2004.11
社会保障制度改革とこれからの社会福祉(1)

社会保障制度や基礎構造改革については、大学院のレポートを参照のこと。
基礎構造改革について
seisakkadai2.html
社会保障の本質について
syakaihosyou1.html
公的年金の仕組みについて
syakaihosyou2.html
社会保障の在り方について
syhotest.html

以下有意と思われる言説について
(基調論文)なぜ社会保障制度の改革が必要なのか。共通するのは、財政の困難性にある。また根拠の一つに、少子高齢化による人口動態で支えきれなくなったことが挙げられる。解決策として、官から民へ権限などを委譲し、公費の負担を抑える。ライフサイクル、フリーターの増加などとれるところから取るという形である。しかし、改革に水を差したのもまた政治家の年金未納問題や社会保険庁の無駄遣いである。
(基調論文)国民が求めるのは「十分で正直な説明」であること。社会保障のためならある程度の負担、中でも消費税の引き上げはやむを得ないということ。明確な数字を示すことである。→全く果たされていないことは周知の通りである
(解説)「競争原理が十分機能しないために、経済社会環境の変化に十分に適応できておらず、国民の負担と引き換えに非効率なサービス・提供主体が保護・温存されている」→国民の…の件はすり替えである。その他、生活保護制度の見直しなどが盛り込まれ、児童保護措置費を地方自治体へ委譲し(つまり一般財源化し)、国庫補助の削減を図っている。明らかな国の責任の放棄である。私にいわせると、銀行につぎ込んだ不良債権の救済金の方が遙かに大きいし、それが返済されるものであれば良いが…。国民の負担の上に成り立っているのではないか。さらにいうなら、貯金利率が低すぎるにもかかわらず、貸し出し利率が余り低下していない。それがそのまま利ざやになっているはずである。これはどういうことなのか。社会保障を削減する前に考えてほしいことである。
(インタビュー)地方交付税は、たとえ地方で税収を上げたとしても、それとセットになっている基準税率がじゃまをして、結局実入りで手に入る率が抑えつけられている。それまで国は財政力の弱い地方団体へ基準財政需要額を嵩上げする政策が採られ、ふくれあがる地方単独事業の借入金などで充当したり、歳出を拡大させる方向できていた。しかし、現在は、それが仇になって、自由度を奪い、インセンティブ(意欲)が失われている。
(インタビュー2)公助=中央集権的な制度、講義の社会福祉、共助=社会保険、介護保険、互助=私的な助け合い、自助=自己責任の確認
(論文2)介護市場は、要介護者への所得再分配を通じた「購買力保障制度」であり、サービス提供者への報酬保障を通じた「供給者創出制度」である。介護サービス市場は、公的制度によって成り立つ「制度市場」である。さらに、サービス供給者としては、政府・社会福祉法人・NPOなどの非営利組織、営利企業などが参入している。しかし、家族介護(女性などのシャドーワークが支えている)、地域介護、ボランティア介護などの「非市場世界」とも隣接している。
(座談会)障害が保険になじむのかという問題については、発生率は確かに高齢者に比べて低くても、若年で障害を持つ可能性というものは誰にでもあるでしょう。だからこそ社会保険の中に障害年金もあるわけですし。全額保険料というわけではなくて、税も入っている介護保険ですから、社会連帯という社会保険の理念から、若年の障害者も含めて支援するという考え方も十分成立するのではないでしょうか。
(座談会)消費税の論議はもはや不可避であるが、いっこうに進展しない。単純にいえば、高福祉高負担なのか、低福祉低負担なのかという価値の選択に関して議論をしていかなければいけない。政府レベルの大きな話しに繋がっていく。
(座談会)仮に企業やNPOが入ってきても、社会福祉サービスの中核を担うのは、社会福祉法人である。企業は儲からなくなった、あるいはもっと儲かるものがあるから出ていける。NPOは身軽に動けるというプラス面があるものの、安定性を欠く。社会福祉法人には撤退規制があり、寄付した財産が戻ってくるわけでもないという安定性がある。そうした安定感のある存在で、それが中核を担ってくれるから企業にしろNPOにしろ身軽な活動ができる。そして、税の優遇で何であれ、地域の人たちに支えられている。企業に株主に対する説明責任があるように、社会福祉法人には利用者だけではなく、地域住民なり国民に説明する責任がある。新しい共同体としてつないでいくことが福祉の中心になるのではないか。

論文:渡部俊介「社会保障制度改革の動向と課題」
論文2:北場勉「規制改革と社会福祉改革の交錯」

メモ
こうなってくると消費税を上げて社会保障制度を充実させた方が良さそうである。しかし、世間には年金不信や政治不信が渦巻いている。ちゃんと使うのか。以前に、福祉税みたいにして消費税を作ろうとしていた政府があったが、内実はどうであれ、そのようにハッキリとそれにしか使わないということにしたほうが分かりやすい。まぁ、もっともやはり国力の維持が優先されるし、それはもっともなことである。国際競争力が低下することは、翻ってすべての国民に無形に降りかかってくるからである。
しかし、上記にある視点、高負担高福祉にするのか。低負担低福祉にするのか。低負担で高度のサービスを受けようとするし、人件費を抑えても専門性を確保しようとするし…ハッキリしてほしいものである
2005.1.11

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