ドイツ(ハノーバー)の回顧録 〜delicious pork cutlet〜

*渡航記録

期間: 1991年3月〜2週間
ルート: 成田→フランクフルト→ハノーバー→フランクフルト→ ジュネーブ→成田


見本市会場「ハノーバーメッセ」の早朝の様子

憧れのヨーロッパ

憧れのヨーロッパに出張に行く事になった。しかし運の悪い事に時世は湾岸戦争の真っ只中。 中止すべきかどうかぎりぎりまで社内で判断がつかなかったが、出発予定日の直前に戦争が 終結した為、会社に大きな保険をかけてもらって行く事に決定した。

いよいよ出発。成田発ルフトハンザ航空の飛行機に揺られて約12時間、まずはフランクフルトに 到着。フランクフルトに到着したのが夕方で、時差の8時間を考えると日本は深夜のはず。 今回の渡航で大きな時差を初めて経験したが、人間の体は不思議なもので、今いるところが夜に ならないと眠くならないみたいだ。という訳で、私の場合は時差の苦痛はほとんど感じなかった。

車の形や建物の形、言葉、文字、その他全てがヨーロッパを象徴しており、今ヨーロッパに 来ているという事を肌感覚で実感できる。問題は食事だ。今回のメンバーは7人で通訳も2人いる。 食事の注文等の心配はないが、なんせ私は和食党なので連日の洋食に耐えられるか・・・。

フランクフルトで一泊したホテルの深夜の廊下で、髭を生やした女装の男とすれ違った。 ロングヘアでスカートを履き、立派な髭を生やした状態で女性らしい振る舞いで歩いていた。 凄くアンバランスな風体が今でも目に焼き付いて離れないが、あの男は一体何だったのか。 世の中は広い。日本じゃない事をあらためて感じさせられた瞬間だった。翌日目的地の ハノーバーに新幹線で移動し、そこで仕事が始まる。


最大規模の見本市「CeBit」

見本市「CeBit」はヨーロッパ最大規模のコンピュータ関連の展示会である。 そして今回の渡航目的は自社プランドの売り込みである。自社ブランドを大胆にもCeBit’91に 出展してしまった。開発担当の私は展示製品の説明員としてはるばるドイツまで来た という訳だ。当然説明は英語で行うが、この時の為に6ヶ月間社内の英会話セミナーで しっかり鍛えてある。が、ちゃんと通じるはずもなく、その為にカナダ人の美人姉妹2人が 通訳として同行している。

カナダ人姉妹はエンジニアではないので技術的な事はまるで分からない。そのせいで 思ったよりも通訳を通して会話するのが難しく、できるだけ自力で説明しないといけない 局面になってきた。いよいよ6ヶ月間の英会話セミナーの成果が試される時だ。 CeBitの開催期間は10日間。日を追うごとに英語での説明ができるようになり、 結構自信もついて来た。そしてそんな時に事件は起こった・・・。

5日目の朝、開場の準備をしようとしたところ、製品を動かす為の大切な部品が見あたらないのだ。 昨日帰りぎわに置いたところには無い。考えられる事はただ1つ、 盗まれてしまったのだ。重要な部品なので置き場所をきちんと決めてあったのだが、 そこに無いという事は盗まれたとしか考えられない。外部からは建物の構造上侵入できないはずで あるが、保管場所には鍵が付いておらず、この場所まで近づく事ができる人間であれば簡単に 盗む事ができる状態になっていた。大きな物ではないので毎日持ち帰るべきだった・・・。

見つからないと思いつつ、一応盗難届けを出すとすぐに私服警官がやって来てあれこれ状況を 聞かれた。しかしその私服警官はヨレヨレのコートを着ており、まるで刑事コロンボのような風体で なんだか頼りない。これが映画なら最後に解決してくれるのだろうが、実際はそうはいかない。 調書にしても後で読めないような汚い字で書いたり、全然やる気がないようだ。 当然ながら盗まれた物は出てこなかった。

動かなくなった製品に張り紙をして注意を引こうとしたが、お客さんは皆興味は示すものの 笑うだけで説明を求める人など誰もいない。10日間の会期中、半分がダメになってしまった。 残された道は必死にパンフレットを配る事だけ。やはり海外では盗難に十分注意する必要が ある。良い教訓になった。


ドイツの休日

休暇は2、3人ずつ順番に取る事にしていた。同じ休暇メンバーでいっしょに観光に出掛けるが、 私はどうしても1人で観光してみたくて、私だけ単独行動する事にした。上司に単独行動はやめる ように命令されたが、自己責任としてやらせてもらった。わざわざバスの運転手にあれこれ聞いたり、 道を歩く女性に声をかけて写真を撮ってもらったり、多くの現地人との会話を楽しんだ。

ドイツ人はある年齢以上の人は英語が全くダメで、逆にそれ以下の人はほとんど話せるのである。 何故なら英語教育の方針が変わり、学生のうちにイギリスにホームスティさせるのが一般的に なったからだそうだ。日本も是非そうしてほしいものだ。子供の内に狭い島国から世界に 出して色々経験させる事により、きっと情操面や精神面が変わると思う。それにしてもハノーバーと いう所は本当にのどかな雰囲気の街だった。

食べ物で美味しいのは何といっても豚カツである。ドイツにも豚カツがある。 日本のと違って肉も衣も大変柔らかく、とても美味しくていくらでも食べられる。 ドイツに来てから毎日一度は必ず豚カツを食べていた。


感動のヘレンハウゼン大庭園
レストランの中には英語で書いてないメニューの店もある。ドイツ最後の日にみんなで食事に 出かけ、カナダ人姉妹の提案でドイツ語で書かれたメニューから各自適当に選んで注文する ゲームをしようという事になった。何が出てくるかは出て来てからのお楽しみというゲームだ。 しかし適当に注文した割りには肉や魚など美味しい料理が出てきて、みんな結構満足だった。

そんな中で注文した食べ物がたまたま野菜サラダだった人がいた。Y氏である。Y氏が選んだ 食べ物は野菜サラダだったのである。もちろん本人はそんな物を注文するつもりはなく、 みんなに笑われながら大変不機嫌そうに食べていた。自分で注文した物だけ食べるルールなので 野菜サラダ以外は食べてはいけない。寂しそうに食べてる姿がとても印象的だった。


ハノーバーの夕方の繁華街

10日間の見本市が終わり、翌日フランクフルトまで戻ってから次はスイスのジュネーブに向かう。 ドイツで失敗したのにスイスなんか行っていいのか・・・。いや、いいんだ。失敗は成功の元なんだ。 都合良く自分に言い聞かせながら頭の中はすっかりスイス。スイス航空のエアバス機に揺られ、 じっと目を閉じる私だった。



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