やったぜマイカー!

〜1985年〜



車選びに没頭
私は学生時代から社会人になったらすぐに買おうと思っていた物があった。それは車である。当然あてに するのはボーナスである。だが一般的に新人が最初に貰うボーナスは寸志といってかなり額が低い。 これはまだ会社への貢献がないから当然の事である。私が勤めていた会社も例外ではなく、夏のボーナス 支給時に新人には寸志が支給された。金額はというと、前々から先輩にウチのボーナスは安いよと聞かされて いた通り、寸志として貰ったのは2万円であった。寸志を車購入の頭金の一部にと考えていた私は、 その額の低さに驚いた。しかし私はどうしても車が欲しく、貰った2万円の寸志を握り締めて 毎週のように中古車屋を回り始めた。

トヨタ、日産、マツダを始め、中古車屋を探し歩き、適当な車を見つけるべく奮闘した。私が考えていた 車は車体価格が30万円以下の車である。これは一応身分をわきまえていたと言えるだろう。 しかし30万円以下で20歳の若者が好むような車はほとんどない。塗装が剥げかかった真っ赤なサニーや おっさんが乗っていたと思われる茶色のコロナ、それから傷だらけのスプリンターに 「もういい」と言いたくなるようなファミリア。どれもこれも私の趣味には合わない。

私が欲しいと思っていた車はスカイラインGTだ。しかし車探しを始めてそれが無謀な事だとすぐに 分かった。30万円以下の車を探しているとは言え、中古車屋に行って「これなんかどうです?」と 上物を紹介されると、どれどれと言いながらシートに座ってしまうあたりは気持ちを見透かされていると しか言えない。営業マンとしてはローンを組ませればそれでOKだ。80万円のファミリアターボを 紹介された時だったか、営業マンはヘラヘラしているおじさんだったが、気がついたら私は運転席に 座ってエンジンを掛けていた。そして助手席にはそのおじさんが座り、つまり試乗するという訳である。 私は内心買えないのにと思いながら、甲州街道を走ってみた。それにしても良く回るエンジンだ。 やはりターボは違う。試乗が終わる頃には「買うならターボだ」という心境にさせられていた。 しかし結局無い袖は振れない。

◇ ◇ ◇

ついに見つけたぞ
車を探して1ヶ月程たった頃、ある中古車屋で格安のカリーナを見つけた。距離は7万kmぐらいで 色はシルバー。車体価格が29万円だった。1ヶ月探して30万円以下の車を何台か見てきたが、 他はどの車もこの車以下だった。30万円以下の車はこの辺が関の山だと自分に言い聞かせながら、 そのカリーナを買う事にした。やった、これで私もカーオーナーだ。車の価値など関係なく、 とにかく自分の車を持つ事が目標だった私は嬉しくて仕方なかった。

1週間後に車が納品された。この日をどれだけ待ち焦がれた事か。納品された車を見ると別の車ではない だろうかと思える程綺麗に仕上っていた。車内も綺麗に磨き上げてあり、29万円でも捨てたもんじゃない という気になった。私は書類にサインをし、そのままドライブに出かける事にした。 夢にまでみた自分の車でのドライブ。今でもあの感激は忘れられない。甲州街道を都心方面に向けて走り、 途中で環八に入って大田区方面に向かった。引っ越して約1年経つが、それまで2年間住んでいた 蒲田の街を車で流していると何だか知らない街のように思えた。都会で生きるってこういう事なのかな・・・。 ま、そんな事は車を買ったばかりの私にとってはどうでも良い事であった。

羽田空港まで足を延ばして京浜島まで行った。車を止めてタバコに火を付け、満足感を味わった。 車の中から着陸する飛行機を眺め、「ああ、これで俺もオーナーだな」と、訳のわからない感傷に しばらく浸っていた。それから毎日車での通勤が始まった。車だと夜遅くまで仕事をしても 最短時間で帰れる。

その後一気に運動不足になった事は言うまでもない。



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