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カナダの温泉事情10 カナダ先住民と温泉開発 2007年4月



マイク佐藤さんからのカナダの温泉事情第10信は、カナダの先住民と温泉開発の現実についてです。(本文の小見出しはクマオがつけています。)



先住民と土地条約

カナダの温泉開発では、これまで述べた法律の制約と共に、日本には存在しない先住民の土地交渉の問題があります。アメリカでは1980年代には先住民との土地条約交渉はほとんど終了しました。しかしカナダでは国家の基本に関わるこの問題が、百数十年間も未解決のまま残っています。BC州では2000年のニスカ族が協定にサインしたのみで、100以上ある部族の中にはいまだ交渉のテーブルにすら着いてない部族もあります。

1997年にカナダの最高裁は、カナダ建国の頃からあった先住民の固有の権利を認めるという判決を下しました。この大陸は本来は先住民のものでした。ですから建国や国家の発展と共にヨーロッパ系の移民が彼らの土地を接収して、居留区に押し込めたことになります。その際には先住民は、力関係で不本意な協定を結ばされました。それを見直し、新たな自治権を付与する新しい土地条約を成立させ、百数十年間の負の遺産を清算しようとしています。

しかし十数年間で数千億の国家予算を費しながらカナダ政府と先住民の交渉は遅々として進みません。現時点ではニスカ族が協定にサインしただけです。ただここ1〜2年以内にサインしそうな部族が数部族あり、その中には In-SHUCK-ch Nation も含まれています。

BC州では州有地が土地条約の対象

土地条約交渉は非常に難しい問題で、私もその全容が理解できる訳ではありません。これを簡単にたとえると、日本のアイヌ民族が、数百年前は北海道全域を自分達が支配していたので、その土地を返還しろと要求するようなものです。日本の場合、そんなことをしたら国が成り立たなくなります。洞爺湖温泉も定山渓温泉もカムイワッカの湯もすべてがアイヌ民族のものになってしまいます。

幸いにもBC州は93%が州有地なので、州有地に関してのみBC州政府は連邦政府と協議しながらこの要求に応じることにしました。このために、先住民の問題が絡むとほとんどの州有地内の開発案件がストップしてしまいます。これがカナダの経済発展を妨げる大きな要因になっています。土地の所有権がハッキリしないので、投資するしようとする企業も躊躇します。

州有地の温泉開発はデリケートな問題

私有地はこの土地条約交渉の対象ではありません。さすがこの広大なカナダでも私有地まで対象になれば収拾がつかなくなります。BC州ではほとんどの温泉が州有地にありますので、温泉開発を申請すれば必然的にこのデリケートな問題に直面します。

最高裁の判決が出てからは、先住民に相談して賛成の手紙をもらうことが必要になりました。管轄の行政区はガイドラインとして、州有地内の開発申請では公聴会までに先住民からの賛成の手紙を求めています。この土地条約交渉では、数百人の部族でも政府から与えられる土地は埼玉県よりも大きい土地になることもあります。

ですから管轄の行政区は温泉の開発は理解できても、州有地の中に一箇所でも私有地や長期リースの土地があると土地交渉に影響しますので、それを未然に防ぐ意味で、まず開発に反対します。ケリー温泉やジョフリー・クリークの開発ではこれが開発反対の大きな理由でした。

先住民の賛成を得るのは

カナダ人の場合は、カナダ政府は書類が残っていないと証拠として採用しません。しかし先住民の場合には口述の歴史が認められています。今までに折衝した先住民の酋長は、個人的には好感の持てる人がほとんどでした。事務所での会話やビジネス・ランチでは友好的ですが、手紙はなかなか送ってくれません。

これはその長い苦難の歴史の中で身につけた交渉術で、彼らはおしなべてべて大変な政治家です。握手したりして友好的に振舞っても、結局は手紙や書類のような証拠は残しません。口述でなら後でいくらでも修正できます。BC州政府が必要なのは先住民からの開発賛成の一枚の手紙です。ですからこの一枚の手紙のために何年も費すハメになります。

ビジネスは時間との勝負ですので、申請が何年も放置されればこちらが妥協するしかありません。待つことで先住民が失うものはないからです。日本人がテレビの中で知っている「インデアンは嘘は付かない」などのイメージとは違う天性の交渉術を身に付けています。顔の色が近いから友好的だなどと思うのは幻想です。私はある酋長に、二本の手とは何度も握手してるので第三の秘密の手と握手をしたいと、ジョークを言ったことがあります。

開発反対の理由

先住民と言ってもカナダの先住民は、弓矢や斧で襲いかかってくる訳ではありません。日常語は英語で私達と同じように普通の生活をしています。先住民のほとんどは居留区に住んでいます。居留区に行くとその部族特有の生活習慣や伝統文化を見ることができます。一般のカナダ人と比べて先住民には特別の権利があります。それは納税の義務がないということです。居留区内のビジネスならどんなに所得があって税金の心配はありません。もちろん所得税も消費税も払う必要がありません。狩猟や漁業でも特別の権利を持っています。

先住民は、将来の地域の開発のための重要な観光資源として「温泉」を位置付けています。ですからこの土地交渉でも温泉には特別な関心を示し、温泉開発を申請すれば通常は反対の立場を取ります。反対するには大義名分が必要ですから、温泉リゾートやホテル建設などでは環境破壊や伝統文化の保護などが理由になります。

私が申請する野天風呂の開発計画は環境に配慮したプランなので、環境保護団体でも正面からの反対はムリです。そこでこのような場合は、温泉は祖先の神聖な清めの場所で聖地であると主張します。これは伝家の宝刀で、聖地保護の大儀があると政府の関係者でも正面からの反論は難しくなります。あるいは考古学的な価値があるなどです。

ジョフリー・クリークの温泉開発

バンクーバーから150km程ほど北上すると、人口二千人余のペンバートンの町があります。そこから16kmほど東にジョフリー・クリークがあり、途中に先住民のマウントカリーバンドの村あります。氷河が源流のジョフリー・クリークは奥入瀬渓谷を凌ぐ美しい渓谷で、ここに10年程前にボーリングをしたことがあります。部落の境界線から1km東で、ここから次の町までの80kmは私有地がありません。唯一の私有地である4200坪のこの土地にログキャビンを建てて、温泉開発を申請しました。

この土地に温泉の可能性があるという情報は土地を買う2年ほど前に入手しました。1973年の石油危機の後に、連邦政府とBC電力は新しいエネルギー資源として地熱に注目して、大掛かりな地熱資源探査を実地しました。その探査に従事した関係者からこの情報を聞いたのです。そこに温泉の可能性があることを知っているのは、この地熱探査に参加した地質学者やオタワ大学の教授だけです。そこでジョフリー断層上にある唯一の私有地を買収して、先住民が反対しても温泉開発が出来る準備をしておきました。

キャビンから250mほど坂を下るとリルエットレイクがあり、その湖畔に硫黄泉が湧き出しています。ここは先住民の魚場の端にあり、卵の腐ったような匂いの硫黄泉のあることは彼らも知っていました。湖畔に沿って200mほどの範囲に湖の中で温泉が湧き出しているのが確認できます。

湖畔から5m程の砂浜に18℃の硫黄泉があります。湖の水温は8℃ですが、温泉が湧き出している付近の水温は13〜14℃ありますので、温泉が広範囲に分布していることが推測できます。しかし泉温が18℃ですから、誰も熱い温泉が地表近くで湖の水に希釈されているとは思っていません。日本ならすでに掘削で高温泉を出して、湖畔に温泉旅館が建っていると思います。

自分の土地でテストボーリング

魚場は連邦政府の所有で、仕事のない先住民が焚き火をしながら使っています。そこにたむろしている人達は、不遇な境遇にあるだけに先住民の中でも独特の考えを持っています。そこに10棟ほどの掘っ立て小屋があるのですが、無許可建築で完全な不法占拠です。不法占拠でも彼らの協力なしにはボーリングはできません。

そこでマウントカリー族のアーレン・スティジャー酋長に面会しました。温泉のことを酋長に話したのですが、温泉はミーガー・クリークにしかないと本気にしてません。さらに魚場は酋長の反対派がたむろしているので説得は難しいと言います。

源泉の側なら100mのボーリングで温泉の湧出が可能です。しかし酋長が難しいというので自分の土地にボーリングをすることにしました。BC州のエネルギー・鉱山省も地熱資源の存在は確認しているのですから、600m未満で温水が湧出すれば温泉となります。ボーリングが始まると先住民が興味深そうに見に来ます。

300mのテストボーリングで23℃の温水が確認できました。温度を測定した技師が、断層破壊帯にぶち当たらない限り、地温勾配から推定して、700mで43℃〜45℃の温泉の可能性があると言います。私は500mでの温泉湧出を考えていましたので、このボウリングは失敗です。後にこのボーリングの結果を日本温泉協会の視察団に話しました。すると団員の一人は「日本の掘削深度と比較してうらやましい」と耳打ちしてくれたのを覚えています。


マウント・カリー・バンドにある標識
自分達部族をNationと表している

アーレン・スティジャー酋長(右)と
自宅前のトーテムポール

ジョフリー・クリークのテスト・ボーリング
300mで23℃の温水が確認できた

州有地のボーリングは支持されなかった

ところがこの技師の話を聞いた先住民が顛末をアーレン・スティジャー酋長に話したようです。そのうちに風向きが変わってきました。そして数日後のローカル紙に、マイク佐藤が掘削に成功した、そして「数百年前から湖の中から温泉が湧き出しているのを先住民は知っていた」と言うアーレン・スティジャー酋長のコメントものっています。

アーレン・スティジャー酋長は流石に政治家です。酋長も最初は半信半疑だったのに、ボーリングの結果を聞いてまずは唾を付けておこうと考えたようです。彼らの場合はこの新聞記事でも立派な正史になってしまうのです。非常に温厚な名酋長で、幾度となく食事をしたり自宅にも招待されました。秋には酋長がサーモンを、私の自宅まで届けてくれたこともあります。

しかし最後まで州有地内のボーリングを支持する手紙は届きませんでした。それでも広域行政区役所は、25室のロッジと5棟のキャビンを含む温泉開発を許可はしました。これは私有地ですから先住民が反対しても関係ありません。テストボーリングの結果では600mまでに45℃の温泉湧出は困難で、温泉があってもスパリゾートになってしまいます。日本なら文句なしの温泉ですが、カナダではこれでは温泉ということはできませんので、後にリゾート開発業者にこの土地を売却してしまいました。

 

スクーカムチャク温泉の場合

そうした部族の中で一番温泉に理解のあるのがスクーカムチャク・インデアン・バンドのジェラルド・ピーター元酋長です。 Skookumchuck とは先住民の言葉で ”Good Water”の意味で、有名な Skookumchuck Hot Springs があります。現在はこの部族が所有する温泉はありませんが、土地交渉が妥結すれば、彼らの伝統地域の中には5つの温泉が含まれることになります。そうすればカナダで一番温泉を保有する自治体になります。

149年間も個人所有であったスクーカムチャク温泉を先日連邦政府が買い上げました。土地条約交渉のパッケージの中にこの温泉を含めたのです。先住民には温泉を買収する資金はないので、国に買い上げさせて無償で払下げをうける格好になります。

ジェラルド・ピーター元酋長は他の3部族を含めた In-SHUCK-ch Nation の政府との交渉委員長で、温泉の払下げのアイデアも彼のものです。私は十数年来の友人で一緒にスローケット温泉に入湯したこともあります。インデアン時間と言って時間には割合ルーズな先住民が多い中で、ジェラルドは効率的な仕ことの出来る酋長で、早くから温泉を将来の観光開発の目玉にしようと計画していました。

私はジェラルドに頼まれて、現在この部族の温泉開発の相談に乗っています。僅かに1000人程の部族ですが、バンクーバーにも近いし道路事情が改善されれば5つの温泉を所有できるので、カナダで一番の温泉地になる可能性があります。現在、土地条約交渉は最終段階のステージ5ですので2年で妥結する可能性があります。

私が友人と10年程前に再発見した August Jacob’s Hot Springs は彼等のものとなってしまいます。この温泉は1927年以来、正式な入湯記録のない幻の温泉でした。毎分200リットル、泉温51.5℃の温泉が霊峰の風光明媚な峡谷から湧き出しています。先日もジェラルドに幻の温泉である Glacier Creek Hot Springs のヘリコプター探査を頼まれました。


スローケット温泉でジェラルド・ピーター元酋長(In-SHUCK-ch Nation)と


 

 


先住民の土地交渉が終わるまでは

1990年代から2002年にかけて、BC州政府はほとんどの温泉を州立公園や生物保護区にして、商業開発ができないようにしました。しかし先住民は特権がありますので、BC州内の未開発温泉は、この土地交渉が終了する頃には大半が先住民の所有になる可能性があります。カナダには先住民が先に住んでいたのですから、温泉開発は彼等の協力なしで不可能です。これもこの国の特色で、すべての部族の土地交渉が終了するまでは温泉開発はかなり厳しくなると思われます。



マイク佐藤 (Mike Sato, Scenic Hot Springs)


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