干支の犬 特集 |
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来年、平成18年の干支は戌(犬)。犬は人間にとって大昔から最も親密な動物である。我が国でも縄文・弥生土器とともに様々な獣の骨が発掘されているが、犬の骨は砕かれておらず、食用ではなかったらしい。爾来、専ら忠実な猟犬、番犬として、あるいはペットとして飼われている。近頃の愛玩犬には美容院で毛を整えられ、化粧をされ、さらには服まで着せられているものもあるが、どうも筆者の趣味には合わない。しかし、昔も今同様のことがあったらしい。狆(ちん)を飼うのが流行した江戸時代、普通は家の中で首輪や胸飾りなどを着けて飼ったといい、その姿は郷土玩具にも残っている。これらは羽衣のような飾りを着けているので“羽衣狆”とも呼ばれる(1)。左より名古屋(愛知県)、下川原(青森県)、佐土原(宮崎県)の土人形。このうち、佐土原の狆は来年の年賀切手に採用された。高さ12cm。貯金玉に作られている。(H17.11.5)

江戸時代の座敷犬は狆に限られていたので、郷土玩具の犬もご覧のように殆どが狆である。狆は日本原産の犬で、体重は数kg、体高も25cmに満たない矮小種。江戸時代には狆の頭や体幹、尾にある斑模様によって侍斑(ぶち)、奴斑、鞍掛け斑、尾止め斑などに分類していた。侍斑とは頭部の“ちょんまげ”のようにみえる斑のことで、侍斑のある狆は珍重されたという(前回お見せした下川原の狆がそれか?)。さて、今回は立ち姿の狆を3種。手前より富山土人形、八橋土人形(秋田県)、常石張子(広島県、高さ21cm)。どうやら3匹とも奴斑のようである。(H17.11.10)

番犬や神社の狛犬がそうであるように、犬には外敵を防ぐ役目が期待されている。そこで、厄除けの犬と縁起物の鯛とを組み合わせた「鯛狆」と呼ばれる人形が作られた。犬に配する鯛の色は邪を祓う神聖な赤であり、
“疫病の災いを去(い)ぬ”というシャレである(2)。狆が鯛を抱いている図柄は、高松張子(左、香川県)をはじめ小幡(滋賀県)や御坊(和歌山県)などにも見られるが、中野土人形(右、長野県)のように鯛を口に咥えている姿は珍しい。高松張子の高さ14cm。(H17.11.18)

犬はお産が軽いというので、昔から安産を願う時には何かと犬が登場する。懐妊すれば、5ヶ月目の戌の日に腹帯(岩田帯)を巻き、産室には犬の形をした雌雄一対の「犬箱」(犬筥、おとぎ犬)を飾る。犬箱は安産のお守りとして、室町時代に京都の上流階級で始まった風習である。往時の犬箱は長さ1尺ほどの張子製の箱で、上下に開くように作られており、中には守り札や化粧道具を入れた。張子の上から厚手に胡粉を塗り、さらにその上から金泥を塗って大和絵風の松竹梅などを優雅に描く、という豪華な作りである。嫁入り道具の一つとされ、小型のものは雛祭りの雛道具にも加えられた(3)。写真は一閑張(紙張りに漆塗りをしたもの)で作られたミニチュアの犬箱だが、童顔の表情や体の飾り模様に昔の面影を忍ぶことができる。高さ7cm。(H17.11.20)

上方の犬箱のなごりが江戸の犬張子である。東犬(あずまいぬ)とも呼ばれる。江戸から各地に移入され、さらに少しずつ変化した。犬張子は近親者から“お宮参り”の贈り物にされることが多かった。一匹で、しかも立ち姿なのは、犬のように強く育ち早く独り立ちするようにとの願いが込められている。一方、竹籠をかぶった犬張子(ざる被り)は、泣く子の“虫おさえ“の縁起ものとして売られる。”竹かんむりに犬”で
“笑う”という字になるからだ。また、ざる被りに紙縒り(こより)を通して天井から吊るしておくと、子どもの鼻詰りが治るともいわれる。これも“ざるは水を通す”のシャレから。前列左より、豊川(愛知県)、谷中(東京都)、水天宮(東京都)。後列左より、浜松(静岡県)、会津若松(福島県)。ざる被りの高さ9cm。(H17.12.4)

人形の町・鴻巣で作られる練り物の犬。12年に一度、戌年に因んで売られる。練り物とは、桐のおが屑を生麩糊で練り、型抜きしたものを乾燥し、表面に彩色して作る人形(技法)をいう。土人形に比べて堅くて壊れにくく大量生産や輸送に都合がよいことから、昔から子ども用の安価な人形には練り物製が多かった。全身が赤く塗られているのは子どもの疱瘡除けのためである。日本では古来、赤は厄を払う神聖な色とされるからだ。また一説には、“疱瘡の神は赤色を好む”ので、赤い人形が子どもの身代わりになると信じられていた。鴻巣の練り物には赤く塗られているものが多いので、練り物を総称して「赤物」と呼ぶこともある。高さ9cm。(H17.12.10)

赤坂(筑後市)で作られる土笛の一種。雉、鳩、鶏、ふくろうなど鳥笛の類いが主だが、犬、兵隊、太鼓、鯛乗り童子なども土笛になっている。ほかに天神、招き猫、猿、馬乗り鎮台などの土人形がある。いずれも素焼きに胡粉をかけ、わずかに着色しただけの素朴な出来上がり。現在、赤坂土人形の伝統を守っているのは「赤坂飴本舗」という飴屋さんただ一軒となった。明治から大正期には屋台の飴と一緒に人形を売り歩いたのだそうだ。長さ8cm。(H17.12.10)

こう並べてみると、犬の郷土玩具には圧倒的に白犬が多いようだ。もっとも、異国の珍しい犬を目にする機会があった長崎には黒犬の人形もあるにはあるが。博覧強記の南方熊楠によれば、西欧では黒犬は悪魔の化身として嫌われることが多いという。これに対し、中国では仙人に従う犬が黒犬であったり、我が国では南山に向かった弘法大師を導いたのが白と黒の二匹の犬であったり、大盗賊を退治してみれば白犬であったりして、“東洋では必ずしも黒犬を凶物としなかった”らしい。しかし、我が国でも仏教が遍く世に広まった“後世に至って白犬は多くは仏縁また吉祥のものとされて居る”という(4)。多くが江戸期以後に創始された郷土玩具では、殆んどが白犬なのも当然かもしれない。後列左より吉備津の古型高麗犬(岡山市)、山口人形の犬(新潟県水原町)、中列左より西尾の犬(愛知県西尾市)、堤人形の犬(宮城県仙台市)、前列左より吉備津神社の狛犬(岡山市)、住吉の睦み犬(大阪市)。堤人形の高さ5cm。(H17.12.11)

前回お話した古賀人形の黒犬。長崎市北東部にある古賀では400年も昔から土人形が焼かれている。ここは長崎街道筋にあたっており、その地の利から鎖国時代にも異国の風物にまつわる情報がもたらされた。爾来、カピタンや西洋婦人といったバタ臭いモチーフと、赤、緑、黄、黒、金など強烈な原色を多用する大陸的な色彩とが古賀人形の特徴となっている。高さ18cm。(H18.2.13)

小欄にとって平成30 (2018) 年は二度目の戌(イヌ)歳である。世は空前のペットブームだが、正統派のペットといえば、やはり犬と猫だろう。そして、犬派と猫派はそれぞれの魅力に熱弁を振るうのである。飼い主には忠実だが、他人には吠えかかる犬の性格も、犬好きにとっては好ましいものに映る。これは、犬の先祖である野生のオオカミやコヨーテが群れを作って共同生活し、他の群れを決して寄せ付けず、また群れの中の上下関係に敏感であることに由来するという(5)。一方の猫好きには、主人にだけ尾を振る犬の“おべっか性”が気に食わない。猫はトラなどと同じグループの血をひき、単独生活者として独立独歩の性格を持っているため、猫は時として飼い主にも連れない態度をとるが、猫好きにはこれもまた堪らない魅力のようである。猫が純文学のテーマになるのに対し、犬が主役になるのは動物文学や大衆小説、少年読物ぐらいなのもこうした理由という(6)。高さ12㎝。(H29.12.3)

漢字の“犬”は、疾走する犬の姿を縦にした象形文字である。ケモノ偏(へん)もやはり犬の字を縦にしたものなので、イヌ偏とも呼ばれる(7)。このように犬はケモノの代表格であり、人間にもなじみ深い動物なので、オモチャになるのは自然の成り行きである。写真は左が三春張子(福島県)、右が伏見人形(京都府)の座り狆。江戸時代に飼われていた座敷犬といえば狆であり、羽衣のような胸飾りを着けていたので羽衣狆とも呼んだ(犬01・02)。伏見人形の高さ11㎝。(H29.12.3)

犬の玩具でよく知られるものは犬張子(犬05)である。誕生祝いやお宮参りの贈り物にしたり、三月の節句に飾ったりする犬張子だが、そもそもは産室に置いて魔よけにした犬筥(犬箱、いぬばこ)(犬04)が起源とされる。犬筥では犬がつくばった形に、面(かお)は幼子に似せて作られていたが、犬張子になってから面も体も犬そのままに作られるようになった。ただし、資料によれば古型の犬張子は写実的に作られており、頭部は今のように丸くなく、耳も鼻先も本物の犬のように尖がっていたようである。写真は左から伏見張子(京都府)、出雲今市張子(島根県)、金沢張子(石川県、高さ11㎝)。出雲と金沢の犬張子は首振りである。(H29.12.3)

漢字「献」は旁(つくり)が犬で、立派な容器で犬の肉を煮てご馳走する意味だという(6)。日本では縄文期の貝塚を発掘すると、土器とともに犬の骨も出土するが、打ち砕かれていないことから食用ではなかったと考えられる(8)。しかし、大陸方面では昔から犬の肉を食べていたらしい。漢の高祖、劉邦の重臣である樊噲(はんかい)の職業は「屠狗」(犬肉屋)であったし、やはり名将である韓信が高祖に謀反を疑われ自殺する時、「狡兎死して走狗煮らる」(すばしこい兎が死ねば猟犬は不要になって煮て食われる)と嘆いたことからも窺がえる(7)。特に赤犬は美味いので珍重されたが、「羊頭狗肉」の喩(たとえ)もあるので、やはり羊や豚の味には敵わないのだろう。犬の骨や干し肉は漢方薬にもなる。写真は伊勢土産の犬張子。赤もの(三重06)が有名な伊勢では、犬張子も練り物製である。高さ10㎝。(H29.12.3)

英国統治下の香港では、動物愛護の観点から犬食が禁じられていたが、かげでは犬の肉が「三六香肉」と称してこっそり売られていたそうだ。これは「狗」の音が「九」に通じることから、九を三と六に分けて商品名にしたものである(9)。韓国でも犬肉のスープ「補身湯」(ぽしんたん)」用にパック詰めが売られている。1988年にソウルオリンピックが開催された時は、欧米の批判を恐れて表通りから犬料理店が一掃されたという。犬であろうと鯨であろうと、自分たちが食べないからといって、他人が食うことまで口出しするのもどうかとは思う。車付きの高さ14㎝。(H29.12.3)

いっぽう、犬を大事にし過ぎて失敗したのは江戸元禄期の「生類憐みの令」である。五代将軍・綱吉は後嗣に恵まれなかったため、「人に子なきは前世多殺の報い。殺生を慎み、生類を憐れむべし」という高僧の言を容れ、極端な施策を打ち出す。自らが戌年生まれなので、特に犬には手厚い保護が加えられた。犬の毛色まで記録した戸籍を整備し、10万頭の野良犬収容のために広大な敷地に犬舎を建設した。餌代など膨大な費用は町人から取り立てた。犬が車力に轢かれないように注意せよとか、狂犬でも大切に扱うようにとのお触れもある。犬を切り捨てて八丈島送りになった武士や、犬どうしのケンカを見ていながら、水を掛けて止めなかったとして閉門に処された役人もいた。「生類憐みの令」には動物愛護や弱者救済といった先駆的な思想も読み取れるが、やはり“過ぎたるは及ばざるがごとし”で、六代将軍により廃止された(10)。高さ7.5㎝。(H29.12.3)

小正月、湯沢市で行われる「犬っこ祭り」(表紙21)で売りに出される犬っこ。阿形の牡犬は外への守り、吽形の牝犬は内への備えを意味し、戸締りするところに犬っこを置いて、番人の代わりを務めさせる(秋田10)。実物の犬っこは米粉が材料の糝粉(しんこ)細工だが、写真では保存のために紙粘土や蝋(ろう)細工で作ってある。「犬っこ祭り」と似た行事に、石川県輪島市の「犬の子撒き」がある。これは、もともと釈迦入滅の日に遺徳を偲んで行われる涅槃会(ねはんえ)の「涅槃団子撒き」が起源である。釈迦の臨終に駆け付けた動物のうち、形の作りやすい犬と鳥を糝粉細工で作り、それに簡単な目鼻と色を着け、仏前に奉納したのち、参拝者に撒く。3月に曹洞宗の各寺院で行われる。また、1月に新潟県十日町市で開かれる季節市(通称チンコロ市)でも、犬をはじめ十二支の糝粉細工が売られている。後列の犬っこの高さ7㎝。(H29.12.3)
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