ヘルマフロディテの体温

 男がいて、女がいて、世界は成り立っているなんて嘘っぱちだ。見かけは男の体に女の心が入った人がいる。その逆で女の体に男の心が入った人もいる。戸籍の「男」と「女」のどちらに○をつけたら良いのか分からない。

 男の陰茎と女の乳房を持った人もいるし、女の陰唇と男の陰茎を持った人もいる。染色体は男なのに見かけは女だったり、反対に染色体は女なのに男の見かけを持っていたり。自身が半陰陽で、はじめは女性として生き、今は男性に転じた新井祥の漫画「性別が、ない!」(ぶんか社)や「中性風呂へようこそ」(双葉社)を開けば、2つしかない選択肢では分類できない、多彩で多様な性が存在していることが分かる。

 戸籍に「中性」の項目はないし、「半陰陽」にも○はつけられない。「男」と「女」のどちらかに決めなければ、籍を得ることは不可能で、けれども籍を得なければこの世界ではなかなか上手に生きてはいけない。だからどちらかを選ぶ。そして苦しむことになる。

 見てくれだけで決める安易さ。心を汲めない厳格さ。それらに押しつぶされそうになっている人に、新井祥の描く漫画はいくつもの道を示してくれる。そして小島てるみという作家の「ヘルマフロディテの体温」(ランダムハウス講談社、1500円)も、性の観念と実態の乖離に惑う者たちに、自信を持って生きるべきだというメッセージをもたらす。

 イタリア南部にあって風光明媚な街、ナポリを舞台にしながらも、大学に通う主人公の少年シルビオが暮らしているのは、観光で賑わう明るいナポリとは違って、貧民たちが集まっているスペイン地区にあるアパートの一室。周囲には異性装者や性転換者や性同一性障害の持ち主や同性愛者といったセクシャル・マイノリティが多くいて、ジュリオの心に巣くっていた気持ちになにがしかの刺激をもたらす。

 仲むつまじげな父親と母親の子として生まれたシルビオだったが、研修で出張した母親がそのまま失踪し、3年か経って帰ってきたら男の姿になっていたことが、シルビオに激しい衝撃を与える。共に暮らすことはもはや不可能。母親は去り、父親は沈み込んでシルビオはナポリへと出てスペイン地区のアパートに入った。そこで同じ部屋をシェアしている女子学生の衣類や化粧品を身に着け、女装する趣味を芽生えさせる。

 そのまま部屋を出た女性姿のシルビオが、暴漢に襲われそうになった所を助けたのが、彼が通う大学の医学部教授で、そしてヘルマフロディテ、すなわち両性具有者であることを広言してはばからない「Z(ゼータ)」という人物だった。性転換手術の権威でもあって、シルビオの母親を男に変えたのもこのZ。ゆえにシルビオはわだかまりを持ってZに接触していたが、女装した姿を公開すると脅されてシルビオは、Zの言うままに異性装やトランスセクシャルがどうして生まれてきたのかを探るため、性転換者にインタビューして回る羽目となる。

 物語も書かされる。腐乱した女の姿を写した「醜聞の女」と呼ばれる彫刻から、双子の男の子たちがその美声を見初められ、カストラートとなったもののひとりは華やかな場を去って行方を隠し、残り成功したカストラートとなったひとりが行方を捜し出して“再会”を果たす物語を創作したり、ギリシャ神話の両性具有の神が恋路の歴程の果てにたどり着く悲劇的な結末を描く物語を創作して、Zを堪能させつつ読者にセクシャル・マイノリティが神話の世界に現れたり、伝説の中に語り継がれた理由を想起させる。

 当のZをモデルにしたと思われる物語も含めて、作中でシルビオの創作物という形をとって示されるこれらのエピソードが、どれも立派に1つのドラマになっているところに作者の物語を作る力の冴えを見る。かつ、そうした物語たちを束ねて1本の通った筋を創り上げ、ヘルマフロディテの存在を探り、性と肉体の根元を突きつめようとしてみせる。そして、シルビオが曖昧さに漂っていた自分自身の存在を確かなものへとしていく過程を描きあげてみせる。構成にすぐれ、知識も豊富でそしてしっかりと感動も得られる物語。。これがデビュー作だというのだから恐ろしい。

 同じナポリを舞台に、伝説の道化を演じようとするふたりの少年の競争と共感を描いた「最後のプルチネッラ」(富士見書房、1600円)に比べると、エンターテインメント的なニュアンスはやや下がる。一方で、性を拠り所にして人間の存在の根元を突きつめていこうとする筆の運びは、哲学的で思弁的な主題をはらみ高品質の文学という面もちを、「ヘルマフロディテの体温」に与えて輝かせる。

 女性への性転換者も異性装者もヘルマフロディテも、実に楽しく何ものにも縛られないで生きている。そんな生き様を見れば、固定的で二分的な性にこだわり、縛られ続けるつまらなさにいやでも気づく。自分は自分。それ意外の何ものでもないのだと認め、他人もそれぞれにそれぞれの自信を持って生きているのだと理解すれば、世界はとても生きやすくなる。

 認めるだけ。決断するだけ。理解してもらうことには壁も谷もありそうだが、それとて永遠に越えられないものではない。気になどするな。己を信じろ。そうすれば世界は輝きにあふれて進む道も開かれる。あとは進むのみ。男か、女かなんてものに生きていく上での意味はないのだと、知って顔をあげろ、前を見よ。


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