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11.自鳴琴からくり人形(文庫改題:続江戸職人綺譚) 12.わが屍は野に捨てよ 13.士魂商才 14.長きこの夜 15.動かぬが勝 16.兄よ、蒼き海に眠れ 17.エンディング・パラダイス 18.野望の屍 |
【作家歴】、北の海明け、捨剣−夢想権之助−、子づれ兵法者、黄落、江戸職人綺譚、江戸は廻灯籠、幸福の選択、女剣、クィーンズ海流、北海道人 |
●「自鳴琴からくり人形−江戸職人綺譚−」● ★★ |
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2003年10月
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江戸の職人を描いた7篇の短篇集。中山義秀文学賞を受賞した「江戸職人綺譚」の続編です。 一椀の汁(包丁人・梅吉)/江戸鍛冶注文帳(道具鍛冶・定吉)/自鳴琴からくり人形(からくり師・庄助)/風の匂い(団扇師・安吉)/急須の源七(銀師・源七)/闇溜りの花(花火師・新吉)/亀に乗る(鼈甲師・文次)/装腰綺譚(根付師・月虫) |
●「わが屍は野に捨てよ 一偏遊行」● ★★ |
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2005年02月
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鎌倉時代末期に、時宗(じしゅう)の開祖となった一偏の生涯を描いた一冊。 佐江さんの力作であることに間違いないのですが、一偏の仏教思想に違和感をもたざるを得なかった故に、満足感は今ひとつ。 時宗は、一偏(1239〜89)が開いた浄土宗の一宗派であり、「南無阿弥陀仏」の念仏を書いた札を配ることと、念仏を唱えながら踊る踊念仏が特徴。 |
●「士魂商才 五代友厚」● ★★ |
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2009年10月
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幕末・明治維新にかけて活躍し、後に大阪商工会議所会頭となった、薩摩の五代才助を描いた歴史長篇。 五代才助は佐江夫人の母上の血縁にあたり、義母から度々才助のことを聞かされたことが執筆の契機になっているそうです。 冒頭は長崎の海軍伝習所、勝海舟との邂逅から書き出されますので、司馬遼太郎「竜馬がゆく」を思い起こすのは当然のこと。しかし、その後に才助が辿った道は、竜馬とはかなり異なります。幕末・維新というのは、様々な糸が絡み合った結果としてあのような激動の歴史が刻まれたということを、改めて感じます。 長崎海軍伝習所/鹿児島/朝顔とグラバー/上海の風/薩英戦争/逃亡の日々/才助とモンブラン伯爵/パリ万国博覧会/転機/明治新政府/商都大阪 |
●「長きこの夜」● ★★ |
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2010年05月
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12年前「黄落」を読んだときは愕然としました。 同作品が語っていたのは、今や老人を介護する側もまた老人の域に達しているのだという現実、際限なく続く介護という重荷、そしてその苦労が終わってみれば自らが介護される側に回っているかもしれないという恐れ。 冒頭の「風の舟」はその「黄落」の最終章ともいえる短篇。老父の最後となる日々の様子が描かれます。 本書は、そんな「風の舟」に始まり、老境に至った男たちの心の内を生々しく描いた短篇集です。 「黄落」を読んだときもそうですが、長生きが本当に喜ぶべきことなのかと私は思わざるを得ないのです。所詮「人間は生まれながらにして死刑囚」、生き延びるからには、人ととしての尊厳を失わず、また家族と喜び合える関係であっていたい。 思わず笑ってしまったのは「おにんどん」。定年退職して暇を持て余している老人たちが、50年配の女性を講師に頼み男性料理教室を始める話。 地味ですが、老境に至った息子、男、夫としての心の内をありのままに映し出した味わい深い短篇集です。 風の舟/長きこの夜/「わたし、どうしたらいいの?」/赤い珠/おにんどん/死者たち(ゆらゆら小舟/生還/ズルズル・バッタン・チェッ)/橋の声 |
●「動かぬが勝」● ★★ |
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2011年10月
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佐江さん久々の時代小説。 収録された7篇の味わいは実に様々。人生の悟りをつかむ話もあれば、仇討ちにまつわる悲哀、幕末維新後の時代に生きた剣客の逃れられぬ宿命、妖しい女の色香、寂しい人間同士が手を取り合う話等々と。 でも深刻にならず、どこか達観して彼らの姿を眺めている雰囲気があります。そこが軽やかであってなおかつ、味わい深い。 地味な作品集ですけれど、私は好みです。 中でも秀逸なのは、表題作の「動かぬが勝」。 「水の匂い」は、お互いに孤児という境遇の、見世物小屋の軽業少女と丁稚の少年の暫しの邂逅を描いた篇。 「動かぬが勝」と並ぶ秀逸な篇が、最後の「永代橋春景色」。 動かぬが勝/峠の剣/最後の剣客/江戸四話/木更津余話/水の匂い/永代橋春景色 |
●「兄よ、蒼き海に眠れ」● ★★ |
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本書、私は未読ですが「昭和質店の客」の続篇だそうです。 「昭和質店」が3人の客を主人公に、彼らの辿った戦争下での過酷な運命を描いた長篇であったのに対し、本書は昭和質店の2人の息子を主人公に戦争の悲劇を描いた長篇。この2冊をもってあの戦争体験を描いた、ということだそうです。 浅草に父母と幼い妹を残し、兄の善一郎は学徒出陣して“回天”の特攻隊員に。そして弟の昭二は学童集団疎開。家族と2人の息子の運命が戦争によって分かれます。 あの戦争がもたらした悲劇の物語をもう何度読んできたことか。それでも、決して飽きる、もういいやなどと思うことはありません。何度繰り返し読もうと、あの戦争の悲惨さはその都度胸を打ちます。 今回強く感じたのは、あの戦争が悲惨だったのは勿論のこととして、戦争の仕方自体に悲惨さがあった、のではなかったか。 善一郎は軍隊で、いわれなき暴力、制裁を訓練だという名目の下に繰り返し受けます。昭二もまた疎開先で、統率を理由にしての下級生への暴力、食べ物等を巻き上げて権力に酔い痴れる上級生の姿を目の当たりにします。 あの戦争のどこに正当性があったのか。戦争自体にしっかりとした目的、意義がなかったことから、下部においてこうした事態が生じたのではなかったか。 また、空の“神風”に対し、海の“回天”という特攻作戦。ただやみくもに出撃し、運よく敵艦に巡り合えれば攻撃するという風で、情報も戦略もまるでなし。そもそも不完全な特攻兵器、訓練中の事故死も多く、故障で発進できなかったことも多いと言います。 それなのに負けていない、最後には勝利すると言い続けていたのは、ただ虚勢を張って突っ張っていただけ、と思えます。 まるで現代の北朝鮮のように。北朝鮮の行動は、戦時中の日本を真似たものかと思うと、背筋が寒くなってきます。 |
17. | |
「エンディング・パラダイス」 ★★☆ |
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参ったな、全く。 佐江作品を読むのは6年ぶりですが、ここに来てこんな冒険エンターテインメント作品を読まされることになろうとは、思いもしませんでした。 主人公は孤高の老人=沼田昭平、88歳。 元畳職人ですが、妻も先に死去し家族もなく、無届の老人ケアハウスに入居していましたが、亡父=正作の死ぬ間際の願いを叶えようと、現地で行き倒れる覚悟でパブアニューギニアの奥地に向かいます。 というのは、ニューギニア戦線で負傷した正作は現地の住民に助けられ、密林奥地の村で3年間安らかに過ごしたのだという。 そのタントゴラン村へ赴き、村人たちに改めて感謝すると共に、その地に置き捨てられた日本兵たちの遺骨を少しでも収集して弔って欲しい、というのがその願い。 その昭平に同行して奥地のタントゴラン村を共に目指すのが、クルーズ船で知り合った、自ら“オバケ”と称する元気な日系二世の老婦人=テンバ・ターナ・ツルコ、何と90歳。 第一部こそ、戦時下において空襲を受けた国民の悲惨な状況、戦地での兵隊たちの過酷な状況を改めて語り残すという、佐江さん世代の遺言的なストーリィ。 それが第二部では一転。昭平とツルコの2人が、今も原始的な生活を続けるタントゴラン村のトウンガ族の中に分け入り、生活を共にすることによってむしろ、元気溌溂としてここでの生活を“桃源郷”のように感じるという、ターザン的ストーリィ。 そして第三部では、今や長老の一人となった昭平が日米中共同プロジェクトであるオイルシェール発掘事業を目にし、これまでの自然環境と安穏な生活が破壊されかねない危機感を抱くという、“ハリマオ”的なストーリィ。 何が正しいかを結論づけることはとてもできませんが、過去の戦争によってもたらされた悲惨な歴史的事実、日本の軍事力増強を目指す安倍政権への懸念、覇権拡大を進める中国への危機感、開発という名の自然破壊、といった多くの問題が本作の中で問題提起されています。 それと同時に、本来の人間の幸せとは、についても考えさせられます。何しろタントゴラン村で暮らす昭平とツルコ、本当に幸せそうなのですから(現実には問題も色々あるでしょうが)。 佐江衆一さんの記念碑的、と言って良い、痛快で濃い作品。 お薦めです。 第一部 老年の鉦を打ち鳴らしつつ南太平洋へ/第二部 精霊の森と大河セピックの風に吹かれて/第三部 大樹バウバウとタント・トウンガ |
18. | |
「野望の屍(かばね)」 ★★ |
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ヒトラー、石原莞爾(陸軍軍人・関東軍作戦参謀)という2人の人物に視点を当て、先の世界大戦を語った歴史事実。 本書に篭めた佐江さんの思いがどういったものであったかは、題名から感じられます。 2人の人物が抱いた「野望」・・・・それは「国家」の「野望」となり、多くの国民がその犠牲となり、他国の戦地で屍を晒すことになった・・・。 まさに歌にあるとおり、“草むす屍”“水漬く屍”に。 本書で語られているのは史実そのままです。 ドイツにおけるヒトラー、ナチス党の台頭、大陸における関東軍の身勝手な暴走。それからは転げ落ちるように、国際連盟脱退、日独伊三国同盟締結、日米開戦、そして多くの犠牲を出して後の敗戦へと繋がっていく。 軍隊という武器を手にしてしまったら使いたくなるもの。 ヒトラーの侵略も、関東軍の暴走も根幹はそこにあるように思います。銃規制をしない米国で銃乱射による悲劇が何度となく繰り返されているのも、同根のことと思います。 俯瞰してみれば、ヒトラーの行動は欧州他国への復讐心とユダヤ人に対する憎悪に裏打ちされたものであったようですし、関東軍の振る舞いは戦争ごっこをして思う存分威張ってみたかった、という以外の何物でもなかったように感じられます。 しかし、ドイツ国民も日本国民も、誑かされたと言うにしろ、当時その行動を支持したことは否定できません。それぞれ自国からの視点のみに立脚していたからなのでしょう。 やりたい、やってみせるという感情論ではなく、できるのか、できるための条件を整備できるのかという冷静な事実認識に立った分析・決断が必要であることは、今の社会においても変わらないことと思います。 本書には、あの時代を生きた人間の一人としての、怒り、悔恨が詰まっているように感じられます。 序/1.ヒトラーの"ベルリン進軍"/2.ドイツ留学の石原莞爾/3.ランツベルク監獄と「わが闘争」/4.理想と野心/5.関東軍の謀略/6.昭和テロリズムと謀略の満州/7.ヒトラ―首相となる・松岡洋右、国際連盟脱退/8.皇太子誕生とニ・二六事件/9.国民政府を相手とせず/10.日独伊三国同盟締結/11.対ソ戦か対米戦か。「最初の半年か一年はずいぶんと暴れてご覧に入れます」/12.チャーチルとルーズベルトの原爆開発計画/13.虚構と真実のノルマンディー上陸作戦/14.ヒトラー地下壕で新妻と自殺・マクダの少女たち悲惨/終章.草むす屍の大日本帝国の壊滅 |