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カナダの温泉事情5 ミーガー・クリーク温泉開発の歴史 2007年2月



マイク佐藤さんからのカナダの温泉事情第5信は、自ら開発にたづさわったミーガー温泉についてです。(本文の小見出しはクマオがつけています。)


はじめに

カナダ・ブリティッシュコロンビア州(BC州)のミーガー・クリーク温泉(Meager Creek Hot Springs)はカナダで2番目の豊富な湯量を誇る大温泉地です。22の源泉があり、その湯量は毎分8千リットルにもなります。ミーガー流域に点在する、3箇所の温泉を含めた流域の総湯量は、この国で最大規模となります。私は1998年11月末に、このミーガー温泉にBC州の厚生省が正式に認可した、カナダで初めての源泉掛流しの野天風呂を建設しました。たぶん北米でも最初の日本風の野天風呂ではないかと思われます。この温泉には野天風呂の完成までの4年間と、その後の経営参加を含めて8年間も係わりました。



ミーガー・クリークとマイク佐藤


過剰利用の問題

94年の夏、BC環境省のコロンボ氏より、BC林産省がミーガー温泉の開発案を求めているので、林産省のテスデール氏との会談を仲介したいと打診されました。彼は環境省の開発担当者で、それまでに私が申請した2件の温泉開発を審査し、ある程度は私のアィデアを理解できる立場にありました。この会談でテスデール氏は、ミーガー温泉は大きな転機で、商業開発の可能性を含めて斬新なアイデアを求めていると言いました。

ミーガー温泉はBCではかなりポピュラーな温泉で、私もそれまでに何回か入湯しています。93年には4月から11月までのオープン期間中約3万人がこの温泉を利用し、飲酒、喧嘩などの警察沙汰が地方紙を賑わしていました。ミーガー渓谷には氷河期から生息する貴重な生態系があります。入浴客が増加した結果、ここにある植物の群生地に不法にキャンプして貴重な生態系を破壊する者があらわれました。


開発の難しさ

私はミーガー温泉の豊富な湯量は魅力でしたが、レクレーション・サイトに指定されているので、商業開発は不可能と思っていました。すでに某環境保護団体などは入浴禁止と温泉全域の自然保護の運動を始めていました。さらにミーガー温泉はバンクーバーから230kmの僻地にあり、片道4〜5時間はかかります。温泉の手前の45kmは未舗装の林道で、しかも冬季の積雪は2mになります。

これらの条件を考慮すると温泉開発はかなりのリスクがありました。ただそれまでの厚生省との交渉で、この豊富な湯量を利用をしなければ源泉掛け流しの温泉施設の安全性を証明することは不可能だと考えました。そうなればカナダに日本のような野天風呂を建設するチャンスが、永久に到来しない可能性があります。これが4年に及ぶ厚生省や林産省との長い困難な交渉の始まりとなりました。

この時点の厚生省の見解は (1)ミーガー温泉はヒ素の含有量が高すぎて、公衆衛生上の観点から温泉のオープンは認可できない (2)ミーガー温泉に86年からある二つの檜風呂は人工構造物なのでプール法を適用する (3)日本風の野天風呂が建設できる唯一の方法はプール法の適用除外しかないが、これには閣議の決定が必要で、今のところプール法に関してはカナダで前例が無いなどでした。

林産省の見解は (1)ミーガー・クリークの橋を壊さない限り、温泉マニアの行動を阻止するのは不可能である (2)ミーガー渓谷の大自然の中に温水プールはマッチしないので、プール法の適用はできるだけ回避したい (3)ミーガー渓谷は、BC州で最も地質災害の危険が高い地域なので、ビジターの安全を考慮すると温泉のオープンはリスクがある (4)わが社に温泉開発を任したいが、森林運用法がレクレーション・サイトの有料化を禁止しているので、契約は法律が改正されるまではできないなどです。


利用規制の行き詰まり

それまでに林産省はビジターを規制するため、温泉の7km手前にゲートを設置、数箇所にサインを立て、野天風呂のカラにするなど、あらゆる手段を講じました。しかしこの程度の対策では、カナダの温泉ファンの行動を止めることはできません。カナダの温泉ファンは、熊が出没しようが、20km歩こうが、平気で温泉を目指します。

新しい鉄製ゲートは2日でぶち破られ、林産省の担当者が脅迫されたり、管理人が暴行される事件も起きています。95年6月の厚生省の検査で、温泉のサンプル水の中から大腸菌が検出されたので厚生省と林産省は直ちに温泉を閉鎖し、新聞やラジオで温泉閉鎖を公表しました。しかし役所の通達ぐらいで、問題が解決する訳がありません。ゲートから温泉まで徒歩で片道2時間半で到着するのですから、温泉フアンはそれまでと同じペースで温泉を利用しました。

開発方法の議論

この時プランを聞きたいからと私が林産省より要請されたのは、前年に具申した私の案以外に方法がないと判断したからだと思います。この会談で私は、大腸菌は水質より管理の問題なので、温泉の豊富な湯量を活かして日本のような野天風呂を建設すれば解決できると主張しました。それまでの檜の野天風呂はボランティアが造ったものなので、排水口もなく野天風呂を完璧に清掃がする事ができませんでした。

しかし95年末の厚生省の担当者との会談では、私も日本の温泉の常識が通じない厳しさを知りました。カナダには温泉法がないので、大自然の中にある温泉でも厳格にプール法に従って建設、運用しなければなりません。ただ自然にできた天然の野天風呂ならばプール法の適用対象外なのです。しかしボランティアが86年に建設したミーガー温泉の二つの檜風呂は人工構造物と認定されました。檜風呂はたしかに人間が作ったものなので誤魔化すことはできません。ただ人工構造物と認定されるとミーガー温泉にプール法が適用されます。

プール法が適用されると、源泉掛け流しや天然石の野天風呂はほとんど不可能になります。それでも私はあくまで (1)源泉掛け流し (2)水着着用はオプション (3)野天風呂は檜や天然石でつくる (4)野天風呂の底は玉砂利 の4点にこだわりました。ところがプール法では (1)塩素消毒が義務付けられ源泉掛け流しは認めない (2)商業プールなので家族も楽しめるように水着着用が望ましい (3)木は滑りやすくバクテリア付着するので適切な材料でないし、天然石は入浴客の安全上問題がある (4)浴槽の底はコンクリートで密閉すること と、すべて却下です。

環境保護団体の反対と公聴会

96年の4月9日のバンクーバー・サン紙にミーガー温泉の記事が大きく載りました。大自然の中の原始温泉に、プール法で温水プールを作らなければならないことを取り上げてくれました。テレビでもこの問題が放映され、環境保護団体はミーガー温泉を自然保護区にして商業開発を阻止しろと訴えました。ところがマスコミは入浴客の行動や大腸菌の問題を中心に取り上げます。警察官の出動や治安悪化のほうがニュースとしてはインパクトがあるからだと思います。

これで逆にヒ素の問題の影が薄くなりました。実はそれまでは温泉に含まれるヒ素がこの温泉開発の最大のネックだったのです。厚生省があくまでヒ素の問題にこだわれば、ヒ素は温泉そのものに含まれているのですから認可の可能性はありません。その当時は管内の井戸からヒ素が検出されて大問題になっていたときでした。火山性の温泉は常にヒ素の含有率が高く、飲料水に適する水しかプールには利用できないので、温泉を保護できる可能性はなかったのです。

それをヒ素の含有率の高い二つの源泉の使用禁止と、噴気地獄にあったサウナ小屋を取壊すことだけで厚生省を説得できたのは大成功でした。噴気地獄は将来の温泉開発の目玉でしたが、マスコミが大腸菌や温泉の治安対策の不備で厚生省にプレシャーをかけたのが幸いしたようです。

8月中旬にペンバートンからノース・バンクーバーまでの3ヶ所で公聴会が開かれました。その公聴会で“温泉地の自然環境にマッチした源泉掛流しの野天風呂を建設し、管理人を置いて入浴料を徴収し、それを開発業者にリースする”という自然保護と入浴のバランスをとった私の原案に近い案が答申されました。

その当時、私はトロントに住んでいたので、温泉仲間のドンとチャールズにこの公聴会に出席してもらいました。参加者の90%は環境保護の活動家なので、商業開発の案は簡単に否決されています。商業開発と言うと大半の人がすぐにハリソンやバンフの温水プールを連想します。日本風の野天風呂と説明しても、誰も見たことがないので説得力がありません。それまでの温泉開発はリゾートホテルや温水プールなので、それも当然の反応です。そのため温泉開発が発表をされると、環境保護派や温泉ファンは開発反対にまわります。早期に日本風の野天風呂を建設して、新しい開発パターンがある事を知らせなければなりません。

温泉開発の計画

96年10月に林産省より、BC州の有名リゾート施設や公共プールの設計を数多く手がけた、ジョン・ロッキンガハムというプールのコンサルタントを雇うので、彼と協議するよう要請されました。野天風呂の写真と資料はすべて私が提供しました。最大の課題は源泉掛け流しので、温泉が換水する時間です。彼は30分なら厚生省を説得できるというのです。30分ではミーガー温泉の豊富な湯量を持ってしても、野天風呂のサイズや数に影響します。彼の今まで設計した数百のプールで塩素消毒の設備のないので、どうしても私の要求した1時間の換水は許可しませんでした。

97年11月にミーガー温泉のマスタープランが答申され、林産省と我が社の共同経営案が示唆されました。ミーガー渓谷は第四期火山帯で、地質災害の危険がBC州で一番高い地域といわれていました。過去にも異常天候時にカプリコン川に土石流が発生するので、何度も橋が流出しています。そのため温泉開発は林産省にとっては大きな賭けでした。入浴客が土石流に巻き込まれて死亡する可能性が高かったからです。それで温泉は日帰り入浴施設のみで、キャンプは温泉から7km手前の安全地帯に建設するよう進言されました。

ミーガー温泉は土石流で閉鎖される危険に常にさらされているので、安全な場所に安心して入浴できる施設が必要になります。そこで新しく建設するキャンプ場の中に温泉施設を建設する事を提案しました。ただしキャンプ場の予定地には温泉が無いので、ボーリングする必要があります。試掘となると林産省の予算は付かないので、結局、私の資金で試掘する事にしました。試掘の結果は550mで47℃前後と、20年程前にBC電力がやったL6の試掘殆ど同じ結果でした。その当時は450mより深いと石油用の掘削機が必要なので、ジョンは予算がないから無理だと言いました。後で日本温泉協会の視察団にこの話をしたら、日本では1500mもボーリングするのでもったいないと驚いていました。

98年7月末の試掘の最中にペンバートン盆地を記録的な猛暑が襲い、凄まじい土石流でカプリコン川が氾濫し、林道も橋も流されて地形が一変していました。ミーガー温泉で86年、46台の車が一週間も閉じ込められ、ヘリコプターで救出されたという恐ろしい話が実感できました。

野天風呂建設

98年9月末、ジョンより予算が取れたので入札に参加して野天風呂を建設するよう要望されました。ロッキンガハム氏の報告書では、最初の野天風呂だけでも30万ドルはかかることになっています。ところが政府補助金は僅かですから、完全に赤字になります。こうなれば、私が赤字覚悟で落札するしかありません。なぜならこのチャンスを逃せば日本風の温泉がどんなものであるか、地域住民や関係者に見せられなくなるからです。

工期は11月末までの45日間。野天風呂の原案は鳥塚氏が書き、それをロッキンガハム氏がプール法にあわせて設計し、許可のスタンプを厚生省からもらいました。最終的には、換水1時間の源泉掛け流し、1源泉から1野天風呂、ヒ素含有の高い源泉の使用禁止、水着着用の自由(裸入浴可)、自然石の露天風呂など、私の年来の主張が殆ど認められました。ある源泉は毎分1500リットルもあります。その源泉から野天風呂が一つしかできません。もったいない話ですが仕方がありません。



野天風呂の建築現場
1mも掘ると至る所から温泉が湧き出す


右から造園指揮の鳥塚氏、マイク佐藤、
林産省のジョン・ホップキン氏、ジョン・クルックス氏



工事の完成と新たな問題

10月中旬から着手した工事は雪や氷雨などの悪天候でかなりの難工事でした。ところが建設に参加した全員が、北米で最初の日本風の野天風呂建設に燃えていました。工事が三分の一ほど進んだころ、解体した桧の野天風呂の底から数トンもある大きな川石が現れました。人力ではとても動かせません。準公園なので建機の使用は禁止されています。図面では、基礎を15cmの鉄筋コンクリートで枠で作り、その上に自然石を載せるような工法なっています。ロッキンガハム氏に図面の修正をお願いしたのですがプールの基礎だといって譲りません。

ジョンに相談したら、積雪ですぐに工事ができなくなるので、その前に私の一存で完成してくれとのことでした。ジョンは無理して予算を分捕った立場上、どうしても工期内に完成させたかったのです。じつはこれが翌年大問題に発展します。工事途中までは、環境保護団体の監視役が毎日のように来て工事の進み具合を写真に取っていました。それも工事が進むにつれて納得できたのか、来なくなりました。

99年5月末に林産省との3年間の共同経営案に調印しました。林産省でも最初の試みなので、パイロット・プロジェクト扱いになっています。3年後には30年以上の長期リースか、温泉払下げに努力するというものでした。 

99年6月中旬、4年ぶりにミーガー温泉がオープンしました。地元紙が早速、素晴らしい野天風呂が完成したと記事にしました。ところがその記事を見た厚生省の担当官が、前年の設計変更と監査が済んでいない事に激怒したのです。ジョンは林産省の担当者として野天風呂のできばえに満足していました。しかしプールは厚生省の管轄なので、営業停止命令を受け取るしかありません。この件で両省の担当者が協議をしている最中に、43人の客が温泉に2日間も閉じ込められる緊急事態が発生しました。土石流でカプリコン川の橋が流出し、道路が寸断されたのです。こうなれば議論の余地はありません。即刻、閉鎖です。


プール法から除外の閣議決定

7月中旬に両省から総勢12名の調査団が来ました。野天風呂の評価と今後を協議するためです。その時、野天風呂には十数人の入浴客がいました。閉鎖命令を無視して、徒歩で2時間半かけて不法侵入し、勝手に入浴している人達です。ところが彼等は厚生省の調査官に、口々にカナダ一の温泉だとアピールしたのです。調査官も想像していたより野天風呂がまわりの環境に溶け込んでいたので、安堵したようでした。

設計変更の許可を取らずに建設したので、後は取り壊すか、認めるかの二者択一です。そこで協議の結果、プール法からの免責を進言することが決まりました。調査官が林産大臣に厚生大臣との協議を進言し、厚生大臣がプール法からの除外を閣議に提案し、閣議決定してもらうという順序です。99年8月末、クラーク首相が辞任する一週間前の閣議で、ミーガー温泉はカナダで初めてプール法からの適用除外になりました。


ミーガー温泉の公開と人気

9月初旬、日本温泉協会の視察団がミーガー温泉のに来ました。これだけの大温泉地なのに、数十キロ以内に居住者がゼロで、温泉街がないのを驚いていました。野天風呂の評判は高く、このシーズンだけで十数社のマスコミが取材にきています。カナダ国内だけでなく、米国、ドイツなどからも多くの温泉フアンが訪れました。

ほとんどの入浴客は野天風呂の風情と、安全で清潔な環境に満足して温泉を楽しんでいました。ただ遊歩道料の徴収やキャンプ禁止の件で、ローカル紙に非難の投稿記事が何回も載っています。日本風の野天風呂を造るのに、我々が4年間も下交渉をしてきたことをほとんどの人は知りません。そのため厳しい規則になったのは、私のせいだと勘違いしたようです。



ミーガー温泉の三つの野天風呂のひとつ


温泉の払い下げ交渉

2001年は5月から11月までのオープン期間に10000人の利用客がありました。2年目なので前年のような問題はほとんどなくなりました。ただ山火事シーズン、猛暑、豪雨時などは、林産省から温泉をすぐに閉鎖するように無線が入ります。1年前の安全対策の報告書のマニュアルで運営しないで、人身事故や土石流が発生した時の責任問題を林産省は恐れていたのです。

しかし天候次第で温泉の開閉がわからないでは、長い目で見て信用問題になります。温泉客はバンクーバーから来る人が多いので、4〜5時間もドライブしてから温泉に入れなかったら頭にきます。ところが役所はお客よりも事故があった時に非難されることを恐れていたのです。たしかに過去15年間、何度も道路や橋が流され、温泉に入浴客が閉じ込められています。役所の立場も理解できるので、この混乱を避けるには、林産省の傘下からミーガー温泉を切り離すしかありません。そのためには払い下げか、長期リースが欠かせません。

2002年初頭より、林産省とこの件で本格交渉に入りました。しかしBC州では温泉の払い下げはこの70余年は皆無ですから、成功する可能性はあまりありません。州立公園とレクレーション・サイトの保護は、BC州政府にとっても聖域です。ただ財政事情の悪化で、BC州に1436箇所あるレクレーション・サイトの無料運営を見直す機運が高まっていました。


交渉の挫折

2002年4月にはバンクーバー・サン紙に、38箇所のレクレーション・サイトは商業開発の可能性もあると政府高官が言及したという記事が載りました。その中にミーガー温泉もありました。私はビクトリアで、本格的に本省の担当者との交渉に入りました。これらの38箇所は遠隔地あり、そのために投資してもあまり利益は期待できません。更にこの交渉が余りにも煩雑なので申請者が次々と脱落し、9月頃には私だけになってしまいました。商業開発を可能とするには森林運用法の改正が必要です。ところが38社がまとまるならまだしも、1社だけでは林産省も森林運用法の改正に取り掛かる事ができません。

2002年10月初旬にBC政府の方針が決まりました。州立公園とレクレーション・サイトの土地、施設はBC州民のものであり、商業開発やリースは認められないと厳しいものでした。予期していましたが非常に残念な結果でした。2003年10月末のミーガー渓谷を襲った集中豪雨で、ミーガーとカプリコン川の二つの橋が流失し、温泉へのアクセスは不可能となり、今日まで閉鎖されています。


終わりに

ミーガー温泉の開発では、プール法からの適用除外や、北米で最初の源泉賭け流しの野天風呂など、北米の温泉史に記録される貴重な体験をさせてもらいました。たしかにかなりの資金と8年間もの時間を浪費した側面もあります。しかしこの温泉の開発に関わった事で、資産にしたものもあります。

それまでは北米の温泉の商業開発と言うと、温水プールや温泉リゾートしかありませんでした。そのため、環境保護団体や温泉ファンは、温泉の開発が計画されるとすぐに反対にまわりました。ところがこの野天風呂に入湯してからは、自然に配慮した新しい温泉開発もあると言う事が理解できるようになったのです。

その後は、BC州の政府関係者、市町村議員、環境保護団体、温泉ファンなどで、私の温泉開発に異議を唱える人はほとんどいなくなりました。ミーガー温泉を“Japanese-style hot spring”と称して、日本風温泉という言葉も定着しようとしています。その結果、ONSENと言う言葉の理解できる温泉ファンも徐々に増えつつあります。ワシントン州のシーニック温泉の買収の際は、その業績を評価してくれ、80人もの温泉ファンが友の会を結成して協力してくれるようになりました。


マイク佐藤 (Mike Sato, Scenic Hot Springs)


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