独身寮、三畳一間の幸せ

〜1985年〜



怪しげな独身寮
就職すると同時に私はそれまで住んでいたアパートを引き払い、会社の独身寮に引っ越す 事にした。私はそれまで「寮」と名の付く建物に住んだ事がない。私の想像では、「寮」と呼ぶ くらいだから建物の形がアパートのような構造になっており、それぞれの部屋の中には簡易ベッド ぐらいは設置されているだろうと思っていた。しかし引越しの当日、その寮に行ってみて愕然 とした。地図で示されたその場所にはいわゆる「寮」らしき建物はなく、そこには数十年は経って いるだろうと思われるお化け屋敷のような一戸建てが建っていたのである。

これが寮かと思い恐る恐る表札を見てみると、確かにそこには『○△□株式会社 ○×寮』と小さな字で 書かれていた。この時のショックはいまだに忘れない。何しろ玄関先にはいつ出したかわからないゴミが山積み。 そして建物の横には大きな庭のようなものがあるが、草や木が勝手に生い茂って森みたいになってる。 真ん中付近にある不気味な池からは河童が顔を出しそうな気配。寮というよりも、この建物には人が 住んでいるのか疑いたくなるような、そんな怪しげな屋敷であった。

玄関のブザーを押してしばらくすると、トックリのセーターを着た男が出てきた。「寮長は居ますか?」と 聞くと、その男は「私が寮長です」と答えた。私の名前を告げると部屋を用意してあるから荷物を入れるように 指示された。そして玄関に入ってさらに愕然とした。そこには明らかに履けない状態の履物が無数に散乱して いたのである。思わずここはゴミ溜めかと思ってしまった。玄関を入ると右側にはリビング らしき部屋があり、奥には大きなキッチンがあった。しかしキッチンまではとても歩いて行けそうにない。 何故ならその部屋は古雑誌の置き場所として使われているようで、無数の雑誌が無造作に放り投げられて 何重にも重なって散乱しているのである。足がはまってとても歩けそうに思えない・・・。

左側の階段を上がり、二階の部屋に案内された。「ここが君の部屋だ。ちょっと狭いけどね」。 寮長にそう言われて部屋のドアを開けると、そこは三畳間の古風な部屋だった。畳みの数を二回数えて みたがやはり畳は三枚しかなかった。それまで四畳半が世の中で一番狭い部屋だと思っていた私は、 三畳間の狭さと世間の広さに驚いた。四畳半のアパートで使っていた荷物を全部部屋に入れると 自分の居るスペースがほとんどなく、寝るときはコタツを縦にしないと布団が敷けない。 この面倒臭さにはホトホト嫌気がさした。

それにしてもトイレの状況だけは我慢できなかった。その寮のトイレは汲み取り式である。しかも二階の トイレは汲み取り式にもかかわらず洋式なのである。素晴らしいアンバランスである。別に洋式だろうが和式 だろうが拘りはないが、ウジ虫が地中から二階の便器に向って這い上がってくる様は何とも哀れで恐ろしい光景だった。 どうしてウジ虫は便器に向って這って来るのか理由がわからず、それを見ながら腕を組んで考えた事があった。 考えた結果、ウジ虫にも一応目標があるんだなという結論に至った。小便をする際、小便でこのウジ虫を 洗い流す事は言うまでもなく自然な行動であり、日課でもあった。ところでこの状況で洋式の便座に座ってしまうと 下の状況が見えなくなる。つまりウジ虫の動きが見えなくなるのである。これでは安心して座っていられないのが 人情というもの。という訳で、私はこのトイレをできるだけ使わない事にした。

就職した会社に自分の部屋まで用意してもらい、これは幸せな事だと思うべきなのだろうか。この屋敷に限っては 相当なこじつけだが、そういう事にしておくほうが楽な気分になれる。かくして私はこの三畳間に約一年お世話になり、 その後は少し偉くなって六畳間に移動した。さらに一年後、十六畳+四畳半二間という所帯でも持てそうな 一番大きな部屋を占有する事に成功した。二年かかって手に入れたこの部屋は寮の中ではいわばスイートルームである。

普通の部屋に引っ越すまでの三年間、いつしかこの寮に愛着すら感じるようになった。住めば都だね。



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