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デジカメによる写真上達手助けの限界

デジカメによる上達効果は、深く分析しないと不明

 次のような意見を、聞いたり目にしたことはないでしょうか。「デジカメを使って撮影すると、フィルム代や現像代を気にしなくてよく、数多くの写真が撮れるので、写真が上達しやすい」という意見を(この意見を、ここでは「デジカメ高速上達論」と呼ぶことにします)。この意見は正しいでしょうか。もし正しくないとしたら、どこが間違っているのでしょうか。その辺を含め、詳しく考察してみたいと思います。

 デジカメ高速上達論では、写真の腕が上達する理由として、数多くの写真が手軽に撮れることを挙げています。つまり、数多くの写真を撮れば、必然的に腕が上達すると。でも、本当でしょうか。何か、話が飛躍しているように感じます。

 では、数多くの写真を撮ることと、腕が上達することの関係を、根拠を示して説明した意見はあるのでしょうか。いろいろと探してみましたが、該当する意見を発見できませんでした。私には、怪しい意見のように見えます。

 怪しいと感じるのは、私自身の経験からです。フィルム時代の経験ですが、数多く撮影していたのに、まったく上達しない時期がありました。ところが、ある点に気付いてから、撮影枚数が少ないのにも関わらず、上達できた経験があります。もう1つ、写真仲間の上達を見ても、同じように感じました。撮影枚数が多いのに上達しない人、撮影枚数が少ないのに上達する人がいました。こうした身近な経験から、撮影枚数と上達とは深い関係がなさそうだと思っていました。

表現に関わる撮影要素を洗い出すと、本当の効果が分かる

 表現能力向上へのデジカメの貢献度を正しく把握するために、もっと違う視点で考えてみます。より適切に思考するためには、最終的な作品に影響を及ぼす要素のうち、撮影の際に決める要素を洗い出し、それらがどのような影響を受けるのか、細かく調べる方法が有効でしょう。該当する要素を洗い出したら、それがデジカメで良くなるのか調べます。また、それらの要素が、作品に影響する度合いも調べます。両方の調査結果を付き合わせると、表現能力向上へのデジカメの貢献度が明らかになるはずです。

 まず、作品作りに影響を及ぼす、撮影時の決定要素を洗い出してみましょう。主なものは、次のとおりです。

・フレーミング
  ・被写体の構成要素から見た場合
    ・表現意図と主役選び
    ・脇役の使い方
    ・背景の使い方
    ・構図の利用
    ・全体を整えながら妥協点を見付ける
  ・表現の技から見た場合
    ・写真全体をシンプル化する
    ・空白や暗闇を入れて整理する
    ・光と水を積極的に利用する
    ・主役をアップにして強調する
    (上記以外は省略)
  ・単に写すという視点で見た場合
    ・撮る方向
    ・被写体との距離
    ・写す範囲
・レンズの画角選び(広角や望遠などレンズの選択)
・露出(絞りとシャッター速度の選択)
  ・写す明るさ(ハイキーやローキーも含む)
  ・適した絞り値とシャッター速度値
・ピント(合わせたり外したり)
・写すタイミング

 以上の中で、とくにフレーミングだけ詳しく書いてみました。その理由ですが、作品の仕上りに与える影響は“フレーミングがダントツに大きい”からです。

 カメラの進歩によって、ピントや露出の精度が向上したため、これらを失敗する可能性は大きく減りました。また、自動化が進む以前でも、カメラを使い慣れることで、この種の失敗は大きく減らせました。

 ところが、フレーミングに関してだけは、自動化がまったくできません。撮影者がすべて決める要素なのです。作品の出来にダントツで影響を及ぼすのがフレーミングなのにです。つまり、大きく影響するのに、自動化できないわけです。

 次のようなことを、誰もが知っているでしょう。写真の上手な人は、安いカメラでも魅力的な写真が写せます。たとえレンズの描写が悪くても、悪い描写を上手に生かして撮ります。カメラやレンズの良し悪しよりも、フレーミングの上手さが大事なのです。もちろん最近では、技術の進歩により、安いカメラでも描写がかなり良くなってますから、単純に腕だけで写真の出来が決まるでしょう。

表現に最重要のフレーミングで、デジカメの効果は極少

 では、銀塩カメラの代わりにデジカメを使うことで、作品の良し悪しにどのような影響を与えるでしょうか。上記の要素ごとに、デジカメで助かる点や度合いを考えてみましょう。結果を整理すると、次のようになります。

・フレーミング:ほんの少しの役立つ
  (遠近感や写る範囲などファインダで確認でき、そのとおりに写る)
  (ただし、明暗差はファインダで見たよりも強調されて写る)
  (明暗差の強調された結果を、液晶モニタで確認できる)
  ・遠近感や写る範囲などの決定に関しては、とくに役立つ点がない
  ・明暗差が強調されたのに合わせて、主役の大きさなどを変えられる
  ・ただし、明暗差の強調が大きく影響する被写体は、ごく一部だけ
  ・慣れてくると、明暗差の強調を予測できるようになる
  ・関連する問題:液晶モニタのコントラストが正しくない機種あり
    ・どの程度あるかは不明だが、けっこう多そう
    ・パソコンのモニタにも同様の問題があり、根が深そう
・レンズの画角選び:まったく関係なし
  (銀塩カメラでも、ファインダで確認できるため)
  ・ただし、銀塩のレンジファインダー機は除く
・ピント:ほんの少しの役立つ
  (撮影した画像を液晶モニタで拡大確認できるため)
  ・ピンぼけを発見できる。ただし、毎回の確認は大変
・露出:大きく役立つ
  (撮影画像を液晶モニタで確認できるため)
  ・露出補正まで含め、失敗が激減
  ・ハイキーやローキーの程度を最適化できる
  ・滝などを写すとき、最適なシャッター速度を選べる
・写すタイミング:分野によっては大きく役立つ
  (撮影画像を液晶モニタで確認できるため)
  ・タイミングが悪かったとき、気付いて再撮影できる
    ・もちろん、何度も撮影可能な被写体に限られる
  ・細かなタイミングが関係のない分野は多く、そこでは無影響

 これらを見て分かるように、デジカメが大きく役立つのは、露出です。あと、分野によっては写すタイミングが大きく役立ちます。

 ところが、写真の出来に大きな影響を与える、フレーミング、レンズの画角選びに関しては、影響をほとんど与えません。レンズを通した画像をファインダで見れる一眼レフなら、レンズの画角どおりの映像を見れるし、ファインダで見たとおりのフレーミングで写ります。銀塩をデジカメに変えたからといって、フレーミングが急に上手になることはないのです。

考えながら撮らないと、デジカメでも上達しない

 デジカメ高速上達論の中身で一番気になるのは「数多くの枚数を撮影すると、写真の腕が上達するか」でしょう。この部分に関しても、上記で挙げた要素から考察してみます。デジカメの影響を受けると分かっている要素は、さらに検討しても意味がないので、影響を受けないフレーミングと画角選びの2点だけを考えます。

 写真を数多く写すことで、フレーミングや画角選びが上手になるでしょうか。たとえば、通常なら年間に1万枚写すところを、5万枚とか10万枚写すことで、上達の違いが分かるほど上手になるでしょうか。私の結論は「ならない」です。これは、自分の経験と、私の写真仲間を観察した様子から得られた結論です。その理由を簡単に説明しましょう。

 まず、私の場合から。学生時代を中心に、かなりの枚数を撮影しました。でも、写真はほとんど上達しませんでした。ある時期、写真を撮る際に考えるべき内容を知ってから、かなり上達しました。撮影した枚数が、以前と比べてあまり多くないのにです。

 写真仲間を観察していると、写真の腕が上達する度合いは、撮影する枚数に関係ないことが分かりました。ぐんぐんと上達する人に理由を尋ねたら、私と同じ意見でした。どうすれば良い写真が撮れるのか、かなり深く考えながら写していたのです。逆に、深く考えてない人は、凄い枚数を撮影しても上達していません。たまに良い写真を写すことはありますが、まぐれ当たりでしかありません。上手な人は、良い写真を安定して撮れますが、それと比較して、明らかに差があるのです。

 では、深く考えないで撮影していて、枚数を多く撮ったとき、まったく上手にならないのでしょうか。そうではないでしょう。ほんの少しは上手になります。ただし、本当に上手になった人と比べると、非常に大きな差があります。

 深く考えないで撮り続けたときに上手になるのは、決まったパターンを覚えていくからです。被写体の状態を見て、過去に見た良い写真を真似て写すのです。そのため、似た被写体を同じパターンでしか撮れません。また、雰囲気を真似ているだけなので、細かなフレーミングの詰めが甘く、完成度が低い感じの写真に仕上がりがちです。

 ここで大事なのが、深く考えない撮影を続けたときの長期的な結果です。10年以上撮影し続けても、あまり上手にならない人が世の中にいます。同じようなことを続けたら、50年経っても似たような状態でしょう。50年では、撮影枚数は相当な数に達します。ということは、撮影枚数だけ劇的に増やしても、上達するのは難しいことを意味します。

 こうなる原因は、簡単です。深く考えながら撮影し続けないと、写真の出来に大きく関係するフレーミングが上手にならないからです。フレーミングが上手になるためには、撮影枚数が重要なのではありません。良い写真に仕上げるために、深く考えながら撮影し続けることが重要なのです。もちろん、ある程度の撮影枚数は必要ですが、それが非常に多いわけではありません。考えてみてください。深く考えながら撮影し続けたら、1枚ごとに考える時間が必要ですから、撮影枚数を無理に増やすことは難しいのです。

 以上を整理すると、次のようなことが言えます。表現に関して深く考えないで撮り続ける限り、いくら枚数を多く写しても、写真はほとんど上達しません。逆に、深く考えながら撮ると、より少ない枚数でも上達できます。大事なのは、フレーミングが上手になるように、深く考えながら撮影し続けることです。

考えながら撮った後の、反省と改良も大事

 ここまで、深く考えながら撮る人と、そうでない人に分けてきました。そうでない人も、実際に撮影するときには何かを考えているはずです。まったく考えていないわけではないのです。その意味で、「考えながら撮る人」ではなく「深く考えながら撮る人」という表現を使いました。

 では、深く考えながらとは、どんな内容なのでしょうか。どんな点をどのように考えていることなのでしょう。それを明らかにしたいと思います。

 撮影の際に考える内容というのは、当サイトの当コーナーで書いてあるとおりです。表現意図を明らかにして、主役、脇役、背景などを適切に調整しながら、最終的な妥協点を求めます。こうして考えた内容は、主にフレーミングという形で現れるはずです。

 考える行為は、撮影した後でも重要です。考えたことが忘れないうちに、撮影した写真を1枚ずつ分析します。狙った意図のとおりに写っているかどうか、冷静に判定していきます。そのうち、失敗した写真に注目することが大切です。失敗に終わった写真を、どう撮ったら成功していたのか、異なるフレーミングを考えてみます。失敗を冷静に反省するとともに、改良した写し方を探すわけです。この反省と改良は極めて重要で、絶対に行なうべきです。このように考えた内容は、次回以降の撮影に必ず役立ちます。

 同様に、他人の写真を深く考えながら見ることも大事です。魅力的な写真を見付けたとき、どのようにフレーミングしているか分析します。表現意図を明らかにして、主役、脇役、背景、構図などが、どのように調整されているかを見付けだします。このような分析も、自分が撮影するときに必ず役立ちます。

 深く考えながら撮るようになった当初は、面白い傾向が現れます。同じ時間を使った撮影で、撮影枚数が極端に減るのです。深く考えることになれてない状態ですから、考えるのに時間がかかります。1枚ごとに長く考えるわけですから、多くの枚数を写せるはずがありません。深く考えながら撮ることに慣れてくると、短時間で深く考えられるようになります。そうなるのは、以前に考えた内容を覚えていて、似たような被写体だと、前に考えた内容がそのまま役立ち、考える時間が減るためでしょう。

デジカメ高速上達論に、まどわされるな!

 ここまで、デジカメ高速上達論について考察してみました。写真の上達にデジカメが貢献する範囲として、写真表現でもっとも大事なフレーミングは、ほとんど含まれません。また、枚数を多く撮ることは、フレーミングの上達にほとんど役立ちません。もっとも大事なのはフレーミングが上手になることで、そのために一番役立つのは、深く考えながら撮影する方法です。

 世の中を見渡すと、好きで写真を撮っている人の中でさえ、深く考えながら撮っているのは、かなりの少数派のようです。つまり、(深く考えながら撮ってない)世の中の多くの人にとって、銀塩でなくデジカメを使ったことによる写真の上達は、ほとんど関係ないことになります。というわけで、デジカメ高速上達論は、多くの人にとって成り立たない内容と言えるでしょう。

 今回の内容を調べているうちに、もう1つ気付いた傾向があります。デジカメ高速上達論を主張しているのは、カメラについて詳しいけど、写真表現については詳しくない人のようです。こうした人の意見のうち、写真表現に関するものは、信じないようにしましょう。

 数多く撮ることで上達すると信じているなら、できるだけ数多く撮ろうと努力するでしょう。ところが、枚数を増やす努力は、写真上達として実を結びません。これこそ、デジカメ高速上達論の悪影響です。その努力を、深く考えて撮影することに向けることが、賢い選択となります。デジカメ高速上達論にまどわされてはダメです。どのようにフレーミングしたらよい写真に仕上がるのか、1枚1枚を深く考えて写しましょう。

 今回の内容を公開したのは、デジカメ高速上達論にまどわされる人を減らすのが目的です。繰り返しますが、写真表現が上手になりたいなら、一番大事なフレーミングの上達を強く意識し、深く考えながら撮影するようにしてください。

(作成:2004年8月18日)
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