僕のエア

 21世紀の到来とともに現れ、「ネガティブハッピー・チェーンソーエッジ」「NHKにようこそ」の2本の小説で、現実の世界に自分をすんなりとは合わせられない若い世代の心をつかんだ滝本竜彦。“ひきこもり世代のトップランナー”と呼ばれて脚光を浴びながら、もう1冊、エッセイであり私小説にも近い不思議な雰囲気の『超人計画』を出したところで、歩みがピタリと止まってしまった。

 「ネガティブハッピー。チェーンソーエッヂ」が映画になり、「NHKにようこそ」が漫画とテレビアニメーションになったものの、新しい一歩は踏み出されないまま時間だけが過ぎていく。もうカリスマの言葉は聞けないのか。そんな空虚さに信者の心がすっかり覆われてしまっていた2010年。「僕のエア」(文藝春秋、1238円)をひっさげ、滝本竜彦が戻ってきた。

 まっさらの新作ではない。勢いがあったデビュー直後に書かれた文芸誌での連載が、ようやくまとめられたに過ぎない。幻だった小説が、ようやく読めるようになったと嬉しがる一方で、古びてしまっているのではと、手に取ることをためらう気持ちも浮かびそうだが、心配はいらない。この時代だからこそ読まれる意義を、「僕のエア」」は持っている。

 田舎を離れて入った大学を卒業して就職したものの、詐欺的な仕事に胸が痛んで半年で辞めてしまった田中翔。口ではマスコミ系と言い張りつつ、実は新聞配達と交通量調査のアルバイトで収入を得ていた彼の元に、田舎で慕っていた3歳上のスミレという女性から結婚式への招待状が舞い込んだ。

 子供心に将来を誓い合ったはずのスミレが、どうして俺ではない誰かと結婚するんだと憤り、悶々としていた翔に、さらに追い打ちがかかる。高校の同窓会で再会した、軽音楽部の仲間だった梢ちゃんも、別の同級生と結婚すると宣言して、翔を愕然とさせる。告白したことすらない相手が結婚するといって、憤ったり悲しんだりするのはなんとも身勝手。けれども、先の見えない暮らしの中で、自意識だけが肥大化していた翔は、思いを踏みにじられたと悔しがり、のたうちまわった果てに、不思議な存在を見るようになる。

 それがエア。いわゆる脳内彼女で、スミレとそっくりな顔をして、翔の行く先々に出没しては、スミレと暮らす甘い生活を夢見させ、スミレをさらいに行けとささやく。

 翔はエアの言葉を真に受けることなく、アルバイトによるその日暮らしを続ける。結婚をアピールした梢ちゃんの彼氏が、梢ちゃんの父親を恐れて逃げ出し、翔のアパートに転がり込んできては、危ない植物の栽培で一攫千金を狙おうと誘ってきても、ハマりこむことなく、悶々とした暮らしを送って、もうエアと一緒になるしかないと決意した時。

 エアは「私の計画はこれで終わりです」と告げ、「死ぬまで続く本物人生ドラマが始まります」と宣告して、過酷な現実に翔だけを残して消えてしまう。

 未来の見えない不安に迷った果てに、虚構の伴侶とともに生きようとしたら、虚構にすら見捨てられてしまった。その後の、悟ったように見えて、なんら前向きさを見せない第四章の翔の姿は、どうしようもない今を、それでも生きていかなければならない絶望に、すっかり萎えてしまった、この時代の人たちの元気のなさと重なる。

 何年か前、「僕のエア」が最初に文芸誌の「別冊文藝春秋」に連載されていた時代なら、新たな出会いがもたらしてくれることへの期待を抱けた。進学さえすれば、就職さえできれば、彼女や彼氏がいさえすれば、なにかが変わると信じられた。ところがどうだ。進学はできても学校ではひとり。卒業しても就職先が見付からない。どうにか就職しても、今度はリストラが待っている。彼女や彼氏ができたところで、一生を愛し合って添い遂げ続け、生き続けていくだけの確信を抱けない。それが今だ。この時代だ。

 かつて極端さを持って自虐的に綴られた言葉、描かれ世界が、この時代に普遍のメッセージとなって、生きる人たちを覆い尽くす。刊行まで何年もかかりながら、古びるどころか現代をえぐり、その先をも見通した小説だったと、この時代に「僕のエア」を読んだ人なら思うだろう。

 見渡せば世間では、脳内彼女にエア彼氏、空気人形に抱き枕といったものが流行し、幻想としてのキャラクターを、実体の身代わりとして愛でる風潮がはびこっている。そんな風潮も、「超人計画」や「僕のエア」には先取りされている。なおかつ「僕のエア」では、脳内彼女のエアを、単なる願望充足の対象としてでなく、受け入れようとすれば突き放してくる存在として描き、どこにも逃げ場なんてないんだと示してみせる。

 先駆的なだけでなく、その先まで見通してしまったが故に、エアを失った翔のように前を向けなくなり、足も踏み出せないまま時間を過ごしてきた滝本竜彦。その彼が復活した。また何かを語ってくれる、示してくれると期待せずにはいられない。

 「僕のエア」だけではない。角川書店から2010年秋に刊行された新世代小説誌「カドカワキャラクターズ ノベルアクト1」に載ったロングインタビューによれば、これも過去に発表された「ムーの少年」を、書き直して新たな作品として世に問うという。“ひきこもり世代のトップランナー”として信者を引きつけた同時代性と、「僕のエア」で実証してみせた先駆性を武器に、新しい言葉をつづる。

 その言葉は、現状を憂い将来を嘆くだけに留まらない、次の10年を、その先をも見通したものになるはず。期して待て。


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