京都府綴喜郡井手町。木津川に注ぐ玉川が流れるが、水量は少なく、水無川(みずなしがわ)の異名もある。しかし湧水の豊かな土地で、ここで汲まれる水は「井手の玉水」と呼ばれて名高かった。
はやく万葉集巻十一に「井堤乃四賀良美(ゐでのしがらみ)」の語句が見える。
玉藻刈る
この「井堤」は「川の水を堰止めたところ」を意味する普通名詞と思われるが、その後山城国の井手と同一視されたようで、柵(しがらみ)とともに詠まれることが多くなった。
井手の玉川 |
玉もかる井手のしがらみ春かけて咲くや川瀬のやまぶきの花(源実朝)
山吹の名所とされたのは、左大臣橘諸兄がこの地に別荘を構え、山吹の花を植えたことに始まると伝わっている。次の家持の歌は井手の邸で詠まれたものではないが、諸兄を褒め称えるのに山吹の花を詠んでいる。諸兄は山吹を好んだのだろうか。
山吹の花の盛りにかくのごと君を見まくは千年にもがも(家持「万葉集」)
古今集では、すでに井手は歌枕となり、山吹と取り合わせて詠まれている。
かはづ鳴く井手の山吹散りにけり花の盛りにあはましものを(読人不知「古今」)
井堤寺跡 京都府綴喜郡井手町 |
諸兄の別荘はその後橘氏の氏寺となり、井堤寺と呼ばれた。奈良時代には七堂伽藍の偉容を誇ったという。小野小町が晩年、この寺に寄住したとの伝説もある。
色も香もなつかしきかな蛙鳴く井手のわたりの山吹の花(小町集)
伝小野小町墓 京都府綴喜郡井手町 |
春ふかみ井手の川波たちかへり見てこそゆかめ山吹の花(源順「拾遺」)
駒とめてなほ水かはん山吹の花の露そふ井手の玉川(俊成「新古今」)
山しろの井手の玉川水清みさやにうつろふ山吹のはな(田安宗武)
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