油谷倭文子 ゆやしづこ 享保十八〜宝暦二(1733-1752)

弓屋倭文子とも。江戸京橋弓町の富裕な商家に生まれる。歌文の道に親しみ、賀茂真淵に師事。鵜殿余野子土岐筑波子と共に県門の三才女とうたわれた。一時、同門の加藤宇万伎と恋仲であったという。宝暦二年(1752)七月十八日、二十歳で夭折した。真淵による痛切な挽歌がある。東京都江東区清澄の常照院に真淵誌の墓碑がある。
遺稿集『文布(あやぬの)』に紀行文『伊香保の道ゆきぶり』、余野子との往復書簡『ゆきかひ』、歌集『散のこり』などを収める(いずれも江戸時代女流文学全集に所収。また『ゆきかひ』は新日本古典文学大系68「近世歌文集 下」にも収録されている)。
以下には『散のこり』(江戸時代女流文学全集四・校註国歌大系十五・女人和歌大系三・新編国歌大観九などに収録)より十一首を抄出した。

  2首  1首  4首  1首  3首 計11首

いつにかありけん、をみな友達の「花うぐひすの無き処には春もいたづらならんや」などよしなしごといふに

花の色に心もそめぬうなゐ児の昔よりこそ春は待たれし

【通釈】花の色にまだ心も染めていなかった童女の昔から、春は自然と待ち遠しかったものだ。

【語釈】◇うなゐ児(こ) 髫(うない)髪の子。髫とはうなじで束ねた髪型。

【補記】女友達が「花鶯の無い所では、春も虚しいのではないか」などと、たわいもないことを言った時、返事として詠んだ歌。倭文子の生れは江戸京橋の繁華街、「花鶯の無き処」と言われるのも無理はない。

【参考歌】鵜殿余野子「佐保川」
手を折りて春待ちかねしうなゐ子の昔を恋ふる年の暮かな

外山の君の御前より、筑紫の府の大神に奉り給ふとて二くさの題たうべたるに、梅の花軒端にかをるてふ心を

玉垂れの小簾の()ちかき梅の花いとしもふれぬ袖も香れる

【通釈】玉簾の外すぐ近くに咲く梅の花――これほどにも、触れていない袖さえも香るよ。

【語釈】◇玉垂れの小簾(をす) 玉飾りの付いた簾。◇いとしも 「いと」は「甚だしく」の意の副詞、「しも」は強意の助詞。大層にまあ、程の意となる。「香れる」に掛かる。

【補記】外山の君(未詳)より大宰府の神社(天満宮であろう)に奉納する二種の題を給わって詠んだ歌。

ころもがへ

衣手のかへまをしさも忘られて今年も花の香をぞしめてき

【通釈】今年も夏衣に花の香を焚き染めてしまった――それで春衣から衣更えをする惜しさも自然と忘れられて…。

【語釈】◇衣手(ころもで) 本来は袖のことだが、ここでは衣服を意味する歌語。◇かへまをしさ 替えることの惜しさ。古歌に見える「かへまくをし」からの造語か。

【補記】上句と下句のつながりは因果でも前後でもなく、並列である。花の香を焚き染めると同時に、春衣を脱ぐ惜しさを忘れられる、ということ。

【参考歌】土御門院「続古今集」
昨日までなれし袂の花の香にかへまくをしき夏ごろもかな

秋の歌とて

秋の野はあはれなりけり夕風に尾花みだれてちれる白露

【通釈】秋の野は情趣深いものだったのだなあ。夕風に尾花が靡き乱れて、方々に飛び散っている白露よ。

【補記】「あはれ」を初めて身に染みて知った感動がみずみずしく歌われている。同題のもう一首「月みればおふけなくしも成りぬかなしらぬ千里も思ひやられて」も可憐。「おふけなくしも成り(おほけなくしも…)」は「普段と違って気持が大きくなる」程の意。

もちの夜によめる

おもなくもてらせる月の光かな中なる人やいかが見るらん

【通釈】遠慮もなしに照らす月の光だなあ。月の中に住むという人は、どんなふうに下界の私を見ているのだろうか。

【語釈】◇おもなく 臆面もなく。あつかましく。また、自分の側の心情としては、恥ずかしい、面目ない、といった意味にもなる。

【補記】満月の夜に詠んだ歌。あどけない幻想とも言えようが、若い娘らしいコケティッシュな羞らいも感じられる。

月あかき宵、船にて

月影にのれる心のままならばいづこの浦やとまりならまし

【通釈】まるで月の光に乗って、ふわふわ浮いて行くかのような――こんな心のままならば、どこの浦が碇泊地になるというのだろうか。(このまま果てしなくどこまでも漂って行ってしまうのではないか知ら。)

【補記】下記万葉歌の影響から月を船に喩える例は少なくないが、月明りに照らされて航行する時の気持を「月影にのれる心」と言いなしたのは目覚ましい。

【本歌】皇后宮肥後「金葉集」
月を見ておもふ心のままならば行方もしらずあくがれなまし
  藤原実光「金葉集」
月かげのさすにまかせてゆく船は明石の浦やとまりなるらん

【参考歌】柿本人麿歌集出「万葉集」
天の海に雲の波立ち月の船星の林に漕ぎ隠る見ゆ

ある時よめる

袖の上におぼえずおつる涙にもすずろに月はやどりぬるかな

【通釈】袖の上に思わず知らず落ちる涙にも、むやみと月は宿ってしまうのだなあ。

【補記】「すずろに」は、「わけもなく」「理由・根拠もなく」ほどの意。家集に秋歌として収録するのに従ったが、むしろ恋歌の趣である。

【参考歌】藤原秀能「新古今集」
明石潟色なき人の袖をみよすずろに月もやどるものかは

かた山里に親しき人の住みけるを問ひて、十月ばかりなり

さびしとはこれをいふらん木の葉ふり月影すめる夜はの山風

【通釈】寂しいというのは、これを言うのだろう。木の葉が降り、月影が明るく澄む、夜の山風の趣――。

【補記】「親しき人」に贈った二首のうち一首。もう一首は「柴の庵に夜はのしぐれの音聞きてぬらせる袖はいつかかわかん」

古き題にてよめとて賀茂のぬしのたうべたるを心も得ず はじめてあふ

はかなくて明けば明けなんうつくしき(こと)をば後も尽しこそせめ

【通釈】あっけなくこの夜が明けるなら明けてしまうがよい。情け深い言葉は、後にでもありったけ言い尽くしましょう。

【補記】師賀茂真淵より「古き題」(この場合、古今和歌六帖の題)で歌を詠むよう宿題を出されて作った十四首の初。題は「初めて逢ふ」。

【本歌】大伴坂上郎女「万葉集」
恋ひ恋ひて逢へる時だに愛(うつく)しき言(こと)尽くしてよ長くと思はば
【参考歌】作者不詳「万葉集」
白妙の袖かれてぬるぬばたまの今宵ははやも明けば明けなむ

ふた夜へだてたる

末いかに塵や重ねむ手枕の(にひ)しきほどにふた夜こぬ君

【通釈】行末、どれほど塵が積み重なるのだろう。手枕はまだ真新しいうちから、二夜続けて訪れないあなたよ。

【語釈】◇塵や重ねむ 枕に塵が重なるのは恋人が訪れない徴。◇手枕(たまくら) 腕枕。男女は互いに手枕を交わして寝るという習俗があった。すなわち「手枕の新しき」とは、新枕を交わして間もないことを言う。

【補記】同じく真淵の課題に答えた作。因みに一つ前の歌は「ひとよへだてたる」の題で「一夜経(ふ)といへばたやすし昨日今日おぼつかなさの数をやはしる」。

人しれぬ

よひよひに涙はゆるす折もあるをやるかたなきぞ心なりける

【通釈】夜ごと、涙がこぼれるのは許す折もあるけれど、どうにも遣り場のないのが心というものであったよ。

【語釈】◇涙はゆるす 涙の流れ出るのは許す。涙を解放してやる。◇やるかたなき 行き場がない。思いを晴らすすべがない。

【補記】涙は抑制することができ、時には自由にしてやることもできる。しかし、己の心は制御できない、という。これも真淵の課題に答えた作。因みに次の歌は「人にしらる」の題で「三輪の山しかも霞はかくせども花は名にこそあらはれにけれ」。

【参考歌】二条為定「風雅集」
めに見えぬこころを人にたぐへてもやる方なきは心なりけり
  飛鳥井雅有「隣女集」
ひとり寝の夜な夜なゆるす涙よりやがてうき名のよそにもりぬる


最終更新日:平成18年02月14日