プッチーニ:『蝶々夫人』
第8章 『蝶々さん』歌姫列伝
ロゼッタ・パンパニーニ

ロゼッタ・パンパニーニ
(Teatro del Giglio 2004-5.より)
ロゼッタ・パンパニーニ( Rosetta Pampanini :1896年 - 1973年 )
ミラノで生まれたパンパニーニは、1920年にローマ国立歌劇でビゼーの『カルメン』のミカエラ役でデビューし、翌年にはトリノでグノーの『ファウスト』ジーベル役で舞台に上っています。さらに研鑽を積んだ後、1923年にナポリのサンカルロ劇場でヴェルディの『オテロ』のデズデモーナ役でデビューし、翌年にはベルガモでワーグナーの『ローエングリン』のエルザ役を歌っています。
この後、指揮者アルトゥーロ・トスカニーニの目に留まり、1925年にミラノのスカラ座で『蝶々夫人』の蝶々さんを歌ってデビューします。この公演が、プッチーニの死によって上演禁止が解けた(あの大失敗だった初演の)ミラノ・スカラ座での再演(1925年11月29、指揮:アルトゥーロ・トスカニーニ)となるのです。彼女はその役柄において大成功を収め、その後長きにわたってこの役の「決定的な解釈者」と見なされることになります。『蝶々夫人』はそのシーズンに12回歌っています。このミラノ・スカラ座で彼女を国際的な名声へと押し上げた優しくも切迫感のある歌唱法による蝶々さんの描写は、この役の哀愁とリアリズムの基準となったとされています。また、このアプローチはレナータ・テバルディに見られる解釈の激しさを予見するものであり、批評家たちはパンパニーニの純粋な叙情的な音色と過剰なビブラートを抑えたスタイルから、彼女をテバルディの様式的な先駆者と見なすこともあるとしています。
ジュゼッペ・ピントルノは著書『『蝶々夫人』〜プッチーニ的歌唱の理想を求めて』の中で次のように語っています。
「パンパニーニは、とりわけ魅力的な音色を持つリリック・ソプラノでした。倍音に富み、しなやかな響きを持つその声は、偉大な巨匠たちによってその基礎が築かれ、その後も彼らの導きによって磨き上げられたものでした。彼女とこのプッチーニのヒロインとの間に生まれた揺るぎない絆は、トスカニーニとの出会いに端を発しています。 (中略) 1929年には、コロンビア・イタリア支社から、ロレンツォ・モライヨーリ指揮、スカラ座管弦楽団・合唱団(合唱指揮:ヴィットーレ・ヴェネツィアーニ)による歴史的な録音が発売されました。この録音ではロゼッタ・パンパニーニがタイトルロールを務め、コンチータ・ヴェラスケス(スズキ役)、アレッサンドロ・グランダ(ピンカートン役)、ジーノ・ヴァネッリ(シャープレス役)が共演したほか、ジュゼッペ・ネッシ、アリスティデ・バラッキ、サルヴァトーレ・バッカローニといった数多くの優れた歌手たちが脇を固めました。この録音は、長年にわたり同作の規範となる名盤とみなされてきました(ジュゼッペ・ピントルノ著『「蝶々夫人」〜プッチーニ的歌唱の理想を求めて』)。」
この録音は YouTube で聴くことができます。
その後彼女はヨーロッパの主要な歌劇場で歌い、1927年にはモンテカルロ歌劇場、ロンドンのロイヤル・オペラ・ハウス(1928年〜1933年)、シカゴ・リリック・オペラ(1931年〜1932年)、ウィーン国立歌劇場(1930年)、パリ・オペラ座(1935年)などで歌っています。また、ブエノスアイレスとリオデジャネイロでも公演を行ない、1930年代には、パンパニーニはローマ歌劇場で『蝶々夫人』を3シーズンにわたって歌っています。1932-33年(8回)、1936年(4回)、1940
年(1回)で、その1940年の2回目からはトティ・ ダル・モンテが蝶々さんを引き継いでいます。
彼女のレパートリーはヴェリズモとプッチーニの作品を中心としており、プッチーニの『ラ・ボエーム』のミミ、『マノン・レスコー』、
『トゥーランドット』のリュー、『トスカ』の他、マスカーニの『イリス』や『イル・ピッコロ・マラー』、レオンカヴァッロの『道化師』、ジョルダーノの『アンドレア・シェニエ』のマッダレーナ、そして『イル・トロヴァトーレ』のレオノーラ、『アイーダ』などのヴェルディの役も演じています。彼女は1942年に引退し、その後は声楽の指導にあたりました。
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