プッチーニ:『蝶々夫人』

第8章 『蝶々さん』歌姫列伝
ソロミヤ・クルシェルニツカ

 
                     Krusceniski

ソロミヤ・クルシェルニツカ
(cantabile - subitoより)


ソロミヤ・クルシェルニツカ( Solomiya Krushelnytska :1872年 - 1952年 )
 1872年9月23日、当時オーストリア=ハンガリー帝国領だったテルノーピリ地方の小さなウクライナの村で生まれました。幼い頃から音楽の研鑽を積み、1893年にプロとしてデビューを果たしました。1896年にはティフリス(トビリシ)歌劇場でヴェルディの「運命の力」のレオノーラ役で歌い、1898年にはパルマで『ローエングリン』のエルザ役と『ラ・ボエーム』のミミ役でセンセーションを巻き起こしました。数々の賞や栄誉の中でも、特に『20世紀のワーグナーの歌姫」という称号はよく知られています。1898年から1902年まではワルシャワ歌劇場でプリマドンナとしてアイーダを始め多くの役を演じました。1902年にはパリで再び『ローエングリン』に出演して大成功を収め、公演後フランスの新聞は「ソロミヤ・クルシェルニツカは一夜にしてパリを征服した」と報じています。

 クルシェルニツカは瞬く間に世界有数のオペラ歌手となり、欧米の主要な歌劇場で活躍しました。そのレパートリーは8つの言語にわたり、実に63もの役を演じたとされ、わずか2日で新しいオペラの役を覚え、さらに3、4日でその役の人物像を作り上げることができたとされています。イタリアの音楽学者R・コルトパッシは、オペラ芸術史における彼女の存在を次のように定義しています。「20世紀初頭の数十年間、世界のオペラ界ではアンドレア・バッティスティーニ、エンリコ・カルーソー、ティッタ・ルッフォ、フョードル・シャリアピンという4人の歌手が君臨しました。彼らのレベルに達した女性はただ一人、ソロミヤ・クルシェルニツカでした。」

 『蝶々夫人』がスカラ座での初演失敗のわずか3か月後に行われたブレシアでの再演(1904年5月28日)で主役を歌ったのがソロミヤ・クルシェルニツカでした。公演は大成功で、『蝶々夫人』の救世主となったことでその名を歴史に刻んでいます。プッチーニは彼女に「最も美しく魅力的な蝶々さんへ」という賛辞を添えた自分の肖像画を贈っています。

 次いで彼女は、1906年にはミラノのスカラ座で、アルトゥーロ・トスカニーニが指揮するリヒャルト・シュトラウスの『サロメ』に出演して称賛を集めています。それまでこの踊りはスタントダンサーが演じていたのですが、クルシェルニツカは自ら演じることを強く主張し、何週間も練習を重ねて見事に踊りきったため、観客は完全に魅了されたそうです。さらには『エレクトラ』(1907年スカラ座初演)、『アイーダ』、『ラ・ジョコンダ』などを歌っています。第二次大戦中はウクライナのリヴィウでナチス・ドイツやソヴィエト軍によるポーランド侵攻に巻き込まれましたが、その後リヴィウ音楽院で教えたこともあり、リヴィウ歌劇場は彼女の名前にちなんで「ソロミヤ・クルシェルニツカ国立歌劇場」改名されています。また、ウクライナ西部のテルノーピリ州にはソロミヤ・クルシェルニツカ記念碑も建っています。

 クルシェルニツカはブレシアでの上演以降、ボローニャ市立劇場(1905年10月29日)、カイロ(1905年)、トリノ・レージョ劇場(1906年1月2日)、ローマ歌劇場(1909年1月27日、28日、30日)で『蝶々夫人』を歌っています。

 ボローニャ市立劇場では妨害工作を警戒して指揮者のアルトゥーロ・トスカニーニが、「最も才能があり、名声のある」音楽家を厳選し、視界を遮ったり観客同士の口論を引き起こしたりする可能性のある、派手でかさばる帽子をかぶった女性の入場を禁じたとされています。また、このボローニャにおいては『蝶々夫人』は聴衆の支持を得るまでには紆余曲折があったとして、「1905年10月29日に行われたボローニャ初演は、アルトゥーロ・トスカニーニの指揮、ソロミヤ・クルシェニツカのタイトルロールという豪華な顔ぶれであったにもかかわらず、満場一致の称賛を博すには至りませんでした(この時の上演版は、ミラノでの初演失敗から3ヶ月後の1904年5月28日にブレシアで披露された版に基づいていたものと見られます)。その後、1938年11月15日の公演(指揮:ジーノ・マリヌッツィ、蝶々さん役:リチア・アルバネーゼ)は、極めて温かい歓迎を受けた(Bologna - Teatro Comunale: Madama Butterfly by Silvano Capecchi 2020 )。」とされています。

 クルシェルニツカは愛国心を高く持った演奏家で、ロシア帝国を声高に批判するなどウクライナの独立運動を支持していました。常にウクライナとその伝統を世界に訴え続けていたことでも知られていました。ロシア皇帝のためのコンサートでさえ、その最後はウクライナの歌で締めくくったとされています。『蝶々夫人』をクルシェルニツカによって救われた作曲家プッチーニは一時期彼女の隣町に住んでいて、頻繁に彼女の家に立ち寄っていたそうです。

 ソロミヤ・クルシェルニツカが歌う『蝶々夫人』のアリア「ある晴れた日に」は YouTubeで聴くことができます。この演奏に対してジュゼッペ・ピントルノ次のように評しています。 YouTubeはこちらです。

 「第2幕の有名なアリアの録音(1907年頃)が残されていますが、それを聴くと、彼女が極めて知的に声を操っていたことが窺えます。彼女は豊かな音色を駆使し、単に声を押し出すような歌い方を避け、自身の声が持つドラマティックな側面よりもむしろリリカルな特質を活かしています。作曲家の立ち会いのもとでこの役を演じたという事実、そしてその後も長く続いた作曲家一家との親交は、彼女の解釈がいかに優れたものであったかを裏付けているのです(『『蝶々夫人』〜プッチーニ的歌唱の理想を求めて』MADAMA BUTTERFLY, TEATRO DEL GIGLIO STAGIONE LIRICA 2004-5)。」



*参考文献の一覧は≪目次≫をご覧ください。 


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