プッチーニ:『蝶々夫人』
第8章 『蝶々さん』歌姫列伝
フローレンス・イーストン

フローレンス・イーストン
(Wikipedia polskojęzyczna.より)
フローレンス・イーストン( Florence Easton:1882年 - 1955年 )
『蝶々夫人』のメトロポリタン歌劇場初演以来、蝶々さんといえばジェラルディン・ファーラーが圧倒的な存在感を誇っていますが、『蝶々夫人』が1906年10月15日にヘンリー・サヴェージ率いるキャッスル・スクエア・オペラ・カンパニーがワシントンD.C.で米国初演された時にそのカンパニーで歌っていたうちのひとりがフローレンス・イーストンでした。このカンパニーでは、主役を3人のソプラノ歌手で回しながら米国各地で『蝶々夫人』の巡業公演(英語歌唱:全公演約50回)をしていて、現存するプログラム(配役表)から判断するとイーストンは2番手(エルザ・ザモシがプリマ)だったようです。そのカンパニーがニューヨークで企画した『蝶々夫人』の特別公演(3つの幕をそれぞれ異なるソプラノ歌手が歌う)で、イーストンは第1幕か第2幕を歌ったとされています(1906年12月)。そしてその公演の客席には、ジェラルディン・ファーラー、エンリコ・カルーソーなどといった面々が訪れていました。彼らはその時、メトロポリタン歌劇場での同作初演(翌年2月11日)に向けて準備を進めていた歌手たちでした(FJ
Szabó 著『The Record Collector Volume 66 No.1 』2021)。
つまり、ファーラーはフローレンス・イーストンらの演奏をメトロポリタン歌劇場での初演の直前に聴いていたことがわかります。
イングランドのミドルズブラ、サウスバンクに生まれたフローレンス・イーストンは、1903年にコヴェント・ガーデンのロイヤル・オペラ・ハウスで『蝶々夫人』の主役を歌って成功を収めています。1905年11月、ヘンリー・サヴェージのイングリッシュ・グランド・オペラ・カンパニーと共にボルチモアで『リゴレット』のジルダ役でアメリカデビューを果たしています。次いで、サヴェージの『蝶々夫人』巡業に途中から呼ばれ、ワシントンD.C.における米国初演に次ぐ2回目の公演で蝶々さんを歌っています(1906年10月27日)。元々参加していたソプラノ歌手が米国初演で歌わせてもらえなかったと腹を立ててその翌日に契約を破棄したため、イーストンに声がかかったとされています。
ロンドンのロイヤル・オペラ・ハウスで1909年Winter Season(1月16日〜2月16日)で『蝶々夫人』を5回上演しています。
その後1915年に、シカゴ・グランド・オペラ・カンパニーでワーグナーの『ジークフリート』でブリュンヒルデ役を演じ、その堂々とした歌声と劇的な迫力で批評家から絶賛されています。1915年から1917年のシーズンにかけて、ヴェルディの『アイーダ』、プッチーニの『トスカ』、『蝶々夫人』などいくつかの重要な役で出演し、ドラマティックな要求と叙情的な要求の両方に対応できる多才な主役ソプラノとしての地位を確立しています。
リヒャルト・シュトラウスから『エレクトラ』や『ばらの騎士』のゾフィーなどの役について個人的な指導を受けてもいますが、フランスやイタリアのオペラからワーグナー作品まで幅広いレパートリーを網羅していました。また、ヴェルディの『アイーダ』のアイーダ役をリハーサルなしでわずか48時間で習得したとか、やはりリハーサルなしで『トリスタンとイゾルデ』のイゾルデ役を初めて演じたといった伝説の持ち主でもあります。また、1927年には2週間にわたって『アンドレア・シェニエ』のマッダレーナ、『ジョコンダ』、『ユダヤの女』のラチェル、『蝶々夫人』、そして『ばらの騎士』の元帥夫人を歌い、どの歌唱についても一貫して批評家から高い称賛を得たとも言われています。
フローレンス・イーストンのメトロポリタン歌劇場デビューは1917年でマスカーニの『カヴァレリア・ルスティカーナ』のサントゥッツア役でした。イーストンはこの歌劇場で通算354回の出演を果たし(1917年〜1936年)、41の役を歌い、そのうち『蝶々夫人』は25回歌っています(1920年〜1929年)。ジェラルディン・ファーラーの『蝶々夫人』最終公演が1922年4月7日ですので、最初の2年間程はわずか4回しか歌わせてもらえませんでしたが、その後継者として十分その役を務めたとされています。ファーラーが去った半年後の最初の『蝶々夫人』で歌ったイーストンの歌唱について、『トリビューン』紙掲載:H.
E.
クレビールによる批評『プッチーニのオペラに初出演、蝶々さん役に新たな愛らしさと劇的な力強さをもたらす』が残っています(1922年11月24日)。
「昨日午後、メトロポリタン歌劇場での公演を耳にした大多数の人々にとって、実質的にフローレンス・イーストンが蝶々さん役としてデビューを飾った瞬間であったと言えるだろう。「蝶々夫人」と言えば、ジェラルディン・ファーラーを思い浮かべるのが常だったのだ。 (中略) イーストンは1907年2月にメトロポリタン歌劇場でイタリア語版が初演される3ヶ月前に、ガーデン・シアターにて英語上演版の同作を歌っている。(中略)ミス・ファーラーほどにその役にふさわしい容姿を備え、愛らしい愛嬌や胸を打つ哀愁をその身のこなしで表現しきった歌手は、他にいないだろう。 (中略)
「昨日午後、メトそれゆえ、こうした状況にもかかわらず、昨日のミス・イーストンの演技こそ我々がこれまでに目撃し、耳にした中で最も美しいものであったと断言するのは大胆なことと言えるかもしれない。 (中略) 彼女が演じた「蝶々さん」は、ジョン・ルーサー・ロング、デヴィッド・ベラスコ、プッチーニ、そしてその台本作家たちが創造した人物像そのものであり、同時に、それ以上の何かでもあった。彼女は、彼らが「マダム・クリサンテーム(お菊さん)」に吹き込んだ心にさらなる深みを与え、西洋人の共感を呼ぶ存在へと昇華させた。しかも、その役柄が孕む時代錯誤的な要素を観客に忘れさせるほどの見事な手腕によって、それを成し遂げたのである。(中略)
「昨日午後、メト彼女は、愛し、信頼し、希望を抱く女性へと、そして悲劇の犠牲者へと成長していきます。その過程はあまりにも自然な歩みであり、歌や台詞、そして演技に込められた真実味はあまりにも説得力に満ちていたため、私たちは彼女が否応なしに呼び起こす感嘆と感動に、喜んで身を委ねずにはいられませんでした(
The Metropolitan Opera Archives )。」
またこの7年後、『蝶々夫人』のメトロポリタン歌劇場200回目の公演で、チャールズ・D・アイザックソンは『ニューヨーク・テレグラフ』紙に次の批評を書いています(1928年11月29日)。
「昨日の公演で蝶々さんを演じたのはフローレンス・イーストンでした。この日本人女性の役を演じるにあたり、彼女は歌手として極めて不利な条件を抱えていました。彼女はその役にふさわしいタイプではなかったのです。背が高すぎ、あまりにもヨーロッパ人然としていました。日本人の所作を真似て雰囲気こそ捉えてはいましたが、本質的にその身のこなしを自分のものにしていたわけではありません。しかし、彼女はこのオペラにおいて素晴らしい女優ぶりを発揮し、観客はそこに蝶々さんの持つ脆さ、強さ、繊細さ、そしてその人間性を感じ取ることができました。イーストンは終始見事な歌唱を披露しましたが、この公演においては、その歌唱の素晴らしささえもドラマの力強さの陰に隠れてしまうほどでした(
The Metropolitan Opera Archives )。」
*実はイーストンにとって『蝶々夫人』はこれがメトでは5回目の出演でした。おそらく、ジェラルディン・ファーラーが急病とかでキャンセルした際の急な出演だったために印象に残る演技歌唱ができなかったのではないでしょうか。或いは記者が聴いた公演がたまたまその日だった?
イーストンのお気に入りの役であった『蝶々夫人』に彼女は300回以上出演したとされていますが、ほぼ同時期に活躍した三浦環と共に『蝶々夫人』の普及につとめた立役者とも言えます。イーストンが歌う「ある晴れた日に」は
YouTube で聴くことができます(録音年不詳)。
なお、イーストンは、1918年12月14日にメトロポリタン歌劇場で行われたプッチーニのオペラ『ジャンニ・スキッキ』の世界初演でラウレッタ役を演じていて、有名なアリア「O
mio babbino caro(私のお父さん)」を最初に歌った歌手としても知られています。同じ年に録音された彼女が歌うアリアは
YouTube で聴くことができます。
この初演に作曲者プッチーニはメトロポリタン歌劇場に立ち会ってはいませんでしたが、『イブニング・サン』紙にはW. J.
ヘンダーソンが次のような賛辞を掲載しています。
「この夜の白眉と言えるのは、おそらく、スキッキの若い娘が膝をついて彼に捧げる、半ば真剣な祈りの歌でしょう。彼女はそこで、恋人とその恋人の強欲な年長者たちのために必死の嘆願をするのです。ここでは、純粋な旋律が響き渡ります。それは、街頭のバラードを思わせるほど哀愁を帯びた優しい調べでありながら、同時に茶目っ気と気品に満ちており、イーストン嬢はこの歌で大成功を収め、アンコールに応えることとなりました。彼女の歌唱と演技は、今回の一連の初演作品の中でも、文句なしに最も素晴らしいものでした。その美しい歌声と容姿、そして終始堂々とした立ち居振る舞いは、舞台に登場するたびに観客の視線と耳を釘付けにしました(
The Metropolitan Opera Archives )。」
なお、この『三部作』の3番目の『ジャンニ・スキッキ』の前に上演された『修道女アンジェリカ』は不評だったとされ、その主役アンジェリカ役はジェラルディン・ファーラーでしたが、同批評では「この短い悲劇が好印象を残したとすれば、それはひとえにジェラルディン・ファーラーの功績である。 (中略) 彼女は気高く、見事に演じきった。声の調子は決して万全とは言えなかったが、彼女はその役柄を力強く体現し、観客を物語の世界へと見事に引き込んだ。」と懸命にファーラーを擁護しています。
*参考文献の一覧は≪目次≫をご覧ください。
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