プッチーニ:『蝶々夫人』
第8章 『蝶々さん』歌姫列伝
ロージーナ・バックマン

ロジーナ・バックマン
(Dictionary of New Zealand Biography)
ロージーナ・バックマン( Rosina Buckman:1881年 - 1948年 )
ニュージーランド出身のソプラノ歌手で、第一次世界大戦中にプリマドンナとなり、後に王立音楽院で声楽の教授を務めました。第二次大戦中にトマス・ビーチャムの劇団に入り、そこで彼女は標準的なレパートリーのほとんどを歌い、そのすべての作品で高い評価を得ていました。そのうち最も大きな成功を収めたのは『蝶々夫人』のタイトルロールとワーグナーの『トリスタンとイゾルデ』のイゾルデ役であり、後者では多くの批評家から英語で上演された中で最高のものとみなされていました。バックマンは、英語歌唱による最初の『蝶々夫人』の全曲録音(1924年)をしています(ユージン・グーセンス指揮ロイヤル・アルバート・オーケストラ)。YouTubeで聴くことができます。
1919年5月にロイヤル・オペラ・ハウス(コヴェント・ガーデン)が戦後再開されると、バックマンはオーストラリア出身のソプラノ歌手ネリー・メルバと交代でプッチーニの『ラ・ボエーム』の主役ミミを歌っています。コヴェント・ガーデンでその後12ヶ月の間に上演された数々のオペラの中で、彼女は『蝶々夫人』のタイトルロールを英語で演じたのですが、その公演は、常連の観客たちにとってある種の「啓示」とも言えるものでした。というのも、普段はおしゃべりをしがちな1階席やボックス席の観客たちが、その時ばかりは静まり返っていたからです(Peter
Downes “ Rosina Buckman', Dictionary of New Zealand Biography, first
published in 1996 )。
なおこのネリー・メルバは、ロンドンでデヴィッド・ベラスコの戯曲『蝶々夫人』を観るようプッチーニに勧めた人物で、これを観たプッチーニは蝶々さんにすっかり魅了され、直ぐに作曲の準備を始めたとされています。彼女の働きかけが無かったら『蝶々夫人』は生まれなかったかもしれません。メルバはプッチーニから『蝶々夫人』のタイトルロールについて学びましたが、結局この役を舞台で演じることはなかったそうです。彼女は1893年から1910年までニューヨークのメトロポリタン歌劇場で歌っていますが(238回)、蝶々さんは一度も歌っていません。メトは1907年にこのオペラを初演していますが、蝶々さんはほぼすべてジェラルディン・ファーラーが歌っています。メルバは、「ピーチ・メルバ」というバニラ・アイスクリームの下地にバニラ・シロップ漬けの桃を乗せ、ラズベリー・ソース、アーモンドのスライスを掛けたデザートにその名を残していることでも知られています。
*1900年の7月、プッチーニはオペラ『トスカ』の英国初演のために6週間滞在しています(初演は大成功で作曲家自身「完璧な勝利!」と手紙で書き送っています。)。その時にヨーク公劇場で上演されていたデヴィッド・ベラスコの戯曲『蝶々夫人』を観に行っています。終演後、感動したプッチーニは楽屋に押しかけて初対面のベラスコに抱きつき、オペラ化の許可を迫ったとされています。
このバックマンが活躍する前、ロンドンが空襲を受けた時にロイヤル・オペラ・ハウスで『蝶々夫人』を歌っていたのが三浦環でした。三浦環は第二次大戦でロンドンを離れますが、もし戦争がなかったらどうなっていたのでしょうか。バックマンと三浦環のふたりの蝶々さんの競演が聴けたのかもしれません。
*参考文献の一覧は≪目次≫をご覧ください。
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