茨城県の玩具
01. 農人形(水戸市)
02. ひたち竹人形(日立市)
03. 村松の宝舟(東海村)
04. 村松の真弓馬(東海村)
05. 首振り張子と面(那珂湊市)
06. 磯浜だるま(大洗町)
01. 農人形(水戸市)



東北地方から太平洋沿岸の道・浜街道(ここには常磐線が通っている)を南へたどると、“蝦夷よ、来る勿れ”を意味する「勿来の関」を経て常陸の国(茨城県)に至る。常陸は御三家の一つ、水戸徳川家の領国であり、まず思い出すのはテレビでおなじみの黄門さま(光圀)であろう。しかし、光圀以上に江戸期の文化、政治思想に影響を与えたのが九代藩主、斉昭である。日本三公園の一つとして知られる偕楽園を造り、また、農業を尊び産業を奨励したことで名高い。農人形は、尊農思想を領民に伝えるために斉昭自ら鋳造したものが原型といわれ、農民への感謝をあらわすために、朝な夕な人形の笠に飯粒をそなえたという。現在売られている農人形には鋳もの製のほか、陶製、木彫、樹脂製などさまざまある。写実的で人形としての面白味に欠けるといわれるが、派手やかさがなく、むしろ素朴なところに質実剛健な水戸の士風が読み取れる。笠間焼(左)の高さ7cm。(H18.9.3)

02. ひたち竹人形(日立市)



企業城下町として知られる日立市ではユニークな竹人形が作られている。水戸光圀公(黄門)は領内に竹の栽培を奨励したので茨城県は竹の産地として有名であるが、その竹を材料に福井県で越前竹人形作りを修行した作者が独自の技法を加えて創作した。人形の題材を能や歌舞伎にとり精緻なつくりを見せているほか、ご当地ものの黄門人形や梅娘人形などもある。また、毎年干支に因んだこのような可愛らしい動物も作られている。猿の高さ9cm。(H18.9.17

03. 村松の宝舟(東海村)



しおりによると、日本三大虚空蔵の一つである村松虚空蔵堂は大同2年(807年)弘法大師が東北巡化のおり、この地で霊木に一刀三礼等身座像の大満虚空菩薩一体を刻んで本尊となしたことに始まるという。「13歳は人生最初の厄年」とする信仰から、毎年旧暦313日には“十三詣り”と称し、13歳の子供たちを虚空蔵堂にお詣りさせる慣わしがあったが、それに合わせて絵馬(真弓駒)とともに授与されるのがこの宝舟である。宝舟は海上安全・大漁祈願の縁起物でもある。杉材で作られた粗末な木だが、舟が左右に回転するのを防ぐ“タラシ”と呼ばれる長い三枚の板桁を亘している姿など、遺風を伝える貴重な舟玩具といえる。長さ33cmH18.9.18) 

04. 村松の真弓馬(東海村)



真弓馬の名は、村松より北西へ10kmほど離れた真弓村で作られ始めたのが由来というも不明。しかし明らかなことは、この真弓馬が神社に奉納される馬の変遷、すなわち生馬から馬形(木馬)を経て絵馬に至る過程の一形態を今に伝えていることである。同様の板立馬には他に奈良手向山八幡宮の板馬があるが、素朴さでは真弓駒が勝っている。高さ13cm。(H18.9.18)

05. 首振り張子と面(那珂湊市)



明治初年、同県石岡の雛人形屋で修業した飯田喜七が、農業の傍らだるま作りを始めたのが那珂湊張子の最初だという。つづく二代目の婿が動物や面の型を新たに起こし、張子の種類も豊富になった。ここに紹介した虎や兎、天狗やおかめがそれである。虎には3種類あるが、横向き虎は全国でも珍しい型。那珂湊の張子も以前は村松虚空蔵堂の“十三詣り”の土産として売られていたそうだ。ある年の虎が評判だったので、翌年には兎を考案したということだが(2,3)、その後が続かなかったのはいかにも残念である。兎11cm、天狗面17cm(H18.9.24)

06. 磯浜だるま(大洗町)



那珂湊の南隣の大洗で作られるだるま。那珂湊のだるまとはほとんど区別がつかない。強いて言えば、大洗のほうが短躯で胴はやや幅広く、顔の肌色がより濃いことぐらいか。おでこと腹の突き出た風貌は隣県三春のだるま(福島県の玩具01)を、高い鼻は久ノ浜のだるま(福島県の玩具03)を思い出させるが、目無しであるところや面相の描き方などは関東だるま圏(豊岡系)のものである。本来だるまは商売繁盛を願う縁起物であるが、この地方では漁業に携わるものが大漁祈願の縁起物として買い求める。高さ30cm(H18.9.24)

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