プッチーニ:『蝶々夫人』

第8章 『蝶々さん』歌姫列伝
エミー・デスティン

 
              Emmy Destinn

エミー・デスティンとロンドン公演のポスター
(Emmy Destinn Foundation)


エミー・デスティン( Emmy Destinn :1878年 - 1930年)
 エミー・デスティンは、チェコ出身のドラマティック・ソプラノ歌手。1904年5月2日、コヴェント・ガーデンのロイヤル・オペラ・ハウスで『ドン・ジョヴァンニ』のドンナ・アンナ役でロンドン・デビューを果たし(指揮者はハンス・リヒター)、5月9日にはワーグナーの『ローエングリン』でエルザ役にも登場しています。さらに、翌1905年5月24日の『カルメン』でタイトルロールを歌っています。

 そしてデスティンは、同じ年の1905年7月10日の『蝶々夫人』の英国初演の公演で蝶々さん役に抜擢されています。その時の指揮は『蝶々夫人』ミラノ初演の時に振ったクレオフォンテ・カンパニーニでした。英国での「公演は、幕があがった瞬間から最後の幕がおりるまで、成功は一瞬たりとも疑いの余地はなかった。それ以降、蝶々夫人の役は、デスティンの当たり役となったほどである。また、彼女のピンカートンを務めたのは、エンリコ・カルーソーだった(ウバルド・ガルディーニ著『「蝶々夫人」のパリ版にいたる経過とその相対的価値についての一考察』)。」とされています。

 この夏シーズン(1905年5月3日〜7月25日)で『蝶々夫人』は4回上演されていて、おそらくすべてデスティンが蝶々さんを歌ったと思われます。ロンドンのロイヤル・オペラ・ハウスではそれ以降1905年15回、1906年20回、1907年12回、1908年5回、1909年12回などと毎年のように『蝶々夫人』が上演されました。今のところ配役や指揮者についての詳細な記録は見つかっていません(1906と1907年後半はリナ・ジャケッティ、1909年始めはフローレンス・イーストン、1907年6月11日デンマーク国王臨席公演(第1幕のみ)はデスティンが歌ったという記録があります。)。『蝶々夫人』は「デスティン」の当たり役とは言え(ロンドンでは25回出演)、独占はしていなかったし、ライバルもいたということになります。

 なお、この頃のロンドンといえば、ハンス・リヒターがワーグナー(指輪四部作含む)を指揮し、ネリー・メルバとエンリコ・カルーソーがプッチーニの『ラ・ボエーム』を歌うという時代でした。デスティンは『蝶々夫人』の翌年に、ワーグナーの『さまよえるオランダ人』のゼンタ役を(1906年6月4日)、チャイコフスキーの『エフゲニー・オネーギン』のタチアナ役を(6月29日)、ポンキエルリの『ラ・ジョコンダ』のタイトルロールを(2007年6月20日)、ヴェルディの『アイーダ』でタイトルロールを歌っています(2008年5月23日)( Records of the Royal Opera Covent Garden 1888-1921 by Richard Northcott )。

 1908年11月16日、ヴェルディの『アイーダ』で指揮者のアルトゥーロ・トスカニーニと共にメトロポリタン歌劇場デビューを果たし、翌年には同じくトスカニーニの指揮でカタラーニの歌劇『ワリー』の米国初演(1909年1月6日)でワリー役を歌っています。しかし、新聞評によると『アイーダ』では「彼女の歌唱は必ずしも満足のいくものではなく、(中略)第3幕に入ると、彼女がこれほど高い名声を博している理由がはっきりと示されました。デスティンの声は高音域で輝きを放ち、彼女は感情豊かに音色を変化させて切ない情熱や感情を表現し、役柄に力強い劇的表現を与えていました( デビューの20日後のフィラデルフィア公演:The Philadelphia Press )。」また、『ワリー』では彼女の歌唱は評価されましたが作品そのもの受けは良くなかったとされています(The New York Times)。さらには、同年1月22日に上演されたワーグナーの楽劇『ニュルンベルクのマイスタージンガー』のエヴァ役で登場しましたが、これまた「エヴァはマダム・デスティンにふさわしい役柄ではなく、明らかに配役ミスでした。」とさえ批判されてしまいました。ロンドンで確固たる地位を築いていたデスティンといえどもニューヨークでは通用しなかったのかもしれません。

 ところが、翌月の2月6日に出演した『蝶々夫人』(前年から3回目)の新聞評には一転して賛辞の言葉が並びました。指揮はアルトゥーロ・トスカニーニでした。この時期のメトロポリタン歌劇場の『蝶々夫人』といえばトスカニーニが指揮してジェラディン・ファーラーが歌うという組み合わせが定着していたので、ファーラーとの比較が言外に込められている表現と思われます。

 「デスティン女史は、蝶々夫人を演じる成功した歌手なら誰もがそうするように、この作品の演劇的な特質を理解し、その役柄の価値を最大限に引き出す演技を見せています。しかし、彼女はそれだけで満足はせず、実に繊細に、或いはそれ以上のものを表現しているのでした。彼女はその愛らしい外見の裏に、さながら小さな野生児のような激しさと衝動性をこの日本人女性に与えました。例えば第1幕において、彼女の演技には、東洋特有の迷信めいた雰囲気や、呪術的な響きさえ感じられるシーンもありました。容姿に関しては、この役を演じた他の歌手たちが武器としていたような、あのスリムさや小柄で可憐な優美さを彼女は持ち合わせてはいません。しかし彼女は、誠実さと悲劇的な迫力に満ちた演技でその不足を補い、この日本人女性を悲劇のヒロインへと昇華させていたのでした。デスティン女史の歌唱は極めて素晴らしく、これ以上多くを語る必要はないでしょう。しかし、特筆すべき点が一つある。彼女は第1幕における蝶々夫人の登場の歌を、際立って美しい音色と、音程を正確に守る確かな歌唱力で歌い上げたのです( The Globe by Pitts Sanborn )。」

 さらにその12日後のスメタナの『売られた花嫁』のメトロポリタン歌劇場初演でマジェンカ役を歌ったデスティンは大喝采を受けます。そのとき指揮棒を執ったのはなんとグスタフ・マーラーだったのでした。その時の新聞の批評をご紹介します(1909年2月19日)。

 「この上演に、エミー・デスティンとグスタフ・マーラーという二人の優れたボヘミア出身の芸術家が関わっていることは幸運でした。マーラーは上演全体を支配し、まさに情熱を込めた指揮を振ったのでした。遅れて到着した観客が序曲を聞き逃すことのないよう、序曲は第1幕ではなく第2幕の導入部として演奏されたのです。 (中略) ミス・デスティンは最高の出来栄えでした。彼女の演技は実に生き生きとして魅力にあふれ、素晴らしい歌声で見事に歌い上げました。ハンス役のカール・ヨルンもまた見事な好演を見せ、ついにマリーの心を射止めました。第1幕でのデスティン嬢との二重唱は、この夜のハイライトの一つと言える素晴らしいものでした( The Globe by Pitts Sanborn )。」

 なお、マーラーはデスティンと『売られた花嫁』を7回指揮し、さらにはチャイコフスキーの『スペードの女王』でデスティンをリーザ役として4回上演しています(1910年3月5、9、17、21日)。この3月21日はマーラーのメトロポリタン歌劇場での最終公演となりました。『スペードの女王』はその後メトロポリタン歌劇場のレパートリーから消え、復活公演は1965年のトマス・シッパーズの指揮とリーザ役のテレサ・ストラータスの再演まで待たねばなりませんでした。

 『蝶々夫人』のロンドン公演以来作曲家プッチーニの信頼を得ていたデスティンは、プッチーニの新作の主役を射止めます。1910年12月10日メトロポリタン歌劇場で、プッチーニがデスティンを念頭に置いて作曲したとされる『西部の娘』のミニー役を歌って世界初演を行ない、大成功を博します。その時もまた指揮はアルトゥーロ・トスカニーニで、相手役のディック・ジョンソンはエンリコ・カルーソーでした。その時の新聞評には次のように書かれています。

 「冒頭から、満員の観客は力強い音楽とドラマが織りなす二重の魅力に強く引き込まれました。第1幕が終わると熱狂的な喝采が沸き起こり、まず3人の主要歌手が何度も呼び出され、続いて彼らはトスカニーニ氏と共に登場しました。指揮者であるトスカニーニもまた幾度となく舞台に促されました。さらに拍手は高まり、プッチーニ氏が歌手や指揮者と共に幕の前に姿を現すと、再び新たな歓声が爆発しました。最後にはプッチーニ氏もひとりで舞台に出ざるを得ないほどでした。
キャストもほぼ非の打ち所がありませんでした。タイトルロールを演じたデスティン女史は、歌手としても女優としても新たな称賛を勝ち取りました。彼女は、その娘が持つ素朴な魅力を表現すると同時に、人生に訪れた初恋の深い情愛をも見事に描き出していました。彼女の歌唱は当地でのこれまでのどの公演よりも素晴らしく、特に、極めて高度な歌唱技術が求められた第2幕での歌声は圧巻でした( The New York Herald )。」

 別の雑誌(出典不詳)もデスティンを絶賛しています。

 「とりわけ称賛に値するのはデスティンである。彼女の歌う音楽は極めて難易度が高く、高音域が多用されるうえに音を長く伸ばす箇所も多く、オーケストラによる支えもほとんどないからである。第1幕での彼女の歌声には、メルバにしか見られないような素晴らしい響きがしばしば感じられた。これほど彼女にぴったりの役は、これまでになかったと言える。唯一の難点は、デスティンの歌唱を一度聴いてしまうと、他のどの歌手であってもこの役を満足にこなすのは不可能に思えてしまうことであろう。」

 エミー・デスティンは、チェコ史上最高の歌姫として、「神聖なエミー “the divine Emmy” 」とも称されています。メトロポリタン歌劇場には1908年から1920年の 12年間に340回出演し、『蝶々夫人』14回、『西部の娘』24回、『売られた花嫁』23回、『アイーダ』53回、歌っています。





*参考文献の一覧は≪目次≫をご覧ください。 


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