加藤宇万伎 かとううまき 享保六〜安永六(1721-1777) 号:静廼舎(しづのや)

名は美樹とも書く。藤原美樹・河津美樹とも。通称は大助。
美濃国大垣の藩主戸田家の家臣。同家の奧医師河津家の入婿となり、河津姓を名乗る。妻の死後、幕臣加藤家の養子となり、幕府の大番与力となって江戸浅草三筋町に住む。延享三年(1746)、賀茂真淵の門に入る。難波で勤番を勤めた際、京阪の士に古学・和歌を教え、真淵の学問を伝えた。上田秋成もその時入門した弟子の一人である。安永六年六月十日、没。五十七歳。
橘千蔭楫取魚彦村田春海とともに県門四天王と称された。家集『しづのや歌集』(『静廼舎歌集』とも)は寛政三年(1791)の宇万伎の十三回忌に上田秋成が編纂刊行したもの。『雨夜物語だみことば』『土佐日記解』などの著がある。
以下には『しづのや歌集』(続歌学全書二・校註国歌大系十五)より七首を抜萃した。

春たつ日よめる

春がすみ立たるを見ればくぐもりし神代の昔思ほゆるかな

【通釈】春霞が自然と立つのを見ると、天地が未だ分かれず、混沌としてほの暗く包まれていた神代の昔が思われるよ。

【語釈】◇立たる 自然と立つ。「る」は自発の助動詞

【補記】日本書紀の巻頭「古に天地未だ剖れず、陰陽分かれざりし時、渾沌として鶏子の如く、溟Aにして牙を含めり」に拠る。「溟A而」は「くぐもりて」とも訓んだ。

夜の梅を

梅の花ものがたりしは夢ならむ香ばかりさそふ春の手枕

【通釈】梅の花が物語をしてくれたと思ったのは、夢なのだろう。春の夜、腕枕をして寝ている私のもとへ、花の香が誘うように匂ってくるばかりだ。

【補記】一人寝の夢から覚めた瞬間という場面設定。

【本歌】藤原基俊「金葉集」
むかし見しあるじ顔にて梅が枝の花だに我にものがたりせよ

遠山夕立

あしほ山夕立すらし筑波嶺のそがひの雲に(かみ)の音する

【通釈】葦穂山では夕立が降っているらしい。筑波山の背後の雲で雷の鳴っている音がする。

【語釈】◇あしほ山 葦穂山。筑波山の北に連なる。

【補記】万葉調の歌として評価された作(新田寛『近世名歌三千首新釈』など)。遠望される気象に夕立を想像するという趣向は王朝和歌にもありふれたものであるが、立体感をそなえた力強い叙景は旧套を脱している。

【参考歌】作者未詳(東歌)「万葉集」巻十四
筑波嶺にそがひに見ゆるあしほ山あしかる咎もさね見えなくに
  曾禰好忠「詞花集」
川上に夕立すらし水屑せく簗瀬のさ波たちさわぐなり
  源俊頼「新古今集」
とほちには夕立すらしひさかたの天のかぐ山雲がくれ行く

夜深く雁を聞きて

ぬば玉の夜更けて来鳴く雁がねは物思ひをる我ぞ聞きをる

【通釈】夜が更けてからやって来て鳴く雁の声は、ほかに聞く人もいないだろうが、物思いに耽っている私が聞いているのだ。

【補記】万葉調と言えるが、「夜更けて来鳴く」と言い「我ぞ聞きをる」と言い、古歌に先蹤は無く、まぎれもない近世の歌である。

下の諏訪にいたりて

今日幾日(いくか)山より山を見つつ来てともしくもあるか諏訪の湖

【通釈】今日まで幾日も山から山へと山ばかり見ながらやって来て、やっと目にした諏訪湖よ、なんと珍しく、心惹かれることか。

【補記】「ともしくもあるか」は万葉集に見える句。明和三年(1766)、勤番を命じられ、江戸から中山道を経て難波へ向かう旅中の作。

塩尻の嶺をこえて、洗馬てふ所へうつりゆくあひだは、限りもなき大野らになむ有りける。ここは昔甲斐と信濃のますらたけをの軍したる所にして、うたれたる者の塚ども今もありと聞きて

もののふの草むす(かばね)としふりて秋風さむしきちかうの原

【通釈】武士たちの草の生えた死骸に満ちていたという桔梗の原も、長い年月を経て、今はただ秋風が寒々と吹いているばかりだ。

【語釈】◇洗馬(せば) 中山道の宿場。◇きちかうの原 桔梗(ききょう)が原とも。長野県塩尻市。天文二十二年(1553)五月、武田信玄と小笠原長時が戦った場所。

【補記】これも難波へ向かう旅の途上の作。宇万伎の作では最も人口に膾炙した歌。

夜をこめてやどりを立ち出で、すり鉢峠にいたりぬれば、やや明けはなれたり、見わたせば

伊吹山いぶく朝風吹きたえてあふみは霧の海となりぬる

【通釈】伊吹山が息を吹いて起こす朝風――今朝はそれが絶えて、淡海は霧の海となってしまった。

【語釈】◇伊吹山 滋賀・岐阜県境の山。琵琶湖の東に聳える。◇あふみ 淡海。琵琶湖のこと。

【補記】美濃を経て近江へ向かう明け方、擂鉢峠から琵琶湖を眺めての詠。

【参考歌】下河辺長流「晩花集」
関こえてうち出の浜にけさみれば淡海は霧の海にぞありける


公開日:平成18年01月15日
最終更新日:平成20年07月10日