ディオニュソスの蛹

 「最後のプルチネッラ」「ヘルマフロディテの体温」という、イタリアのナポリを舞台にして幻想的なシーンを交えながらも、異質で異端な者たちの生への渇望のようなものを描いた2つの作品を、ほぼ同時に発表して熱烈に迎え入れられた小島てるみが、そこから6年を経て待望の第3作を刊行した。

 その「ディオニュソスの蛹」(東京創元社)は、直木賞作家の三浦しをんが帯に寄せた「神話と芸術が太古の闇を照らすとき、浮かび上がってくるのは−うつくしく危険な獣、私たちのなかで眠る希望」という言葉が端的に言い表しているように、耽美さと熱情とが入り交じった激しさを持った小説だ。なおかつ耽美なシチュエーションに類い希なる関心を寄せる三浦しをんが帯文を寄せるだけの内容を持った傑作だ。

 ナポリで生まれ育ち、母を失って孤児となった少年アルカンジェロに、遠く南米のブエノスアイレスから届いたのは、そこに暮らしていたアントニオという名の父が死に、そして同じミモザという母から生まれた兄がいるという叔父からの手紙だった。大変に美しく、芸術家たちのアトリエに呼ばれてはモデルとなって金銭を得て暮らしながら、ある事情で5年前に死んだミモザの過去を知ろうとアルカンジェロは、ミモザの軌跡を尋ねてブエノスアイレスに飛ぶ。

 まずは兄と叔父がいるらしいアントニオの家を尋ねたものの誰もおらず、だったらとアントニオが眠る墓地へと出向いたアルカンジェロは、そこに参っている2人の人物と出会い、そのうちの1人が誰かすぐに気づく。兄のレオン。若くしてブエノスアイレスのアート界ですぐれたギャラリストであり、キュレーターとして名声を得て活躍している男だった。

 そんなレオンにアルカンジェロは、美しい顔立ちをして輝く金髪をした母ミモザの面影を見た。そしてレオンも、アルカンジェロに黒髪だった父アントニオの姿を見たことをきっかけに、2人の過去と向き合う旅が幕を開ける。

 出生の経緯を知って母親だった女ミモザを憎み、父アントニオと同じ容貌を持つアルカンジェロを憎むレオン。レオンの中にたぎる黒い獣に怯え、己が冒した罪に苛まれるアルカンジェロ。とうてい容れられないように見えた2人だったけれど、戸籍上はアントニオの弟で、2には叔父にあたるスールが手がけているアートセラピーによって、少しづつ心を解きほぐされていく。

 禁断の交わりがあり、現れた奇跡があって悲劇があり、沈んだ心がかつてあった。それを受け継ぐレオンとアルカンジェロ。ギリシャ神話にあるミノタウロスの物語を、誰もが見知ったものとは違う形に再生し、女神と牡牛の禁忌を描いてそれを現代へと転写し、姉と弟の関係を乗せ、さらに兄と弟の関係を乗せて衝動と抑制、拒絶と欲求の狭間にたたき込んでもみくちゃにする。

 かつては悲しい離別を生み、激しい憎悪を生んだその関係が、時を経て再会を果たしたことによって深い情愛へと転じる。必要なのは己をさらけだす勇気。すべてを受け入れる熱意。そんなことを教えられる物語、なのかもしれない。

 神話との重ね合わせとは別に、エクスボトと呼ばれる治癒絵画が、大切な位置にあるのが小説のもうひとつのポイントだ。かつてエクスボト絵画を描くことが得意だったナポリの青年が、ある事件をきっかけにすっぱりを絵を描くことを止め、ナポリを離れて遠くブエノスアイレスに流れ着く。

 かつての罪を身に秘めたからなのか、自らは子をなさず養子を引き取って財を継いでいくことで代を重ねて今へと至る。それがアントニオでありスール。彼らはだから兄弟であっても血の繋がった関係にはない。それでも弟は兄を慈しんで、彼が残した子供たちの再生に協力する。血のつながりだけでない、親愛と尊敬でつながる関係があるのだということがそこから浮かぶ。

 一方、ナポリでは親に捨てられた双子の姉と弟が手を取り、メキシコへと流れエクスボトを描くようになったものの、悲劇を経て姉だけが残り、ブエノスアイレスの男に見初められて男の子を成したものの、ほどなくして離別し、ナポリへと戻りもうひとりの男の子を産む。それがミモザでありアルカンジェロ。子は偶然にもナポリを離れた青年が描いたエクスボトを見て育ち、絵を得意にして長じながらも、その絵がある悲劇を招いて、彼を迷いの中に生きさせる。

 治癒を祈願するはずの絵が、連鎖するかのように悲劇を招き寄せていくこの矛盾。けれども、時を経て絵は離ればなれになっていた兄と弟を出会わせ、かつての悲劇を埋めて未来へと足を踏み出される。それも絵画を描くセラピーを経て。

 情念を吐き出し叩き付けるからこそ、絵画は感動を呼べば反発も招く。そんな、原初の想念にあふれた絵という存在についても語ろうとした物語でもある「ディオニュソスの蛹」。読み終えた時に人は絵画を好きになるだろうか。描いてみたいと思うだろうか。そこに込められた情念を浴びたいと思うだろうか。

 さまざまに読まれ心に何かを刻みそうな小説。もちろん三浦しをんが得意とするジャンルに特徴的な感情も。それは異端か。異質か。否、人がいてもう1人がいれば、相手が誰であっても生まれ得る感情に過ぎない。なおかつ過去に惹かれ合いながら、引き裂かれた人たちの想念を与えられて生まれた2人だ。結果は当然。だから驚かない。むしろ納得を得て喝采を送りたくなる。

 これから先を歩んでいく2人に、永遠の幸いを。


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