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アメリカ&カナダの温泉コラム 2008年1月

カナダに在住して温泉開発をされているマイク佐藤さんから、昨年は「カナダの温泉事情」を紹介してもらいました。今年はアメリカとカナダの温泉に関するトピックを送っていただくことになりましたので、これから「アメリカ&カナダの温泉コラム」と題して紹介します。(項目見出しはクマオがつけました。)



第8回 北米の湯守



北米の温泉ファンは温泉宿にこだわらない

北米では入浴中の温泉ファンから「いい温泉はどこか?」とよく質問されることがあります。こちらの温泉ファンは野天風呂の中での会話を楽しむので、ゆっくり湯に浸かりたい時などは、少々煩わしく感じるほどです。北米の温泉ファンに「いい温泉」とは何かと逆に質問すると、ほとんどの人が「もう一度訪れたくなる温泉」と答える。そしていい温泉の条件として(1)野天風呂の風情(2)そのロケーションの二点を強調する。この2点が「いい温泉」の条件であることは、日本の温泉ファンともそんなに違いはないと思われます。日本だとさらに泉質(源泉)やもてなし、あるいは宿の施設などの条件が加味されるかもしれません。 

北米の温泉ファンは源泉掛け流しにはこだわりますが、効能や泉質にはあまり関心を持ちません。もちろん宿の施設などもあまり気にしません。もてなしとなるとほとんどの温泉ファンは期待すらしないと思います。たしかにアメリカにも朽ち果てた温泉地を買い取って、改修を重ねて細々とを営業している個人所有の鄙びた温泉があります。そんな温泉の中には経営者のポリシーのようなものを感じる施設もあります。なかにはアラスカ州のチェナ温泉や、ユタ州のミステック温泉のオーナーのような熱心な経営者もいますが、それでも一般の宿泊施設と同じようなサービスをするだけで、日本のようなきめ細かなもてなしをすることはありません。宿の従業員がデシャバルこともなく、オーナーが太鼓を叩いて客にコビルような事もありません。

さらに観光地化された商業温水プールとなると全体としてレジャーランド的な要素が強くなるので、オーナーが温泉を自然からの恵みとして感謝したり、そこまでこだわるかというと疑問です。これらの施設は商業第一主義ですが、温泉や周りの自然環境をアピールしても、日本のように料理の立派さをアピールすることなどはありません。これは北米では水利権の関係で、温泉旅館やホテルが乱立するような大きな温泉街ができないので、類似の施設との差別化をはかる必要がないからだと思います。ですから商業第一主義でも、温泉客に対する騙しが日常化した日本の温泉偽造表示問題のようなことはあまりおこりません。

それと北米の温泉ファンは「遠くに出掛けて温泉に入る」というレジャー行為が温泉そのものの効能なの知っています。そのため都市型の温泉だと温泉地に心身をリフレッシュするために出かける意味がなくなってしまうのです。ですから日本のように都会の人々の要求する利便性に対応した人工的な温泉を造る必要もありません。田んぼの中やビルの谷間に1500mも掘削したら、自然の贈り物でも霊験あらたかな温泉でも神のお告げでもないと、北米だと簡単に否定されてしまいます。

北米の温泉オーナーは自然保護派

日本だと温泉宿の主人の思いが感じられる施設や、オーナーの人柄が温泉評価の基準になることがあります。ところが北米ではオーナーの顔がみえないほうが、利用者にとっては好都合になります。北米の温泉のほとんどが州有地や国有地の中にあります。北米ではその温泉権が誰のものか日本以上に明確に所有権を定めていますが、私有の温泉地でもほったらかし温泉が多いのに驚かされます。

ほとんどのほったらかし温泉のオーナーは年に数回しか温泉に来ないので、温泉ファンからすると自分の温泉でありながらで所有感がゼロに等しいように見えるのです。そのためにかなりの私有温泉が州有地や国有地のように思われて、温泉ファンに自由に利用されているのが現実です。

数十万坪の温泉地を所有しながら、商業開発するのでもなく、広大な温泉地を無料で温泉ファンに開放しているオーナーの奉仕の精神には感心します。長い間、数十万坪の温泉地を無料で一般に開放できるのは、彼等のほとんどがその州の大資産家や名士であるからです。温泉を購入した動機は様々ですが、彼らは一様に自然遺産を保護しているような感覚で温泉を所有しているのです。

今年の1月21日に86歳で亡くなられた Meadow Hot Springs のオーナーの James L. Sorenson などはユタ州で一番の大金持ちでした。彼がどのような事情でこの広大な温泉地を保有していたかは知りませんが、現在でも温泉ファンに無料で開放されています。この温泉は泉温は38度と少し低いのですが、360度の展望のさえぎるものもない広大な牧草地の中にある湯量豊富な温泉です。野天風呂からの雪景色のパーバント山脈(Pahvant Mountain Range)の眺めは雄大で、アメリカで最も人気のある野天風呂の一つになっています。

温泉オーナー アランとの出会い

これはカナダのほったらかし温泉でも同じで、私有の6箇所のほったらかし温泉は、すべて製材業、石油掘削、鉱山開発、小売業などで財を成した人達が所有しています。これが日本の山あいの温泉宿を守る柔和な物腰の温泉宿の主人との大きな違いだと思います。

そうしたカナダのほったらかし温泉の典型的な持ち主がBC州のスクーカムチャック温泉(Skookumchuck Hot Springs)のオーナーであったアラン(Alan Trethewey)です。彼は昨年の8月10日に心臓の病気で、波乱に満ちた83年の生涯を閉じました。彼とは丁度亡くなる2ヶ月ほど前に温泉のログハウスで会ったのが最後となりました。ただその時は加齢による衰えは見えたが、16年前に初めて会った時と変わらない、年齢を超越したオーラを放っていたので、その2ヵ月後に亡くなるなるなど想像できませんでした。

1992年の2月中旬にハリソン西岸林道で私はアランと運命的な出会いをしました。その日の早朝にトロント空港を発った私は、バンクーバーク空港でレンタカーを借りて、スクーカムチャック温泉を目指してハリソン西岸林道を北上していました。今年は4月末まで林道が閉鎖されていたので、2月中旬に何とかこの林道を踏破できたは、この年の記録的な暖冬のおかげです。


スクーカムチャック温泉の源泉池


 


ハリソン西岸林道を通るのはその時が初めてなので不安が先立っていました。最初の60kmを通過した時点で対向車は2台の材木を運搬するトラックのみでした。そのうち途中から雨で路面が荒廃した悪路の区間が十数km続き、まるで賽の河原のように石のゴロゴロした下り坂にさしかりました。そうしたら前方から車の底を擦りながら、新車のキャデラックが急坂を昇ってくるではないですか。

交差するスペースがないので路肩に車を寄せて待っていると、車を降りて声をかけて来たのがアランでした。地獄に仏とはこの事で、話してみると幸運にもスクーカムチャック温泉のオーナーだといいます。私がトロントから温泉を目的に来た事を話すと興味を持ったのか、彼は次回には自宅に寄ってくれと住所を記したメモをくれました。この日ハリソン西岸林道の98kmの砂利道での遭遇した車が、彼の車を含めて僅かに3台だった事を考えるとほんとうに偶然の出会いでした。


スクーカムチャック温泉の露天風呂

露天風呂でくつろぐ温泉ファン

 



温泉を守る大実業家

私も最初はアランを日本の鄙びたランプの宿の、柔和な主人のような感じで見ていました。ところがすぐに彼は温泉宿の主(あるじ)の枠を超えた企業家であることがわかりました。バンクーバー近郊のアボットフォード市にある自宅を訪ねた時である。フレーザー流域を全体を見渡せる絶景の高台にあるカナダヒバのログハウスは、入口から1kmは運転しないと辿り着けませんでした。彼の自宅は400エーカーの農場の敷地の中にあり、周辺がすべて住宅地になっていることを考えると、その広大さが理解できると思います。さらに周辺の千数百箇所の住宅地はすべて彼の土地を分割して分譲した事もわかりました。

アランは父親から引き継いだアボットフォード市の材木会社をベースに、その後、製材、建設、鉱山、石油、農場と事業を他の分野に拡大させてきました。彼はカナダで3番目に大きな農場と、カナダで不動産価格が一番高いある島の大半の土地、そしてバンクーバー近郊の鉱山とその町全体を所有していました。また彼は開拓者精神にあふれた夢追い人で、“go ahead or go home,"を事業姿勢にしていましたが、慈善事業にも熱心な博愛主義者でした。彼は生家の“Trethewey House”をアボットフォード市に歴史館として寄付しました。長い間の慈善事業の功績で、彼の名前の付いた川や道路が何箇所もあります。私はこの時、彼の好きなだけ持っていけという言葉に甘えて、地下室のワイン貯蔵庫にあった彼の名を刻したワインを6本お土産に頂戴してきた記憶があります。

彼はハリソン湖の北岸に製材所を作り、その流域の伐採事業をしていました。その関係で1954年に林産省から流域の林道工事を委託され、その時にスクーカムチャック温泉に入浴して温泉のとりこになったのです。そしてスクーカムチャック温泉を1956年に買収してしまいました。温泉の土地は147エーカー(18万坪)と広大ですし、ログキャビンが三棟ありますので、毎年の管理の経費もかなりのものであったと思われます。しかしそれからカナダ政府に売却するまでの51年間、温泉ファンに無料でこの温泉を開放していたのです。

彼は温泉ファンが入浴中は野天風呂付近に出向く事はありませんでした。オーナーがいると温泉ファンがリラックスできないからとして大きな心で見守っていたのです。彼は昨年の1月に温泉は流域の先住民に返却するのが歴史的な使命と、この温泉をカナダ政府に売り渡しました。彼は81歳までは保養のために月に何度かは砂利道を自分で運転してこの温泉に来ていました。若者でも躊躇するような林道を自分で運転してくる、彼の年齢を超越した旺盛なパイオニア精神には誰もが驚いてしまいました。


先住民総会で握手するアラン(左)と先住民代表のジェラード酋長(右) 2006年10月

 先住民総会で挨拶するアラン(中央)

 



志の高い湯守

日本には泉質にこだわって、入浴客に温泉を存分にエンジョイして欲しいと日々努力している温泉宿の経営者がたくさんいると思います。しかし温泉宿の経営者がどんな経営哲学を持っていても、それを何十年も無料で奉仕するとなるとほとんどいないと思います。その点、日本と比較すると国土が広大なだけ、おおらかなスケールの大きな温泉のオーナーが北米には多いのかも知れません。

日本とはかなりタイプが異なりますが、北米にもユニークな志の高い湯守がいるのです。しかしどんな国の大金持ちでも、志が高くないと長期間無料で温泉を開放することはできません。ですから北米でも結局はオーナーの人柄や、志の高さが温泉を維持する重要な要素になっているのです。


マイク佐藤(Mike Sato)


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