超人計画
The Chojin Project

 おもしろうてやがて哀しき……。

 「ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ」(角川書店、1500円)と「NHKにようこそ!」(角川書店、1700円)の2冊の小説を立て続けに発表して、後ろ向きの青春小説のトップランナーへと一気に躍り出た滝本竜彦。けれども2冊の出版から1年経っても出なかった新作小説の代わりといって刊行された「超人計画」(角川書店、1300円)は、帯に”新世代ハイブリッドエッセイ”と銘打たれているように、新作の小説を”書けない理由”も含めた苦闘苦悶の近況を、妄想がスタンピートする滝本独特の文体で綴ったエッセイ集、だった。

 その妄想のエスカレーションぶりは、オンラインマガジン「ボイルドエッグズオンライン」で連載が始まった第0回からいかんなく発揮されていた。ダメな自分を怒りの声で叱咤し愛の言葉をささやいて激励する「脳内彼女」を創造しては、自問自答の独白形式では痛く恥ずかしいものにしかならないだろう自分の欠点を、第三者の彼女の口から語らせる手法で笑いに紛らせては満天下に披露して、世間の失笑を買いつつ共感を得た。つかみはオッケー、だった。

 あまつさえ言葉だけでは笑いが薄いと考えたのか、「出会い系サイト」に本当に登録してはページをさらし、髪が薄くなって来たと思ったらすべてを剃り上げスキンヘッドにしてしまい、テレビに出演して誰もが「ひきこもり」に抱く印象そのままに挙動不審な姿を見せ、「一番大切なのは愛です」と不埒な言動を吐いて同席した精神科医をうなずかせる行動へと出た。渋谷センター街へと出てあてがわれた女性とデートし、プリクラを遊び、食事を共にする行動の何と道化的なことか。その自嘲でいっぱいのエッセイを読んで、「これぞ滝本」と感じ笑い転げた人も多いだろう。

 けれどもだ。ネットに掲載されたエッセイが加筆も行われた形で1冊の単行本にまとまった今、「超人計画」を読み通して感じるのは、ラスト2章に漂う底知れない虚無感だったりする。ネットで連載中は人を楽しませる自嘲自虐のネタもついに尽きたかと思わせ、「滝本終わったな」とこれも多くの人に思わせただろうエピソードにこそ、作者の本質めいたものが潜んでいるのではないかと、今は感じられてならない。

 「面白い小説が書けないからと言って、それがなんだというんだ、人生が破綻したからといて、それで何がどう変化するというのか。辛いから苦しいからって、それに何の意味がある? ぜんぶ同じことではないか。ぜんぶどうでもいい話ではないか」(182ページ)。そう達観して死すら想起しつつ、一方で死ぬ意味すらないことに気付き、死ぬまで暇つぶしをするんだと決意する。

 その一見前向きなようでいて、実のところは後ろ向きですらない、同じところをぐるぐると回ったまま、どこにもいけずかといって閉じこもれない宙ぶらりんの状態で停滞し続けているだけの自分を、主観的に焦燥感も覚えつつ意識しながらも、客観的に外部から冷徹に見つめてみせる文章に背筋が凍る。浮かれられずかといって沈んでもいられない人間の、だからといってどうしようもない姿に呆れ、苛立ち、怒り、哀しむその単純明快で複雑怪奇な心理が、行間からジワジワと染み出して来るような感じに、笑っていた口をキュッと引き締め、ページの端を握る手をギュッと強めてしまう。何と恐ろしい本だ。

 最終章の「曙光」の、エージェントという立場上あれこれと世話を焼くボイルドエッグ代表・村上達朗に「ネタが見つかるから」と三鷹辺りを引っ張り回され、そのプレッシャーと鬱陶しさに辟易としているような気持ちを書き連ねているエピソード。はしゃぐ村上達朗を世間の良識とか、出版界の常識といった次元に位置づけ、その地平へと降り順応しようと頑張り、あがいたもののどこか遊離した気分を捨てきれない滝本竜彦の悩みが垣間見える。

 そうやって悩めば悩むほど、どんどんと書き割りめいた虚ろさを見せ始めた世界を置き去りにして、ひとり自分の世界へとひきこもっていく滝本竜彦の、揺れ動く心理の起伏が文体の変化、内容の沈滞から浮かび上がる。伝染して来る絶望感がじりじりっと背筋から全身へと広がって、胸苦しさに心をかき乱される。なるほど「超人計画」は、ちょっとばかり有名なひきこもり君が自虐とギャグを駆使して書いた商品的エッセイ集の衣をまといながらも、実体はゆるゆると自意識の世界へと読み手を引きずり込み、同じ苦悩と苦悶にのたうちまわらせる私小説だったのだ。

 さすがにあまりに懊悩が過ぎると考えたのか、ラストに再び「脳内彼女」を復帰させては客観的な立場へと逃げて、「ひきこもり」をネタに自嘲する文章を収めてエンターテインメント商品としての体裁を整えている。最初に笑い中盤から後半にかけて引いた人もこれで安心してページを閉じ、笑いの中に安眠を迎えることができる。けれどもだからといって安心してはいけない。その時は気づかなくても、ふとしたはずみに、たとえば自分が滝本竜彦と同じようにいかんともしがたい気持ちへと陥ってしまった時に、終盤2章の閉塞感、虚無感が浮かんで心の襞を刺激し、胸をかきむしらせるはずだ。

 おもしろうてやがて哀しき……「超人計画」。回り続ける滝本竜彦とそして世界の滝本たちに、幸せの訪れる日が来ることをただひたすらに願って止まない。


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