大阪城空襲

 

昭和20年8月14日、御前会議ではポツダム宣言受諾が既に決定されていた。

しかし日本側の回答引き延ばしと判断した米軍は、大阪陸軍造兵廠・光海軍工廠などを攻撃対象

とした。

同日13時16分頃、145機のB29とともにP51・P47が大阪城の上空に飛来し、200ポンド爆弾・

100ポンド爆弾あわせて706.5トンを投下。

この空襲で大阪陸軍造兵廠(大阪城)は全滅、また流れ弾は国鉄京橋駅を直撃し多数

の死傷者を出した。

死者 359人、行方不明 79人

 

大阪城

大阪府大阪市中央区

大阪城 天守閣

 

中部第35航空情報隊 女子防空通信手 慰霊碑「真心」

 

  

1トン爆弾の爆風により石組がずれた石垣

 

第四師団司令部

 

  

大阪砲兵工廠 化学分析場

 

都市空襲

更新日:2008/03/02