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○99年度年間テーマについて  年間テーマ担当 松岡智之・助川幸逸郎

 05月例会で年間テーマに関する話し合いを持ちたいと思います。三月の総会で提案を呼びかけましたが、これまで事務局に寄せられたのは以下の通りです。

 安藤徹 ○「物語学を歴史化する」 昨年度の年間テーマに引き続いて、「物語学」それ自体を対象化する試みをしてみたい。物語学が提唱されて既に三十年近くたち、いま、これまでの物語学なるものがいかなる現象であり、運動であり、立場であり、方法であったのか、あるいはどのような効果・結果をもたらしたのか、測定し直す作業が求められていると思う。もちろん、それは物語学を過去の遺物として扱うことを意味しない。むしろ、二十一世紀の物語学を拓くために必要な手続きだと考えている。 今度の会報の特集(?)とも関連させて、大いに議論したい。なお、こうした問題意識は、一九九八年一二月例会通知に掲載された「大会報告」と同じである。 他に、@越境・交渉・脱領域ーー<あいだ>を測定するーーA物語学辞典B物語学の根本問題

 今井俊哉 今年度のテーマは「物語学の限界」だったわけですが、どうなんでしょう?「限界」というからにはその線引きをどう引くかということですよね。テーマの抽象度がちょっと高かったんじゃないかとも思います。そんなわけで、同じ延長線上で ○「読みのプロトコル」なんてのはどうだろう。これは、同時代読者、現代の読者、あるいは研究者の〈読者共同体〉(これでもいいかな)を明らかにする作業でもあるわけで、このほうが限界も見えやすいかなあと思うが如何でしょう。 他に無責任に思い付くままに、「鏡」…いうまでもなくラカンからの発想。自由度は高いけど抽象度も高いね。「襞」…ドゥルーズやメルロ=ポンティからの発想。でもこっちのほうはあんまり詳しくない。松岡氏からは、アジアとの連接を考えるテーマの話を聞きましたが、これは古代文学会の今年の雑誌テーマ(『古代文学 38』…当の雑誌は今埋もれていて、はっきりした題名が不明ですが)とかぶっています。こっち方面の世界性や歴史性あるいは都市性を考えたテーマも面白そうなんですが、ちょっと最近の古代文学会の流れと重なってきてしまうようです。今、思い付くのはこんなところでしょうか。

 上原作和 ○「物語学の思想」 今年は「史」や「方法」よりも、研究主体・解釈主体の問題を考えてみたい。

 斉藤昭子 ○「物語学と<日本文化>」 「物語学の限界」というテーマをより具体的に継承するために、「物語学」を「初期的な注釈的態度での享受」などまでふくめた広い意味で捉え、それらがそれらを支える枠組み(=<日本文化>)とどのように関わったか(あるいは、関わらなかったか)、それらがその枠組みの中でどのような位置を占めたのかを問うてみたい。扱う時代は発表者によって異なっても、「学」なるものの歴史的可変性を見据えることで、いまの物語学の位置を測る視座となることと思う。  

 助川幸逸郎 「物語学の限界」というテーマは、論者が超越的立場に立ち、「あれはやばい・これもやばい」と言い立てる傾向を助長してしまった。これでは、「それなら、何をやれっていうわけ? 」という反論も出てくるだろう。私自身のテーマ発表が、そういう「やばい発表」の典型になってしまった。 新テーマは、もう少し「私はこれやるべきだと思う」という点を、発表者が具体的に示せるものがよいのではないか。 ○「物語学とイデオロギー」(「学」が、政治的に中立公平でありえないことは明らか。だとすれば「物語学」には、いかなる実践的可能性があるのか?従来の”「物語学」=「詩学(天皇制)批判」”という図式の検証も必要ーー少し左翼っぽすぎるかも知れないが、ここまでアナクロなら逆にやる意味はあるかも) ○「物語学と文化学」(「文学」を「文化」に解消しようとする現在の潮流に、積極的に乗るべきなのか、敢えて反動的に「文学」の特異性を主張すべきなのか。たんに「時代がこう動いているから、それに乗る」というのは不毛。「文学とは何か」というナイーヴな問いにまで立ち返って、時代の動向の是非を検証すべきなのではないか)といったところを、今の段階では考えている。 

 徳江純子 「引用の位相」

 兵藤裕己 ○「物語 2000 年問題」

 松岡智之 ○「異文化交流と物語文学」 平安時代のいわゆる国風文化が外来文化との関係のなかで形成されたことは周知の通り、そうした異文化交流が物語文学にどのように反映しているか、異文化交流がどのような物語文学を作ったのかを問いたい。もちろん、中国の詩文・史書と物語文学の関係を検証する研究は、源氏物語研究のそれをはじめ、多年にわたり蓄積されているのだからまずはそれらに敬意を払わなければならないわけだが、そうしたテキスト相互関係の検討を基礎とした上で、もう少し広く、文化総体の関係の問題となるような方向で考えたい。思想・制度・文物・文章作法・思考法・感性等々の出会い方、憧れ・反発・取捨選択・利用法等々のありようを、物語文学作品に探っていこうということである。もちろん、懸念される問題点もある。中国以外の扱いにくさ、また「異」文化的同一性が前提となるわけだが、それをどう定位できるのか、などである。そうした困難を意識した上でなお、私はこれを提案したい。 ○「文学史の時代区分と物語ーー物語文学の古代と中世ーー」 とりあえず、「古代」・「中世」という用語は採用しよう。個々の物語文学作品を、時代区分という観点ーー古代らしさ・中世らしさーーから分析・評価するとどういうことになるか、問題としたい。この作品にはこれこれこういう面があるから、自分はこれを文学史的画期と評価したいということが結論となるような考察を各自が試みてはどうか。文学史内部の問題として論じてもよいし、歴史全体との関わりから論じるものがあってもよい。いろいろな報告を積み重ねていって有意義なシンポジウムができれば(来年度への継続が前提となるが)よいと思う。1974 年度の「物語における古代と中世」と重なるが、私としては取り上げていただきたい課題だと思っている。

 宗雪修三 昨年度の年間テーマ ○<物語学の限界>物語学の限界、さらには研究者個々人の、研究への立脚点とその限界点とを見定めるの継続がよい。

 安田真一 ○「語り」 ○「宗教(仏教)」 

越野優子 ○「物語-限界から可能性へ」限界を見極めた上で、そして国文学の厳しい状況を現実と受け止めた上で、尚しかし物語を研究する自らを省みて、可能性を探る作業も必要かと思う。

 匿名希望○「ジャンル論」。

 年間テーマについてアイデアをお持ちの方は、上原・松岡・助川の何れかにぜひお知らせ下さい。お待ち申し上げております。また、前年度の年間テーマの反省点、年間テーマの決定方法に関するご意見なども待っております。なお、1996 年度までの年間テーマをが何であったかについては、「物語研究会会報」第27号(1996年)、あるいは「物語研究会(年間テーマ)のページ」(http://www.asahi-net.or.jp/~tu3s-uehr/monokentheme.htm/)をご覧下さい。なお、「会報」をお持ちでない方は、お問い合わせいただければ年間テーマ一覧の部分のコピーをFAXなり郵送なり致します。1997 年度は「書物」(前年度からの継続)、1998 年度はご存じ「<物語学の限界>ー物語学の限界、さらには研究者個々人の、研究への立脚点とその限界点とを見定める」です。   

1998年度総会報告 1999.3.20

 

審議事項@98年度活動報告・会計報告A学術会議関連の諸件{会則改正等}B99年度事務局改選C99年度予算案D99年度年間テーマ設定の件

(議長・田中雅浩/出席者37名)

審議結果@98年度活動報告・会計報告−承認A学術会議関連の諸件−一括承認

B99年度事務局改選−事務局・上原作和、例会、圷美奈子・助川幸逸郎・松岡智之・宇都宮千郁、大会、稲田路子・斎藤昭子・三浦則子、会計、三村友希、会報、鈴木泰恵、久保田孝夫、立石和弘、南昇

C99年度予算案−承認D99年度年間テーマ設定の件−4月5月例会までの継続審議

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 物語研究会の日本学術会議への学術研究団体登録に関する直接投票の開票結果

 

 物語研究会の日本学術会議への学術研究団体登録は総会で承認されました。(議長・東原伸明/出席者39名)

  賛成 58  反対 18 保留 5 投票総数 81(全会員数192) 開票立会人 関根賢司・南 昇。

   ※締め切り後の投票 賛成 3票 賛成総数 61 投票総数84

 

 

 物語研究会の日本学術会議への学術研究団体登録の件について    室城秀之

 

 物語研究会の日本学術会議への学術研究団体登録の件について、本年八月の白馬での大会で種々議論が行われました。その際、室城がこの議論をまとめて、11月の例会通知に間に合うようにと決まりましたので、今回、事務局からの提案理由と、前に行われたアンケート結果(省略)を添えて、この文書をお送りします。

 NHKのドラマ「徳川慶喜」を見ていて、何か、今回の件が幕末の黒船騒動のような感じがしてきました。国内が攘夷派と開国派に分かれてむなしい争いが行われるようなら、いっそ鎖国のままでいいのではないかという気もします。一方で、今回の議論が新しい物語研究会を生み出すための生みの苦しみかとも考えます。手続きからいって投票という形をとらざるを得ないのはしかたないのでしょうが、学術研究団体登録をしないなら物語研究会を脱会するという会員がいるならそれでいいと思う一方、学術研究団体登録をするなら物語研究会を脱会するという会員がもし一人でもいるなら、今回の件はなかったことにした方がいいのではないかとも思います。

 白馬の大会での議論をうまくまとめることはできませんが、反対派(攘夷派?)には、物語研究会の設立時の精神からいってこのような「公」の組織となることへの懸念があり、賛成派(開国派?)には、現在の国文学研究が置かれている状況への危機意識があるように思います。現実に、各大学において教員の採用人事や昇進人事に、学術研究団体として登録されている団体での口頭発表や、学術研究団体として登録されている団体の機関誌での論文が業績としてカウントされて、人事を左右するような事態が始まっているようにも聞いています。

 今回の事務局の提案の趣旨は、若い研究者の物語研究会での発表や機関誌での論文がきちんと学術的な業績として評価されるようにしたいということにあると思います。一部に懸念されているような、研究会を「学会」にしたいということではありません。その意味で、おおざっぱな傾向ですが、私自身を含めて高年齢(?)の会員には、学術研究団体登録もやむなしという意見が多いように見受けられます。大会での発言を聞いていてうれしかったのは、むしろ若い会員からそんな配慮は無用だという意見が起こったことでした。こういう熱い息吹きがあるなら物語研究会はまだ大丈夫だという思いを強くしました。

 大会での議論をどうまとめたらいいかわからないまま駄文を書き連ねてまいりましたが、会員の方々が日本学術会議への学術研究団体登録の件を真剣に考えて投票してくださることを期待します。

 

  学術団体登録に関する事務局提案  1998.11.05

 

 物語研究会の日本学術会議への「学術研究団体」としての学術研究団体登録を提案します。

 日本学術会議は、研究者の研究に関する諸問題を検討する国の公的機関で、学術会議の会員は 各学術研究団体からの推薦者による投票によって推薦され、内閣総理大臣の任命によって決定されます。ただし、学術会議に物語研究会として会員を出すことは、200名弱の会員数では実質上不可能であり、また、今回の提案の本旨も学術会議に物語研究会として会員を出すことではありません。

 物語研究会が学術研究団体に登録する理由は、文部省が「研究業績の分類基準」の厳密化を求めて各大学へ提示した「分類基準」に照らして、物語研究会の例会・大会の発表、投稿掲載論文 が現在の学術研究団体未登録の段階では“正規の研究業績として認定されない”という切実な問題が生じてきたためです。そこで、事務局経験者・現事務局の発議・協議により、現事務局の判断で昨年度アンケートを行い、その結果を受けて今回の提案となりました。

 物語研究会会員の年齢構成を見ますと、特に例会・大会の出席者の8割以上が30代以下のオーバードクターもしくは大学院生という状況があり、前に述べたような「研究業績の分類基準」による教員人事の選考基準の厳密化が現在進行中であるという実態は、大きな危機意識をもって考えなければならない問題だと思います。会員の入魂の研究を、明確で厳密な形で保護・保全する必要が生じています。

 さらには、学生数の減少に伴う、研究者の研究環境の劣悪化、学際的研究の推進による「国文学科」「日本文学科」の解体および再編といった現実にも直面しており、物語研究会の「学術研究団体」登録是非の判断はもはや避けては通れない状況にあると考えます。

 物語研究会は、アンチ「体制」アンチ「大学」アンチ「学会」を標榜して出発しましたが、現在では、大学教授のみならず、学会役員などを輩出している状況もあり、発足以来26年余を経た研究会の現状としては、“閉塞した研究状況の打破”という方向へと変容しているというのが現事務局の認識であり、過去の初志にこだわることは必ずしも賢明ではないとの判断でもあります。

 なお、一部に懸念があるようなので一言つけ加えておきますと、「学術研究団体」は研究会としての登録可能で、物語研究会が学会になることではありません。

 学術研究団体の登録申請は三年に一回で、次期(18期)の申請時期は来年(1999年)の5月に迫っています。もし可決されましたら、その準備期間も必要です。以下の関連資料をご参照の上、投票はがきに可否等をご記入の上、ご返送くださいますよう、お願い申し上げます。(上原作和)

 

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