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アメリカ&カナダの温泉コラム 2008年

カナダに在住して温泉開発をされているマイク佐藤さんから、昨年は「カナダの温泉事情」を紹介してもらいました。今年はアメリカとカナダの温泉に関するトピックを送っていただくことになりましたので、これから「アメリカ&カナダの温泉コラム」と題して紹介します。(項目見出しはクマオがつけました。)



第7回 アメリカ・カナダの温泉文化

北米の温泉ファンと温泉マニア

10年以上前ですが、温泉仲間のドンとチャールズと8月にBC州南東部のブルクリーク温泉(Buhl Creek Hot Springs)の調査をした事があります。この温泉はハイウェー93/95号線から、管理の行き届かない林道を50kmほど西にドライブしたところにあります。一部の温泉マニアにしか知られていない典型的なカナダの秘湯です。

秘境の温泉で早朝なので入浴者はいないと思っていたら、若い女性が一人全裸で野天風呂に入っていました。黒のジープのそばにテントが張られていたので、前日からキャンプをしていたようです。日本だったら女性が裸で入浴しているところに、突然、男性が3人現れたらかなり警戒心を抱くと思うのですが、こちらの女性の温泉ファンはその点では寛容です。上半身を野天風呂から乗り出して、とてもよい湯だと挨拶をしてきます。

金髪のナイスバディに声をかけられたらすぐに入浴すればよいのですが、ドンとチャールズは入浴前に必ずGPSで源泉の位置の確認し、温泉の詳細な記録を採ります。これは日本の大学で教えた事のあるチャールズの影響で、泉質、泉温、湯量など詳細に計測し、時にはリトマス紙でph値なども測ってメモ帳に記載します。そして最後にあらゆる角度からな写真を撮ってこの一連の行動が終了します。

すぐに入浴しないで源泉や野天風呂の周りをうろつく行動は少し異常なので、計測が終了して野天風呂を見渡したら、金髪のナイスバディはスポーツウェアーに着替えてテントをたたんでいました。通常の温泉ファンにはない異常性を感じて、恐れをなして早々に退散したのでした。混浴の語らいができなかった私の落胆も大きかったのですが、野天風呂に心身をリフレッシュするために来た彼女にも、無粋な行動をする3人と遭遇したのはまことに気の毒でした。

温泉を舐めたりする行動はかなり奇妙に映るらしく、何をしているかと時々その理由を聞かれる事があります。ところが北米の温泉ファンは泉質や効能などを話をすると、こんな大自然の中で、そんな細かいことはどうでもよいという顔をします。温泉は理屈でな感覚で入るものと思っている彼等にとってチャールズのような、日本では温泉通といわれるような人の行動はどうしても理解できないようなのです。

かつては鉱泉が栄えて

20年ほど前になりますが、最初にカナダでの温泉開発の計画した頃は、私は東部のオンタリオ州に住んでいました。人口300万人のカナダ最大の都市のトロントの近郊にです。カナダやアメリカの北西部には温泉はありますが、カナダ東部にはないので温泉を発掘できれば大きな事業になるとそのころは単純に思っていました。しかしオンタリオ州はカナディアンシールドと言う世界で最も古い地層上にあり、地下増温率も1.9度と世界平均の3度よりも低いので、掘削しても温泉を掘り出す可能性が低い事がすぐにわかりました。もちろんカナダ東部には自噴している温泉は記録にありません。

それでもこの調査の過程で意外な事実が分かりました。それまでは北米には温泉や鉱泉を利用した文化や歴史があまりないと思っていました。ところが150年程前にはオンタリオ州にも鉱泉宿がたくさんあり、アメリカやヨーロッパから鉱泉客で賑わっていた歴史があったのです。シャワ−やバスタブで身体を清潔にするだけではない、「鉱泉や温泉を楽しむ文化」が栄えた時代があったのです。

アメリカの コロラド州やオレゴン州にも、温泉や鉱泉や冷泉を意味する「スプリングス」の地名に付いた町が無数にあります。スプリングスだから温泉と日本人は連想しますが、ほとんどは冷泉で中には稀に鉱泉も温泉もあります。ニューヨーク州のサラトガ・スプリングズなども紛れもない冷鉱泉で温泉ではありません。

私も最初はサラトガ・スプリングズを温泉だと思っていました。ニューヨーク在住の友人がニューヨークにも温泉地があると言っていたし、日本語のガイドブックにもニューヨークに温泉があると載っていたからです。サラトガ・スプリングズはカナダの国境からはわずか4時間の距離なので、早速、家族で温泉旅行に出かけました。

フランクリン・ルーズベルトなどの著名人が訪れた、ルーズベルト・バスなどの建物はさすがに往時の栄華を偲ぶ建物でした。しかし泉温は12度で、博物館に行っても温泉 (Hot Springs) の記述はどこにもないのです。これは完全な鉱泉で、成文分析表や過去の繁栄を示す歴史的な写真などは無数にありますが、温泉 (Hot Springs) の記述を見つける事はできませんでした。

この鉱泉の風呂はバスタブだけで、日本の温泉をイメージしていただけに正直がっかりしてしまいました。これをニューヨーク在住の友人などは「入浴文化の違い」と言っていましたが、これは入浴文化の違いではありません。Springs は冷泉なのでこれを温泉 (Hot Springs) と日本語に訳した人が間違っているのです。この時代は泉の中で特に匂いがあったり、味がしたり、色が付いている水を鉱泉と呼ぶのが一般的で、その中で沸かさずに入浴できるものを温泉と呼んでいました。鉱泉を温泉に変換した人が間違っているのです。

たしかに日本のような曖昧な温泉の定義だとこれは立派な温泉になるので、今でも日本語のガイドブックなどにはサラトガ・スプリングズはサラトガ温泉と書いてあるのがあります。そのため日本の温泉をイメージして訪れる日本人の観光客があとをたたないのです。そしてそのイメージとの落差に失望して「入浴文化の違い」などと勝手に解釈したり、アメリカの温泉はこんなものかと思ったりしています。

鉱泉・温泉の発展

1800年代中頃までには、北米に来たヨーロッパの旅行者や、ヨーロッパからの移民して来た人々は、鉱泉や温泉が、いろいろな病気の治療において注目に値する治癒力を備えていると思っていました。当時はまだ衛生に関する知識や病院の医療の体制が不十分であったので、温泉や鉱泉は怪我やあらゆる病気にそれなりの効能がある思われていたのです。

鉱泉が持つ薬治効能が重視されていたので、北米でもレジャーというより療養を目的に温泉や鉱泉を利用する人が多かったのです。もちろん先住民も白人の入植者のくるはるか以前から、温泉や鉱泉の効能に気づき神聖な泉として利用していました。その神聖な泉がその価値のわかるヨーロッパからの入植者により、どんどん取り上げられていったのです。

ヨーロッパからの入植者が鉱泉を整備すると、鉱泉に引きつけられた人々によって町の人口が増えていきました。これらの施設は最初は開業医とやる気のあるビジネスマンの連携で、鉱泉や温泉が関節炎とリウマチを含むいくつかの病気に対するはっきりした治療法とまではいかないですが、それなりの効能があると安心を示すことに成功しました。


鉱泉客で賑わうワシントン州のガーランド・ミネラル・スプリング。写真からも過去の繁栄ぶりが想像できる。

 


そしてアメリカの各地にも西部開拓の時代に発見された鉱泉を中心に日本の温泉街のような雰囲気の町がたくさんできました。このような温泉や鉱泉町の独特の雰囲気は日本だけのものではなく、アメリカでも現存している温泉町や鉱泉の町には、そこはかとしたなんともいえない空気が漂っています。ウエストバージニア州にあるザ・グリーンブライヤー(http://www.greenbrier.com/site/)やインディアナ州のフレンチリック(http://www.frenchlick.com/)などは数少ない現存している鉱泉地です。

ザ・グリーンブライヤーはショウニー・インディアンの隠し湯がはじまりだったといわれていますが、現在はホテルやゴルフ場を併設した憧れの高原リゾートとなっています。広大な敷地の中にあるフレンチリックリゾートもカジノを併設した北米の典型的な巨大リゾートホテルとして繁栄しています。これらは人気のリゾート地なのでサンクスギビングやクリスマスなどの特別な週末は予約を取ることに苦労します。

ただし日本人がこれらの施設に日本の温泉をイメージして行くとかなり疲労感が残ってしまいます。これらの施設はヨーロッパと同じで、豪華な温泉施設ですが如何にも人工的で、温泉プールやスパなので、日本の温泉の感じは微塵もありません。ホテルのスパはゴージャス感がありますが、日本人が心身ともにリラックスできるかというと疑問です。

鉱泉・温泉の衰退

これらのほとんどの温泉や鉱泉は近隣の競合施設と差別化をはかる為に、現在では考えられないような温泉や鉱泉の効能を宣伝していました。ところが1890年代になり、近代的な病院や医療機関が整備されてくると、鉱泉や温泉では病気に対する即効性がないことがわかり、急激に需要が落ち込み、これらの施設を訪ねる客数が激減していきました。長いあいだ宣伝されていた効能の嘘が明らかになったのです。

そしてその後は鉱泉や温泉が体質的にあう高齢者などが、リューマチや皮膚病などの症状を緩和するために細々と利用するだけなりました。その結果、1900年代初頭にはこれらの其の温泉や鉱泉のほとんどが廃虚になったのです。オレゴン州などで山奥でも、其の当時の繁栄を物語る廃虚に出くわす事があります。


わずかに2〜3のキャビンだけが残る現在のガーランド・ミネラル・スプリング。写真の手前が大きな池が源泉で、鉄分を含む20度の鉱泉が豊富に湧き出している。

 


これらの温泉や鉱泉施設の衰退には、その他の経済的な要因や町の盛衰などの要因もありますが、法の整備により訴訟が常態化してきた北米の特殊な事情もあります。極端な例ですが日本のように「美人の湯」などと宣伝したら、美人になれなかった人から訴訟されるような社会になってきたという事です。それから薬事衛生法で温泉や鉱泉が身体に効能があると、宣伝する事が禁止された事も大きく影響しました。

オンタリオ州にあった20数箇所の鉱泉宿で、その後に復活されたのはありませんでした。ほとんどの施設はその地域の歴史の記録の中にあるだけで、その痕跡を今日に留めるものはありません。トロントから1時間半ほど西に位置するケンブリッジ市にあるプレストン鉱泉の空きホテルのみが、唯一、過去の栄華を現在に伝えています。かってそこには北米中からプレストン鉱泉にくる裕福な顧客に貢献するために、ノースアメリカン、デルモンテ,そしてサルファーの3つの主なホテルがありました。そして「鉱泉を飲んでください」と宣伝していたのです。


オンタリオ州のケンブリッジ市にあるプレストン・スプリングの栄華を今に伝える廃業ホテル

 


この長い不況を生き延びるためにその後、一部の温泉地や鉱泉施設は泉質や効能などに頼らないスイミングプールを中心とした総合施設に転換していきました。そして今日の大型レジャーランドやリゾート兼リラグゼーション施設となったのです。そこに少数ですがホテルやリゾートの付加価値を高めるために、1990年代に入るとスパが建設されるようになりました。これらはミネラル・ホットスプリング・スパと呼ばれ、日ごろのストレスや疲れを癒す目的で利用する温泉プールやエステ、マッサージなどを併設した主に温泉地にある複合施設です。

ですから北米の鉱泉や温泉に併設された Spa はヨーロッパの 「Spa」のイメージとは少しかけ離れた、北米独特のリラックスできる新しい施設だと言うことになります。もちろん北米の98%の Spa はホテル&リゾートスパやエステサロンですので、温泉や鉱泉との関連はほとんどありません。ミネラル・ホットスプリング・スパでも、サウナや温水プールやシャワールームなどの施設が完備された、いわゆる開発しつくされた温泉で、日本の温泉のイメージとはかけ離れているので、北米に来て Spa の看板を目にしたら温泉目的で訪れるのはやめたほうが無難です。

温泉の復興の動き

30年ほど前から、健康志向や高齢長寿社会を背景に、廃虚になっていた温泉や鉱泉を再生させようとする新しい動きもでてきました。野天風呂にこだわる温泉ファンの中から資金力があり温泉好きのオーナーがあらわれ、さびれた温泉施設を買い取り復興させた温泉地が増加してきています。

これらの温泉開発はその自然条件を生かすことを第一条件にしています。そして北米各地で、建物や設備は質素でもひなびた風情を漂わせている温泉施設が再生され、本物の温泉を愛する熱烈な温泉ファンに支持されビジネスとして成長しています。オレゴン州のブライテンブッシュ・ホットスプリング(http://www.breitenbush.com/)などはその成功した例になります。

過去の教訓もあり、北米にはロケーションも絶景の温泉資源が豊富にあるのですから、日本のようにビジネスを有利にするために泉質や効能を宣伝して、他の温泉施設との差別化をはかる必要性はほとんどありません。なぜなら北米の温泉ファンは、温泉の泉質や効能より北米らしい野天風呂の造りとロケーションにだけこだわって温泉探訪する人がほとんどだからです。

 

マイク佐藤(Mike Sato)


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