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5日目
保土ヶ谷宿〜戸塚宿
2001年9月21日(土)
晴れ
快晴の5日目。いよいよ権太坂越えです。今回の行程には史跡が多く、特に品濃一里塚は、現在も街道の両側に塚の残る貴重な史跡であり、東海道を歩きだしてから初めて目にする塚です。13時39分、保土ヶ谷宿本陣跡に到着。いよいよ権太坂へ向けてスタート。しばらくは国道1号を歩くことになります。

[13時49分] 旧道分岐・古東海道との合流
スタートしてしばらくは国道1号線を歩きますが、やがて国道は左にカーブし、直進する道が分岐します。これが東海道(写真左)です。旧道を進むとT路地となります(写真右)。東海道はここで一度左折します。
なお、右折すると、古東海道の道筋となります。

古東海道
T路地を右折し、東海道線のガードをくぐるとY路地となります。Y路地の右の道が、古東海道です。かつて東海道は、保土ヶ谷宿の手前の追分けから丘陵地の上を通って、右の写真の交差点に達していました。その後、道筋が変わり、現在のルートが東海道となりました。

道祖神・権太坂への入り口

寄り道を終え、東海道を先に進みます。先ほどのT路地で左折すると、スーパーの下にひっそりと旅人を見守る道祖神がありました。道祖神に手を合わせて先に歩を進めます。道祖神から少し先に行くと、右へ入る道があります。これが東海道(右の写真)ですが、いきなり上り坂となります。これこそ権太坂です。


[14時11分] 権太坂改修記念碑
権太坂を上り始めてすぐに、権太坂改修記念碑がありました。

旧東海道の権太坂は、国道1号線が開通した後も昔ながらの傾斜の急な坂道でした。昭和30年に拡幅と切り通しにより改修を行い、そのことを伝えるためのものとして、この碑が建てられました。

権太坂〜境木地蔵
権太坂は、東海道の難所の一つでした。その由来にはいくつかありますが、旅人が農夫に坂道の名を聞いたところ、農夫は自分の名前を聞かれたと思い、「権太」と答えたことが、権太坂の由来とされています。
坂道は、上り始めから光陵高校あたりまでを一番坂、養護学校から境木あたりまでを二番坂と呼ばれています。実際に上ってみると、かなり長い先で、登り切ると見晴らしのいい高台となります。
坂を上りきり、境木のバス停を右折、交通量の多い道を進むと、やがて黒塀の立派な屋敷が見えてきます(写真右上)。この辺りでは名物だった牡丹餅を作っていた若林家です。今も威風堂々とした門構えは立派です。
先へ進むと、道が左にカーブするところに境木地蔵があります(下の写真)。境木地蔵は、武蔵と相模の国境付近にあり、大きなケヤキが目印とされていました。にしても、この辺りは車が非常に多く、結構危険です。境木地蔵を過ぎると、環状2号へ繋がる道が右に分岐するので、ようやく車の多い道から分かれられます。

焼餅坂〜品濃一里塚
境木地蔵を後に進むと、藪が覆う坂道を下ります。この坂は焼餅坂といいますが、歩いているとここが横浜市内であることを忘れさせる景色です。坂を下りきると再び上りますが、途中には右の写真のように道祖神がたっていました。坂を上りきると、道の両側にこんもりとした丘があります。これが品濃一里塚です。日本橋から歩いてきて初めて見る、塚の存在する一里塚です。

[15時04分] 品濃一里塚
京に向かって右側の塚(西側の塚)
京に向かって左側の塚(東側の塚)
右側の塚、街道沿いにある案内板
品濃一里塚は、現在も東海道の両側に塚の残る貴重な史跡ですが、かなり巨大な一里塚です。通常は、9メートル四方に塚を築き、榎や松などの木を1本植えた形なのですが、この品濃一里塚は、16.5メートル四方もあり、街道からみると「丘」といった感じです。また、東海道が2つの村の境になっていたこともあり、 西側が品濃村、東側が平戸村に入っていて、地元では一里山と呼ばれています。西側の塚は「一里山公園」となっていて、塚を回り込んで見ることができます。また、東側の塚も公園になっていますが、一度東海道を京側へ進み、最初の交差点を左折、すぐに左へ入る道があるので、そこを進むと「一里山公園」があり、中央の写真のように、回り込んで見ることができます。
東海道を歩き始めて最初に見た、塚の現存する一里塚なだけに、思わず感激してしまい、10分以上たたずんでしまいました。西側の塚は、ほぼ全体が当時のまま残されていますが、東側の塚は一部削られてしまっているのがちょっと残念ですが、東海道の両側に残る巨大な塚は圧巻です。

品濃一里塚〜品濃坂
品濃一里塚を過ぎると、東海道は住宅地、果樹園といった、静かな場所を通ります。果樹園を過ぎた辺りから、道が二手に分かれます(右の写真)が、右の坂を下る道が東海道です。

坂を下り始めると、道は右にカーブし環状2号に接続しますが、階段となって直進する小さな道があります。その先は歩道橋になっていて、環状2号を越えています。これが東海道です。階段の途中には「品濃坂」とかかれた石碑がたっていますが、反対側を見ると、一本の線で繋がるような道があります。元々ここは品濃坂と呼ばれた急坂で、対岸の道まで繋がっていました。環状2号を建設する際に、山を崩したためでしょうか、東海道が分断され、歩行者用として歩道橋が架けられたようです。

品濃坂の続き
歩道橋の階段を下りてすぐに右へ入る道があります。これが、先ほど品濃坂の階段から見えた対岸の道です。右に入るとすぐに左に曲がるのが東海道で、この辺りも坂になっています。この辺りも品濃坂で、かつては急で長い坂であったことがわかります。

品濃坂〜旧道分岐
品濃坂を下りると、平坦な道を進みます。やがて用水路とぶつかるので、これに沿って進むと、やがて国道1号線と交わります。国道を横断し、川沿いに進むと赤関橋があります。ここでは左に行く道と国道に合流する道がありますが、東海道は左の道となります。およそ300メートルほど進むと、国道1号に合流します。あとは、ひたすら国道1号を歩くことになります。

[16時06分] 大山道道標
国道1号を戸塚方面に歩いていくと、やがてモチの巨木のある益田家に着きます。戸塚に向かって左側に益田家がありますが、右側には国道から分岐する道があります。この道を少し進むと、大山道道標がたっています。かつては、ここから大山へ向かうための参拝道が分岐していたようです。大山には阿夫利大山があり、大山参りは江戸時代の庶民にとって人気のある行楽地だったようです。

不動坂の旧道
益田家を過ぎると不動坂上の分岐となります(左の写真)。道は右から国道1号バイパス、国道1号、旧東海道となります。ここは、一番左の旧東海道を進みます。旧道を進むと、立派な門構えの家がありました。しばらくするとT路地になるので右折し、国道1号にぶつかったら左折します。

戸塚宿江戸方見附、戸塚一里塚
国道1号線に合流後は、ひたすら国道1号線を進むことになります。しばらくすると、ファミリーレストラン脇に、戸塚宿江戸形見付けの碑がありました(左の写真)。江戸形見付けは江戸側の宿場入り口を意味しています。ということは、ここから戸塚宿に入ったことになります。さらにしばらく行くと、今度は戸塚一里塚跡の案内(右の写真)がありました。品濃一里塚から4キロきたことになります。

吉田大橋、清源院
戸塚一里塚を過ぎてしばらくすると、吉田大橋(左の写真)に出ます。吉田大橋を渡ると、やがて東海道線の踏み切りに出ます。この辺りが戸塚宿の中心部のようで、踏み切りを渡った先には、本陣があったようです。時間を見ると16時35分を回っていたので、清源院(右の写真)の前で、本日の行程を終了しました。



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