プッチーニ:『蝶々夫人』
第4章 ピンカートンの名前の謎

E. サケッティが描いた『蝶々夫人』初演のリハーサルに臨むプッチーニと歌手たち
左から、ジョヴァンニ・ゼナテッロ(ピンカートン)
ロージーナ・ストルキオ(蝶々さん)、ジュゼッペ・デ・ルカ(シャープレス)
「F.B.ピンカートン」 vs 「B.F.ピンカートン」どっちが正しい?
第1幕で、蝶々さんがお友達にピンカートンを紹介する時、「F.B.ピンカートン様よ、おじぎして!」と声をかけます。また、ピンカートンに自分の持ち物のことで話しかける時も、「F.B.ピンカートン様」と言います。しかしその直ぐ後、帝国の役人(神官)が婚礼の儀式の中で、「新郎、ベンジャミン・フランクリン・ピンカートン(
Benjamin Franklin Pinkerton )
砲艦リンカーン号の副官、北アメリカ合衆国海軍」と新郎の名を呼び上げるのですが、これですと「B.F.ピンカートン」で「F.B.」は逆であり間違いとなります。ところが、この婚礼の儀が終わった直後にお友達から「マダム・バタフライ」と声を掛けられると、蝶々さんは相変わらず「マダム、F.B.ピンカートンよ」と応えるのです。これはどういうことでしょうか。
アルファベットが苦手な蝶々さんの言い間違いと思いきや、なんとこの第1版の婚礼の場面では、ピンカートンの名前は「フランシス・ブラミー・ピンカートン(
Sir Francis Blummy Pinkerton
)」と呼ばれているのです(第1版ではこの婚礼の儀でピンカートンの名前が言われるのは帝国の役人(神官)とシャープレスによる2回ですが、現行版では役人のみの1回きりです。余談ながら第1版では、役人がこれに続いて「タカサゴ」と「ハナコ」という謎の二言を発します。)つまりピンカートンの名前は「 F.B.ピンカートン」であり、蝶々さんは間違っていなかったのでした。第1版の後の版で、婚礼の儀での祝詞では名前を「ベンジャミン・フランクリン」に変更したのに、その前後で蝶々さんが発するピンカートンの名前のイニシャルを直し忘れたと考えられるのです。
ところがさらに混乱させることが判明しまして、アメリカの劇作家デーヴィッド・ベラスコが書いたこのオペラの原作である戯曲『蝶々夫人』では、ピンカートンの名前はなんと、「中尉
B.F.ピンカートン」となっているのです。但し、「ベンジャミン・フランクリン」とは書かれてはいないようです。これについて、ルカ・G・ロージによると、「イッリカがなぜかイニシャルの「B.F.」を「F.B.」と入れ替えてしまった」、と述べています。ロージはさらに続けます。
「1907年2月12日付のニューヨーク・タイムズ紙は、アメリカ海軍中尉(すなわちカルーソーが歌った役)の名が「サー・フランシス・ブラミー・ピンカートン(Sir
Francis Blummy Pinkerton)」であったと報じています(New York
Times)。このことから、メトロポリタン歌劇場のカンパニーは、ブレシア版の最初期の刷り(初版)の楽譜を使用していたものと考えられます(ルカ・G・ロージ
著 『ファーラー版「蝶々夫人」?』 )。」
ブレシア版より前の版である初演版を復刻して演奏されたCDや映像によると、「フランシス・ブラミー・ピンカートン」と聴こえますので、イリッカが入れ替えたの初演より前で、或いは戯曲を台本化する時だったのかもしれません。その意図が何だったのかはわかっていません。そもそもデーヴィッド・ベラスコは「B.F.」を何の略としたのかも定かではありません。
*プッチーニのオペラの台本は、ジュゼッペ・ジャコーザとルイージ・イッリカによって作成されています。ブレシア版については後の章で解説します。
以上のことから、原作は「B.F.」だったのに、オペラ化するにあたり、「F.B.」に変更され、ミラノ初演とブレシアの再演の時も、しかもその3年後のニューヨークでも「F.B.」であったピンカートンは、いつの間にか帝国の役人(神官)から「ベンジャミン・フランクリン・ピンカートン」と呼ばれるようになったということになります。「フランシス・ブラミー」から「ベンジャミン・フランクリン」に変更した理由や何時どの版で変更したかはわかっていません。
アメリカで上演する計画もあったため、アメリカ人なら誰でも知っている有名な「ベンジャミン・フランクリン」にしたほうがいいと考えたのかもしれませんが、ニューヨーク・タイムズ紙には「サー・フランシス・ブラミー・ピンカートン」と報道されていますのでその説は成り立ちません。ピンカートン副官が乗ってきた船の名前が「エイブラハム・リンカーン号」だから何かのタイミングでアメリカの偉人の名前を使ってバランスを取ろうと、ニューヨーク公演の後に変更したのでしょうか。
*デヴィッド・ベラスコの原作『蝶々夫人』では砲艦の名前は「戦艦コネティカット号」となっています。
全曲中でこの箇所でしか「ベンジャミン・フランクリン」と発せられないのですが、配役表には現在でも「 F.B.Pinkerton
」と書かれることが多く、意外とこの違いについてはスルーされているようです。海外で録音されたCDやビデオ収録における蝶々さんの多くは、帝国の役人(神官)が「
Benjamin Franklin Pinkerton 」と言っているのにも関わらず蝶々さんは「 F.B.Pinkerton
」と歌っています。
*例外的には、1967年9月12日に放送用としてスタジオ録音された『蝶々夫人』で蝶々さん役を歌ったレナータ・スコットは「B.F.Pinkerton」としていて、「B」をかなり強調して発音しています。さらに1966年にジョン・バルビローリ指揮で商業録音した時や1987年のフルトン指揮メトロポリタン歌劇場の放送録音のときも同じ「B.F.Pinkerton」でしたが、1978年のロリン・マゼール指揮との商業録音では「F.B. Pinkerton」と歌っています。スコットの拘りか、指揮者の希望か、演出家の気まぐれかはわかっていません。
なお、日本国内で『マダマ・バタフライ』の改訂を独自に行った岡村喬生氏によると「パリ版で原語がフランス語読みになってしまい、それがそのまま残ったから」「 F.B.ピンカートン」になったとして、すべて「B.F.ピンカートン」に統一しています(岡村喬生『何がどう間違っていたのか?「マダマ・バタフライ」の改訂』
2004年度公演『改訂版/蝶々さん』再演)。真相はどうだったのでしょうか(第1版が復刻されたのが1982年であり、岡村氏は「フランシス・ブラミー」のことは知っていたのでしょうか。)。
作曲中のプッチーニがリコルディ社にあてた手紙(1903年4月23日付)には、「 F.B.Pinkerton
をいかにもアメリカ人らしく歌わせるよう、最善の努力をつくしています(ジュリアン・バッデン著『ジャコモ・プッチーニ、生涯と作品』)。」と書いてありますので、作曲をしている間の作曲者の頭の中には「フランシス・ブラミー・ピンカートン」に対して「 F.B.ピンカートン」という呼び方をしていたことがわかります。蝶々さんが「F.B.Pinkerton」とわざわざ「 F.B.」を付けて歌っているは(第1幕で3箇所)、おそらく作曲家の頭の中で「ピンカートン」と歌う時に「 F.B.」をつけて「 F.B.Pinkerton」とつなげた方が歌いやすい(発音しやすい)或いは節をつけやすいと考えていたからではないでしょうか。
余談ですが、「アメリカ建国の父」で知られるベンジャミン・フランクリンは避雷針の発明者としても有名でしたが、グラスハーモニカの発明者でもありました。1835年に作曲されたドニゼッティのオペラ『ランメルモールのルチア』ではグラスハーモニカの使用が指定されています。プッチーニは当然そのことは知っていたはずで、もしその発明者がアメリカのベンジャミン・フランクリンだったことも知っていたとすると、ピカートンの名前を「ベンジャミン・フランクリン」に変更した時点でグラスハーモニカを使ってみようと思いついくことがあったかもしれません。この名前が出てくる婚礼のシーンには既にある打楽器に音符が与えられていて、それをグラスハーモニカに置き換えるには少々無理があると考えたのでしょう。このグラスハーモニカ説は筆者の妄想ですが、ここの打楽器については日本の関係者の中では議論になっています。
日本の小さな鐘と桜
第1幕のこの婚礼の儀で帝国の役人(神官)が「ベンジャミン・フランクリン」を含む祝詞を口上する間に「 Campanelle Giapponesi
(日本の小さな鐘)」という楽器が何度か鳴らされます。これはプッチーニが日本の雰囲気を出そうと考案したらしい楽器で、4つの音程(「ド」と「ミ」とそのオクターヴ上の「ド」と「ミ」)を持つ金属の板を叩く(常に「ド+ミ」の重音で)ことになっています。これについて指揮者の内藤彰氏はこの楽器を「風鈴」とみなして次のように述べています。
「夏のように暑い日に、舞台上から鳴って来るという条件を満たす『日本の小さな鐘』は、舞台上に唯一存在する彼女の家の軒先に吊るされている『風鈴』以外あり得ない。季節はおそらく初夏であろう(総譜上に書かれてある桜は、彼の中では夏に咲く花なのだろう。富士山が長崎の背景に描かれているような外人ならではのご愛敬と解釈しよう!)。ヨーロッパではその楽器が何であるか判らないまま、巨匠指揮者が苦し紛れに全く場違いなヴィブラフォンを風鈴の替わりに鳴らしたことから、他の指揮者もその多くが、訳の分からないままそれを模倣してきた。日本国内でも、長くその物真似をしてきたが、日本人からすると極めて滑稽な過ちである。(内藤が超名曲の常識を斬る‼
内藤彰 『蝶々夫人』)」
この第1幕で、蝶々さんが登場してすぐに発する言葉に、「遊び心あふれる春(primaver)の息吹が、海と陸を吹き渡っているわ。」というのがあり、さらに一緒に登場するお友達が「なんてたくさんの花!」と感嘆することからこのシーンでは桜の花が咲き乱れている舞台造りをするのが一般的です(歌詞は「桜」ではなく、すべて「花(fior)」となっていますが)。つまりこの幕の季節は春となっているので、桜が咲く季節になぜ風鈴が鳴るのかという疑問も湧きますが、プッチーニに日本の季節感がなかったとすればこの風鈴説は成り立つとも言えます。
しかし、では何故全曲中、帝国の役人(神官)が祝詞を上げる時だけしか鳴らさないのでしょうか。ゴローが「みなさん、お静かに!」と言った時から、新郎、新婦に署名を促し「これですべて終了です。」と言うわずかな間だけに使用される楽器であることを考えると、婚礼という厳粛で神聖な雰囲気を作ろうと作曲家が考えたとするのが自然です。スコアの指定では「sulla
scena=舞台上で」となっていますので、結婚式の場で帝国の役人(神官)かそれに付きそう楽士が打ち鳴らすことを想定していたと考えられます。そうなると、軒にぶら下がっている音程の違う4つの風鈴を舞台上で鳴らすというのは違和感がありすぎるような気がします。
風鈴はむしろ住まいやその周囲の景観に風雅を添えて描写する時などで鳴らした方がいいような気がします(これはあくまで日本人の感覚ですが。)。また、劇中に描かれる日本女性との結婚など所詮お遊びであることを示唆するための楽器という考え方もあるとすれば、やはり風鈴はそぐわないでしょう(風鈴=不倫?)。この楽器が鳴らされた後にハープとフルートが続くことが多いので、代用するならば音色的にはヴィブラフォンよりはグロッケンシュピールが作曲家の意図に近いような気がしないでもありません。プッチーニの頭の中にはどんな音が響いていたのでしょうか。
なお現行版では、「桜(ciliegio)」という台詞は全曲中わずか1回しか出てきません。第2幕で蝶々さんがスズキに「その桜の枝(ronda
di
ciliegio)を揺らすと、花びらが私に降り注ぐわ。」と言う時だけです。この後、部屋に花びらを撒いたり花束を生けたりする時も「桜」ではなく「花(fior)」としています。このシーンでは蝶々さんは「桃、スミレ、ジャスミン・・・低木や草、それに木に咲き誇ったものすべてよ。」と言うことから花は「桜」に限ってはいないことがわかります。プッチーニは「桜」に対して何かイメージを持っていたというより、「花」であれば何でも良かったのではないでしょうか。まさか平安時代以降の日本では「花」と「桜」を同義語として扱われていたことをプッチーニが知っていたとは思えませんから。日本人にとって「桜」といえば淡いピンク色で咲き乱れる春の風物詩とし、桜が吹雪くさままでも美意識の中で捉え、さらにはそれを死生観にまで結び付けてしまいますが、外国人にとってはあくまで数ある「花」のひとつにすぎなかったのでしょう。
*参考文献の一覧は≪目次≫をご覧ください。
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