京橋駅爆撃

 

終戦前日の昭和20年8月14日、B29爆撃機148機が大阪砲兵工廠を爆撃し、706トンの爆弾

を投下。

そのうち4発の1トン爆弾が流れ弾となって京橋駅の片町線ホームを直撃し、ホームは一瞬にして

生き地獄と化した。

氏名の判明した死者 210人、無縁仏 600人。

 

JR片町線「京橋駅」

大阪府大阪市都島区

環状線京橋駅爆撃被災者慰霊碑

 

  

環状線京橋駅爆撃被災者慰霊碑                               平和の碑            .

慰霊碑 碑文

太平洋戦争終戦前日の昭和20年8月14日、大阪は最後の大空襲を受けた。B29戦略爆撃機は特に

大阪城内の大阪陸軍造兵廠に対し、集中攻撃を加えたが、その際、流れ弾の1トン爆弾が4発、京橋駅

に落ちた。うち1発が多数の乗客が避難していた片町線ホームに高架上の城東線(現、環状線)を、突き

抜けて落ちたため、まさに断末魔の叫びが飛び交う生き地獄そのものであったという。判明している被爆

犠牲者は210名であるが、他に無縁仏となったみ霊は数え切れなく、500名とも、600名とも言われてい

る。当時、地獄のような惨状を目撃した大東市の森本栄一郎氏があまりの悲惨さに胸を痛め、その霊を

弔おうと昭和22年8月14日、自費で建立された慰霊碑である

納経塔 碑文

戦後、被爆犠牲者を弔う法要が毎年8月慰霊碑の前で鴫野・妙見閣寺によって行われているが、37回忌

を機に写経による供養をと、遺族及び当時駅での体験者、大阪大空襲の体験を語る会々員他多数の市

民からの基金、協力を得て建立した納経塔である。

 

大長寺

大阪府大阪市都島区

護讃地蔵尊

由来

昭和20年(1949年)8月14日 大阪第3次空襲の際、国鉄京橋駅及び近辺に於て多勢の

人々が爆死した 遺体を当寺鐘堂の焼跡に運び火葬に付した 遺骨の内 無縁の者 195

を住職拾い集めて土中に葬り鎮魂の願いをこめて回向の上昭和31年8月護讃地蔵菩薩を

奉祀して無縁諸霊の永代供養のため併せて永遠の平和を祈念するもの也

 

都市空襲

更新日:2008/03/02