最後のプルチネッラ

 まだ死ねない。ナポリをまだ見ていないから。

 ポンペイを火砕流で埋めたヴェスビオス火山。赤い火を噴いていたその山へと登るフニクラーレ(登山電車)。言葉で語られ、絵で伝えられるナポリの街が放つ、激しさと明るさに溢れたイメージに誰もが惹かれる。

 サッカークラブの「SSCナポリ」が、ディエゴ・マラドーナを擁して2度のスクデッドを獲得した1980年代の快挙も、孤高の天才を受け入れ、守り育んで慈しむ、開放的で開明的なイメージをナポリという街に加味させた。

 遠く離れた地に生まれ育っていても、ひしひしと感じるナポリの美しさ、素晴らしさ。「ナポリを見ずして死すべからず」とまで言われ、讃えられる街を見ないで死ぬ訳にはいかない。

 さらに。ナポリには興味をそそられる芸能があった。だぶついた白いシャツに白の三角帽子。顔を黒いマスクで覆ったプルチネッラと呼ばれる道化者が、マンドリンをかき鳴らして庶民の口に出せない思いを歌に唄って空気を和ませる。

 プルチネッラという存在が、どれほどの重さを持っているのかを小島てるみの「最後のプルチネッラ」(富士見書房、1600円)で知った今はなおのこと、ナポリへと赴き、プルチネッラの芸に触れないままではいられない。

 プルチネッラの持つ役割の重さは、プルチネッラを演じてナポリ中を笑いの渦に引っ張り込んだマリオ・マリンゴラが老いて死んだ後も、「最後のプルチネッラ」と讃えられ続けたことが示している。

 彼の娘のリリアナは女優となって世界を飛び回るようになったが、彼女が夫に迎えたペッペ・クレメンテは役者にはなれてもプルチネッラにはなれなかった。偉大な名跡を継げない挫折感からかペッペはリリアナの元を去り、ローマでメロドラマの主役として活躍するようになる。

 ペッペとリリアナの息子、つまりは「最後のプルチネッラ」の孫のルカも、幼いうちに母親の舞台でデビューし、天才子役と大絶賛を浴びていたが、プルチネッラになることは許されず、突然に母親から舞台に上がって演じることを禁じられてしまった。長じた今は、母親が稼ぐ金でなに不自由のない生活を送りながら、封じられた過去が心に虚しさを感じさせていた。そんなある日。

 ローマから電話をかけてきた父親にけしかけられ、ルカはプルチネッラの演技を学ぶワークショップへの参加を決意する。劇場へ向かうとそこには、貧しい人たちやマイノリティたちが暮らすスペイン地区で生まれ育ったジェンナーロという少年もやって来ていた。

 ジェンナーロの父親は、街で大道芸人としてプルチネッラを演じ人気を博していたものの、巻き起こった失業者たちによるデモの最中に道化として振る舞い、猛り狂うデモを沈静化した後で、高所から飛び降りて死に、ナポリじゅうの悲しみを誘った。そんな父親の後を継ぎたいと、父親のように街でプルチネッラを演じ、金を稼いでいたところを<黒い道化師>に見初められ、ワークショップへの参加を誘われた。

 「最後のプルチネッラ」の孫であり、天才子役と讃えられたルカ。ナポリ市民に愛された伝説のプルチネッラの息子で、現役のプルチネッラでもあるジェンナーロ。それぞれに過去を背負った2人の少年のぶつかり合いを、メディア興味本位で騒ぎ煽り立てる。もっともふたりは、喧噪をよそにそれぞれが生きてきた環境によって育まれた性格や考え方を拠り所にしつつ、時にはそれを壁と感じながらも競い合い、ワークショップの最後に行われる舞台でのプルチネッラの役を射止めようと鍛錬にはげむ。

 合間には、自分を楽しませろと主より言われて道化となり、転生を繰り返していく存在の物語が挟まれる。男として生まれて女を抱き、女として生まれ男に抱かれる生の繰り返し。消えずに積み重なっていく記憶と経験を噛みしめながら、幾千年を生き続ける道化の姿が、道化とは違いたった1度きりしかない生をどう送るべきなのかと考えさせる。

 そんな幕間のエピソードと共鳴し、絡み合い重なり合ってつながっていくルカとジェンナーロの物語が最後にたどり着くのは、どちらかひとりがプルチネッラの座をつかむ成功と敗北の残酷な結末ではない。ひとつの人生の表と裏を形づくる存在としてお互いが認め合い、高め合いながら前へ向かおうとする解放感、協力して何かを成し遂げる達成感だ。

 ヴェスビオスが噴いて溶岩のような熱さと、ナポリの空のような明るさが溢れ出して、読み手の心を暖め豊にしてくれる。ナポリへおいでと手招きしてくれる。

 時期を同じくして刊行された、同じ小島てるみによる同じナポリが舞台となった「ヘルマフロディトの体温」(ランダムハウス講談社、1500円)が、スペイン地区に生きるトランスジェンダーたちの生き様を通して、性と生の根元について考えさせたのとは対称的。異なる境遇から出てきた2人の少年たちの頑張る姿を描いて、未来を自ら開こうとする意志の強さを感じさせる。

 背負った家名の重さと、果たさなくてはいけない責任感の重さ。越えようとして越えられなかった者の挫折感。生きる上での葛藤というものも語られ、生きていく難しさを感じさせる。だからといって、立ちふさがる壁に最初から飛躍を諦め、理由を別に見つけてこれ幸いと現状に止まる態度の何と不甲斐ないことか。後悔するくらいなら最初から希望なんて抱くな。いったん希望を抱いたのなら叶えるために突っ走れ。そう教えられる。

 これほどまでの熱情をもって、ルカとジェンナーロが演じたいと願い、またルカとジェンナーロという少年たちを物語の中に創造してまで、小島てるみが日本に紹介したかったプルチネッラという存在とはいったい何なのか。そしてプルチネッラがいるナポリとはいったいどんな街なのか。

 だからまだ死ねない。ナポリに行くまでは。プルチネッラに会うまでは。


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