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写真表現に関わる常識を疑え

表現に関わる常識を鵜呑みにするな

 写真を真面目に勉強していると、いろいろな常識が得られます。本を読んで知ったり、写真関連サイトに書かれたものを読んだりして。そんな常識の中には、絶対に正しいとはいえないものがあります。

 私の場合も、最初のうちは信じていました。しかし、より自由な表現を求めるうちに、常識は絶対ではないと気付きました。常識にはある程度の意味はあるものの、常に正しいわけではありません。狙った表現を実現するのに必要なら、無視して構わないのです。大切なのは、常識を鵜呑みにせず、必要とあれば無視することです。

 鵜呑みにしない対象には、一般的に重要だと思われがちな常識も含まれています。代表的なものを取り上げ、なぜ鵜呑みにしてはいけないのか、どんな状況で無視するのかを紹介しましょう。

教科書的な適正露出を疑え

 写真撮影では、絞りとシャッター速度によって露出を調整します。写った被写体の明るさを適切に保つためです。撮影状況にあった露出を、適正露出と呼びます。

 一般的に良いと考えられている適正露出は、次のようなものでしょう。主役となる被写体の明るさを重視しながら、ハイライトが飛んでなくて、シャドーもつぶれてない露出です。これを「教科書的な適正露出」と呼びましょう。ちなみに、カメラの自動露出が示す露出が、教科書的な適正露出になるとは限りません。自動露出が苦手な被写体では、露出補正を加えないと、教科書的な適正露出で撮影できないからです。

 表現意図を考えない限り、教科書的な適正露出で構いません。しかし、表現意図を重視すれば、話が違ってきます。写真撮影における露出は“写真の雰囲気を演出する役割”も持っているからです。ハイキーにすれば、幻想的、柔らかい、輝きいといった雰囲気が出せます。もちろん、ハイライトは飛んでしまうし、黒い部分が白くかぶったりします。逆にローキーにすれば、不気味、堅い、沈んでいるといった雰囲気が出せます。当然、シャドーはつぶれてしまいます。

 ところが、教科書的な適正露出では、同じような雰囲気にしか写りません。この点こそ、表現意図を重視した場合、大きな問題なのです。写真歴の長い人でも、ハイキーやローキーを使うのはごく一部の写真だけで、それ以外の写真は教科書的な適正露出で撮影しがちです。これこそ、教科書的な適正露出に縛られている結果といえます。

 表現を重視するなら、特別な写真でなくても、ハイキーやローキーでの露出が使えないか検討します。明確なハイキーやローキーだけでなく、ハイキー気味やローキー気味も含めて。このとき大事なのは、写真の雰囲気を表現意図に合わせることです。表現意図によっては、教科書的でない露出が役立ちます。もちろん、無理して毎回使うものではありません。

適切なピントの常識「ピントは目に」を疑え

 ピント合わせに関する常識もあります。代表的なのは「ポートレートでは、モデルの目にピントを合わせる」でしょう。たいていの条件では、この常識どおりで問題ありません。しかし、常に正しいわけではないのです。

 では、どんな条件のときにダメなのでしょうか。それを理解するためには、表現と被写界深度の関係を考える必要があります。モデル撮影では、望遠レンズを使って背景をぼかします。モデルの全身を写す場合、モデルの全体にピントが合って、背景は全部ぼけるのが理想です。それに少しでも近付くように、絞りの値を設定します。

 1つの例として、モデルが地面に座り、両膝を両手で抱えているポーズを考えましょう。当然、モデルの顔は、両手よりも後ろにあります。狙っている写真は、モデルの顔だけでなく、両手にもピントが合っていて、背景がぼけた写真だとします。このとき、目にピント位置を合わせて絞りを開くと、背景は大きくぼけますが、両手も少しぼけてしまいます。

 そうしないためには、モデルの顔よりも前にピント位置を設定し、顔も両手もピントが合った状態に写るような絞りを選びます。背景がぼけないと困るので、両手の方だけはややぼけても構いません。顔だけは、ピントが合っているように見える状態に写します。こうした条件を満たすような、ピント位置と絞りの組合せを探すわけです。

 これは単なる一例に過ぎません。モデルの目以外の部分にもピントが合ってほしいとき、ピント位置を目から外すのは当然の選択となります。被写体の状況も、狙う表現意図も様々なので、この常識を守らない状況はいくらでも考えられます。

適切なピントの常識「ピントは主役に」を疑え

 ピントに関する別な常識も取り上げましょう。その常識とは「ピントは主役に合わせる」です。これも常に正しいとはいえません。

 その理由を理解するためには、ぼけた被写体の役割を知る必要があります。大きくぼけた被写体は、何が写っているか分からないので、背景の色としての役割しかありません。しかし、中途半端にぼけた被写体なら、単なる背景ではなく、写真を構成する主役や脇役として働きます。ぼけた状態であっても、見る人に何かを伝えられるわけです。例を挙げた方が分かりやすいでしょう。

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 この写真の主役は、背景のように写っている“ぼけた木”です。主役をぼかしているからこそ、味わいのある雰囲気が出ています。ピントが合っている手前の容器は、アクセントとしての脇役でしかありません(もっとサイズが小さくて、左に位置するアクセントの方が良かったのですが、被写体を自由に選べないのが写真ですから)。

 この例のように、主役をぼかすことで狙った雰囲気が出せる被写体もあります。大切なのは、表現意図を可能な限り実現することであって、主役にピントを合わせることではないのです。たとえば、ぼかすことで美しく見える主役なら、積極的にぼかしましょう。

 似たような常識に「写っているどれかの被写体に、ピントが合っていなければならない」があります。「写った被写体の全部がぼけていてはダメ」という意味です。これも常に正しいとはいえません。どこにもピントが合っていなくても、狙った表現意図を上手に伝えられるなら、それで構わないのですから。

 ただし、どこにもピントが合ってないことで、文句を言う人がいると予想できます。そう考えて、どこかにピントを合わせるのか、文句を無視してピントを合わせないかは、撮影者の選択です。私ならピントを合わせない方を選択し、「ピントが合っていることよりも、表現意図の達成が大事」を広めるように努力します。それが写真道の本道だと信じていますから。また、副次的な効果として、少なくとも自分の周囲には、文句を言う人がほとんどいなくなるでしょう。

広角レンズによるゆがみの減少を疑え

 35mm版換算で28mm以下の広角レンズを使い始めると、撮影した写真の被写体と撮り方によっては、ゆがんだ感じで写ることに気付きます。ゆがんだ感じとは、長方形の被写体が崩れた台形に写ったり、人間の顔などがバランスを崩した状態で写ることです。超広角レンズなら、四隅に向かって引っ張ったような様子で写るのも、ゆがんだ感じの1つです。

 これらの特徴を持つ写真を見せると、先輩か誰かから「ゆがんだ感じをもっと減らすように撮らないとダメだ」などと言われます。確かに、自然な姿を写そうと狙った場合は、ゆがんだ感じが邪魔になります。

 しかし、広角レンズのゆがんだ感じは、表現にも利用できるのです。主役や背景をゆがんだ感じに写すことで、不安定、歪んだ心、壊れそうな状態など、正常ではない雰囲気を表せます。また、顔などをゆがめて写すと、実物とは異なる面白い姿に仕上げられます。

 それとは違い、ゆがんだ感じを表現に直接利用しない場合は、常識を守るべきなのでしょうか。いえ、そうとは限りません。ゆがんだ感じを避ける撮影方法では、撮影アングルが限定されます。その制限が、表現意図に適したアングルを邪魔するようだと、守っても意味がありません。表現意図を達成できないのですから。

 ゆがんだ感じを減らすべきかどうかは、表現意図の中身で決まります。ゆがんだ感じが表現意図を邪魔するようなら、絶対に減らすべきです。そうでないのなら、ゆがんだ感じが残っても構いません。ただし、どうしても気になるなら、表現意図を邪魔しない範囲内で、ゆがんだ感じを減らせばよいでしょう。

表現意図を最優先して判断すべき

 ここまで、代表的な常識として、露出、ピント、広角のゆがみ感を取り上げました。すべてに共通するのは、表現意図を重視して考えると、常識が常に正しいとは限らない点です。常識を守らなくても構わないかどうかは、表現意図を最優先して判断します。ここで紹介しなかった常識に関しても同様です。

 今回の内容を納得しない人もいるでしょう。たとえば、ハイライトが飛んでいたり、シャドーがつぶれた写真は我慢できないとか。また、モデルの目にピントが合っていないのは許せないとか。広角レンズによるゆがみ感は気に入らないとか。

 しかし、私に言わせれば、こうした意見こそ、表現意図を重視していない(つまり表現を軽視している)証拠です。ハイライトが飛ばないようにしたり、モデルの目にピント位置を設定したり、広角レンズのゆがみ感を減らしたために、表現意図の達成度が低下しても構わないのでしょうか。

 そもそも、写真を鑑賞する人は、ハイライトが飛んでいないかを一番に見るのでしょうか。モデルの目にピント位置があることを、ルーペで確かめながら見るのでしょうか。広角レンズのゆがみ感ばかり気にしてみるのでしょうか。もしそんな人がいるとしたら、写真の見方が変でしょう。通常は、写真全体を見ながら、何が伝わってくるのかを見るはずです。だからこそ、表現意図の達成が一番重要なのです。

 以上のことは、冷静に考えると分かるはずです。表現意図の達成で大事なのは、ハイライトの飛び、モデルの目に合わせたピント位置、広角レンズのゆがみ感の少なさではないのです。それ以外の、主役の目立ち方、脇役の効果、構図、全体の雰囲気などの方が、より大きく効きます。だからこそ、効く方を重視して撮影するわけです。

 ここまで読んで、表現を重視したい人は、安心したと思います。絶対ではない常識にとらわれず、もっと自由に撮影しましょう。自分が狙う表現意図の達成を目指しながら。

(作成:2003年6月8日)
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