初めての出張の巻

〜1986年〜



最悪のタイミング
社会人となって1年が過ぎ、初めて出張に行く事になった。三重県のとあるお客さんに納めた製品が トラブったからである。出張に行く前に状況を分析して問題を突き止め、ソフトを修正してROMを作り 直した。このROMを現地に持って行って交換し、動作確認すれば作業完了。のはずだったが・・・。

出張当日の早朝、準備を済ませて駅に行くと何だか駅の様子がおかしい。駅員によると東京近郊のJRは全部 運行不能になっているとの事。そんな馬鹿な話はそれまで聞いた事がない。一部の路線が運行不能になるのは 良くあるが、JRが全部不能になるとは一体どういう事か。原因は何者かが送電線のケーブルを故意に 切断した為らしい。全く迷惑な話である。駅員に復旧の見込みを聞いてもわからないと言うし、 どうしてこんな日に限って初めての出張なのか。まさに最悪のタイミングであった。

その頃いっしょに出張に行く予定の上司はニュースを聞いて三重県まで行く事を断念。いち早く会社に行き、 スケジュールを見直すつもりでいたらしい。これは正しい判断である。今でこそ携帯電話が普及しているが 当時はそんな物はなく、お互い家を出て駅に向かえば連絡を取るのはまず無理である。連絡員でも決めておか ない限り電話で打ち合せるのは不可能という事になる。そうなれば会社に連絡するか、あるいは会社に 行くしかない。と言っても早朝なので誰も出勤してないし、JRが止まっているので会社に行く事もできない。 しかしこの時点でJRが止まっている範囲は駅員でも良くわからない。もしかしたら上司は問題なく東京駅に 向かっているかもしれない。新幹線は動いているとの事なので、東京駅まで行ければ良いという事になる。 私の頭の中は一瞬で『何とかして三重県まで行かねば』、という思考で一杯になった。

◇ ◇ ◇

バスを求めて
さてどうしたものか。JRが止まっているなら私鉄を使うしかない。しかし近くに私鉄は走っていない。 頭の中がグリグリ回転し始めた。「あの駅まで何とかして行ければ○○線がある。そこからXXして YYして□□線に乗り換えて・・・」。しかしルートを決めたのはいいが肝心の駅までの足がない。 当然ながらタクシーは捕まらない。こうなればバスを使うしかない。バスがあるのは2つ先の駅である。 どう考えてもそこまで行くには歩くしかなかった。しかし時間がないのでゆっくり歩いている訳にはいかず、 私は重たい荷物を持ったまま2駅の道のりをひたすら走る事にした。

こんな朝っぱらから一体何をやっているのか。自分のやっている事が正しいのかどうかわからない。しかし走る しかない。途中で何度も止まりながら、やっとの思いで目的の駅までたどりついた。ここで西武バスに乗って 西武線のどこかの駅に出れば・・・。バスはメチャ混みだったがなんとか西武線の駅まで到着した。この時点 で私は足がフラフラだった。しかし頭の中には『何とかして三重県まで行かねば』しかなかった。

私鉄を乗り継いで新宿駅までやってこれた。駅構内は人の渦。駅の構内で人間がトグロを巻いている様は後にも先にも この時しか見た事がない。これでやっと東京駅まで行ける。ホッとしたら急に腹が減るもんである。 東京駅に到着した時には上司との約束の時間はもちろんとっくに過ぎている。そして当然上司はいない。 普通なら早く会社に連絡して指示を仰ぐべきであった。しかし初めての出張で勝手がわからず、何しろ 『何とかして三重県まで行かねば』しか頭にない人間にとってはここに来る事が最優先だった。ここに到着した時点で 連絡しても遅くはなかっただろう。いや、どう考えてもすべきであった。なぜ連絡しなかったのか記憶は定かではないが、 とにかく連絡せずに次に発車する新幹線に飛び乗ってしまった事だけは覚えている。

三重県に到着して客先に行ったが上司は来ていない。その頃上司は会社で私からの連絡をひたすら待っていた。 私はここでようやく会社に電話をかけた。「お前何やってんだ!今どこだ!連絡が遅い!」。電話口から 上司の怒鳴り声が聞こえてくる。「今三重に到着しました」と言うと、「何だと!バカヤロー、どうやって 三重まで行ったんだ!」。結局電車は午後に復旧し、上司は夕方到着した。はあ、とんでもない一日でした。

◇ ◇ ◇

動かない、どうしよう・・・
上司の到着後、頭を切り変え仕事にかかった。経験一年でもプロの端くれ。くたくたに疲れてるとは言えしっかりと 仕事をやり遂げなければならない。巨大な機械の蓋を開けて基板を剥き出しにし、東京から持ってきたROMに交換した。 電源を入れて動作確認。あらら・・・動かない・・・。プログラムを修正したあたりの動作を させるとシステムが止まってしまう。これはあきらかにプログラムの修正ミスだ。くたくたに疲れているところに さらに追い打ちがかかるような事態。思えばこれが社会人になって最初の修羅場だった。一体どこの修正を ミスったのか。ここにあるのはPROM-WRITERと空のROM、それにプログラムのソースリストだけである。 たとえソースリスト上で修正ミスが見つかったとしてもソースプログラムを修正してオブジェクトモジュールに落とせる環境は ここにはない。今でこそパソコン一台あれば何でもできてしまうが、当時はインテル製の専用開発マシンがなければ何も できなかった。当時の事を考えるとテレビCMで「インテル入ってる」などと聞こえてくるのがまるで 夢のようである。結局お手上げ状態となり、無意味な出張になりかけてしまった。

しかし問題の解決方法が1つだけある。それはROMを直接修正する方法である。持ってきたROMをPROM-WRITERにコピーし、 PROM-WRITER上でマシン語で直に修正して空のROMに焼き込む方法である。しかしこれは容易な作業ではない。実に困った事に なってしまった。ところが運が良かった。修正ミスの箇所がすぐに見つかり、しかもその箇所は元々マシン語に近い形で 作った部分だった。作り方が違っていたらこの修正方法はまず不可能である。さらに運が良い事に修正する必要が あるのはほんの一部だけだった。これはいける。絶対にいける! 初めての修羅場から脱出できそうな瞬間だった。

1つ付け加えておくと、一般的にソフトウェアを修正した場合は必ず何らかの方法で動作確認を行って から納品する。だがマイコンシステムの場合はこれが容易ではない。なぜならマイコンシステムのソフトウェアは ハードウェアと密接に関係しており、ハードウェアがあって初めて本来の動作確認ができるからである。 最低でもシミュレーション環境が必要になる。だが大半は仮想的な動作確認となり、実際のハードウェアに リンクさせるまでは動作保証できない。今回はまさにこのパターンだった。入社1年でまだプロになり きっていない私はいきなり厳しい局面に立たされてしまった。

マシン語を修正してROMを焼き込み、基板に装着して動作確認を実施。結果は正常動作。出張の原因となった トラブルも解消され、完璧な動きとなった。この時は涙が出そうなくらい感動した。もちろん修正内容は 東京に電話して先輩にアドバイスしてもらった事は言うまでもない。しかし時代は変わった。 今だったらノートパソコン一台あればこんなに悩む事はなかっただろう。例え環境がなくても会社の誰かに プログラム修正を依頼し、メールで送ってもらえば事は済む。情報武装された今の時代では当時の緊迫感を 味わう事は不可能かな。

この時若干20歳。何はともあれ一皮剥けた出張であった。



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