団報「ビカボベロ」2000春号

ビーバー カブ ボーイ ベンチャー ローバー

http://www.asahi-net.or.jp/~UP2J-KNST/bs.htm

ボーイスカウト渋谷5団 2000.1.22発行

目次
渋谷5団のホームページ


目次

 (プライバシー保護の観点から、作者名や本文を一部削除しています)

  1. 平成12年度 A:指導者・B:団委員
  2. 新隊長挨拶
  3. 夏季キャンプ地・キャンプの思い出
  4. 入団者名簿
  5. 8月〜12月の主な行事・出来事
  6. ベローさんをしのんで
  7. 進級および隊褒賞綬
  8. 指導者研修 修了者
  9. 平成12年 年頭にあたって
  10. 編集後記


1. A 平成12年度  指 導 者

(  ):外国在住。 [  ]:国内転勤

RS隊長 鴻 久忠。

  副長 田中康俊。 吉田 茂。 中谷正憲。 田中 隆。 黒田一敬。 山崎昭彦。
      小池順子。 吉沢 仁。

VS隊長 大垣 博。 川越 健。

  副長 木下順二。 小谷野達弘。柏木信昭。 大木貴幸。 島村隆一。 鈴木衡一。
      藤樫茂樹。 藤樫秀雄。 宮田太陽。 鈴木大介。 鈴木隆一。 石坂健二。
      古俣敏司。 坪谷聖光。 森 政晴。 木村達彦。 深沢康平。 山本 悟。
      岡村和頼。 芝 輝彦。 吉村愼太郎。野間春正。 岡野太郎。 森本啓司。
      金田賢一。 木村茂理。 村上陽一。 曽田洋一。 飛鋪和俊。 (萩原拓)

BS隊長 佐竹宣彦。 杉山雄一。

  副長 桜井健郎。 鈴木 樹。 鈴木伸典。 新井大輔。 小谷野洋一。 山田幸平。
      田中 淳。 戸張 修。 柏木昭紀。 天谷太郎。 本尾敏也。 井上富雄。
      小池 潔。 西垣 隆。 佐藤哲平。 吉田 淳。 小林 隆。 山本啓介。
      遠山和博。 神田 聡。

CS隊長 鈴木 敦。 塚田 茂。

  副長 松本康夫。 冨崎之夫。 梶井克純。 正田 実。 大原 透。 大石 誠。
      日隈 励。 近藤直義。 柏木直紀。 小熊坂慎二。戸田隆史。 渡辺正臣。
      大垣恵美子。濱田百合子。米沢公子。 米沢史子。 瀬田昌子。 青柳友子。
      稲村めぐみ。宮村紀子。 松波千映子。窪田有希子。荻田あずさ。桜井伸也。
      馬淵マドナ。小谷野綾子。滝沢隆子。 大淵成子。 浅岡佐知子。徳植岩男。
      村岡太平。 松波晴彦。 駒月邦昭。 深沢弥生。 馬淵マリカ。吉沢周子。
      福田真衣。 沢口希美子。篠原くに子。谷口世志子。渡辺貴子。 名倉康子。
     [谷口泰](山田啓造)(冨崎賢)

BV隊長 森重 博。

  副長 新井信夫。 森山俊英。 米澤英一。 岩下 薫。 高根敏郎。 林 勇二。
      鴻 直人。 篠原啓泰。 田中久子。 吉沢千恵子。野村雅代。 黒田和泉。
      松岡あんぬ。冨崎悦子。 佐竹紀美。 岩下幸穂。 小笠原茉莉花。
     (萩原道子)(花原英子)(山田由美子)


   B 平成12年度   団  委  員

団委員長  河井宏文  副団委員長  駒月昭雄  副団委員長  依田伸祐  進歩委員  根井雅一
指導者養成  松本秀夫  宗教委員  近藤義親  行事委員  大垣鋭治  行事委員  佐野公一
行事委員  佐竹年一  行事委員  小野寺健蔵 行事委員  山田武一  行事委員  熊野 保
行事委員  滝野 浩  行事20CS 滝野幸美  行事20CS 斉木るみ  行事20VS 杉山浩子
行事20VS 山口澄枝  行事20BV 田中礼子  行事20BS 谷口清子  行事20BS 安食公子
行事20BS 小森谷千穂実   行事20CS 根津昌枝  行事20CS 高山圭子  

健康安全委員 渡辺善吉  健康安全委員 込山 修  財務委員VS 関戸礼子  財務委員BS 宮本典子
財務委員BS 石橋昌子  財務委員CS 玉木慶美  財務委員BV 塚田みよ子 財務委員BV 山下喜美代
広報委員VS 石田ひろ子 広報委員BS 鈴木ユカリ 広報委員CS 宮崎晴子  広報委員BV 鈴木真弓
庶務委員VS 吉沢安子  庶務委員VS 関水徳子  庶務委員BS 梶井晴美  庶務委員BS 正田美紀
庶務委員CS 西内恵子 庶務委員CS 八木美智子 庶務委員CS 小笠原りえ子 庶務委員BV 飯淵真佐子
庶務委員BV 田中桂子  監査  林 茂実  顧問  原田和幸 


2. 新 任 隊 長 御 挨 拶

ローバー隊長 鴻 久忠

 今期、山崎昭彦君に続きローバー隊長となりました。宜しくお願いいたします。

 数年前、ボーイ隊隊長をさせていただき、その当時のスカウトが、現役ローバースカウトとして頑張って渋谷5団を担っていることにうれしく、また、頼もしく思います。

 皆様ご存じのように、現役ローバースカウトは、自身のローバースカウティングの一環の中で、各隊奉仕として副長、副長補として活動をしています。頑張りつつも、まだ

まだ未熟な面も多々有るとは思いますが、各隊隊長をはじめ、団委員、保護者の方々のご意見、ご指導がこれからのローバー隊に是非とも必要なことと考えております。どうかこれからも宜しくお願いいたします。

「制服を着て不思議体験しませんか」

 ベンチャー隊 1隊 隊長 大垣 博

 誓いを立ててから20数年間、カブスカウトから数えると25年以上、5団でスカウティングをしてきました。その間に不思議な体験をしてきたように思います。勿論キャンプでテントを建てたり、火をおこしたりと普通に生活していては味わえない体験をしてきましたが、それはスカウトとしての基本だから不思議な体験とはいえません。私が不思議な体験をしたな、と思っていることはこんなことです。

スカウトになりたての頃「5団には沢山の人がいるな、同じ制服を着て紺と白のネッカチーフをしているな」と思いました。そしてキャンプやハイキングへ行ったりして一緒に山を歩いたり、食事をしたりを繰り返しているうちに、不思議なことに「たくさんの人が同じ制服を着ているのに」一人一人が違って見えてくるのです。勿論、体つきや顔の形などは始めから違うのですが、私が感じたことは、歌が上手な人、食事を作るのが上手な人、ロープが上手な人、地図を読むのが上手な人、写真を撮るのが上手な人、皆の前で話をするのが上手な人、居るだけで周りを楽しく出来る人、計画書や報告書を作るのが上手な人、感想文が上手な人、皆同じ制服を着て、同じ事をしているのだと思ったら一人一人が違ったことが出来る人達なんだと思うようになりました。先輩も、先輩とは言えないくらい年が離れたベテランも、後輩もみんな楽しそうに一緒に活動をしている。学校とはチョット違うぞ。これが、ボーイスカウト渋谷5団なんだと思いました。ならば、皆からは自分はどう見られているのかな、と思うと自分でも得意なことが出来る様に頑張ろうと思いま

した。上手な人を良く観察して見ると自分でも出来そうだなと思えてくるし、どうしても解らないことは質問してみます。スカウトならばキチンと教えてくれる筈です。そうすればキャンプや集会をみんなと一緒に頑張ることが出来るし、結果として自分も出来るようになっている筈です。そうして自分も少しずつ出来るようになってくると楽しくなってきます。そんな繰り返しを20数年したら、隊長をすることになっていました。

 今でも歴史と人材に恵まれた渋谷5団にいるとこうした不思議な体験は起こり続けるものです。私は、ベンチャースカウトが自信を持って活動ができ、経験が財産となるような充実した隊運営が出来るように頑張ります。どうか、他隊も含め全ての指導者の皆さん、スカウトにとって不思議な存在として、ベンチャースカウトの指導をお願いします。保護者の皆さんスカウト活動を心から支えて下さい。そしてベンチャースカウトの皆さん、一緒に不思議体験しませんか。


3. 平成11年度 夏期キャンプ

   夏 の   ビーバ−  8/6〜8 八王子市滝山城址

   キャンプ  カ  ブ  8/12〜16 山梨県東八代郡東芦川「芦川グリーンロッジ」

    と    ボ−イ   8/11〜15 岩手県「七時雨高原」

   感 想   ベンチャー 8/6〜11 東京→広島県尾道。尾道→愛媛県今治。「移動キャンプ」

         ロ−バ−  8/19〜20 東京→八丈島→青ヶ島。 「キャンプ」


「 キ ャ ン プ の 思 い 出 」


  ビーバー隊  (1999.8/6〜8/8)    於:八王子市滝山城址

★ ** 晃介      「キャンプファイアー」

 くらいところでやりました。あかりには虫たちがとびまわっていました。ぼくたちの撃破「ロケットだんのうんめいは」というげきでした。げきのれんしゅうのとき、ぼくはここをちゅういしてとかいろいろいいました。そのげきはぼくがかんがえたげきなのです。そしてみんなさんせいしたので、このげきにしました。ぼくのやくはブーバーとムサシとそれだけです。ほんばんはみじかいのをながくしました。たのしかったです。

★ **** そう    「キャンプのかんそう」

 8/6〜8に、2はく3かのビーバーキャンプにいきました。たんけんのもんだいはすごくむずかしかったです。そしてつぎのひはかわステージでさんかっきんがむずかしかったです。バーベキュウのごはんがすごくおいしかったです。キャンプファイヤーのときスタンツをやりました。キャンプのなかではスタンツがいちばんたのしかったです。あさごはんをたべてからゲームのこたえがあっていたチームはリボンがもらえました。そしてバスとでんしゃでしぶやのえきにかえってきました。

★ ** 智彦       「夏キャンプ」

 夏キャンプで、1ばんたのしかったことは、ゲームです。ゲームの、たたみを、はかるのが、1ばん、たのしかったです。ゲームのカードは、ぼうぎょりょく千てん、体りょく三千てん、ちりょく五千てんです。なので、千、三千、五千です。いちばんこわかったのは、夜間ゲームです。でも、うちのはんは、1ばんちかいので、ラッキーなのです。

★ ** 信之介      「ドッチボール」

 ぼくはなつキャンプにいってドッチボールをして、いちばんうまいといわれてうれしかったです。              

★ * 悠一郎       「たんけん」

 ビーバーキャンプで1ばんたのしかったことは、たんけんです。ちずをもってたんけんにでかけました。そしてもんだいがかかれていました。●は、いどです。■は、えんとつだと思います。かいだんは90だんでした。すっごくすっごくたのしかった。

★ ***** けんたろう  「たのしかったビーバーキャンプ」    

 キャンプで一ばんたのしかったのは、かえる日のカードバトルです。ぼくはいっぱいかちました。ぼくが5000てんをとったのはちりょくです。たたみのながさが90センチちょうどだったからです。よるのきもだめしは、一ぱんのはたのちかくに二ひきミミズがいました。でも気にせずやりました。ぜんぜんなんともおもいませんでした。広場の木にはいっぱい足ながぐもがいました。それもぜんぜんなんとも思いませんでした。でもたのしかったのでまたいきたいと思いました。     

★ ** 甲        「なつがしゅく」

 ぼくは、ビーバーたいのキャンプで一ばんやだったのは、バスからおりてさかみち

をのぼったら、だんだんつかれて、あつかったのがやだったです。一ばん楽しかったのはキャンプファイヤーです。みんなのだしものとかうたとかがおもしろかったです。あと、カードでたたかって1ぱんにはかてたけど、3ぱんには、まけてしまいました。

★ *** いそら     「キャンプにいって」

 つちからでてきたセミをみて、うれしかったです。キャンプファイヤーをやってみんなとうたをうたってたのしかったです。

★ *** あきら     「ビーバーのキャンプ」

 ぼくは、はじめて、こんなにおおきなにもつをもって、やまのてっぺんまであるきました。きもだめしでは、まっくらのなかを、ちかくだけどあるいた。キャンプファイヤーでは、テープサードでなんかわすれたけどやった。ひもむすびをして、たいりょくせんてんをとれました。さんかくきんではほうたいをまくれんしゅうをして、ぼうぎょりょくせんてんをとれました。からだのてのながさとか、あしのおおきさをはかったりしてちりょくごせんてんをとりました。リーダーが、ほんをよんでくれた。やぎょうさんのはなしがおもしろかったです。       おわり。


  カ ブ 隊  (1999.8/12〜8/16)   於:山梨県東八代郡東芦川「芦川グリーンロッジ」

★「夏キャンプの一日」

4デン(くま) ** 遼。

 八月十二日(木曜日)午前五時三十分、夏キャンプのことが気になって、目覚ましが鳴る前に、起きてしまった。きんちょうのあまり、朝ごはんはなかなかのどを通らない。身じたくをして、六時十五分に、家を出発した。池上線に乗ると、「ピンポーン。ご乗車のみなさまにお乗りつぎのご案内をいたします。上野駅で人身事故がありましたので山手線が上下線とも不通になっております。」というアナウンスがあったぼくは、ちこくしたらどうしようかと思った。五反田からタクシーに乗って、集合時間ぎりぎりにつくことができたのでほっとした。開会セレモニーの時、田中君がダウンしたので、軍師であるぼくが国王をやることになった。荷物を持って、バスに乗ると、夫人たちに見送られながら出発した。 芦川村にとうちゃくして、バスからおりて、芦川城まで、重いリュックを背負って坂をのぼっていったので、とても大変だった。今回のテーマは、・五国志だったので、まずはまき物さがしをグラウンドでやった。見つけたのは宮永君だった。ぼくは、水道の近くやベンチのうらなどを探したけど、まさか木の上にあるとは思わなかった。巻き物には「知」、「仁」、「勇」、の3つがないと、武将にはなれないとかいてあったので、まずは、「『知』の巻き」が行われた。「知」の巻きで周辺を調査し、地図を作った。   夕食の後、「勇」の巻きが行われ、肝だめしをした。最後の所で、塚田皇帝がうしろから「おかえり」と言っておどかしたのでチョットこわかった。芦川城にもどったら、おもしろ顔コンテストをやっていたので、見ていた。とくに中井君の芸がおもしろくて。みんなが、一兆点とか一億点とかいっていた。全員が戻ったら船長さんのめいれいゲームをした。ぼくは、上位十人くらいまで残っていたけれど、だんだんテンポが早くなってきて、近藤総督が、「左手挙げて下さい。」といったのにつられてしまった。消灯になって、組長会議がはじまったら、おやつがでたのでびっくりした。でもとてもおいしかった。ぼくは、「あすもがんばるぞ!」と思ってねた。  (おわり)

★「初めてのキャンプ」

2デン(しか) ** 真吾

 ぼくは、ボーイスカウトのキャンプに初めて参加しました。まだボーイスカウトの事もよく分からないから虎国の人に教えてもらいました。キャンプでやる事の中で、やりたい事は色々ありもした。例えば、「勇」の巻き、「知」の巻き、「仁」の巻きの三つは、ぜっ対勝ってやると思ってがんばりました。でも、ケガをした時は、すごくショックでしたが、でも虎国の人達が、すごくがんばっていたので、(ケガなんてなんでもない)と思うと、ますます勝ってやろうと言う気持ちが、強くなってきました。一度目は、はたは、一つで負けてしまいました。だから(今度こそ勝ってやる)と、ぼくは、虎国のみんなと作った巣の中で、何度も何度も言いました二度目は、はたが、二つ取る事ができました。ぼくは、虎国のチームワークが、いいから勝つ事ができたのだと思いました。山を登った時は、「神様の恵みの雨」と言っていました。水は、川のように、山からくだっていって、山の上に行っても行ってもどこまでもどこまでも長く続いていまた。山を登ってくだる時は、木や草は、ぼうぼうにはえていて、一番おくをみても木だけしか見えない所でシーンとしていました。

 最後の夜のキャンプファイヤーの時は、スタンツをやっていました。みんなは、色々なスタンツを考えられて、すごいなーと思いました。ぼくは、ぐあいが悪くてスタンツにはさんかできませんでしたが、次のキャンプでは、ぜっ対に(ぼくもスタンツをやるぞ)と思いました。ぼくにとって、初めてのキャンプは、友達が、いっぱいいっぱいできました歌をたくさん歌っているうちに、七つの歌を三日で覚えられました。キャンプに行く前は、不安でいっぱでしたが、キャンプへ行ってみたら、この夏休みの中の一番楽しい思い出になっています。キャンプがこんなに楽しいと、生まれて初めて知りました。これからのキャンプが楽しみになってきました。

★「おもしろかった夏キャンプ」

1デン(うさぎ) ** 翔

 いろいろ楽しかったが、一番楽しかったのはどろ合戦だ!ビニールシートと竹などで「す」を作った。お父さんたちも作ってくれた!お父さんたちがいなければ、いまごろ「す」は出来てなかっただろう。ずれにくいように作った。でもこわれた。どろ合戦でほかのはたをとるぞ!ボウ国がどろ合戦が始まると、いっせいにボウ国は、せめにいった。だんごを当て、たからを取ったり、取られたりした。一回目は、はたをとられて、2回目は自分たちのはたをまもった。つらいけれど、みんなでまもってどろをぶつけたりぶつけられたりした。そして、2日目はせいこうした。うれしかった。でもほかの国のはたも取りたかったな!また、夏キャンプに行くぞ!そして、今度の夏キャンプではゆうしょうしてやるぞ。がんばるぞ!がんばれ〜!ボウ国いつも元気またね。


  ボーイ隊   (1999.8/11〜8/15)   於:岩手県 七時雨高原「七時雨山荘」

★ 「夏キャンプ」

オオルリ班 辻本 皓章

 ぼくは、この夏キャンプでえたものは自然のすばらしい事でした。いままで見たものでもこの七時雨山の自然はすばらしかったです。もう一つえたのは、班長としてキャンプに行くというのは始めてなのでとてもつらかったことです。

 班員をどう引っぱっていくかということなどいっぱいあって班長をやることがつらいということが分かりました。けど一回かぎりだったのでとてもうれしかったです。かんどうしたことといえば、都会じゃ見れない星がたくさん見れてうれしかったです。ながれ星もいくつか見たり天の川まで見えました。この星々をぼくは忘れないと思います。自然というものはすごいと思い、かんどうしました。それと、雨のカーテンも見ました。たぶんあれは一生に一度しか見れないと思います。山頂にのぼって団委員長が「すごい初めて見ましたよ」と言って、ぼくよりも何十年生きている人でさえ初めてなのだからぼくはとてもうんがよかったと思い、他の人々に教えてやりたい気分になりました。そして、この事忘れないようにしていきたいです。今後、キャンプで失ぱいしたことはすべて直すようどりょくしていきたい。たとえば、班員をもっと引っぱるということがちゃんとなっていなかったので、ちゃんとしていきたい。夏キャンプというのは、初めてだったのでとてもきんちょうしていた場面がいくつもありました。あと、かやをもうすこし大事にしていきたいです。春キャンプでも夏キャンプでやったことを生かして、班員を引っぱって班長を手助けしていきたいです。夏キャンプに行っていろいろなことを体験してボーイスカウトというものを、も一回自覚できたような気がしてとてもよかったし、雨にもまけず風にもまけず、というものもわかったような気がして、とてもうれしかったです。最後に、夏キャンプに来てとても楽しかったです。

★「夏キャンプ」

オオルリ班 武藤 聡木

 今回は、ぼくにとってはじめての新幹線をつかったボーイスカウトのキャンプです。

 新幹線をつかうほど遠くでキャンプしたのは、はじめてでした。けど遠くまできたかいあって、七時雨山荘のキャンプ場は、とても自然が多い所でした。ボーイスカウトのキャンプでよく行く山梨県とは、少しちがう自然だと思いました。それは、よくわからないけど、ただとても広い草原の七時雨山荘と設備のそろったキャンプ場の違いだと思います。 七時雨でのキャンプは、天気も変わりやすくて、風も強い所でした。それに虫もとても多かったです。けど、それはそれで、とてもいい場所でした。ぼくがこのキャンプでつらかったのは、ハイキングと水くみとはん合で失敗してしまったことです。とくにハイキングがつらかったです。本当にたおれるかと思ったほどでした。もうやりたくないです。けど雨のカーテンが見れたのでそれは、うれしかったです。ぼくは、このハイキングで、いくら大変でも、それには、それだけのむくいがあると、少しだけ思いました。このハイキングは、ぼくには、とても大変だけど、ぼくは、このハイキングで、大変ならその分だけ、いい事があるという事が少しだけわかったから、このハイキングの事は、これからのキャンプで、大変な時に、はげみになるなと思います。だからこの事は、一生忘れないようにしたいと思います。

それと、このハイキングができたのは、たくさんの自然があったからです。こういう自然は、日本中にあってほしいと思います東京にもこういう自然があってほしいと思います。ふやすとまでいかなくてもこれ以上へらない様にしたいです。このキャンプで、ものすごい自然を見て、東京の自然の少なさがとてもよくわかりました。だから東京も七時雨ほどとはいかなくても、もっと自然を大切にしないといけないなと思いました。それと七時雨は、宮沢賢治がイーハトーブのモデルにした場所だからせめてこの場所だけでも自然がなくならないでほしいです。

 ぼくは、このキャンプで、えた事は、東京では、わからないたくさんの自然があったからだと思います。そして、山梨とは、場所が変わったことで心機一転で新しく発見できたのだと思いました。大変だったけど、いい経験になりました。

★「夏キャンプ」

オオルリ班 清水 智大

oキャンプで感動したもの

 僕が七時雨キャンプ場で感動したものはキャンプ場を包む大自然です。次に感動したものは、夜空をうめつくす星。北極星が見れた。夏の大三角は初めて見た。天の川が見れた。流れ星もいくつか見た。次の感動は三日目に登った七時雨山の山頂で雨のカーテンを見ました。これは本当に初めて見ました。雨の降っている所と降っていない所が分かれていた。その次に感動したのは4日目にみんなで魚取りをした川です。川の水はすきとおっていて冷たかった。そして野生のイワナを見た。これもまた初めて見てしまった。そしてサンショウウオを見た。これもまた、初めてでした。

oキャンプで得たもの

 今回のキャンプで得たものは、魚は得られなかったけど、東京に帰った時、ちょっと成長したって感じだった。なにを得たか感じられなかったけど、きっと何かこれから役に立つことを得たと思いました。

o今後に備えていきたいこと、今後に備えていきたいことは次に新入隊員が入ってくるので恥ずかしくないようにキャンプのことを生かしてがばっていきたいです。   おわり

★「夏キャンプ」

ヤマセミ班 高田 曜平

 長いようで短いボーイスカウト夏季野営が17日、乾燥作業にてすべて修了した。僕にとってボーイスカウト初めての夏季野営は、楽あれば苦あり、苦あれば楽ありであった。そのキャンプで限定するのは難しいが印象に残ったのは三日目の事である。その日は一日中歩きっぱなしでつらかったその分、印象に残った事があった。起床は6時、僕にとってはやや早かったが前日の疲れで熟睡していたので目覚めはよかった朝食、点検、朝礼が終わり、午前のプログラムが始まった。持っていくものに地図、シルバーコンパスが入っていたので嫌な予感はしていたが、それは的中した。地図+シルバーコンパス=ハイキングという事になる。しかも周りには山々があるので、ようするに山登りをしろと言っているようなものだ。第一の指令が渡された。内容は忘れてしまったが答えは七時雨山頂へ行けということだった。10時に七時雨山荘テントサイト出発。七時雨の自然を満喫しながら行こうとしたら、そういうわけにはいかなかった。なんと1位チームとの差は1時間以上となっていたのだ。さらに雨が降りだす始末。山道を登る事、1時間弱ようやく山頂に着いた。そこで僕達は感動するもの二つ見た。それはまず景色。東京という大都市では見る事のできない幻想的な世界、第1のイーハトーブである。その世界は一面山々に囲まれてた。第二のイーハトーブは「雨のカーテン」とよばれるもの。大半の人は予想がつかないと思うが、その名の通り雨が降っているところだけカーテンのように縦長くなっているのである。不思議な事にそこだけ雨が降っていてその先は晴れていた。僕たちはイーハトーブ世界を一望することのできる山頂を後にし先を急いだ。帰りは下りという事でスムーズにテントサイトに帰れた。待っていたのは水遊びだった。身も凍えるような透き通った水でであった。

 僕がこの1日で得たもの、それは最後まで、あきらめないという事である。あきらめていたらイーハトーブ世界を見られなかったにちがいない。また、あきらめない気持ちがあれば成功につながると思った。七時雨高原に行く事はもうないかもしれないが、一生の思いでにし、将来くじけそうになったらこの1日を思い出すと思う。_

 

★「夏キャンプ」

ヤマセミ班 宮本 圭修

 ぼくがこのキャンプで得たものは色々あった。とくにタイムトライアルの方法で七時雨山を登った時は色々なことを得た。最初は順調だったスタミナがきれて休み休み歩いていたら最後になってしまい最後の方は田中副長に追いつかれてしまった。そして最後に急な坂をのぼり頂上についたそして団委員長に雨のカーテンをみせてもらった。晴れている所と雨の降っている所の場所がよくわかった。        

 七時雨山を登って得たものは、やろうと思えば出来る、頂上で食べる昼飯はうまい水は大事、それはなぜかというと、最初の方で飲み干してしまい最後の方でなくなって大変だったからです。水はうまくのんでいかないと最後は大変になるということを今後のキャンプで気をつけたいです。そして、感動したことは、特にとくに、感動したことは新入の隊員に宮本さんと呼ばれたことです。ちょっと前までは僕が田村さん高田さんと呼んでいたのに今度は呼ばれたのでとても感動しました。もう一つはこのキャンプで最優秀班をとったことです。ぼくは結構とる自信がありました。ご飯を食べるときなんかいつも大盛りあがりでとっても楽しかったです。僕たちの班は今年のキャンプのテーマの「雨にも負けず風にも負けず」を乗り越えられたような気がしました。これもとても感動しました。また今後のキャンプで取れるように頑張りたいです。今後のキャンプにつなげたいことは、とにかく班のチームワークをよくして田村さんの料理のつくり方をみて班長になった時にはうまくつくれるようにしたいです。特に今後につなげたいことはキャンプ前には静かにしてお母さんとはケンカをせずにおとなしくしていることだと思います。理由は色々あるから言いませんがとにかくこの夏キャンプはとても面白かったです。盛岡の名物のれいめんを食べられたこともうれしかったです。


ベンチャー隊   「 5 0 キ ロ ハ イ ク の 感 想 」

★「へとへと・・・・」

ベンチャー隊 谷口 亮

 19時25分、高尾山口駅到着。渋谷駅を出発したのが18時15分だったので、

ここまで、電車で裕に1時間はかかっていた。それを歩くと思うと……。気が遠くなる。そもそも、最初から、50kmという距離感がいまいちつかめなかった。しかし、駅に着いて、まず川越隊長から、「おい!シップ持ってきたか?」と言われたことがどうも腑に落ちなかった。集まってきた各地域のベンチャースカウトの中には、森吉(ジャンボリー)で知り合った仲間もいた皆、あの時はボーイスカウトだったのになぁと思った。

他に、5団では、同年代の塚田君、それから先輩の関戸さん、佐藤さん、富田さんの、僕を含む5名のスカウトがエントリーした。それぞれ、僕、塚田君、富田さんというチームと、佐藤さん、関戸さんというチームに分かれた。周りは先輩がほとんどだったので、荷物にならないかととても心配だった。  

 やがて開会セレモニーとなり全員に12時間光りつづける色のついたペンライトが渡された。しかし最終出発組、つまりビリっけつには、他とは違う色のペンライトをつけさせられた。僕ら3人は「絶対ビリはならないようにしよう。」と固く決意した。そうして、20時30分に50kmハイクはスタートした。

 僕らは、まず、地図で確認して、走ってトップを追いかけた。そして、ゆうゆうとトップを抜き去った。そして、何分か置きに、「あの2個目の信号まで走ろう!」と言っては、だ−−−っと3人で走っていった。また、走り終わると、みんなで走り始めるまでの間、雑談を楽しんだ。

 こんな調子で、10kmを過ぎたあたりまで行き、トップを維持していた。しかし、ちょうど、10kmから15kmの間に僕のピークがきた。本当に信じられないくらい僕は口数が激減した。他の2人にも、「おいおまえ!口数が減ってるぞ!」と注意されおかしかった。また、トップにも抜かれてしまった。だが、20kmを過ぎてから僕がガラッとかわり、元気になった。きっと、体がふっきれたのだろう。こんなわけで、僕らは、この間5kmほとんどずっと走っていた。その結果、その5kmのタイムが、最短の39分だった。本当に信じられなかった。でも、残念ながら、トップには追いつけなかった。     

 開会セレモニーでも「完歩が目的」と言われたが、つい順位を念頭においてしまうこの調子で僕達は前哨を迎えた。多摩川の関戸橋である。僕達は、紅茶等を飲み、棒になった足を解す。走っていたので、靴の中の指が圧縮して痛む。10分待っても関戸さんと佐藤さんのチームがずっと来なくてとても心配になった。しかし、僕達は、トップを追わなければならなかったので、出発した。ところが、僕らは少し行った所を右に曲がるはずをまっすぐ300m行ってしまった。急いで引き戻したところで、2つのチームに(6,7チーム中)抜かれてしまった。これで、実質3位になってしまった。そして更に、同じチーム内の塚田君が足の痛みを抱えるようになってしまった。こうして、僕らは、この25〜30kmの間で、更に何チームかに抜かれてしまった。そして、ようやく30km地点を通過したときに、リーダに、トップとの時差を尋ねると、なんと40分も前に通過したと言われた。僕らはすぐに出発したが、途中でもうだめだと思い、僕らは、Lawsonで夜食を購入し、20分近く座ってゆっくりしていた。

 再び歩き始めた時、気づけば後ろに関戸さんと佐藤さんの2人がいた。超うれしかったが、案の定、2人は僕らとは違う色をしたペンライトを持っていた。僕らは失望して、5人で延々と長い甲州街道をゆっくりと歩いていった。そして、最長の1時間37分の時間をかけて、35km地点を通過した。ここで、塚田君の足の痛みが更に増してきて、話し合った結果、僕と富田さんは、塚田君に関戸さんと佐藤さんのチームでゆっくりと歩いて無理をしないようにしてもらった。それで、僕と富田さんは、40分先のトップのチームを目指して、ずっと走って40km地点に向かった。途中、立ち止まって休んでいると、後ろに、ペンライトの色が確認できた。どんどん近づいてきて、顔を見ると、なんとその姿は、関戸さんだった。僕と富田さんは、本当に驚いた。35km地点で別れてから、ずっと走ってきた僕達を追って僕らと出会うなんて、素晴らしい体力と精神力だなぁと。聞くには、佐藤さんと塚田君はリタイヤしたらしい。こうなったら、2人分走り続けてやろうと思った。そんなこんなで、僕らは再び走り始めた。   

 走って走ってやっと40km地点に着いた。ここまで来ると、5kmが異様に長く感じる。しかしタイムは大幅にアップの47分だった。チェックをしてすぐにまた走り出すが、お互い、とてつもない疲労を抱えて走っていたので、途中に、道ばたで座り込んでストレッチをしては再び走りだした。ふと走っていると、僕らと同じ赤い帽子をかぶったスカウトが歩いていた。歩き方がぎこちなく、いかにも、「もうだめです」という歩き方だった。僕らはゆうゆうとその人を抜かすと同時に、彼に違う色のペンライトをしっかりと手渡した。すると更に前方には、また1人いた。更にまた、更にまたと僕達は、ついに順位を中程まで上げた。そして、ついに、2位だった人を抜かし、僕らが2位になった。僕らは、お互いに大どんでん返しの成功を喜んだ。走っていると朝陽が姿をあらわした。だが、そんなの見る余裕もなく、走りつづけた。ガ、どうしても、トップの姿だけが見えなかった。更に走りつづけた。でもまだ見えない。また、半分僕らはあきらめた。そこへ、思わぬ吉報が飛び込んできた。

車に乗ったリーダが、「トップは、200mぐらい先にいるよ」とおっしゃった。無論僕らは再度走り始め、トップを射程距離内に確認した。むこうも僕らに気づいたらしく、走り出した。僕らはどこかで、とっくに45kmを過ぎ、残すはゴールのみという状態になっていた。そしてついに、僕らは、食事中だったトップをとらえ、抜き去った。彼もそれに気づき、走り出した。このまま逃げ切りたかったのだが、ずっと走ってきた僕らとの長距離走はあまりにもあっけなく彼にトップの座を譲ってしまった。どんどん離されてゆき、僕らは走るのを止め、あきらめた。ふっと、後ろを見ると、もう1人こちらへと走ってきていた。これまたラストスパートをかけていて、ゆうゆうと僕らを見ずに走り去った。とうとう3位になってしまった。しかし、聞けば、1,2位共に高校生高学年だったという。勝てなくてあたりまえだというのも筋が通っている。結局、約10kmにわたった長距離走は最後2人を捕らえきれずにゴールを迎えた。3位。これは素晴らしい成績だと

思う。35kmの時点では最下位だったのに、本当によくやった!と自分を誉めたい。また、一緒に最後まで走ってきた仲間にも、よく自分をリードしてくださいました。

ありがとう!と礼を言いたい。

それから、リタイヤしてしまった仲間も、時には、僕を励ましてくれたりもした。

本当にありがとう。

 50km、10時間。短い間だったけれど密度の高い、充実した10時間であり、本当によい体験をすることができたと思う。

★ 「50Kmハイクの感想」

ベンチャー隊 関戸 俊平

 僕は、佐藤さんとペアを組んで高尾山から代々木を目指して歩き始めた。5kmを1時間で歩くペースデ頑張った。しかし、そうはうまくいかず、トップとの差が10分、20分と開き始めてきた。疲れが出始めた25kmの前哨でリーダー達が用意してくれた、お茶とおでんを食べた。少し、疲れが癒された。しかし、30km付近で佐藤さんが体調を崩してしまった。僕は、励ますことが出来なかった。その時、少し前を富田さんと谷口君と塚田君が歩いていた。塚田君は足を肉離れしたらしく辛そうだった。やはり、佐藤さんと塚田君はリタイアしてしまった。一人になった僕は先に行った富田君と谷口君に追付こうと走り始めた。ようやく追付いてトップとの差が10分位になった。今度は、3人で走った。どのくらい走り続けたかわからないが前を歩いていた人を追い抜いた。

 空が明るくなり始めてゴールがすぐそこだと思うのだが、なかなか代々木は近付いてこない。45kmまできた時、リーダーからトップはすぐ前だと聞いたので、そんなに走ったのかと感じた。僕達は、トップになるためにまた走り始めた。ついに、トップの人が見えた。そして追い抜いた。これでトップだと思っていたら、その人も走りだして、まるで、マラソンのようだ。後少しでゴールなのだが、疲れがピークの僕達は少しずつ歩き始めてしまった。結局3位。タイムは10時間6分で早い方だと思う。ゴール直後は足が痛くて歩けなかった。すごくハードだったけれど、良い体験が出来た。学校でこの話をしたら、友達が呆れていた。でも、自分でも満足しているのでまた参加してみようかなと少し思った。

 

  ベンチャー隊  (1999.8/ 6〜8/11) 於:東京→広島県尾道→愛媛今治。(移動野営)

★ 「夏の自転車移動野営」

ベンチャー隊 倉持 宗広 

 8月6日〜11日の5泊6日、広島県の尾道駅から愛媛県の波止浜を目指して“しまなみ海道”を渡った。往復 155kmを自転車で移動した。参加者はスカウト4名とリーダーが4名の計8名。キャンプは何が起こるかわからないが、本当に色々な事が起こった。地図に載っているはずの自転車屋が無かったり、スーパーが無かったり大変だった。特に辛い思いでは、橋を渡る為にはその前には長い上り坂がありそれを上がるのが辛かった。その後、橋を渡る時は、高所恐怖症の僕にとってはこの事が一番辛い事だった。天候は初日に雨が降っただけでその他の日は、晴れていて皆とても日焼けをした。ベンチャー隊と言うのはキャンプを自分達で作っていく。この計画は、ボーイの時から自転車キャンプをしたいという僕や山本剛志の夢だった。それが、ちゃんと計画書ができ自転車キャンプが出来た事にとても満足している。 


5.「8月〜12月の主な行事・出来事」

 8月   各隊夏季キャンプ      11月 3〜4日 「渋谷区区民の広場」献本・販売奉仕 

 9月11日  上進式            13〜14日  VS:50キロハイク

   15日  カントリー大作戦       20〜21日  RS:100キロハイク

   19日  CBS(カトリックボーイスカウト)日。    28日  BV・CSラリー:「夢の島公園」

 10月 1日  赤い羽共同募金       12月 5日  教会「コーヒーショップ」

    2日  育成会総会           11日  BS・GS合同「お楽しみ会」

    3日  東連指導者講習会 4名修了   19日  教会大掃除

  16〜17日  地区GBT(班長訓練)   31〜1月1日  庭燎奉仕

   31日  教会「秋祭り」       1月 9日  新年餅つき大会

☆ 第33回 ボーイスカウト東京連盟 RS100キロハイク 完歩者 (9名中9名完歩)

    戸 張・宮 村。   岩 下・柏木(直) 。   岩谷(道) ・鈴木(樹) 。

    小笠原・田中(淳) 。  窪 田・今川(14団) 。 

                              渋谷地区(25名中15名完歩)


6.ベローさんをしのんで  

 [柏木直哉氏のご厚意によりベロー神父様の追悼文を掲載させていただきました。]

 ボーイスカウト、特にカブスカウトの指導者をしておりました頃は、毎日のように教会へ顔を出しておりました。

 ベローさんは、ボーイスカウト達との関わりに大変熱心でおられて、カブスカウトのキャンプにもよくお出で下さいましたし、日頃の活動にも色々と参加して下さいました。特に、毎月一度は子供たちをお聖堂に集め、お話をして下さっていました。

 カブスカウトの子供達には信者ではない子供も多かったので、その子供達にも理解できるようにと、ベローさんは、それは一生懸命に「子供達の興味を引く」様な工夫をして下さり、お話をして下さいました。

 ある日は、立派な革のトランクを重そうに持ってこられ、この中には何が入っているかと、子供達にお問いかけになりました。何人かに中身について、そして、そう考えたわけについて言わせた後、おもむろに鞄を開け、「なかはからっぽだ」とおっしゃいました。 何事も外見だけから判断してはいけない、と言うお話がその後にございました。

 またある日は、入ってこられるなり、みんな「あー」と大きな声で言ってご覧と言われ、皆が、思い思いに大きな声を出すと、「うるさいね」ととめられ、今度は、僕の「アー」という声に合わせて「アー」っと歌ってといわれました。皆が、声を合わせて「アー」とうたいますと、「イヤー綺麗だね」一人一人が勝手に声を出しているとうるさくて、バラバラだけども、皆が心を合わせてひとつの声にすると綺麗だね、とお話を始められました。 神様とか、イエズス様とかが出てくることは殆どありませんでしたが、カトリックの心を子供達の中に確実に刻み込んでおられたように思います。ボーイスカウトの頃には信者でなかった者が、私を含め、後に何人も洗礼を受けていますが、こうした交流も大きく影響した事と思います。子供と同じ目の高さに立って、彼らに理解できる工夫をして、お話を考えて下さったベローさんに今、改めて感謝したいと思います。

 カブスカウトから大きくなりますと、一人前のボーイスカウトになりますが、入団をするにあたって一人一人誓いをたてます。この誓いの最初の言葉は「神に誠を尽くす」と言うことです。改めて考えますと「神に誠を尽くす」という言葉は、重い、なかなか難しい言葉です。

 ボーイスカウトは救急法や、縄結び、料理等々、様々な技術を学びますが、これらの技術は、今流行のアウトドア・ライフを楽しむためのものではありません。これらの技術をきちっと勉強し、身につけているからこそ、身体を強くし、心を健やかに、いざというときに助けを求めている人を助けることが出来る、誓いの2番目には「いつも他の人々を助けます」とありますが、この他の人々を助けることが出来る、これが「神に誠を尽くす」事につながるのだと私は勝手に解釈しています。それに加えて、その神を常に身近に感じられると言う点で、渋谷教会にあるボーイスカウトは大変幸せだと思います。

 今年で渋谷教会のボーイスカウトは42年になると思いますが、ベローさんは、このボーイスカウトが渋谷教会の中にあるボーイスカウトであるという事への礎を築いて下さったと思います。

 これらの沢山のことへの感謝をこめて、改めてベローさんに心から有り難うございますと申し上げて、私の思い出としたいと思います。


7.[進級された方・隊褒彰綬]

o 9月24日 ボーイ隊  谷口 亮くん。 連盟から「菊」章が授与されました。

o カブ隊 40年の「隊褒彰綬」を日本連盟より頂きました。


8.指導者研修 修了者

o 日本ボーイスカウト東京連盟 第75回 ボーイスカウト指導者講習会 10月3日(日)   主任講師: 中谷正憲氏 

    修了者(敬称略)  岩下幸穂。  鴻 直人。  林 勇二。  戸張 修。


9.平成12年 年頭にあたって       団委員長 河井 宏文

 新春のお慶びを申し上げます。 皆様、西暦 2,000年 如何迎えられましたか。

 私は、スカウトと共に 1,900年代から 2,000年代への記念すべき時を、危惧された停電や突発事故もなく、庭燎奉仕でつつがなく迎えることができました。

 1年を振り返りますと、昨年の最大の悲しみは、8月中旬に5団の前育成会長であられたベロー神父様が、そして10月30日にBS隊副長の小林隆氏が逝去されたことではないでしょうか。

 スカウティングの最大の理解者であり、私どもリーダーに対し、スカウト活動を信仰へと導く、活動のありかたを具体的に示して下さったベロー神父様。また、自然の素晴らしさ、野外活動のありかたを身をもって誠実にスカウト達に示し導いてくださった小林隆副長。お二方は、渋谷5団にとりまして大きな精神的な指導者であられただけに失った思いは大きく深いものでした。

 渋谷5団も43年目にはいります。ベロー神父様と小林隆副長の示された歩みを、しっかりと自覚し、スカウトを導いていくことが、今後、私達指導者に課せられた課題であり、ご恩に報いることのように思います。

 一方、うれしいことも沢山有りました。集会やキャンプでのスカウトの報告書、感想文を読みますとスカウト達が1回りも2回りも大きく成長しているのがよくわかります。

 奉仕活動への積極的な参加や手話への挑戦、救急法講習会への参加、そして沢登りや多摩川イカダ下りへの挑戦、50キロ・100キロへの挑戦、などなど多彩な活動を通して思慮深いスケールの大きな若者へと成長していく様子がよく見て取れるのはとてもうれしいことです。

 これらのことは、忙しい中を精一杯ご指導くださるリーダーの方々や保護者、団委員そして教会の方々、神父様の支えのお陰とつくづく思いました。

 よく、ボーイスカウトの組織では、各隊が共同体として大変よくまとまっている時、「団家族」という言葉を用いますが、私は渋谷5団では、「団家族」を越えた「教会家族」との思いを強くいたしました。これが一番うれしいことの様に私は思えてなりません。

 「ヒトは人と人の間で『人間』になっていく」と言いますが、スカウトの成長に多くの人々が関わっていくことはとても有難く、嬉しく、大切なことだと思います。

 神父様を中心とした教会家族として渋谷5団が今年も堅実に歩んでいければと願っています。


10.編集後記

 大変遅くなりましたが、皆様のご協力のおかげで「ビカボベロ」を発行することができました。原稿依頼に対し快くお引き受け下さり、尚且つすぐに原稿をパソコンでお送り下さり、誠にありがとうございました。

 鴻RS隊長をはじめ各隊隊長、また、お忙しい中を長文のメッセージをお送り下さいました、柏木直哉氏にはこの場をお借りし厚く御礼申し上げます。

また、今回もカットは山本様に、ご無理を承知でお願いいたしました。ありがとうございました。

広報一同


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