き始めました。

[14時36分] 左富士の碑(南湖の左富士)
次なる史跡は「南湖の左富士の碑」。茅ヶ崎一里塚から歩くこと30分。東海道は右に大きくカーブします。そして、小さな橋「鳥居戸橋」を渡ったところに、「南湖の左富士」の碑がたっていました。東海道を歩いていると、通常は右手に富士山が見えます。ただ、ここと吉原宿近くでは、左側に富士山が見えるという珍しい場所です。空気が澄んでいて晴れ渡っていれば、橋の上から左側に富士山が見えます。この日は残念ながら雲がかかってしまい、富士山を望むことはできませんでした。

[14時49分] 旧相模川橋脚
鳥居戸橋を渡ると、右側に赤く大きな鳥居が見えてきました。鳥居の先は松並木が続いています。この鳥居とその先の松並木は「鶴嶺神社」の鳥居と参道です。地図で調べると、東海道からはかなりはなれているようなので、今回はそのまま東海道を進みました。道が左に大きく曲がると、前方に新湘南バイパスが見えてきます。新湘南バイパスの手前、左側の緑地には、旧相模川橋脚がありました。相模川はもともと、今よりももっと東側、この橋脚のあったところを流れていました。当時、7kmほどの木橋が架かっていたと思われます。橋脚はその後埋もれてしまいますが、関東大震災の時に再び地上に現れ、現在に至っています。
史跡であるためでしょうか、橋脚を守るためにカバーがかかっているので、残念ながら橋脚そのものを見ることはできませんが、カバーの隙間から中を覗くと、確かに木の橋脚があります。

[15時16分] 相模川、馬入橋手前の道祖神
旧相模川橋脚を後にし、再び東海道歩きを再会しました。ここから先、現在の相模川橋梁(馬入橋)を渡り、平塚宿までは、ほぼ真っ直ぐな道となります。はるか前方には広重の絵にも出てくる駒山が見えてきました。ほぼ真っ直ぐなために、高麗山目指して歩くことになります。しばらく国道1号線を歩いていると、前方に橋が見えてきました。相模川にかかる馬入橋です。橋の手前には道祖神が旅人を見守っていました。電柱の脇ですが、屋根のついた小さなお堂の中に入っていました。
道祖神に見送られ、いよいよ目の前に迫った相模川を渡ります。前方には高麗山と平塚の市街が見えてきました。いよいよ平塚宿。はやる気持ちをおさえながら、長い馬入橋を渡ります。渡りきるとそこは平塚の市街。ここまで歩いてきた国道1号線とは一旦分かれ、東海道は県道となって平塚市中心部へ進みます。 (続きは次ページへ)



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