プッチーニ:『蝶々夫人』

第2章 『蝶々夫人』の楽譜は「作業文書」?

 
         Storchio  Storchio

ロジーナ・ストルキオ(1904年)
「ねぇ皆さん、私は愛の呼び声に応えてやって来たのよ(第1幕:左)。」
「今は幸せです(第1幕:右)。」(Teatro del Giglio 2004-5より)


 プッチーニはこの『蝶々夫人』に対していくつかの版を書いています。何回も書き直した名作オペラといえばベートーヴェンの歌劇『フィデリオ』のことを思い浮かべます(3つの版がある)。オペラの作曲においてはシロウト同然のベートーヴェンと比べられたとなるとプッチーニは怒るかもしれませんが、近年ではベートーヴェンの第1稿(レオノーレ1805年版)、第2稿(レオノーレ1806年版)、第3稿(フィデリオ 1814年)のすべてが演奏される状況になっているのと同様に、『蝶々夫人』の異稿も少しずつ演奏されるようになっているようです。
*ベートーヴェンの歌劇『フィデリオ』は、1905年にリヒャルト・シュトラウスの指揮で第1初演版が上演されてから、その後も度々演奏されて録音(ヘルベルト・ブロムシュテット指揮シュターツカペレ・ドレスデン1976年録音など)や映像収録(ライアン・ブラウン指揮 オペラ・ラファイエット2020年)も行われています。また第2初演版の正規録音はまだ行われてはいないようですが、2005年にクリスティアン・アルミンク指揮の新日本フィルハーモニー交響楽団によって日本初演されています。

 現在、多くのオペラハウスで上演される『蝶々夫人』は「いわゆる『第5版』、すなわち最終稿で上演されます」といった『』付きの言い方がされています。何やら曰くがありそうではあります。プッチーニの作品はシュトゥットガルト出身の著名なプッチーニ研究者で知られるディーター・シックリングの名前から取った「SC(Schickling Catalog Number)」の記号が割り当てられていて、『蝶々夫人』は「SC74」とされています。それに従って出版された版にA,B,C・・と枝番をつけているのですが(誰がつけたかは不明です。)、初演時の第1版(SC74.A)と次の第2版(SC74.B)までは確認できるのですが、それ以降はどうもはっきりしません。つまり、SC74.CやDがどの版に当たるのかがいくら調べても回答が得られないのです。

 シックリングは次のように述べています。

 「1968年にセシル・ホプキンソンの文献目録が出版されて以来、プッチーニ評論家たちは、1904年から1907年にかけてリコルディ社から出版された声楽版に基づいて、『蝶々夫人』の4つの異なる版を区別しました。(中略)

@ ミラノ・スカラ座でのオペラ初演時に使用された版(初版、1904年1月刊行)
A 1904年5月28日にブレシアで上演された版(第2版、1904年4月刊行)
B 1905年7月10日にイタリア語で上演された英国初演用に作成された版(英語版、1906年5月刊行)
C 1906年12月28日にパリのオペラ・コミック座で行われたフランス初演用に作成された版(フランス語版、1906年秋刊行)。これは現在も上演されているイタリア語版に相当します(ディーター・シックリング著『いわゆる「蝶々夫人」の様々なバージョン』)」。
*シックリングは「SC74.A」などの分類は使用せず、独自の番号を振っていますが(74.E.1〜74.E.7)、少々複雑でわかりづらいのでここではその番号は使用しません。

 しかし、シックリングは新たに発見された総譜などからこの4版に分類することはできないとして次のように述べています。

 「(これらの発見は)『蝶々夫人』について明確に定義された版を語ることは不可能であることを示しています。むしろ本作は生成の過程にある作品であり、上演のサイクルごとに絶えず変化し続けるものであって、その真の姿は出版されたスコアに部分的に反映されているに過ぎません。さらに、出版されたピアノ・ヴォーカル・スコアとして記録されたどの版も、研究者がそれらと結びつけている特定の上演において、楽譜通りに演奏されたわけではないことも明らかです。印刷されたヴォーカル・スコアは、当時のプッチーニの意図を事後的に切り取ったスナップショットに過ぎないのです(ディーター・シックリング著『いわゆる「蝶々夫人」の様々なバージョン』)。」

 プッチーニは、世界初演に向けたリハーサルの最中にもかかわらず譜面に対して変更を加え続けていたとされています。つまり第1版の通りには上演されなかったことになります。初演の失敗を受けてからは3ケ月後のブレシア公演に向けて大幅な改訂に取り組むことになります。さらに、ブレシア公演後も改訂作業は延々と続きます。ディーター・シックリング自身も『蝶々夫人』の版について、
 
 「(新たに発見された楽譜は)明確に定義された版を語ることが不可能であることを示しています。むしろ、上演サイクルごとに変化し続ける進行中のオペラであり、出版されたスコアにはその変化の姿は部分的にしか反映されていません。研究者たちがそれぞれの版を特定の公演と結びつけているものの、どの公演も楽譜通りに完全に上演されたわけではないことを明らかにしています。つまり、印刷されたスコアは、当時のプッチーニの意図を後になって切り取ったスナップショットに過ぎないのです。・・・プッチーニがどの版を正しいと考えていたかを判断することは不可能であり、彼が関わったすべての公演は常に彼にとっての試みだったのです。従って世界初演を除けば、「決定版」と他を区別できるものは存在しないのです( ディーター・シックリング著『いわゆる「蝶々夫人」の様々なバージョン』)。」

としています。プッチーニ研究者にしては随分無責任な言い方ですが、こんな新聞記事もありました。プッチーニの譜面の出版に関わってきたリコルディ社のアーカイヴのマネージング・ディレクターであるピエルルイージ・レッダ氏はタイムズ紙のインタビューでこう語っています。

 「未完に終わった『トゥーランドット』を除き、プッチーニは初演の結果を踏まえてすべてのオペラを改訂しました。今日では楽譜は神聖なテキストとみなされていますが、実際には作業文書だったのです(2016年12月6日付 The New York Times)。」

 「作業文書」、原文の英語は ” working documents “ となっています。この記事の中には、『蝶々夫人』ではないですが、指揮者のリッカルド・シャイーが、オペラ『トスカ』のオリジナル版に8小節の新しい小節が含まれていることについての興味深い発言も紹介しています。

 「なぜそれらが削除されたのかは定かではありません。それは歴史家たちが解明することでしょう。しかし、このことは、学ぶべきことがまだどれほど多く残されているかを私たちに気づかせてくれます。プッチーニは、今なお素晴らしい驚きを秘めているのです(2016年12月6日付 The New York Times)。」

 作曲家が自らの手で改訂した作品にはこの『蝶々夫人』や『フィデリオ』の例を待たず、メンデルスゾーンのいくつかの作品、ワーグナーの『リエンツィ』、ヴェルディの『ドン・カルロ』、ブルックナーの交響曲はもちろん、シューマンの4番、プロコフィエフの4番、マーラーのカンタータ『嘆きの歌』や交響曲第1番、ストラヴィンスキーの『火の鳥』、『ペトルーシカ』、詩篇交響曲、ディヴェルティメント、ショスタコーヴィチの『ムツェンスク郡のマクベス夫人』やバレエ音楽とその組曲など枚挙に暇がありません。演奏時間の短縮やオーケストラ編成の縮小拡大、そろばん勘定、初演時に受けた批判など、その理由は様々ですが、上記の異版を演奏する側からするとシャイーが言う「素晴らしい驚き」は確かに感じるところではあります。

 次の章からは、『蝶々夫人』の改訂と上演の記録を、主にディーター・シックリングの遺した著作物を元に整理してみようと思います。
 



*参考文献の一覧は≪目次≫をご覧ください。 


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