土岐筑波子 ときつくばこ 生没年未詳(1725以前-1761以後)

本名茂子(しげい子)。進藤正幹の養女。旗本土岐頼房の妻。生れは享保年間(1716-36)の初め頃かという。没年は未詳だが、かなり長命であったと伝えられる。
賀茂真淵の門に入り、歌にすぐれ、鵜殿余野子油谷倭文子と共に県門の三才女と謳われた。「かぎりなく来れども…」の歌を評して師の真淵は「天暦の頃の女房の口つきとおぼゆ」と賞讃したという。文化九年(1812)、清水浜臣が遺稿を編集した家集『筑波子家集』がある(江戸時代女流文学全集四・校註国歌大系十五・女人和歌大系三・新編国歌大観九に収録)。

以下には『筑波子家集』より七首を抜萃した。

むつき

かぎりなく来れどもおなじ春なればあかぬ心もかはらざりけり(筑波子家集)

【通釈】際限なくやって来るけれども、毎年同じめでたい春なので、飽きずに賞美する心も変りがないのであるよ。

【補記】師の賀茂真淵はこの歌を評して「天暦の頃の女房の口つきとおぼゆ」と賞讃したという。

秋風

吾が背子がときあらひ衣もぬはなくに荻の葉そよぎ秋風の吹く(筑波子家集)

【通釈】仕立て直しの夫の着物も縫っていないのに、もう荻の葉をそよがせて秋風が吹く。

【語釈】◇ときあらひ衣(きぬ) 解き洗ひ衣。ほどいて洗い、仕立て直した着物。この歌の場合、秋に備えての仕立て直しであろう。万葉集由来の語。

【参考歌】「万葉集」巻十五 作者未詳
夕されば秋風寒し我妹子が解き洗ひ衣行きて早着む

冬、人にわかる

別路の空にうちちるしら雪の心みだれてゆくへしらずも(筑波子家集)

【通釈】別れ行く道の上空にはらはらと散る白雪――そのように心乱れて、この先どうすれば良いのか分からないよ。

【補記】家集の冬部にある。

【参考歌】「万葉集」「新古今集」柿本人麿
もののふのやそ宇治川の網代木にいざよふ浪のゆくへしらずも

はじめてあへる

おもひねの夢のすさびにならひ来てうつつともなき今宵なりけり(筑波子家集)

【通釈】あの人を思いながら寝入って見る夢――そんな気慰めに慣れてきてしまって、本当に逢えたというのに現実とも感じられない今宵であるよ。

【補記】古今和歌六帖の題で詠んだ恋歌の一。他に「しらぬ人」の題では「ほのかにも見し人ならばおもひねになぐさむ夢もあらましものを」、「あした」の題では、「うつり香の残るばかりは夢ならで夢かとたどるよはのおも影」と、王朝恋歌の風趣横溢。

【参考歌】よみ人しらず「後撰集」
思ひねのよなよな夢に逢ふ事をただかた時のうつつともがな

いとけなき子のうせしころ(三首)

むすびつと見そむるほどもあらなくにはかなく消えし草の上の露(筑波子家集)

【通釈】結んだと見始めて暫くも経っていないのに、はなかく消えてしまった草の上の露よ。

【補記】幼い我が子を亡くしての作。

【参考歌】周防内侍「新古今集」
あさぢはらはかなくおきし草のうへの露をかたみと思ひかけきや

 

なき(たま)のあるを恋しと思ひせば夢路にだにもたちかへらなん(筑波子家集)

【通釈】亡きあの子の魂が、この世に生きている者を恋しいと思うとすれば、せめて夢の中ででも戻って来てほしいよ。

【語釈】◇あるを恋しと この「ある」は初句の「なき」の反意語で、「この世に生きている」意。◇たちかへらなん この「なん」は誂えの助詞と呼ばれる。相手に対して「…してほしい」との心をあらわす。

 

いはけなくいかなるさまにたどりてか死出の山路をひとりこゆらん(筑波子家集)

【通釈】年端もゆかず、どのような有様で山道を辿って、死出の山をあの子は独り越えるのだろうか。

【語釈】◇死出の山路 「死出の山」は、死後に死者が越えなければならない険しい山。仏典に由来する。

【参考歌】大伯皇女「万葉集」
二人ゆけど行き過ぎかたき秋山をいかにか君が独り越ゆらむ


公開日:平成18年02月11日
最終更新日:平成24年02月06日