アンドレ・プレヴィン 〜 GIGI

 
                GIGI 
アンドレ・プレヴィン〜GIGI
1. The Parisians
2. I Remember It Well
3. A Toujours
4. It's a Bore
5. Aunt Alicia's March
6. Thank Heaven for Little Girls
7. Gigi
8. She is Not Thinking of Me 


 このアルバム『GIGI』は1958年4月7日と8日にロサンジェルスのスタジオで録音されていますが、実はその翌月公開されたヴィンセント・ミネリ監督の映画『GIGI(恋の手ほどき)』の音楽をプレヴィンがジャズ・アレンジしたものです。レコードのジャケットに Modern jazz performances of songs from GIGI というタイトルを見ると、2年前の1956年8月17日に同じロスのスタジオで制作されたアルバム『マイ・フェア・レディ』のジャケットと同じであることに気付きます。このレコードのジャケットにもModern jazz performances of songs from MY FAIR LADY というタイトルの書かれ方がしているのです。映画『GIGI』もミュージカル『マイ・フェア・レディ』も共に作曲したのがフレデリック・ロウ、映画『GIGI』とのちに映画化された『マイ・フェア・レディ(1964年)』の編曲と指揮をしたのがアンドレ・プレヴィンであり、どちらの映画でもプレヴィンは音楽部門のアカデミー賞を受賞しています。

 このアルバム『マイ・フェア・レディ』は、ヒットしたミュージカルで歌われるナンバーをまるごとアレンジしてジャズ・アルバムのレコードにするブームの先駆けとなったとされていて、『GIGI』が録音されたのもその勢いに乗ったものと考えられます。なお、プレヴィンは『マイ・フェア・レディ』のアルバムを2度も制作しています。ミュージカルの時と映画の時の2回です。

              マイフェアレディ    マイフェアレディ
       プレヴィン 『マイ・フェア・レディ』  1956年(左)と1964年(右)
 映画の制作に直接関わっていたプレヴィンにとってジャズ・アレンジ・アルバムを作ることはお手の物、まさに自家薬籠中の物であったことでしょう。なお、CDのブックレットによるとこのアルバムはフレデリック・ロウが『GIGI』の映画音楽をスコアに書き記す前に企画されていたそうです。この『GIGI』と『マイ・フェア・レディ』は、舞台化と映画化の順番が違うことに気付かれると思います。このあたりは時系列に混乱が生じやすいのでまとめてみましょう。 

1913年:戯曲『ピグマリオン』
バーナード・ショー作 (『マイ・フェア・レディ』の原作)
1944年:小説『GIGI』
シドニー=ガブリエル・コレット作
1951年:ストレートプレイ『GIGI
ブロードウェイ上演 主演:オードリー・ヘプバーン
1956年:ミュージカル『マイ・フェア・レディ』
ブロードウェイ上演
             作曲:フレデリック・ロウ
1956年:ジャズ・アルバム『マイ・フェア・レディ』
1作目 プレヴィンと仲間たち
1958年:映画『GIGI』 
主演:レスリー・キャロン
             作曲:フレデリック・ロウ、編曲:アンドレ・プレヴィン
1958年:ジャズ・アルバム『GIGI
 アンドレ・プレヴィンと仲間たち
1964年:映画『マイ・フェア・レディ』
 主演:オードリー・ヘプバーン
            作曲:フレデリック・ロウ、編曲:アンドレ・プレヴィン
1964年:ジャズ・アルバム『マイ・フェア・レディ』
2作目 プレヴィンと仲間たち
1973年:ミュージカル『GIGI
ブロードウェイ上演


 映画『GIGI』は、シドニー=ガブリエル・コレット(Sidonie-Gabrielle Colette, 1873 - 1954年)の小説『ジジ』(1944年)に基づくミュージカル映画です。まず、ブロードウェイで舞台化されましたが、その時、原作者コレットはオーディションに自ら立会い、主役にオードリー・ヘプバーンを抜擢したことはつとに知られています。また、ヘップバーンが主役として演じた最初のメジャー作品にもなったのでした。その後、ミュージカル『マイ・フェア・レディ』の試験興行(1954年)の時にこのコレットの小説のミュージカル映画化が発案され、『マイ・フェア・レディ』と同じフレデリック・ロウが作曲し、レスリー・キャロンの主演で1958年に映画上演されました。ミュージカルの舞台化はだいぶ後で、15年後の1973年に上演されています。ここで興味深いのは、どちらの作品もひとりの娘を淑女に仕立てるという筋書きであるということです。
 
               シドニー・コレット    GIGI
      シドニー=ガブリエル・コレット  1951年GIGI(オードリー・ヘプバーン)

 映画『GIGI』はまさにミュージカル『マイ・フェア・レディ』の「柳の下のどじょう」を狙ったものだったのですが、同じヴィンセント・ミネリ監督によるミュージカルの金字塔『巴里のアメリカ人(1951)』でヒロインとして見事なダンスを披露したレスリー・キャロン(『あしながおじさん(1955)』にも出演していました。)が主役の GIGI を演じながらそのダンスの見せ場もなく、フレデリック・ロウも前作ほどの洒落た歌はつけられず、ミュージカル・ファンにとってはやや物足りないものとなってしまいました。社交界の花形になるよう育てられていた少女と大富豪の御曹司の間で揺れ動く恋の行方を描く原作の魅力がいまひとつ伝わらない映画の構成にもどかしさを覚えた方も多いかと思います。アカデミー作品賞以下9部門の受賞も、人気の陰りが出始めたミュージカル映画を盛り返すためのお手盛りと揶揄されることもあるようです。
 
     映画GIGI   映画GIGI
               映画『GIGI』  1958年(レスリー・キャロン)

 ところで、プレヴィンはこのシドニー=ガブリエル・コレット原作のオペラ『子供と魔法』(モーリス・ラヴェル作曲1925年初演)の録音を遺しています。しかも2回(1981年と1997年)も録音していて、オーケストラも共にロンドン交響楽団、録音場所も同じロンドンのアビー・ロード・スタジオ。このオペラの正規録音を二度も行なった指揮者は今のところプレヴィンだけという気合の入れようです。もしかしたら、この映画『GIGI』の制作とアルバム『GIGI』の録音でコレットの作品に魅了され、彼女が書いた原作のオペラ『子供と魔法』の興味へとつながったのかもしれません。

      子供と魔法     子供と魔法
  ラヴェル作曲歌劇『子供と魔法』 プレヴィン指揮ロンドン交響楽団 (1981年と1997年録音)

 シドニー=ガブリエル・コレットは、この映画『GIGI』に先立つ30年前の1914年にパリ・オペラ座の支配人ジャック・ルーシェから、新作バレエの台本を委嘱され、「わが子のためのディヴェルティスマン(娯楽音楽)」と題したプランを練り始めます。しかし、バレエの音楽の作曲はポール・デュカス、イゴール・ストラヴィンスキー、フローラン・シュミット等に依頼されたものの、ルーシェのオファーは相次いで断られてしまいます。最終的にその話しはモーリス・ラヴェルのもとに持ち込まれ、ラヴェルはこれをオペラ化することを提案し、コレットはそれを受け容れたとされています。なお、その台本は第一次大戦でヴエルダン付近に出征中のラヴェル宛に送られたものの途中紛失してしまい、第2のコピーが終戦の年になってようやくラヴェルの元に届いたとのことでした。   
 
        コレット         GIGI
       シドニー=ガブリエル・コレット            小説『GIGI


  シドニー=ガブリエル・コレットはフランスの女流作家で、パリのミュージック・ホールで踊り子であった時もあり、数度の結婚生活の傍ら数々の浮名を流しつつ同姓愛を含む「性の解放」を謳いながらも、第一次世界大戦中はジャーナリストとして活躍し自宅を野戦病院として開放するなど活動的な面を併せ持っていました。生涯44作の小説を書くなど、晩年までその創作の筆は衰えることがなく、この『ジジ』を書き上げ、舞台でヘップバーンを見出した時のコレットは70歳でした。その10年後、シャンパンをひと口啜って息を引き取ったとか。享年81歳。邦訳も早い時期からなされていて、代表作『青い麦』に対して10以上の日本語訳がつけられて出版されています。『ジジ』は『コレット著作集』全12巻(二見書房)の第11巻に収録されている短編小説です。


  さて、本題に入りましょう。『GIGI』は1900年前後のパリ、ブローニュの森の近くに住むジジや大叔母の家などが主な舞台。「ジジ」は本名ジルベルト・アルヴァールの愛称で、15歳と6ケ月の少女。その母親アンドレ・アルヴァールはパリのオペラ=コミック座で歌う二流のソプラノ歌手で、昼からはリハーサル、夜は本番とほとんど家にいないため、同居する祖母のマミタ夫人(原作ではアルヴァレス夫人)がジジのめんどうを見ています。なお、原作ではレハール作曲の喜歌劇『フラスキータ』のセレナード(?)、ドリーブの歌劇『ラクメ』のアリア「鐘の歌」、リストの「わが子よ、もしわたしが王様だったら」といった曲名を想像させる記述があり、それなりの歌手であることがわかりますが、マミタ夫人は歌よりも誰かに気付いて欲しいために舞台に上がっていると決めつけているようです。

  以上は原作からの情報で、映画では母親は全く登場せず、隣の部屋で発声練習をする声が聞こえてくるとマミタ夫人が顔をしかめてドアを閉めるというシーンからしかその存在を窺うことができません。しかし、原作では少ないながらも何度かは描かれ、母親であるマミタ夫人が「立派な製粉業者でおまえ(娘のアンドレ)の将来のこともちゃんと考えておいでくだすったのに、おまえは、ソルフェージュの先生の青年と駆け落ちしてしまった・・・(高木進訳 二見書房)」と語らせているところからするとそれなりの悩める人生を歩んできたことがわかります。「アルヴァレス夫人は今は亡き恋人のスペイン名を名乗り」、「彼女を中心にして、まともでない彼女の家族」、「ジルベルトの父親に棄てられた独り身の娘アンドレ」といった原作の描写がないと、ジジ、母親、祖母の女三代の関係は映画では少々わかりづらいところではあります。

  なお、このアルバムは音楽上のバランスを考えて配置されているため、映画の進行は全く無視されていて話しが前後します。

The Parisians : ジジは毎週火曜日に、学校から帰ると大叔母のアリシアの家に行って行儀作法の指導を受けています。原作によるとかつては社交界でならした貴婦人で、スペインの王様の恋人だったこともあるいう大叔母アリシア(マミタ夫人の姉。原作では妹。)は、美しい過去に生きることを選んで独身を貫いているのですが、淑女としての立ち居振る舞いや食卓でのマナー、殿方を喜ばせる技、本物の宝石の見分け方など、ゆくゆくは社交界の花形に仕立てようとジジを優しく時には厳しく指導しているのでした(原作ではただの貴婦人ではなく、お金持ちの愛人にするためなのですが、映画ではそこはソフトに変更されています。)マミタ夫人の発言の「ジジのこと、少し発育が遅れているのではないか。で、ジジを仕込んでくれています。」、「あの娘はまるで10歳のねんねみたいなの。」などから類推すると、必ずしも社交界だけを意識したものではないのかもしれませんが、父親が不在で、母親が働きに出ているジジに対して皆が心配して大切に育てていることがわかります。ジジの男の子のような身のこなしや振る舞い、その言葉遣いからは、ふたりの老婦人を呆れさせる一方で、それによってジジの純真さや天真爛漫さがよく伝わってきます。

  1曲目の The Parisians は、大叔母のところで淑女のマナーのレッスンが終わってから、その帰り道に公園を抜けて行くシーンで主人公ジジが歌う最初の曲です。「パリの人はいつも恋のことしか頭にない」、「あたしはパリジャンが理解できない。機会さえあれば恋をする。」と、ゴシップ紙が書きたてる社交界での男女の噂話しや公園で目に入るカップルの姿にうんざりしながら歌います。年齢のわりには遅れていると日頃言われているジジを上手に描写しています。なお、このシーンは原作にはありません。マミタ夫人らの会話の中で描かれるジジの人となりを本人の歌で表現していることになります。

  プレヴィンとその仲間たちは、ベル・エポックのパリ或いは映画製作当時の1950年代のパリという意識はさらさらなく、西海岸の明るい太陽と爽やかな風に吹かれる無邪気なジジを、ノリのいいレッド・ミッチェルのベースのリズムをバックに駆け回るプレヴィンのピアノで表現します。アルバムのオープニングに華やかなインプロビゼーションを持ってくるあたりプレヴィンの自信の程が窺えますが、決して攻撃的にはならないところが彼の持ち味といえます。このスマートで洒落っ気溢れるスタイルによって、華やかさと純真さを同時に描く映画『 GIGI 』の枠から外れることを防いでいます。また、シェリー・マンのドラムは終始控えめながら、時折効果的なスパイスを効かせるなど大きな存在感を示しています。なお、CDのブックレットでは1930年代に流行ったカウント・ベイシーが演奏する Topsyのテイストがそこにはあることを指摘しています。この曲は YouTube で聴くことができます。
The Parisians


I Remember It Well : ジジの家には大富豪の御曹司ガストン・ラシャイユが時々遊びに来ます。原作では、マミタ夫人はガストンの父親と知り合いという設定ですが、映画ではガストンの叔父オノレ・ラシャイユが元の恋人であったということになっています。パリの社交界で常に注目を浴び、常にゴシップ紙の表紙を飾るという生活をしているガストンにとって、ジジの家は「あそこは僕の憩いの場です」と言わしめる大切な場所だったのです。いつもジジにはお菓子のボンボンを買ってきてあげ、トランプではいつもズルをするジジと楽しそうに相手をするのでした。

  ジジと祖母のマミタがガストンに招待されて海岸に遊びに行った時、同じ場所に遊びに来ていたガストンの叔父オノレ・ラシャイユがマミタと思いがけなく出会います。オノレ・ラシャイユは自らの職業を「恋と美しく若い女性のコレクションをすること」と称し、その結婚観については「Marry ? What for ?」とのたまう熟年の遊び人ですが、その昔マミタを愛してしまい結婚したくなったために、それを振り払おうと君と別れたのだと夫人に告白して歌います。日が暮れていく海岸をバックにお互い若かったころをふたりで懐かしく振り返ります。なお、このオノレは原作にはない役ですが、最初の歌を始めガストンの相談相手をするなどミュージカル映画を引き立てる脇役をしっかり務めています。

  プレヴィンは、ほぼソロ・ピアノの曲として終始弾いていて、ベースはわずかに和音進行を支えるにとどめています。穏やかな流れのなかで、懐古の中に漂う後悔、諦念、充足感などといった様々な感慨が静かに語られるムーディーな曲に仕上げています。映画音楽の世界で活躍しているプレヴィンならではのスマートな音楽つくりが堪能できると同時に、ジャズ・アルバムにこうした心休まる曲を配置するアイデアにはあらためて感心させられます。
I Remember It Well


A Toujours : 1曲目の The Parisians を歌って公園でふてくされているジジを見つけたガストンは彼女をアイス・スケート場に連れて行きます。そこでガストンは、自分の恋人リアネがスケートのトレーナーとお楽しみのところに出くわします。この時流れる音楽をアレンジしたのがこの曲で、曲名は映画が完成した後につけられたとのことです。フランス語の Toujours は「日常」とでも訳すのでしょうか。「相変わらず」という使い方もありますが、これまで豪華なレストランで食事をしたり宝石を贈ったりしてきた恋人が浮気をしていることをこの言葉で表わしたのかもしれません。これが日常、女はこうしたものということを言おうとしたとなると、モーツァルトのオペラ『コシ・ファン・トゥッテ Cosi fan tutte(女はみんなこうしたもの)』をつい連想してしまいます。しかしこの「日常」とは、日本のテレビ・ドラマを賑わす浮気不倫といったことではなく、パリの華やかな社交界に群がり、裕福な殿方の間を舞いながら甘い蜜を吸う数多の女性のごく一般的な生き様を意味していると考えるべきでしょう。なお、このスケート場のシーンは映画だけで、原作ではマミタ夫人とガストンの会話の中で恋人リアネの浮気について語られています。

  プレヴィンとその仲間はスケート場の音楽から離れて Funkville の音楽を繰り広げます。Funkville とはファンキー・ジャズのことで、1950年代後半から1960年代前半ごろまで流行した五音階を基調とする黒人のゴスペル音楽の要素を含んだジャズです。レッド・ミッチェルの軽快なリズムに乗って、肩の力の抜けたプレヴィンのピアノが心地よく鍵盤上をスイングします。後半になるとレッド・ミッチェルのベースが控えめながらその妙技を聴かせてくれます。昨今のプレイヤーのようなテクニックをひけらかしたり爆音ででしゃばったりすることは決してありません。CDのブックレットには「レッド・ミッチェルのファンや批評家たちはこの天才プレイヤーにひれ伏すのだ・・・ベースがリズムのアクセサリーとして弾くしか能がなかった時代はそう古い話しでなかった・・・彼はそのベースという楽器を解放し、ホルンのようなメロディ楽器に仕立てた。」と書いています。これ以上言うことはありませんね。
A Toujours


It's a Bore : ガストン・ラシャイユがその叔父オノレ・ラシュイユに誘われ、馬車に乗ってパリの街を行く時に歌われる曲です。ガストンの恋人リアネの歳が30歳くらいと知ったオノレはもっと若い女性とつきあうべきだ言うと、何から何まで退屈だとガストンが答えます。「パリの春、どんな孤独な物もかつてないほど美しく輝く。どの木々も私を見て!と言っているように見えないか?」と何事につけても明るく前向きなオノレに対して社交界に疲れ切っているガストンはひたすら「つまらない」と応じます。パリの社交界の偽善に溢れた皮相さに飽き飽きしているガストンの孤独な姿をスクリーンは映しているのですが、プレヴィンはそれを吹き飛ばすかのようにオノレの陽気さを前面に出します。快速テンポで鍵盤を駆け巡るプレヴィンのピアノが印象的です。しかし、歌詞に出てくるエッフェル塔やセーヌ河、ワイン、女性のことは全く音楽に反映はされず、パリっぽさは全くありません。
It's a Bore


Aunt Alicia’s March : この曲は歌ではなく、アリシア大叔母が登場すると流れる音楽としてフレデリック・ロウが作曲したものにもとづくものです。プレヴィンはこの曲について、「オパス・デ・ファンク( Opus de Funk )のようにやった」と説明しているとCDのブックレットに書かれています。これは1952年にホレス・シルヴァーが録音したアルバムのタイトルのことを言っているものと考えられます。1950年代初頭のジャズ界をリードしていたホレス初期の代表作 Opus de Funk は、比較的狭い音域の中でフレーズを印象づけながら鍵盤を力強く叩くホレスのスタイルをよく表わしています。なお、このトリオのドラムスはアート・ブレイキーでした。ホレス・シルヴァーはその後ファンキー・ジャズへと駒を進めていくことになります。

  過去の思い出に浸りながら優雅に過ごす現在の年老いたアリシアというより、その華やかだった頃の若きアリシアを描いたような曲になっています。アリシアの家にバタバタと駆けつけるジジの若さ溢れる音楽とも聴こえるのですが、快速なテンポでプレヴィンの指が軽やかに鍵盤上を弾みます。ホレス・シルヴァーとは異なる軽さを強調し、徐々に音域を広げていくプレヴィンの独創的な即興には圧倒されます。その後、プレヴィンのテイストを崩すことなくミッチェルのベースへと引き継がれていきますが、待っていましたとばかり張り切らない大人の演奏には好感が持てます。エンディングではしっかり冒頭のメロディに戻り、聴き手の耳を安心させることを忘れていません。Opus de Funk は YouTube で聴くことが出来ます。
Opus De Funk (Remastered)

Aunt Alicia's March


Thank Heaven for Little Girls : オノレ・ラシャイユが映画の幕開けと終幕で歌う曲です。この歌はこの映画のメインテーマとも言うべきもので、「少女はこの世の宝、日々大きくなる、その成長は眩い、いつしかきらめく光を放つ。そしてやがて結婚するかもしれないし、或いは結婚しないかもしれないが。・・・」とジジが女性として成長していくさまを目を細めて歌います。

  CDのブックレットには、リラックスしたプレヴィンがファッツ・ウォーラーばりのノリで、1920-30年代のベーシックなジャズ・ピアノを聴かせてくれているとし、プレヴィンたちの次のアルバム『 Pal Joey 』に収められている It’s a Great Big Town という曲に通じるものがあり、プレヴィンのピアニズムのルーツがいかに深いところにあるかを雄弁に語っていると書かれています。しかし、プレヴィンは先達の模倣に終始することはなく、軽いタッチでメロディをわかりやすく展開させていきます。そのピアノに寄り添ってゆっくり歩くように弾くミッチェルのベースも印象的です。オノレ・ラシャイユがジジに対して抱いた感慨を淡々と静かに歌っているといった感じでしょうか。
Thank Heaven for Little Girls


GIGI : 社交界でもてはやされることに飽き、女性との関係にも倦んでしまっているガストンは、気晴らしに出かけた海岸で、一緒に連れてきたジジの中にある、これまで出会った女性にはない何かに動かされる自分に気付きます。その後ガストンがモンテカルロに旅行に出かけている間、マミタ夫人と大叔母のアリシアはジジをガストンと結婚させようと大急ぎでレディへと変身させようとします。しかし、旅から帰ってジジの家に訪れたガストンはドレスアップしたジジを見て、彼女がこれまでとはうって変って俗物化されているのにがっかりして外に飛び出します。苛立ちながら公園を歩き、独り言をいいながら歌うガストンの心は何故か揺れ始めます。いつまでも子供だと思っていたジジが大人になっていることは確かであり、「驚くほど大人びて、魅力的だった・・・君はもう僕が知っていた変わり者の少女ではない・・・一夜のうちに変身し、どんな奇跡が君を変えたのだろうか」と次第にジジへの愛情を募らせていき、自分が彼女に恋をしたことに気付くことになります。このシーンでガストンが歌うのがこの GIGI です。

 曲は、ロウが作曲した元の旋律を十分に強調した美しいバラードとなっています。映画でガストンが歌の中で何度も「ジジ」と呼びかける声を擬した2つの和音を動機として交えているところもとても印象的です。このアルバム中で一番長い曲となっていて、プレヴィンはたっぷり時間をかけて恋の芽生えを描いていきます。富豪であり、華やかな社交界で生活してきたガストンの恋は、初恋の甘く若さを爆発させるといったものではなく、大人の恋でありながら、しかしその相手が汚れのない清らかなジジという、当時の凡百の恋愛とは一線を画すものであることを知った上で聴くとそのしっとりとした曲の運びに納得がいくということでしょうか。元の曲の山形を描く旋律(上昇して下降する旋律)に付けるユニークな和音で聴き手の耳をくすぐりながら、プレヴィンのピアノは終始自然体で美しい世界を紡いでいきます。ほんのわずかしか叩かないドラムスの巧みな効果音、ベースの心に染み入る響きなどトリオとして完璧な世界を実現していると言っても過言ではありません。どこかビング・クロスビーが歌う『ホワイト・クリスマス( White Christmas 1942年)』に似たような一節があるのは、その曲と似たようなイメージをプレヴィンが抱いていたのかもしれません。なお、CDのブックレットは「コンテンポラリー・シリーズでも最高の演奏のひとつ」と絶賛しています。原曲がヒットしていればこのプレヴィンの演奏ももっと注目されたことでしょう。
GIGI


She Is Not Thinking of Me : ガストンが恋人リアネをレストラン・マキシムに連れて行きますが、リアネはガストンのことはそっちのけでやたら周りに愛嬌を振りまきます。面白くないガストンは顔には出しませんが心の中でこうつぶやきます。「今日の彼女は快活でチャーミングだ・・・彼女は僕のことを頭にない・・・目当ては僕じゃない・・・今夜の彼女の目は輝いている・・・この女キツネ!・・・誰かが彼女に火をつけた・・・」と。この時を潮にガストンは彼女と別れることになります。

 ガストンの憤りを煽るかのようなミッチェルのベースに乗って、プレヴィンの指は弱音を基本とした快速テンポで鍵盤を駆け巡ります。軽快で変化に富むプレヴィンのピアノは尻軽で移り気のリアネを、同じ音を連続して打鍵するところはガストンのイライラを描写しているのでしょうか。こうした映画のひとつのエピソードに過ぎないシーンの音楽をアルバムの最後に持ってきたのは、しめくくりは華やかなものにしたかったからなのでしょう。アルバムの最初の曲もそうですが、ここはパリではなく西海岸のカルフォルニアですよ、と言いたかったのかもしれません。
She Is Not Thinking of Me


 以上、映画のストーリーを交えながら曲について書いてきましたが、曲の順番がストーリーに即していないためにとてもわかりづらいものなってしまいました。ガストンがジジに恋していると自覚してからもふたりの間にはまたひと波乱が起きたりしますが、最終的にはめでたく結ばれます。しかし、その間の音楽はこのアルバムにはありません。ふたりがめでたく抱き合うことはあっても愛の二重唱を長々と歌うシーンは映画にはないからです。このクライマックスにおいて揺れ動くジジの心の中については、コレットの原作での彼女のセリフを引用することにします。

 「私の顔が新聞に出てしまう・・・花祭りや競馬やドーヴィルのカジノに行かなければならない・・・私たちが仲たがいすればゴシップ紙がそのことを書き立てる・・・私はひとの噂の種になるような性格ではないのです・・・私に恋をしている。だから私をほかの生活にひきずりこみたいのね・・・みんながみんなゴシップを飛ばしている生活に、そして結局は別れ話になり、喧嘩になり・・・私は心変わりする女じゃないのです。高木進訳 二見書房)」

 ガストンはカフェ・マキシムに彼女を誘い、宝石のプレゼントをしますが、ジジをこの社交界という世界に置いてはいけないことに気付き、急いでジジを店から連れ出します。せっかくマキシムで楽しんでいたジジは何があったのか驚きます。ここで再びふたりはすれ違いを見せますが、最終的には、「あなたなしでいるより、あなたと一緒に不幸になるほうがよっぽどいいって。」とガストンを受け入れていきます。映画ではこうした鞘当てが一晩のうちに行なわれるため唐突で少々わかりづらいところがありますが、原作ではおよそ一週間かけてふたりのやりとりを描いています。原作ではガストンがマミタ夫人にジジとの婚約を乞うことで物語を終え、映画ではオノレ・ラシャイユが Thank Heaven for Little Girls を歌って幕を閉じます。しかし、こうしたストーリーを思い返すと、この映画『 GIGI 』に『恋の手ほどき』という邦題をつけることにやや疑問を覚えないではありませんね。

 いかがでしたでしょうか。ひとつのミュージカルをジャズ・アルバムに仕立てたものをそのミュージカルのストーリーや登場人物、或いはそれを演じた役者をイメージしながら聴くという試みをしてみました。あらゆる音楽がいつでも簡単に聴ける現代において、音楽を聞き流したり聞きかじったりするばかりでゆっくり聴く機会が減っています。そんな中、そのアルバムが制作された当時の時代背景、制作のいきさつなどを調べながらじっくり音楽聴くことは、たまにはいいのかもしれません。演奏者の意図や考えていることなどが少しばかり見えてきたような気がします。


 



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