藻壁門院但馬 そうへきもんいんのたじま 生没年未詳 別称:中宮但馬

源家長の娘。母は後鳥羽院下野後堀河天皇中宮藻壁門院(九条道家の息女)に女房として仕え、但馬守であった父の縁により但馬の通称で呼ばれた。
主に九条家歌壇で活躍し、貞永元年(1232)の洞院摂政(教実)家百首、同年の入道前摂政(道家)恋十首歌合などに出詠した。また後嵯峨院歌壇では宝治二年(1248)の宝治百首に詠進。新勅撰集初出。以下勅撰集に計十七首。

宝治百首歌奉りける時、夏月

手にならす(あふぎ)の風も忘られて(ねや)もる月の影ぞすずしき(続拾遺193)

【通釈】手に持ち慣れた扇で風を送るのも自然と忘れられて――寝屋に洩れてくる月の光はそれほど涼しげだ。

【本歌】相模「新古今集」
手もたゆくならす扇のおきどころ忘るばかりに秋風ぞ吹く

【参考歌】藤原為頼「後拾遺集」
おほかたの秋来るからに身にちかくならす扇の風ぞかはれる

寄橋恋

うつつにや恋ひわたるべき逢ふことはただ宵の間の夢の浮橋(宝治百首)

【通釈】現実の世界にまで恋し続けるべきだろうか。人との逢瀬は、宵の間だけ現れる夢の浮橋――そんなにもはかないものなのに。

【語釈】◇恋ひわたる 「わたる」は「橋」の縁語。◇夢の浮橋 浮橋のようにはかない、夢の中の通い路。浮橋は、水面に筏や舟を並べ、その間に板を渡して橋の代りとしたもの。


公開日:平成14年09月04日