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1.幾世の橋 2.天皇の刺客 |
1. | |
●「幾世の橋」● ★☆ |
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1993年09月 1998/04/22 |
貧乏長屋育ちの重松、八十吉 が、自立心旺盛に庭師、刀研ぎ師として一人前になるまでを描いたビルドゥングスロマン。 設定が江戸時代の京都であるところに、大いに興味ひかれます。 充分の厚さを備えたストーリィ。途中ページを閉じるのが、その度に惜しくてたまらない思いをしました。なかなか読み応えのある成長物語であり、作者が丁寧かつ丹念に書き綴ったことがよく感じられます。 ただ一方で、ストーリィが奇麗事すぎるという面もあります。こうしたロマンにありがちな悪意の人物が3回ほど登場しますが、きわめて影が薄い。登場人物の殆どが善意の人ばかりというのは、かえって読後の印象を強く残らないものにしてしまっているのではないでしょうか。 その割に最後の重要場面を決着つかないまま読者の想像に委ねてしまったことが、ちょっと心残り...。 |
2. | |
「天皇の刺客(みかどのしきゃく)」 ★★ |
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2016年06月
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京の都を中心舞台に、尊王派一団と幕府お庭番との闘いを描いた時代長篇。 冒頭から尊王派一団と幕府お庭番が角突き合わせる展開となるのですが、どうもピンと来ませんでした。 天皇と将軍、どちらが上に立とうと庶民にとっては権力者が変わるだけのことで、そう違わないのでは?と思えたからです。 天皇側と将軍側の闘争を描いた作品に隆慶一郎「花と火の帝」がありますが、伝奇小説であることから本作品と比較するのは適当ではないでしょう。 そう考えると本作品の意義は、明治維新より70年も遡った時期に既に天皇中心の政治に戻そうという動きが在った、と描いた点にあると言えそうです。 では何故かというと、黒船が来日し、国内が2つに割れてしまっていては外国勢に対抗できない。再び天皇の元に国内が一つにまとまって諸外国に対抗する必要があるという論理。本作品、先日読んだばかりの澤田瞳子「日輪の賦」に通じるところがあるようです。 天皇への関心を抑え込むため、「日本書紀」の版元を襲って焼き打ちし、発禁処分と同じ状況に置く。日本の伝統文化まで無理矢理弾圧するような政治に綻びの生じない筈がない。 本作品は、小説の面白さではなく、現代政治にも通じる課題に目をくれつつ歴史上の事実を問うた作品と言うべきでしょう。 |