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2000.01.06 Up Date

報告/物語研究会1999年大会シンポジュウム「区分・領域」

 報告者 ディスカッサント/橋本ゆかり

はじめに

 1999年8月23〜25日、伊豆稲取のペンションにて物語研究会の夏の大会が行わた。シンポジュウムは初日にパネラー3人の報告、翌日午前中にディスカッションというゆったりとしたスケジュールであった。個人的なことを言えば、私は一週間ほとんど寝たか寝ないかの状態で、当日も徹夜明けで新幹線と電車に揺られて会場にやって来たので、気分は最悪であった。しかも、何故か私は大会のテーマを「境界」であると勘違いして気合を入れて予習をしてきていたので、会場で「えっ『区分・領域』なのー?」と絶句した。まぁ、境界がなければ、「区分」も「領域」もないわけだが、「境界」を問うことと、境界で分けられた「区分」や「領域」を問うこととは、やっぱり大きな隔たりがある。  「区分・領域」といったときには、既に分けられた内容を指すのだが、「境界」といえば、内容を文節化する場を指すと私は考える。私は「境界」が生起することの意味や、「境界」が引かれることで生まれる権力作用などに関心がある。「区分・領域」というテーマには、分けられた内容を論じる方向と、分け方や分け目を論じる方向とがあったであろう。分け方や分け目を論じる方向においては、「境界」が問題になってくる。  とにかく、最初にテーマを「境界」と勘違いして自分なりに、いろいろ考えて来てしまっていたために、「境界」と「区分・領域」というタームが私の頭の中で行ったり来たりする聴き方をしてしまった。もちろん、「区分・領域」の報告として聴いたのだが、聴きながら、「境界」の問題に置き換えて考えたりしながら聴いてしまった。私というメディアを通した報告である以上は、「境界」と「区分・領域」を行き来していた私の「読み」につきあっていただくしかない。間違って聞いた部分や記憶違いもあろうから、発表者の発表は後日活字になった時に、必ず、確認されたし。  ディスカッサントでなかったなら、きっともっと自由で勝手な聴き方が許されて、想像も広がって私は楽しかったはずなのだが。文字で書かれたものならば、気になったところにいつまでも立ち止まって、あれこれ考えながら、次に進んでいけるのに、耳で聴く場合は、立ち止まらせてはもらえない。一応全部を漏らさず聴こうと思ったら、話す人の声とスピードにしばられて聴かざるをえない。断っておくが、<口承>が私に不自由な思いをさせるのではない。後でこのシンポの報告をするために、全部を聴くという「いい子(?)な」聴き方をしなければならない、と思うから、途端に不自由なのであった。 

1、「区分・領域<テリトリー>」の論じ方、その一繙境界を引き、領域が作られることでどような作用が生まれるか繙繙 

発表は原豊二「『源氏物語』「とぞ本にはべめる」を軸に物語の領域について考える発表」、増尾伸一郎「<土の気>と<竈神>の系譜繙陰陽師と占病祟法をめぐって」、三谷邦明「俗的空間/境界空間/聖的空間』繙纓[霧巻の方法、あるいは不安の概念をめぐって」の順に行われた。  三者の大きな違いは、領域をどう論じるかという点であった。  原氏は『源氏物語』の夢浮橋巻末部「とぞ、本にはべめる」を、物語と現実、本文と非本文、あるいは語り手と読者などの二項を分ける境界として位置づけ、その境界が作られることで、どのような作用があるのかを論じようとしていたようである。  ただし、原氏が「とぞ、本にはべめる」を上記のような二項の境界として位置づけるには、一つの前提があった。それは、「とぞ、本にはべめる」の「とぞ」が『源氏物語』の本文全体を受けているという解釈である。しかし、それに対して三谷邦明氏や室城秀之氏から、「とぞ」は『源氏物語』の本文全体ではなく、「とぞ」の直前の部分を受けて作用しているのではないか、という意見が出された。これに対して、シンポ当日には、原氏から明確な解答がなかったが、その後どのように論をまとめ直されたのであろうか。

2、「区分・領域<テリトリー>」の論じ方、その二繙境界、領域生成のプロセスとそこに関わる作用繙 

三者の中で、増尾氏の発表が私にとって最もスリリングなものであった。  境界が引かれることで、領域ができていくわけだが、増尾氏は境界や領域がどのように 生成されていくのか、生成のプロセスとそこに関わる作用を論じていた。境界生成のプロセスを論じる増尾氏の発表を聞いて、境界を作りだすということは、世界を文節化する論理を掌握し、世界を支配しようとする営みであり、それがすなわち、権力を発生させていくということなのだ、と私は改めて気づき、非常に興奮した。  増尾氏の発表要旨を大会通知より引用しておく。

   『栄華物語』巻二十八で、藤原妍子の御悩の原因を、賀茂守道が、「御氏神の祟」「土の気」によると占申している。こうした例は平安時代の古記録類に多数見いだせるが、その際には安倍清明の『占事略決』などが典拠とされた。この書物の「占病祟法」には、竈神が悪鬼、北辰その他の所主(祟りの主体)が挙げられているが、今回の報告では、その中から「土の気(土公)」と「竈神」に注目し、この二神の信仰と祭儀の系譜を辿りつつ、平安貴族社会における<地霊>への眼差しを瞥見したい。

 増尾氏によれば、日本では、竈をミニチュアで作るというようなことは5、6世紀からあり、それは渡来系の竈から広がって祭祀の対象になっていたらしいが、何を祭っていたかは不明であるという。中国の民間信仰に火の神、家の神としての竈神があったわけだが、日本では、その竈神の様々な性質の中で、寿命を司る神としての部分が強調されて、それが祟りにも結びついていくようになった。祟り神の側面は、宮中の祭祀に神祇官たちだけではなく、陰陽師たちが関わる頃から強調されるようになる。中国では強調されなかった竈神の負の側面=祟りの側面が、日本では宮中祭祀に陰陽師が関わり、『占事略決』が作られていく時期に(?)、陰陽師たちによって強調され、新たに付加されて、それが占病法へと発展していったとのことである。『占事略決』とは安倍清明の著述で、中国の天文学、五行思想を述べたものであったが、その著述は占病祟法第廿七より以降に性質が変化していく。つまり陰陽師たちが、中国の文献を典拠にしつつ、中国とは異なるものを創造していったことが読み取れるのだという。中国の五行の論理とは異なるものが、この時期に生み出されていったのである。また、『占事略決』などによって陰陽道が体系化されていく過程では、陰陽師たちが貴族たちの欲望を巧みにすくい上げていくさまがみてとれるとのことであったが…。  ここで、興味深いのは、竈神に祟り神の側面が強調されていく時の貴族たちの欲望とはどのような性質のものかということである。  立石和弘氏が「不安、祟りを強調することで、ある種共同体をつくっていくということがあるのではないか」と質問したのに対し、増尾氏は「ある」と答えていた。それがどういう種類の共同体なのかまで議論されなかったが、私はこの点は重要であると考える。  欲望と共同体生成とを考える際に気になるのが、まず、陰陽師たちによって中国とは異なる論理が生み出されていく営み自体である。それが何を意味しているかまでは、増尾氏は言及していなかった。ただ、陰陽寮が律令の完成とともにあることから考えると、「日本」の枠どり方と関連があるのだろうと予測される。  また、陰陽師が作った『占事略決』が使われる場に働く欲望と共同体生成もまた、私は気になった。シンポの初日の報告が終わった夜、増尾氏に質問をしてみたところ、『栄華物語』巻二十八の妍子御悩の記事は、やはり、藤原氏の権力パフォーマンスを示しているとのことであった。『栄華物語』には、妍子が病気になって、陰陽師に占いをさせたら、氏神の祟りと土の気の祟りであるとわかって、祓いをした。また、仁和寺の律師を呼んで、修法もさせた、とある。人が死んでから、その人をどう供養するか(例えば法華八講など)で、供養を主催する側が自らの権力の性質を世間にデモンストレーションするのと同じように、生きている人に対して、いろいろな占いや祓いや修法をするというのもまた、自分たちの権力を世間に示すパフォーマンスとして理解できるだろうとのことである。私はその点に非常に共感し、興味深かった。  「祟られた」ということは、祟られるような敵がある、ということである。次々と祟りの種類を陰陽師などによって明らかにするということは、自らの敵の種類、性質を次々に明らかにしていくということであり、その祟りを結局祓うことができるということは、その明らかにされた敵を支配できているということである。自らの世界に線を引き、境界を作り、敵を生み出し、結局それを支配できることを示して、自らの権力の性質と大きさとをアピールしていく。この時、陰陽師たちが作った『占事略決』が使われる。『占事略決』は、自分が支配する世界(宇宙)を示したい貴族たちの欲望と密接に絡んでいると考えられる。私は発表を聞いてそう考えながら、このダイナミズムにワクワクした。  会場の方からは、様々な意見、感想が出された。例えば、阿部好臣氏からは、『竹取物語』末尾で、不死の薬を燃やすことが教えられるが、それは竈神の祀り方を教えられたということかも知れない、などの感想が出された。ここに、当日出た意見・感想を全て紹介することはできないが、阿部氏のように日頃から持っている問題意識を刺激された人は多かったに違いない。

3、「区分・領域<テリトリー>」の論じ方、その三繙繙読者が設定した区分・領域によって物語を読む繙

 三谷氏の発表は、読者である三谷氏によって、物語空間に聖的空間/境界的空間/俗的空間という線引きがされ、領域が設定されて、その領域によって物語が論じられていった。  長文の報告で、ペーパーが用意された。いろいろな問題が投げ込まれていて、一言で簡単にはまとめられないし、まとめればつまらなくなる。いくつかの分裂が孕まれていて、その分裂に否応なくひかれて考えさせられざるを得ない発表であった。大会通知から、三谷氏の発表要旨を引用しておく。

 夕霧は小野という山里の境界空間において、光源氏を除く登場人物たちが、不安という概念に憑依されている。その様相を克明に分析した上で、境界空間が第二部から始まり、第三部においても、薫を通じてどのように描かれているかを考察する。境界概念が第二部の夕霧と第三部の薫とでどのように差異化されているかについてを明らかにするつもりである。(以下略)

 三谷氏の発表に対しては、小野は境界なのかという意見や、何故、三層構造なのかわからない、そう読んではつまらないという意見などが会場から出た。  「小野は境界なのか」という質問は、二通りに受け止めることができる。  一つは、小野の地を実態的にとらえて、その地が境界であるのか、という質問として理解する。二つめは、「何故三層構造なのかわからない」という質問に通じるもので、空間を物語の論理とパラレルなものとして捉えて、その機能を考えてみたとき、小野を境界として意味付けして読んでいくことが妥当なのか、という質問として理解する。  実は、この質問が二通りに理解できるように、三谷氏の発表も二通りのことが平行して語られていたように思う。そして発表スタイルが分裂していた。だから、聞いている側に混乱が生じてしまっていた。少なくとも、私は戸惑った。しかし、三谷氏が発表で最も拘りを持っていたのは、果して、分裂してしまっていたここではなかっただろうか。  質疑のやりとりの中で、何が話し合われているのかわからなくて、最も私がイライラしたのはここであった。「××は境界だ」「いや、異郷だ」「いや○○が聖的空間だ」といろいろな人々から延々と繰り広げられる場面があった。みんなどういうつもりで議論していたのであろうか。三谷氏が最初に断っていたように、読者である三谷氏が、「ここは境界だ」と言えば、境界になるのである。そして、その境界として読んでいく、というスタイルを三谷氏はとったのである。それに対していえることは、小野を境界として読んでいくというスタイルに対してのみだ。ところが、三谷氏は発表の後半部で次のようにも述べている。   多分、小野・宇治が、源氏物語で、境界空間として設定されたのは、これらの地に、当時は権門の散所が多数あったという、歴史的背景からであろう。  この部分から、三谷氏の発表を理解すると、小野は源氏物語において、境界として語られていた、となるのだが。三谷氏が論じていこうとしているスタイルに分裂を感じたのは、私だけであろうか。小野に散所があるという歴史的事実から、小野は境界として理解できるということと、物語の中で登場人物たちの不安や憧憬を生み出す空間の機能とを、三谷氏は連動させて論じようとしていたのか、と私は最終的に理解している。  散所を抱え持つ空間と、物語の登場人物のありようとの関係については興味深い。改めて、三谷氏の論を待ちたい。 なお、個々のよみについてであるが、夕霧巻の落葉の宮と塗籠を論じている箇所が三谷 氏にあった。問題意識が通じているところもあったが、私は三谷氏とは別の読みをしている(「源氏物語の『塗籠』」日本文学1999・9)。三谷氏の発表からは、塗籠のもつ 固有の意味についてもっと考えなければならないと、学んだ。別稿でまた論じていきたい。

まとめ

 三者三様の発表であり、どれもが、さまざれまなことを考えさせてくれる、濃厚な発表であった。私はたくさんの宿題を夏の終わりに与えられた気分であった。「区分・領域」の論じ方は三通り出たが、これ以外にもある。何が一番良い論じ方か、というのはではなくて、多角的に柔軟に論じていくという姿勢ががよいと思う。  12月の古代文学会・物語研究会合同大会のテーマは夏の物語研究会大会のテーマとかぶっていたように思う。少なくとも、私はそう聞いてしまった。ここに一緒に関係付けて述べたかったが、紙数が尽きてしまいました。また機会がありましたら。

語られざる部分を読むということ

――大会シンポジウム「物語学の限界」の報告にかえて――安藤 徹(ディスカッサント)

 

 物語研究会一九九八年度大会(八月一七〜一九日、於白馬)でのシンポジウム「物語学の限界」は、シンポジウムとは名ばかりの研究発表三本であった。それらに共通した問題点を探すことは、無理であり無意味であり残酷でさえある……と言ってすませてしまってもいいくらい、このシンポを全体としてまとめることは難しい。発表のレベルを言っているのではない。テーマに関わらせて、それぞれの発表をどう関係づけ、位置づけたらいいか、そのことを言っているのである。ともかくも、ここでは三人の発表をあらあらと振り返り、当日の討論の内容をも踏まえ、さらに個人的な感想も含めつつ、テーマに関連するであろう問題を強引に抽出してみたいと思う。いきおい、シンポの報告という範囲からははずれてしまうかも知れない。断じて、個別の発表に対する正当な評価をこの文章に望んではいけない。

 まず、それぞれの発表内容をごく簡単にまとめてみると次のようになる。

 松岡智之さんの発表「文学史叙述の方法」は、従来の「文学史」への違和感を表明し、新たな「文学史」の可能性を探ろうとしつつ、その困難さ=限界を確認するものであった。それはまた、「文学史を書くこと」に対する自らの欲望を赤裸々に語ることでもあった。

 立石和弘さんの発表「消費される色好み」は、色好み論を具体的な例として、物語を論ずるときに前提とされて(しまって)いることを改めて前景化・意識化し相対化する中から、新たな物語学の可能性を探ろうというものであった。

 久保田孝夫さんの発表「山城国「山崎」の文学史」は、山崎という「文学風土」からの諸テクストの定点観測を行なおうとするものであった。特に、他テクストとの関連の中で、『土佐日記』の山崎停泊の記事の読みを具体的に提示した。なお、久保田さんの発表は既に論文化されている(「山城国「山崎」の文学風土―境界の視座から―」(『講座平安文学論究 第十三輯』風間書房 一九九八年))。

 三人の発表は、「研究者個々人の、研究への立脚点と、その限界点を見定める」というサブテーマに関してはかなり真摯に、そして直接的に答えようとしたものだったと言える。また、それゆえにテーマそのものに辿りつきにくいという結果にもなったように思う。たとえば松岡さんは、日本文学史が権力志向的であることを認めつつも、それゆえに魅力的でもあり、日本文学を理解する有効な方法であるという。これまでの文学史には満足できない状況にあって、いかにして自らの「文学史」を書くことができるかを考えたい、という態度表明はそれ自体明確だ。しかし、文学史を構想することが物語学にとっていかなる位置を占めるのか、あるいは文学史にとって物語学とは何なのか、文学史を書くことのイデオロギー性やその方法・目的・動機の究明は、物語学のどのような「限界」を撃つことができるのか、といった点は見えてこなかった。「物語史」と銘うった研究書が最近多いことを久保田さんが指摘してくれたが、では「物語史」において文学史と物語学は幸福な出会いができる(できた)のかどうか、という検証も必要である。

 あるいは、「誰が、誰に、何のために語るのか」という視座を欠落させたこれまでの色好み論に対する立石さんの批判は、色好み論のみならず、物語を語り論ずるということがいかなる行為なのかということを自覚する必要性を説くものとして興味深かった。が、それが現在の物語学の限界だ、ということでは物足りない。表現構造や語りの分析、さらには言説分析といったものを進めてきた物語学は今、物語学自体の語りかたや言説の分析を求められている。ならば、物語自体について分析してきたように、物語学についてももっと精緻な分析をしなければならないはずだ。色好み論を近代的枠組みを隠蔽させたものとして、つまりきわめて近代的な産物として理解することは妥当だが、「近代的」というレッテル貼りが既にステレオタイプ化した批判になってしまいかねない。批判することはむずかしい。しかし批判していくことは必要である。ではどのように? そう、立石さんの問題提起になかったのは、この「どのように」という視点ではなかったろうか。そして、それこそ物語学の生命線でもあったように思う。だからこそ、物語学の限界を考えるならば、「どのように」と常に問うことが大事になるのではないか。

 久保田さんは、自らの立場を「新歴史社会学派」だと告げた。「新歴史社会学派」とはもともと深沢徹さんが別のところで宣言(?)したものである。かつての歴史社会学派との関係は、正直なところよくわからない。物語学に欠けていた歴史社会的コンテクストへのめくばりを主張しようということなのだろうか。あるいは、「文学の文化研究」という、近代文学などでの顕著な流れと連動しようというのだろうか。それにしても、そこにある懐かしさを感じてしまうとすれば、それは歴史社会的コンテクストの固定化・実体化という問題が関係するのだろう。閉塞している『源氏物語』の「引用論をもっと時代の言説状況へと開いて機能させる術はないものか」という神田龍身さんの問題提起(「源氏物語の引用」国文学一九九五年二月)とも関わるところで歴史社会を扱うことが、物語学の限界を見定める上でも大切なのだと思う。ちなみに、山崎とは久保田さんが現在住んでいるあたりらしい。自らが生活し、研究する場、自分がよってたつ場を見つめ直そうという意味もあったことになる。

 ところで、三人の発表者に共通する関心のありかを一言で言えば、「語られざる部分をいかに読むか」ということだろう。テクストとテクストの間(外部)で見えていない(語られていない)関係を語るのが文学史だ、との三谷邦明さんの発言を踏まえれば、松岡さんはどのテクストを選択し、それらの間をどのような方法と立場から埋めるべきかということに興味が向かっていたことになる。文学史に複数の記述がありうるのは、その史的関係があらかじめ明示されていないからである。その明示されていないテクストの関係を発見=発明する術を探したいということだ。また、色好み論批判をした立石さんは、テクストに潜む微細な権力作用を分析し浮上させることの必要性を強調したのだが、権力作用とは隠蔽作用でもある。隠蔽されたものを微細な部分から発掘し、それによってテクストを読み換える試みは、色好み論に隠蔽されている近代的枠組みの発見と共通する発想がある。『土佐日記』で山崎に六日間も停泊したとの記事が意味するところを、「想像をたくましく」して想定する久保田さんもまた、日記自体には語られていない貫之と山城国司公忠(山崎に山城国府があった)との交流を読み取るという点で、同様の関心を持っていると言える。

 こうした関心に基づく研究は、テクスト(間)に深み・奥行きを設定することになる。語られている部分の裏にはまだ見えない何かがある、そしてそれこそがより重要であり、あるいは本質的なものである……こうした読みの姿勢は、「異議申し立ての物語学」(三谷さん)にとってどのような意味を持つのだろうか。神話学や歌学やナラトロジーに対して(抗して)立ち上げようと試みられてきたのが物語学だとすれば、物語学とはまずなによりもその対象である「物語」というジャンルの特異性に根拠をおいた領域だということになろう。そのとき、「物語」は他ジャンルとの違いを強調するためにさまざまに言挙げされる。奥行きのある物語、あるいは物語の〈深み〉の発見は、物語の価値を高めることに大いに益することであろう。やっぱり物語はすばらしい! しかし、それが物語学のめざしたものだったのだろうか。物語をよりよく理解することと、物語を高く評価することとは必ずしも同義ではないはずだ。問題は、批判という契機をどのように持つかである。一つには先行研究をいかに批判的に位置づけるかということがある。さらに、自らの論が結果的に示す(であろう)ことを批判的に捉える余地をいかに確保するかということもある。「微細な分析を」という立石さんの発表に対して、それはこれまでの大枠を補完することになってしまわないか、かえって保守的になりはしないか、との阿部好臣さんや助川幸逸郎さんの危惧は、後者に関連する。

 大橋洋一「新歴史主義の権力/知 グリーンブラットをめぐって」(現代思想一九八九年二月)によれば、「細部への微視的なまなざしを送り、そこに微視的政治を抉剔する新歴史主義の方法は、権力が中心をもたずあまねく浸透するフーコー的空間のうえにのっからなければ成立しない」のであり、新歴史主義者たちの「レトリックそのものが、細部を明るみにだし、細部を収奪する規律・訓練する権力そのものと重なりあう。彼らは書こうとしつつ、自らすでに書かれているのである」。そして、新歴史主義が明らかにするのは、「文学テクストは最終的にはすべからく自ら転覆的なラディカリズムを回収するか、自らが権力によって回収される運命でしか」なく、「途中の手続きはいくら精密でも最終的な結論はいつも同じなのである」。「語られざる部分を読む」という行為が、こうした新歴史主義のレトリックに通じるとすれば、その結果・効果も推測できるだろう。

 語られざる部分を読むことはいけないことだ、と批判したいのではない。むしろ、そうした作業の重要性をもっと強調したいくらいである。しかし、一方でその危うさも考えずにはいられない、ということなのである。具体的にどのような方法なり論述のスタイルがありうるのか、正直なところわからない。一つには、自らの立場を明示すること、しかもそれが必ずしも絶対的・超越的なものではないことを付記することがあろう。ただ、それが免罪符のようになってしまっては意味がない。要は、そうした自らの限定的な立場をも含めた形でいかに理論化できるか、である。大橋洋一「デッド・リンガー―文学理論のパフォーマンス」(iichiko15 一九九〇年四月)は、自らの理論の「優越性のあかしとは、逆説的ながら、自らの無力ぶりを示すことである。自らの理論のが真実ではないことを示すことである。自らの理論が未来永劫にわたって有効性をもたないことを、示すことである」と説く。そしてそれは「すべてを政治的とみる理論」「すべてがコンテクストによって決まり、すべてが利害によって成立し、すべてが対話と闘争によって決まるという理論」「他のライヴァル理論を政治的だと非難するが、同時に自らの政治性をも隠すことのない理論」だという。理論化とは困難な作業である。しかし、理論化を目論まない物語学は物語〈学〉ではない。そして、物語学の限界を問うことは、物語の限界と同時に物語学者の限界を問うことでもあるはずなのだ。

 もう一つ、三人に共通する点を挙げるとすれば、文学〈史〉、研究〈史〉、享受〈史〉、あるいは〈歴史〉社会といった「歴史」の問題である。歴史へのまなざしは、研究主体の位置測定とも関連する大切なものである。あるいは、「つねに歴史化せよ!」とはF・ジェイムソンのスローガンだが(『政治的無意識』平凡社 一九八九年)、既に三〇年近い「歴史」を持つ物語学それ自体についても、そろそろ歴史化されるべきであろう。最近、藤井貞和さんが物語学の起源について繰り返し触れているが、起源(オリジン)へのこだわりはそれとして、物語学を歴史化する作業としてなら藤井さんのモチベーションを分かち合いたいとも思う。

 実は、僕が最も印象に残ったのは、討論の終わり近くでの(たぶん)小山優子さんの発言だった。小山さんはこんなことを言った(と思う)。最近、物語研究会に入ったばかりなのに、いきなり「物語学の限界」というテーマに戸惑っている。なぜ「物語学の可能性」ではなく「物語学の限界」を議論するのかわからない……たわいのない質問、では断じてない。なぜ「可能性」を問わないのか。可能性と限界の両方を常に視野に入れた議論こそ、物語学を正当に評価できるのではないか。限界だけを言い募ることは、それを指摘する(できる)者の超越性を主張することに終わらないか。そんなことを考えさせる、とても貴重な問い掛けだったと思う。もちろん、このことは直接には今回の発表者に帰すべき問題ではない。むしろ、三人は可能性を懸命に探ろうとしていたのだから。

 可能性と限界の両方を見定める地点、それは「境界」であろう。物語学の境界に立って、その地点から問いを発し、答える努力を怠らないことが大事なのだ。それはあまりにユートピア的だと揶喩されるだろうか。ここでは、「相異なる二つまたはそれ以上の文化の交錯する境界線上にあって、それらのすべてと関係をとりむすびながらも、そのいずれにも帰属することなく、ひとつの〈異他なる反場所〉を形成しているような批判的知識人主体」である「ヘテロトピア的主体」(上村忠男『ヘテロトピアの思考』未来社 一九九六年)を想起しておきたい。具体的にはE・サイードという存在(と彼の議論)が思い浮かぶ。マージナルでエグザイルな状況に置かれた「亡命者」「ディアスポラ」の位置と物語学者の位置は決して別なのではない。仮にも「(物語)研究者」「(物語)学者」ならば、それは当然求められる立場に違いないのだ。もしもそれを研究者の特権化だと言うのなら、その特権的な位置を有効に、有意味に利用することこそ重要だと主張しよう。そして、物語学者がヘテロトピア的主体として批評するためには、具体的にはまず何よりも物語における境界、物語の境界に焦点を合わせて分析してみること、そしてさらに物語学の境界に立ってみることである。山崎の境界性に着目した久保田さんの発表もそうした文脈で捉えると、また違った側面が見えてくるのではないか。……大げさすぎるだろうか。そんなことはあるまい。

 個人的には、「物語学の限界」から「物語学の境界」へ、さらに「物語学の臨界」へと問題を設定し直したいと考えている(具体的には、一九九八年一二月例会で発表したいと思っています)。それにしても、以上述べてきたことに対して、私自身に明確な答えがあるわけではない。あけられた「パンドラの匣」(土方洋一「パンドラの匣をあけて」(物語研究会会報二九 一九九八年八月)を前に、まだ呆然としているだけである。試行錯誤はまだまだ続きそうだ。なお、ディスカッサントとして私が発言した内容に関して、狼少年よろしく「危険だ、危険だ」といって人々の不安を煽っているのでないか、と松井健児さんが指弾した。一体何を危険だと言ったのだろうか。既に記憶もなく、何とも無責任なのだけれども、この文章が何らかの答えになっていれば幸いである。

 お盆明けの白馬は、のどかというにはあまりに閑散としていた。周辺ではちょうど(?)地震も群発していた。そういえば、消えゆく記憶の中で、一夜だけ現われたあの女性の姿だけが妙に鮮明に思い出される。そこは、単なる避暑地とは思えない〈別世界〉だった。そんな地で、賞味期限の切れた缶ジュースを飲みながら、物語学の限界を問うことはまだ期限切れではない、と信じたくもなった三日間であった。

 

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